東京チェーンソー大虐殺

闇之一夜

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 クラスに如月(きさらぎ)弥生(やよい)という女がいる。アニメキャラみたいな名前だが、こんなありきたりに輪をかけたようなの、つけねえよな、ふつう。
 神社で巫女をやっていて、霊能者だという噂があるんで、今朝のことを話して、相談に乗ってもらおうかと思った。
 しかし、奴はいつも廊下の窓から誰もいない木なんかにいる、見えない誰かさんに話しかけて、周りからキモがられているアブない奴だ。

 でもそう思っても、身近で頼れそうなのはあいつしかいない。いちおう相談してみるか、ダメなら、それでいいんだし。
 それで休み時間、ふらふらとそいつの席まで行った。


 私がよく知らん人に話しかけるなんて、清水の舞台どころか、ブラックホールに突入する覚悟がいる。普通は絶対しないし、できない。それでもいちおう試みたんだから、よほど混乱して、藁をもすがる思いだったのだ。

 だが、そのとき気配を感じ、はっと後ろを見た。窓の外。

 ――あいつじゃないか……!

 あわてて戻り、なにしに来たのかと思ったら、奴は頭の中に話しかけてきた。

(まだ決心はつかない? 私と同じような仲間が、ほかにもいっぱいいるの)
(待ってるわ)
(いつでも歓迎よ)

 ――うるせえ。
 ――もう来んなよ。

 にらむと、奴は消えた。
 ほっとして椅子に沈むや、またぎょっとした。如月がそそくさと席に戻っていく。

 見たのか、あいつ。
 見たんだな、きっと。

 じゃあ、なんか言ってくれればいいじゃんよ。


 煮えきらず、次の授業になると、私の中に妙な決意みたいのが生まれていた。
 ひとつ、はっきりした。
 私が霊を見る体質の、霊能者である、ということが。

 さっき窓の外を見ていた奴は、ほかにもたくさんいた。だがおそらく、誰一人として、眉ひとつ動かさなかった。
 イチョウの木に座る美人の妖精さんを見たのは、私だけだったのだ。

 いや、ひょっとしたら如月弥生も。




 修学旅行の班決め。
 結局どこかに押し込められたが、誰と一緒になろうが変わらないので、気にしなかった。班に如月がいれば、もしかしたら彼女と話す可能性があったが、いないので、まったく全てがどうでもいい。

 当日はバスの中でも、現地に着いても、相変わらず一人で黙っていた。目的地さえ頭に入っていない。
 ああ、京都か。
 高校の修学旅行だ、そんなところだろう。



 旅館の前に整列し、自由行動になるまで、頭は相当ぼうっとしていたらしい。
「須貝さん、大丈夫? 君の班、行っちゃうよ?」
 はっと見て、ぎょっとした。
 矢崎君じゃないか。

 たちまち爪先まで真っ赤になり、脳細胞がショートしかかった。まずい、なにもこんなときに喋りかけなくても。
 いつものように何も言えず、下を向いて幼児のようにうじうじした。情けない。

 ああ分かってるよ。
 そうだよ、好きなんだよ、彼のこと。

 畜生。



 同じクラスで生徒会長の矢崎君は、細面の顔に理知的な眼鏡が似合う美少年だ。私がかたくなに口を閉ざしつづけ、完全拒否の姿勢を保っても、彼は何かと理由をつけて声をかけてきた。
 生徒会長という職務の上でだろうが、それにかこつけて会話してくれているようで嬉しく、そのたびに胸が痛んだ。嬉しくて。幸せで。
 なのに、何も答えられない。

 そして、そんな私のことを気にするでもなく、笑って、「じゃあ」と手を振って去る、その爽やかさ。そんなに人気がないのが、ほんとに不思議だ。


 しかし、こんなふうにまた気を使われると、いたたまれなくなる。分かってる、生徒会長の義務でしょう。孤立した子を気遣うのは当然。誤解するな。

 それでも期待するのをやめられない。傷つくだけなのに。どうせ、すぐに誰かのモノになるのに。遠くへ行ってしまうのに。
 ああ、そうなる前に、私が彼をモノにしてえ……。

 心で否定しているが、なんのことはない、私は男のために自殺できないのだ。つまらん女なのだ、低俗なのだ。
 てか、だいたい、話もできないのに、どうやってモノにするんだよ。


 グループのはるか後ろについていって、いちおう名所めぐりには付き合い、それでも心は暗くボロボロになっていく。彼が近づくごとに、絶望で私が一枚ずつ削ぎ落ちていくようだ。もう骨しかない気がする。

 最終日は琵琶湖の近くのホテルに泊まった。

 その日が、私の運命の日となった。





 一日自由行動なので、まあ気が楽で助かったが、この辺のどこに何があるのか、なんも調べてないので、時間つぶしに困った。
 ジャージ姿でホテルのただっ広いバルコニーに出て、白塗りの柵をつかんで囚人みたくなっていたら、背後で足音がした。
 矢崎君だった。
「ああ、ここにいたんだ」

(えっえっ、私を探してたの……?)
 どぎまぎして柵に背をつける。なんか壁どん的というか、追い詰められてるようで超興奮する。
「須貝さん、鳥居さんたちが探してたよ」
 とりいさんって誰だっけ。
 ああ、同じ班の。

 最後だからって、一緒に店回りしとこう、ってんだな。今さら気い使ってそういうことされるのが、私のような奴には一番辛いんだよ。
 無視したいが、矢崎君に言われたんなら、あいつらとなんでもする。結婚でもする。


 だが、彼はそれ以上押し付けるでもなく、うながすでもなく、自分の二の腕を抱えて眉をひそめ、周りを見た。
「ここ、けっこう寒いね。中に入ったほうがいいよ、風邪ひきそうだ。如月さんも風邪だって言ってたし」
「えっ、如月さん、休み……?」

 思わず言って、なんてつまらんこと言うんだ、と落ち込んだ。
 もちろん、彼は気にしない。
「うん、前日に熱が出たって。かわいそうだよ」
 そうか、あいつ、いないんだ……。

 彼はすぐ降りていった。中に入れと言いながら、見届けることなく行ってしまう、この優しさ。
 ウザい奴なら、きっといちいち自分の思い通りにするだろう、相手を気遣ってると思い込んで。残酷な奴は優しいふりを平気で出来る。自覚ないから。

 でも彼はちがう。ああ、なんて優しい……
 いかん、胸が熱くなって、もう風邪どころじゃない。熱病だ。



 しかし、ホテルに入ってエスカレーターで下に降りるにつれ、恋心は急速になえ、代わりに、さっきのある一言が脳内を飛びかいだした。

「えっ、如月さん、休み……?」
「えっ、如月さん、休み……?」

 アホか。
 死ね。わたし、死ね。
 なんて恥ずかしい。超ブザマ。
 よくまあ、ここまで気が利かない、つまらんことが言えるな、おまえ。

 気がつくと駆け出していた。

 外は夕闇が迫り、暗黒の宇宙に向かって走っているようだ。



 琵琶湖が月明かりで黒々と光る不気味なほとりを、狂ったように走る。ぼろぼろ泣いていた。悔しさと悲しさとムカつきが、汗だくの全身を嵐のように渦巻いていた。
 砂浜にぶっ倒れる。
 しばらくうつぶせで砂を噛みながら嗚咽した。

 なんで私はこうなんだ。もういい。もうたくさん。終わりにしたい。
 もう、全てを終わりに――。

 えっ、なにを。

 一瞬でもバカなことを考えたのを後悔し、ふらふらと立ち上がった。月光が足元を白く照らし、見上げれば月が笑うようだ。

 そうだ、死のうなんて、バカなことを考えた。こんなことでいちいち死んでどうする。もう、何十回もあったことじゃん。彼のせいで身を切られるなんてさ。
 いい加減、慣れろ。
 死んだら、あの幽霊姉ちゃんの思う壺じゃないか。

 考えたら、あの姉ちゃんと出会ったから、死の願望がよけいに強くなったのだ。

 あいつのせいだ。私は悪くない。
 そうだ、悪くない。

 しかし、そう思っても、ウザい鬱状態はしばらく続いた。何かに頭をがっしとつかまれているようで、まるで立ち直れない。



 ふらつく足で浜を行くと小さな小屋があって、窓から明かりが漏れている。何も考えずに近づき、中をそっと覗くと、中年の男が三人、ランプを囲み、深刻そうに顔を突き合わせて座っている。そのめいめいの手には、何か光るものを持っている。

「よし、やるぞ」
 一人が言って立ちあがり、その光るものを振りかざす。どう見ても刃物だ。
 お、おい、やめろよ、どうする気だよ。
 嫌な予感でいっぱいになり、それでも体が固まって動けない。なんで、こんなのばっか見ることになるんだ。他人の自殺に縁でもあるのか。

 そのうち男は刃物を一気に自分の胸に突き立てた。げええ、といううめきがし、海老のように丸くなって横に倒れた。床に黒いものがだぼだぼ出ているのが見える。
 血だ。

 彼が動かなくなると、次の一人が立って、また同じようにナイフを胸に。げはああ、とあえいで、彼も倒れた。
 もう分かった。これは集団自殺の現場だ。

 むせるような鉄の匂いがここまで漂い、もう勘弁してくれ、と思ったとき、二人の死体から、あの女と同じように魂がすーっと抜け出た。そしてやはり、あの女と同じく、「体が軽くなった」だの、「楽になった」だのと喜んでいる。
 見ていて今さら恐怖感に襲われた。
(そうか、やっぱり人は死ぬと自由になれるんだ……)

「すごいぞ、今までの嫌な気分が嘘のようだ!」
「娑婆じゃ、いいことなんて何もなかったが、まさか死んで、こんなに楽しいなんてな!」
 ガキのようにはしゃぐ二人に、改めてぞっとした。


 ところが、三人目が続いてナイフで腹をざっくりやったが、転げまわって痛がるばかりで、なかなか死ねない。腹はまずかったようだ。おっさんのくせに切腹も知らないのか。あれは、誰かに首をはねてもらわなきゃダメなんだ。そんなとこ刺したって、簡単には死ねない。
 他の二人もやきもきして、宙に浮いたまま応援した。
「頑張れ、あともうちょいで楽になれるぞ!」
「そうだ、早くこっち来い!」
「素晴らしい生活が待ってるんだ!」
「とっとと死ね!」
 いまだかつて、これほどまでに、相手のことを気遣って死ね死ね言う人がいただろうか。
 しかし、腹切りはのたうつばかりで、なかなか事切れない。血は膨大に出ているが、出血多量までは遠いらしい。その間、彼はずっと苦しみ続けなければならないのだ。
 見ていて不意に、私の体に何かとてつもなく暗く熱いものがこみ上げてきた。

 この人は今、死のうとしている。生き続けることをやめ、死を選んだ。死の方がマシだと思った。
 それほどまでに悲惨な人生だったのだ。肉体が牢獄に思えるほど、そこから逃げ出したいと必死に願うほどの、生き地獄を生きたのだ。

 すると突如、彼の人生のビジョンが私の頭の中に雪崩れ込んできた。この世に生を受けたあとの、幼児期の親からの虐待、学校でのいじめの果ての重度の精神疾患。そしてろくでもない閉鎖病棟に入れられて看護人の暴力を受け、出所後、犯罪に手を染めた。犯罪組織の人たちは、世間の連中よりもずっと優しかったから。
 もちろん、そう見えただけで、実際はいいように使い捨てられた。刑務所の往復、そこでの虐待。彼の人生は虐待ばかりだ。それも受けてばかりで、他人に手を出したことはほとんどない。いや、あっても覚えていないのだろう。だいたい犯罪やってんだから、誰かに危害を加えなかったはずはない。
 傷つけ、傷つけられるたびに心は荒み、苦痛を逃れるために薬物に手を出し、麻痺させた。感情がなくなった。夢も希望もなく、ただ食うために生きる動物だった。
 何十回目かの出所で、もういいだろうと思った。ネットで自殺志願者と知り合い、こうして誰もいない琵琶湖のほとりで、命を断とうと決めた……。

 彼の地獄の人生をひととおり見た私は、気がつくとぼろぼろ泣いていた。声をあげた。誰も気づかなかった。ただ、私の嗚咽と、彼の苦悶のうめきが、琵琶湖のさざなみの音にかき消されていった。

 神に毒づいた。
 あんた、まだ生きろというのか。こんなになってる人に、まだ鞭をくれるのか。わずかな安堵すら許さないのか。
 安心などしたことない人だ。これから、初めてするんだ。死ねば、生まれて初めて安心できるんだ。
 なのに、まだ生かすのか、鬼畜生め。災害で何万人死のうが、ただ見てるだけ。それが神だ。
 んなもん、糞くらえだ!

 激怒に震える私の目が、壁に掛かった、あるものをとらえた。
 そうだ、あれなら。
 あれなら、この人を救える。
 私はこの人を、人生の殉教者を救う! 
 ただ生きることに殉じた聖人に、楽園への突破口をひらくのだ!

 ただちに窓から小屋に飛び込み、壁のチェーンソーを下ろして、紐を何度も引いてエンジンをかけた。使い方は知らないが、動かし方はホラー映画とかで見ていた。
 たちまち、ぶるるるるると低い唸りをあげて長いベルトが回転し、恐るべき銀色の牙の群れが獲物を求め、生ぬるい虚空を鋭く切り裂いて光る。

 私はソーを振り上げ、苦しむ彼の背に一気に叩きこんだ。
 びるるるる――!!

 気持ち悪い音を立てて肉が裂け、噴水のようにまっかな血がぶしゃぶしゃとあたりに飛んだ。返り血を浴びて目がくらんだが、私の手は、目の前の肉塊の息の根を完全に止めようと、ひるまなかった。ソーはかなりでかいのに、ぜんぜん重くない。
 彼はもううめいてはおらず、おそらく息も心臓も止まったろう。刃が背中を貫通し、胸から、こうしてざっくりと出てきたのだから。
 ついに相手はうつぶせに倒れ、ソーを放った。

 血の池に浸かる人間を見るのは恐ろしかったが、興奮もしていた。
 自分がやった。
 これは、私がやったんだ。
 いいや、いいことをしたんだ……!
 そうだ、はあはあ。

 全身が火のように熱い。いまや私は焼ける鉄だった。生きた鉄のつるぎだ。これで、この人も救われた……。
(本当に、そうだろうか……?)

 急に心臓がばくばくしだした。この人、本当にこれで満足なの。そんなわけない、嫌に決まってる。殺されたんだぞ。

 なんてことしたんだ、お前。

 体温が一気に滝の落下のように下がり、頭のてっぺんまで凍りついた。足ががくがくする。
 生まれて初めて人を殺した。殺しちゃった。
 どうしよう。お母さん、わたし、殺しちゃった。人間を、かけがえのない命を。この手で――。

 ところが、くずれ落ちかけた私に、声をかけるものがある。
 見上げれば、今この手にかけた、まさにその人だった。
 無残に殺されたのに、嫌がるどころか、なんと空中から満面の笑みで私を見下ろしているではないか!

「いやあ、本当にありがとう。君のおかげで、私は自由になれた。なんて気持ちいいんだろう。あれだけ重かったからだが、空気のように軽い! 踊りたいくらいだよ!」
 そして、大喜びする二人の友達と、本当にタップダンスを踊った。

 私は呆然としたが、そのうち、これが夢ではないと悟り、恐る恐る聞いた。
「本当にいいんですか? ……そうですか。
 でも、あなたの命を勝手に奪ってしまって。

 ……えっ、ぜんぜん気にしてない、すごく嬉しいって?
 ……そんな、お礼なんて。あんなに痛い目にあわせてごめんなさい。
 ……そんな、感謝なんて。こんな私に。
 やめてください。
 いや、そんな」

 恥ずかしい、照れる。また体が火照ってきた。そんな場合じゃないのに、全身血でぐっちょりなのに、照れ隠しに笑って、体がくねくねした。
 他のお二人も、友達を助けてくれてありがとう、と何度も頭を下げた。人に感謝されたのなんて、生まれて初めての気がする。

 そうだ、私はさっき人を殺す直前まで、誰にも喜ばれない、生きている価値のまるでないゴミカスだった。それがたった今、ゴミでなくなったのだ。ここに、この意地悪で非情でしみったれな世界に、少しでもいていいような、甘ったれた希望が芽生えた。
 むろん、すぐに摘み取られてしまうだろうが……。
「す、須貝、なにやってるんだ、おまえ?!」
 声に振り向けば、顔面蒼白で驚がくしている矢崎君が立っていた。

 いつ小屋に来たのだろう。
 本当なら、今のこの姿を最も見られたくない相手のはずだった。さっきまでの、浜を駆けって転び泣いていたときまでの私なら、今すぐ消え入りたいくらいに恥じて後悔し、狂ったように月光の中へ逃げ出していただろう。

 だが、私は平気だった。急になんでも出来る万能超人に生まれ変わったような自信が全身にみなぎっていた。
 彼からすれば、頭が完全にいかれた危ない奴に見えただろう。そりゃそうだ、こんな血まみれでチェーンソー持って死体の前にたたずんでるんだもん。

 それでも私は真剣だった。
「見て、私、この人を助けたんだ。解放してあげたの」と得意げに言った。「この人いま、すごく喜んでるよ」
「な、なに言ってんだ?! こんなの、ただの殺人じゃないか!」
 指さして激怒する。ああ、こんな私に、どこまで一生懸命になってくれるんだろう。彼にますます、自分の隅々までが、ずぶずぶはまっていくのを感じた。
 ああ矢崎君、好き。好きよ……。

「自首しよう」
 声のトーンを落とす彼。
「大丈夫、わけを話せば、きっと分かってくれる。俺も一緒に行くから」
「わけ?」

「そうだ」と、眼鏡の奥の瞳が優しく潤んだ。「わけがあるんだよな? わけもなく、こんなことをするはずがない。
 いや、今は言いたくなけりゃ、いいよ。あとで警察で――」
「この人を救いたかったの。それがわけ」
「死にたがってたのか、この人……?」
「そう」

 一瞬、理解してくれそうになった。ここでやめればよかったのだ。
 だが、バカな私は彼に甘えて、さらに分かってもらおうとした。とびきりの笑顔を向けて説明する。
「人は死んだら魂が肉体から抜け出て自由になれるの。だから、この人を自由にしてあげた」
「す、須貝……?」
 彼の顔が、見たこともない妙なものを見る目つきに変わった。なにかを疑う顔。(こいつ、もしかしたら……)の表情。
 いやだ、そんな顔しないで。
 だが、彼は驚きで口があいたまま。

 それで私は、さらに続けて拍車をかけた。
「信じられないよね。でも事実だよ。
 ほら見て、死んだ人たちがあそこに浮いて、みんなにこにこ私に感謝してるでしょ?」
 彼は指さすほうを見た。そして、またこっちを見る。
 顔色がまるでちがう。
 もう、さっきまでの矢崎君じゃない。

 私の心は、一気に絶望へ急落下した。
 この人には見えないのだ、分からないのだ。
 一気に孤独に染まった。
 やっぱり私は、この世でただ一人。

 私の口元はぐーっと下がり、笑みは消えた。彼は目を見開いたまま後ずさりし、小屋のドアまで行く。完全にイカれた人間を見るときの恐怖の顔だ。
(待って、行かないで)
(私を見捨てないで)
 頭が完全に沸いた。
(なんだよお、逃げんなら、最初っから来んなよお!)
 涙がどっと出た。

 考えてみりゃ、血染めの顔で笑いながら幽霊の話をする奴なんて、誰が相手にするだろうか。
 だが、そのときは考えられなかった。なにも考えられなかった。

 彼が小屋を出て走り出すと、私は狂ったようにあとを追っていた。
「助けてくれえええ!!」
 叫ぶ矢崎君の背に、私のソーの刃が猛烈に食い込む。
 ぶるるるる――!!
「ぎゃああああ――!!」
 泣き叫ぶ彼を押し倒し、血に飢えた回転ヤイバがその肉体を切り刻む。びくびく痙攣する手足、首。
 うつぶせに倒れたまま、やがて彼は動かなくなった。蒼白い月明かりが、砂を染める血流の海をどす黒く照らしている。

 私はソーを放り、膝をついてうなだれた。刃が止まり、エンジン音が消え、たださざなみだけが嫌味のようにきらきら美しい。
(ごめんなさい、ごめんなさい。痛かったでしょう)
(許して、ごめん)
(ごめんね。本当にごめんね……)


 しかし謝りながらも、薄汚い私は、心のどこかでひそかに、あることを期待していた。これはある意味、実験でもあったのだ。

 さっきは死にたがっている人を殺し、死んだ相手は感謝した。
 ではもし、全く死にたがっていない人を殺したら、果たしてどうなるのか?

 彼が死にたがっていたのかは知らないが、たぶん、そんなことはないだろう。いつもボジティブ、前向き、誰に対しても優しく、スポーツは出来るし、ほんと絵に描いたような模範青年。まじめだが陽キャなので、孤立なんぞもせず、いつもみんなと溶け込んで談笑している。
 まあそんな人でも、腹の底ではもしかしたら分からないけれども、とりあえず、いま殺したこの人は、死の願望など特にない普通の人に見える。

 そういう、死ぬ気もない人が、このようにいきなり無残に殺されたら、いったいどうなるのか?
 もし怒ったり、泣いたり、かわいそうなことになったら、そのときは即座に私も死のうと決めた。あたりまえだ。人の命を消したら自分も消えねばならない。そうしなくてよいのは、相手が死後にそれを歓迎して喜んだ場合だけだ。
 特に彼は、私の最愛の人だった。それをこの手にかけてしまったのだから、本当なら、それだけで万死に値する。

 私はソーを喉元に向け、膝をついたまま、じっと待った。果たして矢崎君の霊魂が肉体から抜け出てきた。
 ここまでは同じ。
 次の彼の反応で、私のこの先が全て決まるのだ。

 頭が出て腰が出て、足が体を離れたとき、彼の目がうつろに私をじっと見た。
 ダメだ。死のう。
 彼を完全に壊してしまった。
 もう戻せない。もう――。

「すがい!」
 突然にっこりと笑って言い、彼は私に抱きつこうとしたが、すり抜けた。
(い、いったい、なにが?!)

 混乱する私の前にすうーっと戻ると、矢崎君は天使のような満面の笑みだった。思わず私の手からソーが落ちた。
 信じられない。彼は――彼は――
 喜んでいる!

「ありがとう! 君のおかげで、僕は自由になったよ! 自由だ! 僕は自由だ!」
 叫びながら、そこら中を飛び回る彼を、さっきの三人の霊がにこやかに見上げている。
 私はまだ信じられず、彼に聞いた。

 ――ほ、本当にいいの? 痛かったでしょ? もう生きた人間じゃないんだよ? 後悔はないの?

「そんなもの、ひとつもない!」
 両腕を広げ、楽しそうに言う矢崎君。
「君が殺してくれたおかげで、僕は生まれ変わったんだ! ああ、この気持ちよさ! 体が軽いんだ! もう、どこまでも飛べそうだ!
 須貝、君のおかげだよ! ありがとう! 本当にありがとう!」

 あの女とまるで同じことを言う。
 そうか。
 これで、この世のからくりが全て分かった。

 今まで、人類が出現して以来、誰にも知られなかった、ある秘密があった。人は、死ぬと肉体を捨てて魂だけになり、なにものにも束縛されぬ無限の自由を手に入れるのだ。
 そのことに気づいた者もいただろう。
 だが、おそらくは抹殺された。闇に葬られた。

 それはそうだろう。
 もしその事実が世間に知れたら、誰もがみんな自殺して霊になり、人類は滅んでしまう。だから、この陰気で胸糞悪くて残酷な人間社会という名のシステムを維持するため、誰もが嘘をついてきたのだ。我々をあざむいてきたのだ。いや誰が、というより、誰もが無意識にその秘密に蓋をし、見ないようにした。考えないことにしたのである。

 本物の霊能者なら気づいたろう。だが世間を見れば分かるとおり、霊が見えるとほざいて金をもらうような奴はことごとくインチキであり、この真実を知るような能力など屁も持っていなかった。
 きっと本物の霊能者は自分くらいしかいないのだ。私には分かる、人が死んだらどうなるか。

 そうだ、こんな社会なぞというくだらない殺人工場で、出来損ないとして隔離され、ゴミの山で処分を待っている場合ではない。
 人々を救うのだ。
 私には、それが出来る!
 この、チェーンソーで!


 いつしか立ちあがり、蒼白い月に向かって、血糊で固まったソーを勇ましく振り上げていた。
 気づけは、私の後ろには霊たちがわんさと集まり、虚空で手を叩き、声をあげ、私を讃えている。
 いまや私は彼らの英雄だった。

 私は真に自由を手にした同志たちに向かい、拳をあげて高らかに宣言した。
「私は全人類を解放する! 皆さんのように、永遠の自由と幸福を得られるように、最後まで戦うぞ!」

 怒号のような歓声の中、奇跡が起きた。血で固まっているはずのソーの刃が、とつじょ勝手にぶるぶる回りはじめたのだ。エンジンすらかけていない。
 見れば、無数の霊魂たちは真昼のように白くまばゆい光に包まれ、それが私とソーに雪のように降り注いでいる。
 これが霊たちの発するパワー。霊力、というやつだった。

 たちまちすさまじい力が全身にみなぎり、私も白く光り輝いた。霊のパワーを受け、私は走り出した。後ろに積雲のような霊たちを引き連れ、私はほとんど飛ぶようにして浜を車より速く駆けた。

 まずはホテルだ! 
 ホテルの奴らから解放してやる!

 窓を破って飛び込んだ私を見て、みんなあんぐりと口があいた。夕飯の時間らしく、広間の食堂にうちの生徒がわんさとひしめき、箸でなんかをつついてたようだ。これだけの人数なら、途方もない数の魂を救えるぞ。先生はいないようだが、おおかた私と矢崎君がいないので、探しに出てるんだろう。

 私はソーをフル回転させて、奴らを襲った。
「須貝さん?! なに考えてんの?! やめて! ぎゃあああー!!」と叫んで切り刻まれる女。思い出した、同じ班の鳥居だ。喜ばしてやるんだから、そう嫌がるなよ。
 殺すと、案の定、魂が抜け出て、「ありがとう。殺してくれて、嬉しいわ!」と手をあわせて喜ぶ。

「ふざけんなてめえこのやろう」と憎悪むき出しでわめく男子も、ぶっ殺してやると、とたんににこにこして「ありがとう、ありがとう」と感謝してくれる。
 殺せば殺すほど喜ばれ、お礼を言われ、そのたびに嬉しくて、顔をしわくちゃにしてぼろぼろ泣いた。
(うう、こんなに人から感謝されたの初めて……!)
(なんて嬉しいんだろう、楽しいんだろう)
 もっともっと、殺しまくってあげなくては!

 うちのクラスを含め、食堂にいた生徒全員が私によって救われた。みんな恐怖と苦痛の悲鳴をあげ、首を切られ、手足をもがれ、広大な血の海でつやつやの内臓を撒き散らして無残に事切れたが、霊になると感謝、感謝の嵐である。

 霊のパワーはさらに強大になり、いまや宙を滑って移動できるほどだ。そのうち彼らと同じに空さえ飛べるだろう。

 しかし、京都へは行かなかった。でかいことは東京でやるのだ。


 私は国道を駆け、車を見れば追いついて、ガラスを割ってドライバーを切り殺し、あるいはタイヤを刻んで事故らせて殺した。山肌に突っ込み爆発する車内で泣き叫び、火だるまになる家族連れも、次の瞬間には、大喜びで外に出てきた。

 白バイが来ても、どうってことない。銃をぶっ放そうが、身を包む霊力ではね返すだけだ。かっこつけたグラサンの生首がすぽーんと飛び、でかいバイクがきゅるるると横転し炎を吹く。
 道を走れば走るほど死人の山が出来る。
 こうして東京に着くまで、背後の霊の仲間は雪だるま式に増えていった。


 走りながら、ふと思い出した。そういや、如月弥生を殺してない。クラスの奴らは全員解放したのに、あいつだけ休みやがって、せっかくの親切が台無しじゃん。

 まあいい、どうせ東京のどこかにいるのだ。いずれは解放してやる。
 そのとき、てめえがマジな霊能者かどうか、はっきり見極めてやるよ。

 待ってろよ、如月!
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