マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第一章

第10話 禁足地の蛞蝓 【★】

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 禁足地は山の奥にある。

 リータも静夏もすいすいと山道を進んだが、整地されていないとはいえ平地に慣れていた伊織は途中で派手にバテてしまった。肩で息をするのは当たり前、両足は鉛にでもなったかのように重く感じる。
 それでも情けないぞと両足に鞭打って一歩一歩確実に進んでいった。
 本当に倒れてしまうほどの限界を迎えない限り、静夏が手を貸そうとしないのも今の伊織にとってはありがたい。

 そして、ある地点から景色の雰囲気が変わった。
 柔らかな草花が姿を消し、固い葉の植物も葉の筋を残して禿げているものが目立ち始める。
 代わりに地面のそこかしこがキラキラと光っているのが見えた。

「これはナメクジの這った跡だ」

 ごく普通のナメクジと比べるなら、這った跡だけでもわかるほど大きい個体だった。しかし情報にあった魔獣のサイズと比べれば可愛いものである。
 だとすると魔獣の眷属のものだろうか、と静夏が言う。

 魔獣には眷属と呼ばれるものを使う個体がおり、その眷属は大抵が魔獣と似た特性を持っているらしい。それを聞いた伊織は大きいナメクジがわらわらと這っている様子を想像してゾワッとした。
 巨大なものが一匹ならまだいいが、集団で群れている様子はあまり見たくない。

 そんなことを考えていた時だった。

「!?」

 ばきばきと木の倒れる音が奥から聞こえる。
 まだ倒れていない木々の軋む音がまるで悲鳴のようだ。なにか巨大なものが緩慢に動いているというのが空気から伝わってくる。
 伊織が静夏を見上げると、静夏は視線を返して頷くなり走り始めた。

 向かう先には器用に木から木へと跳び移る女性の姿。
 その姿を捉えたと同時に、伊織は女性の向こうに見上げると喉仏を晒してしまうほど巨大なナメクジがいることに気がつく。
 ナメクジは体表に幾何学模様を浮かび上がらせ、六つある山羊のような目を巧みに使って女性の位置を捉えていた。

「お姉ちゃん!」
「あれが……!」

 女性――ミュゲイラは明るい橙色の髪をポニーテールにしており、そこだけ見るとリータとは似ていなかったが、瞳は同じ赤い色をしていた。
 引き締まった体は露出が多く、腹筋は見てすぐそれとわかるほど割れている。
 静夏が逆三角形ならミュゲイラは女性寄りのシルエットを保ちながら筋肉をつけたボディビルダーのようだった。
 長い耳には小さな花の意匠がいくつか連なったリング状のピアスをしている。

 姉を見つけたリータは駆け寄る――ことはせず、代わりに両手の平の間から現れた緑色の炎を伸ばし、弓矢の形に成形すると素早く構えた。

「お姉ちゃん、なにを勝手ばかりしてるの!!」
「っちょ、リータさ……」

 伊織の見ている目の前でリータは矢を放つ。
 それはナメクジではなくミュゲイラに向かって豪速で突き進み、鼻先を掠めて木の幹に突き刺さった。
 刺さるなり瞬時に消え去り、残った穴を凝視したミュゲイラは放たれた方角を見て笑う。

「おお、リータ!」
「嬉しそうに笑わないでよ! どれだけみんなに迷惑かけたと思ってるの!?」
「みんなビビりすぎなんだよ、要は眷属に邪魔させなけりゃいいわけじゃん! ほらこれ、先に山の洞窟で採取してきた炎の魔石! こいつで眷属を蹴散らせば……」
「山火事になったら大変でしょ!」

 懐から取り出した赤い石を自慢げに見せびらかしていたミュゲイラは「あ」と両目と口を開いた。リータの指摘を聞いてやっと、である。
 伊織は冷や汗を流す。
 悪い人ではないようだが、たしかにリータの言う通り脳筋で短絡的らしい。

「いやー、でも大丈夫だって。あたしが逃げ回って奴の体力も削れただろうし!」
「よく見てよ、余計怒ってる! とにかくこっちに降りてきて!」

 ナメクジの魔獣が狙っているのはミュゲイラだ。
 このまま逃げ回っているうちにミュゲイラが考えもなく不利になる場所へ入ってしまう可能性もある。回避や逃亡が自由にできない場所に追い込まれれば一巻の終わりだろう。
 しかしミュゲイラに危機感はないようだった。

「そこまで心配すること……な、い……、?」

 その時だ。
 両目を大きく見開き、そしてそのまま意思に判して視線が釘付けになった様子でミュゲイラの動きが止まった。
 このままじゃナメクジに追いつかれるのでは、と伊織が焦った時には彼女は木の幹を蹴っており、リータ、そして静夏の目の前に着地する。

「えっ、ええええっええええ! リータ!! なん、なんだよこのスゲー筋肉の人っ……マジすげー! やべー! すごいもん見た!!」

 ミュゲイラが語彙力をなくしてあたふたとしながら見ているのは静夏だった。
 これはもしや母さんの説得が想像以上に効果的なのではないか、と伊織は固唾を呑んで見守る。

「こちらはマッシヴ様よ、噂くらいは聞いたことがあるでしょ?」
「マッ……! 本当に!? さすが筋肉の神に遣わされし聖女、この大胸筋なんて芸術にかける熱い血潮をそのまま表現したかのような繊細さと力強さ、そしてそれらが相反するはずなのに見事に調和してる様子には至高の母性を感じるぞ!」
「何よその語彙力の上下幅!」

 ツッコミを入れながらリータは強引にミュゲイラの手を引く。

「とにかく無茶な真似はやめて。わざわざお姉ちゃんの尻拭いをするためにマッシヴ様は来てくれたのよ」
「あたしの?」
「そう! 勝手に禁足地に入るわ魔獣を怒らせるわ一体どういうつもりなの!? お姉ちゃんのせいで里のみんながどれだけ不安になったか――」

 伊織は慌てて「まあまあ」と割って入る。
 姉妹と里の住民の問題なら口出しするなど差し出がましいことかもしれないが、ミュゲイラにもなにか訳がありそうだ。
 リータだって一方的に責めれば後から後悔してしまうかもしれない。
 そんな一心でふたりを宥めながら伊織はミュゲイラを見上げた。

「ミュゲイラさん、魔獣に挑んだ理由は力試しだけじゃないですよね?」
「え、あ……」
「ならちゃんと説明するべきだと思うんです。でも、まずは……」

 伊織は静夏を見上げる。
 腕組みを解いて静夏はこくりと頷いた。
 その視線の先にはナメクジの魔獣。突如予想外の方向へ跳んだミュゲイラを見失ったのか、その場に佇んでいるが――そう思った瞬間、イルカの声のような高い音を発して眷属のナメクジたちを呼び寄せた。

 周囲の草花を食んで丸々と太った眷属たち。
 その中の一部が伊織たちを見つけると、先ほどと同じ音を発して位置を知らせる。

「まずは、魔獣を片付けてからだ」

 伊織の言葉を継いだ静夏が地を蹴ってナメクジの魔獣の前へと躍り出る。
 すべての眼球でそれを捉えた魔獣は相手が『ミュゲイラではない』と気がついたようだったが、侵入者はすべて敵だと判断したのかすぐさま攻撃を食らわせようと上半身を反らせた。
 暗く大きな影が落ちたが、静夏は怖気づいた様子ひとつ見せずに五指に力を込めて踏み込む。

「ッふん!」

 風が巻き起こり、魔獣の反った腹に静夏の拳がめり込んだ。
 しかし――めり込んだと思った拳はぬるりと滑って横へと逸れる。

「む……!」
「ま、マッシヴの姉御! そいつの粘液めちゃくちゃ威力を削ぐんです! だからまずは固そうな眼球を狙って――」

 ミュゲイラが慌てて声をかける。
 きっと本人も事前に知っていたものの、予想以上に苦戦したのだろう。
 だが攻撃は逸れたものの拳の触れていた部分からナメクジの腹に波紋が広がり、余波で体が横に吹き飛ばされた。擬音にするならグビュンッである。
 ぽかんとしているミュゲイラたちの前で静夏は拳を構え直し、魔獣の吹き飛んだ方角を見る。

 そこにはばきばきに折れた木々の間で蠢く魔獣の姿があった。

「……! すまない、皆」
「え……えっ!? そんなことありません、あの、むしろここまでダメージが通るなんて思ってなくて驚いたというかっ……」
「そ、そうそう! マジかよ、マッシヴ様ってこんなに……」
「木を何本か駄目にしてしまった」
「そっち!?」
「そっちなのか!?」

 リータとミュゲイラの声が完全に重なる。
 眉をハの字にして申し訳なさそうにしながら、静夏はミュゲイラに声をかけた。

「これ以上山に被害は出したくない。ミュゲイラ、手伝ってくれないか」

 里の様子、そして山火事を心配する心、それらを見るにリータたちフォレストエルフは山や森を大切にしている。
 静夏はそれを鑑みて被害を抑えたいと考えているのだろう。

「手伝い、っつっても一体どうやって……」
「逆側から挟み撃ちにし、私と同時に攻撃してほしい。力の調整はこちらでやってみよう」

 伊織、リータ、と呼びかけながら静夏はふたりを見る。

「眷属を蹴散らし、奴らが我々の邪魔をしないようにしてもらえないか」
「……! も、もちろんです」
「やれるだけやってみる……!」

 伊織は持ってきた荷物から木刀を取り出す。
 護身目的なら刃物がいいのだろうが、心得のない者が持ち歩くとなると逆に危険だ。それにマッシヴ様も居るのだから大丈夫だろうということで木刀に落ち着いたのである。
 正直心許ないが足手まといになるのは嫌だ。
 嫌なら自分なりに頑張ってみせろと伊織は自分自身に言い聞かせる。

「次こそ上手くやってみせよう」

 静夏はバシンッと拳と拳を合わせ、強い眼差しで魔獣を見ながらそう言い放った。









ミュゲイラ(イラスト:縁代まと)
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