麻美子の首

闇之一夜

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 翌日は仮病で学校を休んだ。
 夕方に近所を意味もなくうろついていたら、高架下の土手の陰になったところに、つぶれかかったような古本屋が、ぽつんとひらいていた。今まで気づかなかったのは不思議だったが、今どきこんな小さな店がよくやっているなと思い、外から覗くと、細い通路の両側の棚に、色あせた背の本がぎっしり詰まっている。

 戸はあいていたので入ると、中は湿ったような、懐かしいような、あの独特の古書の匂いが充満していた。奥に眼鏡のお婆さんが座っているのが見えたが、変な気遣いは無用という感じで、いらっしゃいもなにも言わず、机に目を落としてなにかを読んでいるようだった。
 明かりは暗すぎず明るすぎず、店の雰囲気はどこか素朴で温かく、ささくれていた気持ちが、だんだん落ち着いてきた。

 ふと棚に妙な本を見つけた。
「呪いについて」
 百円。

 気づけばそれを手に取り、レジに向かっていた。
 お婆さんはお金を取ると、袋にも入れずに、黙って上目で本を差し出した。


 なんでそんなものを買ったのか分からない。気持ちが荒んでいたから、ついいかがわしい題名に惹かれたのかもしれない。

 帰ってから読むと、いわゆる呪術というものについての説明とやり方が書いてあった。藁人形を使うやつ、動物を生贄にするやつなど、古来から日本人がやってきたスタンダードな呪いがあらかた出てきたあと、最後に目を見張るような記述があった。それは今の私の状況とあまりにもマッチした、恐ろしいほどにぴったりの呪い法だった。この本はあそこで私を待っていたのか、とさえ思った。


「<彫刻法>
 このやり方は非常に手が込んでいるため、それだけ確実性のある方法である。ただし、ある程度の彫塑の素養が必要とされる。要は藁人形などの人型のよりしろが、頭部の彫刻に変わるだけである。

 まず呪いたい相手の頭を、頭蓋骨から精巧に作る。その際、その中に白いスポンジを入れる。これが脳の代わりである。骸骨の上に石膏を塗り、相手の顔かたちを正確に再現し、髪はかつらを被せる。

 そして仕上げだが、これが最も重要な作業で、これがないと呪いは全く効かない。相手の髪の毛を四本、脳天の部分に植え込む。これが呪いたい相手と彫刻を結ぶ霊道になる。

 これで完成である。
 あとは恨みをこめてその首に害をなせば、相手にも同じ害が及ぶであろう」


 驚いたことに、スポンジのくだりは言われなくてもとうにやっていた。あとは四本の髪を用意すればいいだけで、そんなのは造作もない。

 バカげているのは承知だった。効かなくていい。つうか効くわけがない。それでもやる。
 私の中で、熱いやる気が見る見ると膨らんだ。それは延々と続く過剰なストレスから逃げるためでもあったと思う。
 どんなことだろうが、気がまぎれるならそれで良かった。やり返せない相手の死ぬところを想像したり、その写真を破くとか焼くぐらい、誰でもすることだ。そうだ、それで気が済むのなら。

 せっかくの傑作が台無しになるとか、そんなことはどうでもよかった。この麻美子へのはちきれそうな妬み恨みが少しでも薄らぐなら。
 私はその晩、興奮に息を荒らげてベッドに入った。


 髪はあっさり手に入った。ネットで見た幸福のアイテムをおそろいで作るのに必要だとかなんとか言うと、奴は疑いもせず喜んで四本引っこ抜いてくれた。涙目で笑って差し出す彼女に、「そんな、慌ててやんなくてもいいのに」と苦笑したが、その純粋な顔を見て、多少胸が痛んだ。
 だが、なにも殺すわけじゃなし、こっちが勝手に一人で浅ましくバカやって自己満足するだけなんだから、罪の意識なんぞ持つことはない。

 それにあいつはほら、私が紹介したのをいいことに、もう休み時間や放課後に私の石橋くんとくっ付いて笑ってやがる。同情するこたぁない。



 二人のことは、たちまち学校中の噂になった。なんで石橋なんかと、という男子の舌打ちや、女生徒の冷ややかな目が終始彼らを取り囲んだが、当人たちは気にもしていないようだった。
 いやむしろ、こういう反感や逆境が、かえって恋に油を注ぐのだ。キスどころか、処女喪失(決め付けんなよ)も間近だろう。そう思うと、今すぐその辺の木にだーっと走っていって首吊りたくなる。

 鉄のように重い体を引きずって家に帰ると、さっそく麻美子の首からかつらを取り、脳天に髪の毛の根を植え込んで後ろに垂らした。
 またかつらを戻したが、別段変わった感じはしない。相変わらずの憎たらしい微笑みで私を見ている。その小さな口は「うふふふ、彼はもう私のものだから。端からあなたの負けだからね」とあざけっている。

 頭にかっと血が昇り、カッターを取り出して、右の頬に切り込んだ。硬いから深くは行かず、白い粉が少し飛び散った。
 今日のところはこれで勘弁してやる。

 不思議と気持ちがすっとして、茶の間に行って夕飯を食べた。このごろ元気がないと心配してくれていた母が笑ったほどだった。


 ずっと一緒に登校したくなくて時間をずらして逃げていたし、その朝は昨夜変なことをした矢先で、特に会いたくなかった。なのに向こうが遅かったせいか、住宅街の並木道の二股のところで、ばったり顔をあわせてしまった。

 だが、麻美子は元気がなかった。どうしたのかと顔を見て驚いた。右の頬にガーゼを貼っている。昨日の晩、いきなりそこから出血した、と言った。すぐ止まったが、原因がまるで分からないので気持ち悪い、と顔を曇らせている。こんなに暗い彼女の顔を見たのは初めてかもしれない。

 私は胸がどきどきしながら、ふうん酷かったら病院行ったほうがいいよ、とか言って誤魔化し、校門前で合流した石橋くんに、あとは丸投げして逃げた。
 私は一日中体温が上がり、授業中も体育の時間も、ずっと静かな興奮に顔を火照らせていた。

(いや待て、まだだ)
(まだ分からん……!)

 などと、まるでこうしないと勝手に動きだすかのように、震える左手首を右手でぐっと押さえたりした。


 その晩、今度は左目のまぶたをペンチで切ってみた。
 翌朝、教室に入ってきた彼女を見て、私の目は大きく見開かれた。
 彼女は眼帯をしていたのだ。
 それも左目に。

 私より先に石橋くんに気づくや、奴は駆け寄って、その肩になだれ込んだ。コノヤローと思ったが、この場合は仕方がない。元はといえば私のせいなのだ。あれは、ほかでもない、この私がやったのだから。

 昨日は半信半疑だったが、これで確信した。

 あの呪いは効く。
 完全に、効く。

 いまや決定的な事実が判明した。
 私は、この女を殺せるのだ。
 この女の首は――
 いまや、この私のものなのだ!!
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