一枝の柿

畑山

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一枝の柿

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「良い色だ」
 二人の男が山中の柿の木を見上げていた。
 節くれ立った柿の木の高い枝先に、よく熟れた柿が一つあった。柿は枝先に実を付ける。
「喜三右衛門様、腹でも減りましたか」
 若い武士がからかうように言った。
「柿の色の事だ」
 五十代後半の男がむっとした表情で言った。腕が太く手が分厚かった。目の細かい竹かごを背負っている。中には石が詰まっていた。
「確かに、いい色ですね」
 若い侍はいった。
「色というものは人によって違う色に見える。形などは、そう違いはないが、色は見る人によって違う。年齢性別、人によっては見られない色というのもあるらしい。こっちが良い色だと思っても、よそ様にとっては、よくない色に見えるかもしれない。そこが難しい」
 二人は、磁器に使う絵の具の原料を探すため、山中を歩いていた。絵の具は弁柄という鉱物で、できている。銅が取れるような場所で取れた。他にも絵の具の材料になりそうな石を見つけては拾ってかごの中に入れた。二、三日帰らないときもあった。
「そういうものですか」
 井上権兵衛は護衛の者だ。陶工の酒井田喜三右衛門についている。喜三右衛門が出歩くときは必ず彼がついていた。
 喜三右衛門は一度さらわれかけたことがある。三年ほど前のことである。

 山の麓で僧に声をかけられた。
「酒井田喜三右衛門さんかい」
「はい、なにか」
 喜三右衛門が答えると、僧は笑った。
 何か変だと思った。喜三右衛門はいつものように、石を拾うために山に登ろうと、かごをしょっていた。
 背後に複数の気配がした。
 三人居た。前に僧侶が一人、後ろに男が三人、僧侶が杖を振った。肩口の辺りに当たった。喜三右衛門は杖をつかんだ。
「何をする」
 喜三右衛門がいった。
 僧侶が両手で杖を引いたがぴくりともしない。後ろの男が一人、喜三右衛門の膝の裏を蹴った。膝をついた。後にいた男が喜三右衛門の肩やかごを抑えた。身動きがとれなくなった。喜三右衛門は肩を掴んでいた男の腕をつかみ振り回した。毎日土を叩きつけこね回している。力は強い。男を投げとばした。喜三右衛門の反撃に男達は驚いた表情を見せた。
 僧侶が拳で殴りかかってきた。喜三右衛門の顔に当たり、喜三右衛門は杖を手放し地面に転がった。男達は倒れた喜三右衛門を上から蹴った。
 喜三右衛門の右の方にイノシシ避けに作られた石垣があった。石垣の石を一つ掴み、握り、ごろりと引き抜いた。イノシシがぶつかっても壊れないような物である。
 人間の頭ぐらいの大きさの石が喜三右衛門の手にあった。それを、蹴ってきた男の足にぶつけた。男は叫び声を上げ倒れた。倒れた男の服をつかみ引き寄せ顔面に石をたたき込んだ。つぶれた。
 喜三右衛門は石を片手に立ち上がった。
 僧侶が杖を振った。喜三右衛門は頭をかばいながら前に進んだ。ぶつかるように近づいて、右手に持った石を僧侶の胸めがけて振り下ろした。骨の折れる音がして胸にめり込む。転がり、息ができないのか口を開け閉めしている。
 残った二人の男が、懐から匕首を取り出す。
「やっちまえ!」
 匕首を突いた。喜三右衛門の太い腕に刺さる。刺された方の手で、刺してきた男の腕を掴み、石を頭に叩きつけた。男は頭を傾け倒れ、動かなくなった。
 一人残っていた男は喜三右衛門に背を向け逃げた。喜三右衛門は持っていた石を叩きつけるように投げた。石は男の背中に当たり、折れ曲がるように地面に倒れ伏した。
 血の臭いが辺りにただよっていた。

 役所の者を呼び、後始末は任せた。一人生き残った男が居たが、連れて行かれた。背中に石が当たった男だ。そいつも数日後には死んだそうだ。何者だったのかは、喜三右衛門には知らされなかった。幸い腕の傷は骨も筋も逸れていて、しばらくすると直った。その後、幾ばくかの褒美と、護衛の者がつくことになった。井上権兵衛である。
 護衛などいらないと断ったが、家命だと言われ断れなかった。
 作業場の中までついてくるので、土を練らしてみると筋がよかった。剣術で鍛えたのか、細かい部分までよく見えていた。少しずつ教え込んでいき、今では一人で皿ぐらい作れるようになっていた。いずれは絵付けを教えようと考えていた。
 日が暮れてきたので、喜三右衛門は、権兵衛に声をかけ家に帰ることにした。



 冬に近づいていた。
 喜三右衛門は窯で皿を焼いていた。
 乾燥させた素地に釉薬をくぐらせ窯に入れ焼成し、冷めた素地に絵をかく、それに釉薬をくぐらせ、窯に入れ、上絵焼成をする。赤絵、色絵とも言う技法だ。長崎に出入りしている商人、東嶋徳左衛門が長崎で唐人から教わり、それを喜三右衛門に伝えた。東嶋徳左衛門は時々来て、皿をまとめて買い取ってくれた。
 上絵焼成は火加減が難しく、高すぎると色が悪くなった。低いと定着しない。薪をくべながら窯の様子を見る。炎の色と煙の色と、音で温度を判断する。あとは長年の経験と勘だ。権兵衛もそばで見ているが、まるでわかっていないようだった。こればかりは何度も焼いてみないとわからない。一生わからない者もいる。
 薪をくべていると家人がやってきた。家老の多久茂辰様が家に来ていると伝えてきた。意味がわからなかった。再度問いただすと、同じ事をいった。やはり意味がわからなかった。なぜ御家老が己に会いに来るのか、喜三右衛門には皆目見当もつかなかった。今は手が離せないから後にして欲しいと伝えるように命じた。家人は怯えた表情で帰って行った。しばらくすると、代官が現れすぐに来るように命じた。これも追い返した。権兵衛がこちらをうかがうような様子で見ているが口は出さなかった。焼き上がり、あとはそのまま器を冷ますだけの段階になってから、喜三右衛門は腰を上げた。
 
 急ぎ家に帰った。体を洗い着替えようと考えていたが、とにかく急いで来るようにと言われ、手足も洗わず家に入った。
 狭い家である。喜三右衛門と権兵衛は廊下で平伏した。家老の多久茂辰は半日待っていたようだ。家人が憔悴しきった顔をしていた。
「入れ」
 声をかけられ、喜三右衛門は部屋の中に入った。権兵衛は動かず廊下で小さくなっている。
「お待たせして申し訳ありません」
 這いつくばるように頭を下げた。
「よい、先触れも出さず、勝手に来たわしが悪い。顔を上げよ」
 中年の男が居た。陶磁器がいくつか転がっていた。暇つぶしに見ていたのだろう。意外と機嫌が良さそうだと、喜三右衛門は思った。
「酒井田喜三右衛門だな」
「はい」
「腕が太いな」
「土をこねているので」
 若い頃は土が土であったが、今は温かみのある物に感じられた。
「おまえの作った赤絵を見た。明の物に劣らず、よいできばえであった。どのような者が作ったのか、ちと顔が見たくてな」
 喜三右衛門は納得したものができたとは思ってはいない。
「その腕で、四人殺したか」
 三年前のことである。
「身を守っただけです」
「おそった者が何者か、見当はついておるか」
「いえ」
「郡代が調べたが、一人わからなかった。僧、大膳と名乗っていたようだが、そのものが、賭場にいた借金で首が回らなくなった者を三名雇った。やくざ者や、百姓だ。それから有田に入り、お主を拐かそうとした。他の三名については身元がわかったのだが、大膳とか言う僧については、よくわからなかった。付近の寺はしらみつぶしに調べたが、大膳と名乗る僧を知るものはいなかった」
 大膳という僧は喜三右衛門に声をかけてきた男だ。
「確か一人、生き残っていた者がいたのでは」
 喜三右衛門をおそった四人の内、生き残っていた者が一人居たことを思い出した。
「いや、結局何も吐かなかった。生き残ってはいたが、背の骨が折れ、ほとんど死にかけていた。痛めつける余地がなかったのでな、何も聞き出せなんだわ」
 少し、喜三右衛門を責めるような口調であった。
「とっさのことで」
 首をすくめた。
「問題は、ここ有田に間者がいると言うことだ」
「間者ですか」
「そうでなければ、お主の行動を読めぬであろう。それを探るためにも、権兵衛を差し向けたのだが」
 あやつ、陶芸にうつつを抜かしておるようじゃな。多久茂辰は眉をひそめた。
「申し訳ございません。筋が良かったもので」
 ふすまの後ろで微かに物音がした。おそらく聞き耳を立てていた権兵衛が出したのだろう。
「まぁよい、始終行動を共にしていれば、おそっては来まい」
 役目を半分、果たしておる。そう付け加えた。
「しかし、なぜそやつらは、私などを攫おうとしたのでしょうか」
 喜三右衛門は話を元に戻そうとした。
「お主の腕が目当てであろう。陶工を攫い磁器を作らせようと考えたのだろう」
「私を、ですか」
「徳川の世が決まり、島原以来戦はない。戦がなくなれば兵などいらん。だからといって、切り捨てるわけにもいかんだろう。どこの領主も、多数の兵を抱えているが、金がない。磁器を作り、金を儲けようと考える領主がいてもおかしくはない。ちょうど、明が滅び、景徳鎮の磁器が流れなくなり、磁器の値が上がっている。ようは金のためじゃ」
 多久茂辰は薄く笑った。そういう時勢が、いやなのだろう。
「しかし、どこの者がそのようなことを」
「可能性として高いのは、島津家か黒田家といったところだな」
「なぜでございましょうか」
「磁器を作れたとしても、それをどこかに売らなければ意味が無い。島津家は、琉球経由で貿易が出来る。黒田家も、朝鮮からの貿易が可能だ。福岡といえば昔から商人の力が強いからな」
「しかし、陶工なら、他にもいるのでは」
 喜三右衛門は目を伏せた。余分なことを言ったと後悔した。
「放逐した陶工のことを言っているのか」
 焼き物を作る際、薪を大量に消費する。数年前、山林の保護のため、陶工とその家族を放逐した。
「山が荒れれば水も涸れる。木がなければ暖はとれん。間違ったことをしたとは思っておらん。それに腕の悪い者しか放逐はしていない」
 勝手だ。喜三右衛門はそう思った。
「赤絵を作れる人間は限られている。ここ有田でおぬしを含めて数名だろう」
 そんなところだ。
「おぬし一人さらえば、明日からとは言わぬが、赤絵磁器が作れるようになる」
 多久茂辰は言った。
「ずいぶん、乱暴な話のようですが」
「ふむ、そうじゃな。だが、ない話ではないであろう」
 多久茂辰は喜三右衛門の顔をのぞき込んだ。確かに、ない話ではない。酒井田家は元は福岡八女の者だ。喜三右衛門の父、円西が龍造寺との戦いに敗れ人質になった。その後、龍造寺家は没落し、佐賀は鍋島勝茂が継いだ。酒井田家は福岡に帰らず、有田に移り住み瓦を焼いていた。その後、陶工の高原五郎に親子共に弟子入りし陶工になった。
 喜三右衛門自身、鍋島家になんの恩義も感じていない。税も重かった。どこぞに連れ去られ、ここで磁器を作れと言われれば、生きるために渋々作ったであろう。
「徳川の天下も決まり、幕府は大名達の力をそぎにかかっている。どの家の財政も逼迫しておる。鍋島家とて例外ではない。島原の乱や幕府の普請で火の車じゃ。そのうえ、長崎の警護も命じられた。家臣のものには、飢えて年貢米を強奪したものまでいる。金がいるのじゃ。どの大名も家臣を養っていかねばならん」
 とくに鍋島家は家臣の数が多かった。家臣を大切にしていると言えば聞こえは良いが、その負担は下々の者が補わねばならない。
「南川原山に窯を設けようと思う」
 多久茂辰は突然言った。
「南川原山ですか」
「うむ、有田では新たに窯を作るのは難しい。間者の件もある。新たに、皿山代官を作り、窯をつくって、そこへ陶工を移そうと思う」
「さようで」
 次第に自由が奪われていく、そんな予感がした。
「そこの窯をお主に任せたい」
「わたしですか」
「やってみろ」
「わかりました」
 しばし躊躇したが、答えた。
 悪い話ではない。断れるたぐいの話でもなさそうだし、いろいろ試してみたいこともあった。
「赤絵だが、あれはよい。いずれは景徳鎮の物を越えるだろう」
「まだ、満足ができるものではありません。色も絵も足りません」
 私の代で、できるかどうか。喜三右衛門は付け足した。
「ならば、おまえがその基礎を作ればよい。次の代、また次の代と受け継がせていけばよい。珍しい物はそれだけで価値がある。良い物を珍しい物を手に入れようと、人は金と力を使う。当面は徳川の世で決まりだ。武で競い合うような時代ではない、佐賀鍋島のために働いて欲しい」
 そう言われ、喜三右衛門は平伏した。金のことや権力のことはわからない。お家のためと言われても、大げさだとしか思わない。陶磁器を作るため朝鮮から陶工を連れ去り、木を切りすぎだと、陶工を多数追い出した。信用はしていない。だが、陶磁器は好きだった。それを作らせてくれるというなら、それでよい、そう思った。
 多久茂辰は、しばらく一方的に話し、帰って行った。南川原山の窯を預けるに足るか、値踏みをしに来たのだろうか。ただの気まぐれだったのかもしれない。よくわからなかった。



 二年の歳月がたった。
 南川原山への移転は着々と進んでいた。新しく作られる窯も何度か見せてもらい、意見も言った。喜三右衛門は金銀の絵付けを新たに行い、酒井田喜三右衛門の名は徐々に世に知られようになった。だが、鍋島家の財政を立て直すほどではなく、借入金は増え続けていた。税もさらに上がり喜三右衛門自身、それほど儲かってはいなかった。
 井上権兵衛は釉薬に興味を持つようになった。釉薬、呉須ごす、ともいうが、それによって器の姿が変わることが不思議なのだそうだ。
 喜三右衛門が外に出かけるときは必ずついてきた。

 南川原山の斜面に沿って登り窯は作られていた。丸い団子状の窯がいくつも連なっている。最終的には十ほどの窯が作られる予定であった。一つ一つの団子状の窯に、磁器を入れる。できあがれば、磁器の生産力は何倍にも跳ね上がる。
 南川原山の作業場を見るため、権兵衛と二人出かけた。道を歩いていると、馬の鳴き声が聞こえた。少し下がった曲がり角だ。馬が暴れ、馬の背に縛り付けていた陶器が落ちたようだ。
 喜三右衛門は駆けた。後ろで権兵衛の声が聞こえた。荷運びが何人か集まり陶器を拾っている。壺を抱えている男が居たので喜三右衛門が声をかけた。
「み、見てくださいこれを」
 男が壺を見せたので、喜三右衛門は壺を見た。藁縄で梱包された赤絵の壺だ。形は悪くないが色が悪い。自分が作ったものではないとすぐわかった。割れてはいないようだ。その壺が上がった。壺を持っていた男が、持ち上げたのだ。男はその壺を喜三右衛門の頭めがけ振り下ろした。
 暗くなる。地面が見えた。血の味がする。舌を噛んだようだ。音が遠い。早く乗せろ。誰かに引きずられている。何か聞こえた。獣のような声だ。何かがとんだ。人の首だ。権兵衛が切った。叫び声とうなり声がした。やがてそれも遠ざかっていく。何も聞こえなくなった。



 目を覚ますと、家に居た。妻と子が心配そうに、こちらを見ている。
「権兵衛は」
 そちらにと、部屋の入り口に立っていた。着物が血で汚れたままである。目が合うと、涙を流した。
「喜三右衛門様」
「着替えろ」
 それだけいうと、喜三右衛門の意識は再び遠のいた。

 目を覚ますと日が昇っていた。二日ほど寝ていたそうだ。
 頭にはさらしが巻かれていた。頭は重いが、さほど痛くはない。骨は折れていないそうだ。体を起こし、立ち上がろうとすると、家人と権兵衛に止められた。権兵衛の顔色がずいぶん悪かった。あれから寝ていないのかもしれない。着物は着替えている。
 何が起こったのか聞いた。
 荷運びを装い何者かが入り込んでいたらしい。おそらく五年まえの誘拐と関わるものだろう。陶磁器を積む馬に乗せて喜三右衛門をさらおうとしたようだ。そこに権兵衛が追いつき、全員斬り殺した。八人いたそうだ。
 郡代と皿山代官が調べているそうだが、まだ、よくわからないそうだ。一人ぐらい生かしておいてくれればと、言われたそうだ。
 ふいに眠気がしたので、目をつむると、吸い込まれた。

 次に目が覚めると夜だった。
 それほど時間はたっていないような気がする。権兵衛は壁を背に座ったまま眠っている。
 喉が渇いたので、水を飲みに行こうかと思ったが、一人で立ち上がれる気がしなかった。
 頭の中で何かが鳴っていた。頭を殴られた所為だろう。意識が途絶えるというのは不思議な感覚だった。眠るのとは少し違った。目を閉じ、開いた瞬間家にいた、その間に何もないのだ。
 亡くなった父、円西のことをなぜか考えた。晩年、父は絵をよく描いていた。陶磁器はあまり作らなかった。喜三右衛門が見たことのない山野の風景を描いていた。父円西が子供の頃過ごしたふるさとの風景だったのかもしれない。紙に書いた絵はすぐに色あせてしまう。父がつぶやいた言葉だ。磁器は違う。多少の変色があったとしても、色はそれほど変わらず、残ってくれる。人よりもだ。
 だが、絵の具は作るのに時間がかかる。特に赤色は石を細かく砕き水にさらしと、石から絵の具へ、使えるようになるまで数年はかかる。しかも思ったような色にはならない。父円西が晩年陶磁器を作らなくなったのは、それが原因なのかもしれない。
 床の間に赤絵の皿を飾っていた。喜三右衛門がつい最近作った皿だ。良いできだと思う。まだ良くなるとも思っていた。
 泉山の陶石は、むらがあった。白と言うより、少し黒ずんでいた。それをごまかすためには釉薬の工夫も必要であった。絵の具も、思うような色は出せていない。紅葉のような、しつこい赤ではなく、夕日のように一面に広がる赤でもなく、秋の空に浮かぶ小さな赤、枝先一つ残った柿の実のような赤、それが欲しいのだ。それを世に残したいと思っていた。
 いつの間にか眠っていたのか朝になっていた。権兵衛も起きていた。喉がひどく渇いた。厠へ行くついでに水を飲みに行くことにした。立ち上がるとふらついた。権兵衛が支えてくれた。意識は、はっきりしている。やることがまだまだ、たくさんある。不意にそう思った。



 警護のものが権兵衛とは別に、二、三人、常につくようになった。
 喜三右衛門は普通に生活することはできたが、まだ、めまいが残っていた。部屋で喜三右衛門の父、円西が残した絵などを眺めていた。
 井上権兵衛は、事件のことを調べ直していた。喜三右衛門の身の安全が気になったが、あの者達がいる限り、喜三右衛門の安全は保証されない。喜三右衛門と、皿山代官の山本神右衛門に己の考えを述べ、許しを得て、五年前の最初の事件を調べ直すことにした。

 喜三右衛門を攫おうとしたもの達は、ずいぶん弱かった。一人二人は、腕の立つ人間はいたが、それでも一度も刀をあわせることなく切り捨てることができた。権兵衛が強かったということもあるだろうが、権兵衛一人に八人も打ち倒されることはない。
 一度目の誘拐も変だ。刀一つ持っていない陶工に四人とも殺されている。
 そもそも最初の下手人は喜三右衛門を攫った後どうしようと考えていたのだろうか。四人の男は、喜三右衛門に声をかけ、連れ去ろうとした。女子供ではあるまいし、そんなやり方では難しい。声をかけた時点で警戒される。まずは気絶させ、その後さらえばいい。
 やはりおかしい。僧侶と後の三人は、やくざ者とただの百姓だ。そのような者にやらせるだろうか。
 権兵衛は喜三右衛門が最初に襲われた場所を調べてみることにした。
 山の麓、周りには田畑があるだけで人通りはない。喜三右衛門が引き抜いた石垣があった。元に戻したのか、どの石を引き抜いたのかはわからなかった。この石垣が死角になっていて、周りからは見えにくくなっている。岩場や斜面の多い山の中で襲うより、山の入り口の方が待ち伏せしやすい、そう考えたのかもしれない。
 大膳と名乗る僧形の男は、何を考えていたのだろうか。
 権兵衛はどこを探せば良いのか、何を探せば良いのかもわからず、とりあえず辺りを調べることにした。
 山にはよく喜三右衛門と一緒に行った。地面を見つめながら、使えそうな石をしらみつぶしに探すのだ。人の勘はあまり当てにならない、喜三右衛門がよく言っていた言葉だ。権兵衛は、雑草をかき分け辺り一帯しらみつぶしに調べることにした。
 二刻ほど探していると、山の斜面の木の根元に、両の腕を広げたぐらいの長さの古い二本の棒と、それを結んだ縄があった。雨風に汚れ、腐り、ぼろぼろになっている。
「これで、運ぼうとしたのか」
 二本の棒の間の縄の上に手足を縛った喜三右衛門をのせ、四人の人間がそれぞれの棒の端を肩にのせ、即席のかごのようなものを作って運ぼうとしたのではないか、権兵衛は考えた。その後、人目につかないように、山を歩き、それからまたどこかへ運ぶ気だったのだろう。
 棒は、地面に接していた部分が腐り、縄は手で引っ張ると容易にちぎれた。この二本の棒と縄の出所を調べれば何かわかるかもしれない。権兵衛は二本の棒と縄を手に山を下りた。

 権兵衛は見つけた大膳一味が用意していたと思われる道具を皿山代官の山本神右衛門に見せた。
 山本神右衛門は、しばらく、それを眺め、これはこちらで預かろうと言った。
「南川原山の件に関わった、お主が切り捨てたものの身元は、ほぼわかった。浪人崩れが四人、あとは、人足とやくざ者、前にお主が言っていたように、どこぞの領主が関わっているにしては、小粒と言わざるを得ない。しかし、陶工を攫って、得をするようなものが、どこぞの領主の他にいるだろうか」
 陶工を攫うということは、その陶工に陶磁器を焼かせると言うことだ。窯を持っていなければ意味が無い。もしくは作れるぐらいの土地と財力を持っていなければならない。窯をもてるような規模の組織となると、限られてくる。
「わかりません。ですが、直接関わったとは限りますまい」
「間に誰かが入っていると言うことか」
「そういう可能性もあるのではないでしょうか」
「一度目と二度目も同じものが関わっていると言うことか」
「わかりません。ですが、二件とも詰めが甘いような気がします。喜三右衛門様を攫った後、南川原山の八人はどこへ行くつもりだったんでしょうか」
「馬で川まで行き、船で川を下るつもりだったようだ。川に持ち主がわからぬ船が一艘用意してあった。調べてみると、近隣の漁師の舟を盗んだもののようだ」
「川を下り海に出て、そこから海路か陸路か、どこへ行くつもりだったのでしょうか」
 権兵衛は首をひねった。
 それからしばらく、山本神右衛門と権兵衛は五年前のものであろう、二本の棒と縄について意見を交わした。



 夜、男が一人倉の中を歩いていた。歩きながら考える癖があるため、家の中では、迷惑になり、外では人の目がある。よって、倉の中をうろうろと歩きながら考えることになった。
 二年かけた計画がつぶれた。精神的にも金銭的にもかなり厳しかった。喜三右衛門が南川原山に移ってしまうと警護が厳しくなる。急ぐ必要があった。予想外な面もあった。警護のものの強さを見誤っていた。喜三右衛門とともに、半分陶工のようなことをしている男だ。たいしたことは無いと侮った。どちらかというと喜三右衛門を無力化することに気を使いすぎていた。前回四人やられたのだ、当然のことだろう。
 財産を半分ほど失った計算になる。幸い実行者である八名は全員死んでいる。一商人がこのようなことを行うとは誰も思ってはいないだろう。疑われる可能性は低いものの、安心は出来ない。探せば落ち度はいくらでも見つかる。身を隠すべきなのかもしれない。そんなことを考えながら歩いた。
 倉の戸が開く音がした。
 夜である。
「誰だ」
 月明かり、戸の入り口に一人の武士が立っていた。
「井上権兵衛」
 そう名乗った。
「一体こんな夜更けに何の御用です」
 東嶋徳左衛門は権兵衛の目を見た。酒井田喜三右衛門の元にいた腕の立つ護衛。助からぬ。そんな気がした。
「陶工、酒井田喜三右衛門誘拐の件で来た」
「なんの話です」
 とうとうここまで来たのだ。
「大膳一味の事を今一度調べ直してみた。付近の雑木林に二本の木と縄が見つかった。五年前のものだったため、もろくなっていたが、縄の結び目がかろうじて残っていた。その結び目を調べてみると、漁師など、船乗りが、よく使う結び目とわかった。港を中心に調べると、平戸に大膳と名乗る僧形の海賊がいたことがわかった」
 もちろん、権兵衛一人で調べたわけではない。皿山代官の山本神右衛門の配下の者達や郡代の者達と共に、各地の港の船乗りに大膳の人相書きを片っ端から見せた。
「それがどうかしたのですか」
「徳左衛門殿、あなたは一度、大坂へ船で荷を運ぶ途中海賊に襲われていますね」
「ええ、そのようなこともありました」
「その時は、荷を半分渡し難を逃れたとか」
「ええ」
「その時の海賊に、僧形の男、大膳がいた」
「さて、どうでしたでしょうか」
 どこまで調べがついているのだろうか。
「元船乗りだった漁師の男が、覚えていた。荷の半分で手を打ったと。その交渉をしたのがあなたと大膳だった」
 鮮やかな手並みであった。港を出て、潮の流れがきつい場所で速度を落とした。岩陰から一艘の船が現れ、進路を防いだ。もう一艘背後から近づいてきて、横付けした。海賊が乗り込んできた。「荷の半分で手を打とう」僧形の男、大膳がいった。十五年も前の話である。
「大膳は平戸周辺で海賊をやっていたそうだが、取り締まりが厳しくなってきたので、船を下り、博打を打ちながら、商人相手にゆすりたかりをやっていた」
 徳左衛門が、大膳に再び出会ったのは、七年ほど前、久留米のそば屋で見つけた。僧侶の格好をしていたためすぐにわかった。奉行所に突きだしてやろうかと思ったが、十五年前の鮮やかな手口を思い出し、何かの役に立つかもしれないと、居所だけつきとめた。
「ろくでもない人間だったようですな、大膳という男は」
 その上、口先だけで役に立たない男であった。海賊の時の鮮やかな手口と違い陶工一人に見事にしくじった。陸に上がってだめになったのかもしれない。
「あなたは、どこかで大膳と出会い、酒井田喜三右衛門を攫うことを命じた」
「しかし、私がなぜ陶工の酒井田喜三右衛門殿を拐かさなければならないのです。そのようなことをしても仕方が無いでしょう」
「五年前、あなたは、船を一艘購入していますね。その船はどこに行ったのでしょう」
「五年前ですか。さて、どうだったでしょう」
 事がうまくいけば、船は大膳に譲り渡す、そういう約束をしていたのだ。古いものであれば即金で買えたのだが、新しいものが良いと、大膳が言い張った。新しい船となると金がかかる。己の名前で買うしかなかった。
 船は知り合いの漁師に頼んで隠している。二回目のときもその船で沖まで運ぶつもりだった。
「あなたは、酒井田喜三右衛門を攫い、長崎から、出航したオランダ船と海上で落ち合い、売り渡す計画を立てた。違いますか」
 もし、どこぞの領主が、考えたことなら、商人に陶工を攫わせるより、信頼出来る家臣に実行させた方が、間違いが少ない、そうするのではないだろうか。金があり、陶工を手に入れる手段がない人間、異国のものなら話は別だ。商人に頼るのは、それほど不思議ではない。
「少し、いや、根本的に間違っていますな」
 徳左衛門の口調が少し変化した。
「なにがだ」
「喜三右衛門殿をオランダに売り渡す気などありませんでした。私は、共にオランダに渡るつもりだったのです」
「あなたが、なんのために」
 権兵衛が少し驚いた表情をした。
「商売をするためですよ。この国から離れ、自由に商いがしてみたかったんです。この国の商いは武士が口を出しすぎている。もっと自由に世界中の人間と商いをしてみたい。そのためには、この国を出て行くのが一番です。そのために、陶工、酒井田喜三右衛門が必要だったのです」
 すでに、オランダからは、陶工酒井田喜三右衛門を連れてくることが出来れば、窯を作る資金を出すという約束を取り付けていた。
「身勝手な、行きたいなら一人で行けば良い」
 権兵衛は刀に手をかけた。
「身勝手は承知です。ですがね、この国にいたっておなじじゃないですかね。喜三右衛門殿は鍋島家のため、高い税を払い、陶磁器を作っている。赤絵を作ったのは喜三右衛門殿なんですよ。鍋島家は女を囲うように陶工を囲って、磁器を焼かせている。自由なんてものはない。同じ不自由なら、より金になる場所で作った方が良い。オランダに喜三右衛門殿と共に出向き、窯を作り、磁器を焼く。人を雇って、世界中に売りさばくのです。わざわざ長崎まで来て、磁器を買い付けに来ているんですよ。必ず売れます。必ず儲かります。国や家に縛られることもなく、自由に磁器を焼けるのです。陶工酒井田喜三右衛門の名が世界に広がるのです。喜三右衛門殿にとっても、これは良いことなのではないでしょうか」
 なぜ長崎だけなのだ。なぜオランダだけなのだ。もっと多くの場所で多くの国と取引出来れば、どれだけのものが動くか。一つの国、オランダだけと取引をしているから、安くも高くも売れないのだ。二つ三つとあれば、一番高く値を付けるものと取引すれば良い。それが商いというものだ。
「なにがいいかは、喜三右衛門様がお決めになれば良い、あなたが決めることではない」
 刀に手をかけたものの、権兵衛は動けなかった。東嶋徳左衛門一人で終わらせよ。権兵衛はそう命じられていた。わからなくはない。国も顔も違う遙か遠い国の異人に、罪を償えというのも難しい。オランダとの関係にひびが入るのも困りものだ。オランダとの取引がなくなれば、肥前鍋島家の財政は大きな痛手を被る。だから、事を東嶋徳左衛門一人で納めよ。
 わかってはいる。だが、釈然とはしない。これではまるで、こちらが口封じにでも来たみたいではないか。
「喜三右衛門殿が何を決められるというのです。住む場所さえ制限されているではないですか。あなたもどうです。喜三右衛門殿と一緒にオランダに行きませんか」
「ふざけるな」
 このようなことを話したいわけではない。話すことなど何もないのだ。ただ切れば良い。そう命じられた。刀の柄に手をのせたまま、権兵衛の殺意は上がらなかった。
「鍋島家は陶工を金を生む道具としてしか見ていない。武士などただの金食い虫ですよ」
「何を身勝手なことを、おぬしも、喜三右衛門様を金儲けの道具としてしか見ていないだろう」
「喜三右衛門に赤絵の作り方を教えたのは私だ。苗を植えて収穫するようなものだろう。それで金を儲けて何が悪い。こんなゴミだめみたいな国で泥を練っていても仕方ない。同じ泥をこねるなら、もっと金になる場所でこねたほうがいい」
 切った。

 権兵衛は徳左衛門の衣服を改めた。財布は持っていない。倉の中の荷物を適当に荒らした。物取りの犯行に見せかけるためだ。
 徳左衛門は、権兵衛に切られるように仕向けた。そんな気がした。
「ややこしい」
 権兵衛はつぶやいた。



 東嶋徳左衛門が物取りに殺されたと聞いても、喜三右衛門は、特に何も言わなかった。しばらくしてから、権兵衛に刀を捨てるようにいった。権兵衛は素直に従った。
 半年後、南川原山の窯ができあがった。
 山の斜面に瘤のような窯が連なっていた。皿を入れ、試しに焼いてみることにした。
 徐々に温度が上がっていく。薪を継ぎ足していく。熱が山の斜面を上へ上へと這い上がっていく。
 喜三右衛門は斜面を何度も上がり下りし、一つ一つの窯の様子を薪を入れながらうかがっていく。熱が思ったよりあがらない。薪を足していく。やがて音が変わる。一つ一つの窯の音が均一になっていく、器の音が聞こえる。熱で器が縮んでいく。磁器へと生まれ変わるのだ。
 窯の熱が冷め、中の磁器を取り出す。割れているものもある。今までの窯より少ない方だと思う。白い、すこし灰色ががった乳白色である。この器に色を付けるのだ。

 南川原山では分業制が進み、赤絵磁器が大量に生産されるようになった。オランダ、東インド会社からも、大量の赤絵磁器の注文があった。
 酒井田喜三右衛門は名を改め、酒井田柿右衛門と名乗るようになった。その名は、現代も受け継がれている。
 
 了
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