気づいたらまっくろでした……

隅子

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王宮学院編

3.逃亡

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 自分の姿に混乱したサニーはしばらく動けなかった。ただただ呆然と鏡を見つめ続けていた。
 しかし、人の話し声のような音が聞こえてきてハッと我に返る。この姿を他人に見られてはいけない。そう思って回廊に背を向け、ひっそりとエントランスに戻った。
 リフトの影に座り込み、サニーはこれからどうするべきか考え始めた。
(いつまでもここに座り込んではいられない。あまり人が来ないって言ったってみんな街へは降りるからいつか見つかってしまう。)
 街に戻ることも考えたが、サニーは地上に住んでいる。寝床もなく知り合いも多くない地下に降りてしまえば農園にいる以上に困りそうだと思った。
 サニーはちらりとガラスの向こうを見た。真っ赤な太陽の降り注ぐ荒野が見えた。針のような低木がまばらに生え、灰色の岩がごろごろ転がっている。まるでコケみたいなわずかな草が大地を覆っていた。
「外、に、行くしかないの?」
 呟いたと同時に喉が鳴った。無性に渇きを覚える。
 
 外。街の外、農園の外。人間が生きるには過酷すぎる環境が広がる大地。サニーは生まれてこの方外に出たことが無かった。きっと学院の誰に聞いても外に出たことのある人間なんていないに違いない。サニーの国の人間は、基本的に生まれた街で一生を終えるのだ。王都に行ったり、他の街に移ったりするくらいはあるが国の外に出るのはごく少数のエリートだけだ。
 そのエリートですら出ることのない、未踏の大地に出る。想像しただけでめまいがした。
 サニーはふらふらと外と中の境目、エントランスの出口に近づいた。この扉はちゃんと開くのだろうか。今までずっと誰も使っている様子が無かった。サニーはガラス扉の脇にあるパネルにそっと手を置いた。触れたところから光が広がり、円を描いてくるくると回った。やがてその光はOUTと印した。
 ガラス扉が開いた。暑い。荒野から吹いてきた熱風がサニーの前髪を巻き上げた。乾いた絵の具の匂いがした。これが土の匂いなのだろうか。農園で嗅いだものと随分違う。
 一歩外に踏み出した。足の下で土がじゃりっと鳴った。暑い。汗が噴き出して額から流れ落ちた。真っ黒になっているのに皮膚の機能は元と変わらないのかとサニーはぼんやり思った。
 暑い。ひたすらに暑かった。街や農園の管理された気温と全く違う操作のきかない空気がサニーを包んでいた。
 追い詰められて外に出たが、サニーはすぐ理解してしまった。自分はここでは生きていけない。太陽の下で、大地の上で生きていける気がしなかった。
「……戻ろう。」
 サニーは呟いた。
「外には、行けない、無謀すぎる。」
 一人で荒野をさまよい生きるすべを見つけるより、誰かに自分の身に起きた出来事を理解してもらう方がよっぽど楽だと思った。

 及び腰になって、後ずさった瞬間、誰かの手がサニーの肩を掴んだ。
「ッッゥわ!!!!」
 肩が跳ね、加減のきかない叫び声が口から飛び出た。
「うるさ!」
 振り返るとサニーの大声に顔をしかめたチェルシーがそこにいた。不機嫌そうに指で耳を塞いでいる。
「ちぇ、チェルシー?どうしてここに?」
 図書室にこもって絶対外に出てこない彼女がなぜここにいるのかわからなくて、サニーは一瞬自分が真っ黒になっているのを忘れた。
「どうしてって、あんたが外に出たから私も出てやろうと思って!」
 サニーの問いにチェルシーはニンマリ笑った。お嬢様には全く見えないそこら辺の少年みたいな笑顔だった。彼女の鼻の上のそばかすがくしゃくしゃになる。
「ていうかそれどうしたの?真っ黒!」
 その笑顔はすぐさま興味津々といった顔つきになった。彼女の反応に、サニーは自分が真っ黒になってるのを思い出した。
「あ、これは……」
 チェルシーに指をさされて、サニーはへどもどと胸に手を置き言葉を探す。どう説明したら良いか全くわからなかったし、そもそも自分でも原因がわかっていなかった。
「なんの魔法?肌だけこんな変な色に変える魔法配列なんかあったっけ?」
 気まずげなサニーなんかお構いなしにチェルシーは無遠慮にサニーの手を取りじっくり観察し出した。
「本当に黒いね。暗黒って言ってもいいくらい。こんな純度の黒、他に存在しないんじゃないの?」
 チェルシーが鼻に乗った金縁丸眼鏡を押し上げる。
「魔法、なのかな。わからないの。」
 我ながら情けない声だとサニーは思った。正直、チェルシーが一目でサニーだと分かってくれた安心で泣きそうだった。
「原因に心当たりはある?」
「リフトが停電してその後にこうなってたの。」
 それ以外心当たりが無かった。リフトに乗り合わせた男性がいたことをサニーはなぜか思い出せなくなっていた。
「ええ?!リフトが停電?!あれって神機でしょ?大丈夫なの?」
「もう復帰したから大丈夫だって、」
 サニーはそう答えながらも、いったい誰に教えてもらったのか必死に思い出そうとした。
「うーん。それはあとでちゃんと調べるとして、神機に不具合が起きたんならサニーの肌はそれが原因じゃない?」
 サニーの返事があいまいだからかチェルシーは些か納得していないようだった。だけどサニーはその後に続いた言葉に意識を持っていかれていた。
「不具合の影響……確かに。」
 神機はいまだに不確かな部分が多い。だからそれの影響だと言われればその通りな気がする。
「とりあえず、いつまでもここにいない方が良いわね。扉が開いたのを見つけて母さんが飛んでくるから。」
「え?いつでも開くんじゃないの?」
 チェルシーに背をぐいぐい押されてサニーは慌てた。
「まさか!あんたのパスに私が許可を付与しといたのよ。」
 チェルシーはシレッと答える。
「なんで?!」
 チェルシー最高権限者の娘が許可を付与しなきゃ開かない扉なんて、よっぽどではないか。サニーは自分の仕出かしたことが随分まずかったらしいと気が付いて青くなった。
「だって私が許可をもって扉に近づいたら部屋に閉じ込められるんだもの!」
「理由になってない!」
 回廊の方向からバタバタと人が駆けてくる音が聞こえる。サニーはたまらず悲鳴を上げた。
「あんたが何かの拍子に外に出たら一緒に行こうと思ってたの!」
「最悪!!」
 サニーはやっぱりこの子嫌いだわ!と心の中で叫んだ。真っ黒になるし、外に出ちゃうし、もう今日は散々だった。
「チェルシー!あなた、地上に出る扉を開けたわね!」
 回廊とエントランスの境目辺りで、ホタ夫人の怒鳴り声が響いている。サニーはチェルシーを揺さぶった。
「どうするの、来ちゃうわよ!」
 だけどチェルシーは涼しい顔で小型端末をいじっている。
「ん!大丈夫。ホラホラ!システム、ワーププログラムをオープン!チェルシーの自室に転移。」
「え?」
 チェルシーの発言にサニーは耳を疑った。
「了解しました。3,2,1」
 学院を卒業しないと所持免許がもらえない高機能演算式魔法出力端末をチェルシーはその手に持っていた。
「端末?!なんで持ってるのー!」
  
 サニーが驚愕すると同時に小型端末がプログラム数列を照射した。ピカッと青い光に包まれる。空気がグニャグニャと歪み、穴に落ちていくような感覚が起きた。
 ホタ夫人が二人の方へ駆けてきているのが見えた。その瞬間サニーたちは立ちすくんでいた扉の前から姿を消した。
「チェルシー!」
 揺らぐ景色の中で、ホタ夫人は憤怒の表情でこちらに向かって手を伸ばしていた。
 
(……真っ黒になっててよかったかも。)
 夫人の形相があまりにも恐ろしかったので、サニーは顔が判別できない今の自分の状態につい感謝してしまった。

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