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じぶんを生きる

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どれだけのひとが、じぶんを生きているのだろうか。

いそがしい日々を、おくっていると、どうしても、じぶん自身を見失ってしまいそうになる。



感性が麻痺して、ささいなしあわせに、気づく、余裕がなくなってくる。



日々のなかには、たくさんのしあわせが、つまっている。

それを感じるには、感覚が敏感である必要がある。

そして、余裕も。



いそがしい。

じかんがない。



そう言って、日々を過ごすかたは、おおい。

じぶんのじかんをつくれなくて、日々を生き抜くだけで、精一杯のかたも、おおい。



じぶんを生きるには、どうすればいいのだろうか。



まずは、じぶんのじかんを、取り戻すこと。

日々のなかで、5分でも、10分でも。

じぶんのじかんを、つくってみること。

そのじかんをつかって、じぶんと向き合うこと。



じぶんは、いま、なにを考えているのか。

じぶんは、いま、なにを感じているのか。

じぶんは、いま、なにをやりたいのか。

じぶんは、どうなりたいのか。



じぶんと向き合わないと、じぶんを生きることは、できない。

じぶんを知らないままでは、じぶんを生きることは、できない。

だからこそ、すこしのじかんでも、じぶんと向き合って、じぶんを知っていくことが、大切なのだ。



そして、感覚をするどくすること。

日々のいそがしさで、感覚が麻痺していく。

だから、感覚を取り戻すことも、大切だ。



感覚の感度をあげること。

それには、じぶんに集中することが、必要になってくる。

じぶんは、なにを、感じているのか。

さみしいのか。

かなしいのか。

つらいのか。

くるしいのか。



うれしいのか。

わくわくするのか。

たのしいのか。

どきどきするのか。



感覚がするどくなってくると、日々のちいさな気づきに、気づけるようになってくる。



そして、日々のしあわせに気づけるようになる。



しあわせに、おおきいも、ちいさいもない。

あるのは、しあわせだ、と感じるこころだけ。



いちにちのなかで、しあわせだと感じることができれば、その日は、しあわせな、いちにちなのだ。

そのしあわせの、積みひろげで、ぼくたちはできている。



じぶんを生きれるようになってくると、ささいなことでも、しあわせを感じることができる。

だから、まいにち、しあわせでいられる。



じぶんを生きる。



じぶんのじかんを取り戻すこと。

じぶんの感覚を取り戻すこと。



あせらなくてもいい。

あなたの、ペースで、行動していけばいい。

きっと、じぶんを生きられるようになる。



じぶんを生きられるようになると、自然にじぶんの本当にすすみたい方向へ、むかえるようになる。

だから、じぶんを生きることを、あきらめないで欲しい。



ここまで、あなたの貴重なじかんを、つかって読んでくれて、ありがとうございます。



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