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第二章 王都レイザァゴ編

第42話 神と神のフードファイト

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 フードファイトの準備といっても荒らされた店が多いからか住民たちは右往左往していた。
 しかし突然現れた俺の言葉でも、唯一縋れる希望だからなのか可能な限り協力してくれている。
 それでもどうすればいいかわからない者、俺に従っていいのかわからない者たちどう説明すべきか迷っていると――唐突に背後から声がかかった。

「我々管轄の食糧庫で無事だったものがある。それを使え」
「……ロークァット!?」

 俺は目を丸くし、第二王子の登場に住民たちもざわついた。
 ロークァットはまだ顔色が悪かったが、タージュに肩を借りず自分の足で真っ直ぐ立っている。自国民の前だからだろうか、大した精神力だ。
 ロークァットは切れ長の目を俺に向ける。
「――お前が何者かを明かせ。その方がスムーズに事が運ぶ」
「気づいてたのか?」
「さっきとんでもないものを見せられたからな」
 とんでもないもの?
 思い当る節がない。そう表情に出しているとロークァットは自分の首の後ろを指して言った。

「印があった。……食事の神の紋章だ」
「……あぁ、なるほど」

 スイハが初めに言っていた言葉を思い出す。
 首の後ろ、うなじ部分に『お印』があり、それが食事の神であることを示していたのだ。その印というのが人間たちの間でも使われている食事の神の紋章だったんだろう。
 教会で見たあれが首の後ろにあるのか、と俺はその場所をさする。普段は少し長い髪に隠れていたり、首を覆う服が多くて俺自身だけでなく他の人も含めて気がついてなかった。
「まだ諦めてはいない。しかしお前の口にしたことに興味が湧いた。……食事の神のフードファイトが如何なるものか見せてみろ」
「そのために協力してくれるのか」
 元はといえばロークァットのせいだ。
 が、責めるのは事態を収めた後に彼がどうするか見てからでもいい。
 それに封印が解けなければ……あの堕ちた食事の神は、ずっと真っ暗闇の中で苦しみ続けることになっていただろう。

 そう、あれの心の中を垣間見た時に僅かながら感情も伝わってきたんだ。
 声を聞き、目が覚める一瞬の間だったが俺のものじゃない心を感じた。

 堕ちた神が「おなかがへった」と言っていたとコムギは話していた。これから挑むフードファイトはそんな堕ちた神にも楽しんでもらえるものにしたい。
 そのためには俺だけの力じゃ無理だ。
 俺はロークァットに笑みを向けると「ありがとう」と手を差し出す。
 ロークァットは虚を突かれた顔をし、しかしすぐに取り繕うと「さっさと正体を明かして指示をしろ」と俺の手を取ることなく言った。

 俺は人々を振り返る。
 そこへロークァットが言葉を重ねた。
「今からこの者が口にすることは第二王子ロークァット・フルーディアの名にかけて真実であることを保証する」
 厄介なことに手を染めた王子だと思っていたが、こういう時の貫禄はさすがのものだと思う。
 大ごとになっちゃったなと心のどこかで思いつつ、俺は大きく息を吸い込んで言った。
「ここは単刀直入に言う。――俺は食事の神。食べることを愛し、食べる者を愛している。……暴れてるあいつを止めたい。そのために」
 今目の前で驚いているのは王都レイザァゴで日々食べ物を売り買いし、料理を作ってきた人たちだ。
 その人たちに命令ではなく、協力者になってほしいと頼み込む気持ちで再び口を開く。

「皆の思う美味いものをご馳走してくれないか」

     ***

 堕ちた神は細い路地で詰まりながらも様々な場所を走り回っていたが、やはり腹が満たされることはないようだった。

 そんな堕ちた神を待ち構えるべく、俺たちが陣取ったのは少し離れた場所にある広場。
 ここは収穫祭のカーニバルにも使われる場所で、十分すぎるほどの広さがある。
 どの路地からでも辿り着く可能性が高いこと、そして――ここは今堕ちた神がいる場所の風上にあることから、急遽フードファイト開催の場として使うことになったわけだ。

 貴重な食材で料理人たちが即興で調理をしている。
 俺はこうやって料理をする人を見るのが好きだ。生命に直結する創作活動のひとつだって感じがする。
 振り撒かれた飢餓により疲弊した人々には無理をせず料理を食べてもらっていた。腹が減ったのを我慢して何かをしてもらうんじゃ本末転倒だ。
 ……ロークァットとタージュだけは何かを口にするのを断わっていた。
(あの二人にも何か思うところがあるんだろうけど……)
 全部終わった後に少しでも話してくれたら嬉しいな、と俺は二人から視線を外した。
 ちなみに料理人たちの張り切りのおかげでフードファイトに使う料理が枯渇する心配はないだろう。俺も味見と称して少しだけ頂き、そのおかげか髪色も真っ白に戻っていた。
 やはり黒くなるのは空腹、そして食事の神として在れなくなりつつあるという証拠らしい。

 包丁の音。
 煮込む音。
 油の跳ねる音。
 焼く音。
 伸ばす音。

 様々な音を聞きながら待っていると、次第に遠くから地響きが聞こえてきた。
 同時に焦げたような匂いが漂ってくる。――堕ちた神のものだ。
 音の主は真っ黒な体を曲がり角から現すと、口から唾液をぼたぼたと落としてこちらを見据えた。一度強い抵抗を見せた俺を警戒しているらしい。
 俺は席に着くと自ら堕ちた神を手招きした。

「なあ、腹が減ってるんだろ? こっちに来いよ、俺とフードファイトしよう!」

 言いながら神気を広げる。それを伸ばすのは堕ちた神にではなく周囲にいる人間にだ。
 問答無用で襲ってくるであろう飢餓感から皆を守りながら俺は待つ。
 俺の隣にはもうひと席分あった。堕ちた神の分だ。
 そんな俺の様子を見て思わず言葉を零したのは料理人だった。

「あれが行儀良く座るはずが……」
「いや、あいつは座ってくれるさ。ここは『食卓』だからな」

 確信めいた俺の言葉に不思議そうな顔をしていた料理人だったが、堕ちた神がゆっくりゆっくりこちらへ近寄ると見様見真似で隣に座ったのを見てぎょっとした。
 四足歩行だったものが人間のように座っているせいか少しゆるキャラみたいに見える。それにしちゃ禍々しいが。
 用意した大きなイスもサイズが偽りに思えるくらい小さく見えたが、それでも『座る』という所作があまりにも自然で、それは堕ちる前は俺のように人の形をしていたと強く感じさせるものだった。

「審判はタージュさんにお願いしていいですか」

 そう言うとロークァットと共に人ごみに紛れていたタージュはぎょっとした。
「俺にそんな免許は――」
「今回のフードファイトは相手を打ち負かすためのものじゃないんで、専門知識はいりません。……ああ、だから言い方を変えましょうか」
 俺はアメリオじゃなくタージュに頼んでいる。
 それを強調するために敬語で続けた。
「見届け人になってください」
「……」
「まあいわばここにいる全員が見届け人なんですけどね」
 そう言って笑うとタージュは眉間にしわを寄せ、しばらく迷った後――ちらりとロークァットを見る。
「……殿下も一緒なら」
「なぜ――」
「俺が見届けるべき理由も、殿下が見届けるべき理由もあるはずです」
 タージュのその言葉に俺は「こっちはいいですよ」と頷く。
 ロークァットは納得していない様子だったが、タージュを従わせ前へと出た。
「……ではさっさと始めろ」
「もちろん。……空腹はつらいだろうけど、お前も宜しくな」
 隣の堕ちた神を見遣る。なぜか大人しくしているように皆には見えるだろう。
 言葉に反応は返ってこなかったが、逃げも暴れもしない様子に俺は笑みを浮かべて箸を手に取る。
 そして。

「――フードファイト、はじめッ!」

 タージュの言葉と共に、俺たちのフードファイトは始まった。


 堕ちた神はまさに犬食い状態で用意された料理を次から次へと平らげていく。
 その隣で俺は海鮮丼を引き寄せて口に運んだ。レイザァゴに来てロデ・マンジュで初めて食べたものとはまた別の種類で、マグロやサーモンの他に頭が付いたままのエビ、カツオのたたき、ホタテなどが乗っている。
 醤油をかけて掻き込んだところで俺は目を輝かせた。
「下にしらすも入ってるのか!」
 なんだかお得な気分になるのは何故だろう。もしくはサプライズプレゼントでも受け取ったような感覚だ。
 一品目からこんな気分になるなんてツイてるな。
 そうにこにこしながらレモン果汁をかけて味を変えてみる。さっきまでとはまた違った趣になる上、爽やかな酸味が魚に合っていた。
 もちもちとしたホタテは甘みがあり美味しい。
「白米も炊き立てなのがありがたいなぁ……」

 ふと隣を見ると、堕ちた神は未だにがつがつと吸い込むように食べていた。
 胃に詰めるだけの食べる行為は今までこの世界で行われてきた『フードファイト』そのものだ。
 俺は堕ちた神に声をかける。
「なあ、ゆっくりでなくてもいいから味わって食べよう。その方が楽しいぞ」

 フードファイトを楽しむ。

 それは周囲のギャラリーにとっても意外だったようで、互いの顔を見合わせてざわついていた。
 発言者が食事の神だから余計に混乱しているらしい。
 ……でも言い換えればそれは新しい価値観に触れたってことだろう。
 この世界の常識に手を出すことは未だに気になるが、俺はもう決めた。

 楽しんで挑むフードファイトを皆に覚えてもらう。

 堕ちた神は相変わらず返事をしなかったが――ちらりと一度だけこちらを見るような仕草をすると、薄黒い煙を吐いてほんの少しだけ食べる速度を緩めた。
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