人形の怪

闇之一夜

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 先生は話を聞き終わると、ちょっと腕を組み、目を閉じて考えてから再び俺を一べつした。そして聞いた。
「あなたの考えでは、何が起きたと思いますか?」
 俺は、心霊現象などあるはずがない、きっと自分が完全におかしくなったのだ、と訴えた。
 すると先生は、また腕組みして目を閉じ、すぐにひらいて、真剣な顔で聞いた。
「人形は全く変わらず、お宅にあるのですね?」
「はい。俺が壊したと思ったことが全部幻覚で、実は指一本触れていないか、それとも壊すたびに、自分で新しい人形を用意しているのか……」
「あとのほうは、普通だとちょっと考えにくいですが……それは、何度も調達できるような人形なんですか?」
「いいえ、二十年以上経っている古びたものですから、もし新品を買い入れてタンスに置いたのなら、見て分かると思います」
「では、やはり壊した幻覚を見たというほうがありえますね。それが幻覚だったという感じはありますか?」
「それが……」
 口ごもり、足元を見た。俺の困っている様子に気づいたのか、先生はいつになく優しく言った。
「お困りなんですね?」
「はい」

 顔をあげ、続けた。
「それが幻覚だった、という確信が持てないから困るんです。困るというか、怖いんです」
「もし幻覚でないとしたら……」
 先生の言葉に、自分の顔が一気に蒼くなるのを感じた。俺は押し殺すように言った。
「つまり、本当に何度も壊したのに、人形がひとりでに元に戻って、タンスの上に立ったということになります。でも、それはありえませんよね?」
「確かに、科学的には……」
「だから怖いんです」

 科学ではありえない。そういう、ありえないことが起きたとしたら、あの人形は普通の人形ではないことになる。この世のものではない、呪われた人形ということになる。それなら、自分がおかしいほうがまだマシだ。治療してもらえばいいだけだから。
 だが、もしそうではなかったら、手の施しようがない。人知を超えたものを相手にするなど、これほど恐ろしいことはない。


「では、こうしましょう」
 先生は軽く手を打つと、やや身を乗り出して言った。
「私がお宅に一晩泊まり、寝ずの番をしてタンスの上を監視します。もちろん、その前に人形を壊して捨てておくのです。その様子も、私がしっかり見て確認しておきます。
 私のスマホは最大六時間撮影できますから、夜中の二時から八時頃までタンスの様子を記録します。そのあいだ、もし眠っているあなたが、起き上がって何かの行動を取るなら、それも含めてしっかり撮影しておきましょう。
 それでどうですか?」
 最初は、そこまでしていただくなんて、と遠慮したが、結局はご好意に甘えた。
「なあに患者さんをお助けするためなら、このぐらいなんでもありません」
 そう言った先生の、春風のようにさわやかな笑顔を、俺は忘れない。




 人形はガラスケースごと何度も畳に叩きつけたり、ハンマーで叩いて壊しているので、毎回飛び散ったガラスの破片を全部履いてゴミ袋に入れている。しかし、ほかのゴミ袋と一緒に玄関の脇に置いておくと、翌朝には袋だけで中身は空になっていて、タンスの上にはあの人形が、「復元された」ガラスケースの中に、ちゃっかり収まっている。つまり、人形と同時にケースも戻るのだ。
 そんなにケースが大事なのか、ほかになにか意味があるのかは知らないが、割ったガラスまで割れ目の痕もない綺麗なすべすべの面に戻るんだから、他人から見たら、ただの便利な奴だろう。

 その日の夕方になると、いっそこのまま何もせず放置しておくのが一番いいのでは、という気がしてきた。壊すと戻るというだけで、別に悪さをするわけではない。
 などと思ったが、奴の顔を見るや、たちまち猛烈な不快が襲って考え直した。やっぱり駄目だ。こいつとはやっていけない。
 そこで、はっと気づいた。

 なに、こいつが生きた人形前提で考えてんだよ。問題はこいつじゃない、俺だろうが。全ての原因は俺の病気にあるはず。だからこそ、それを確認してもらうために、今夜先生が――。
 ぶつぶつ考えていると、チャイムが鳴った。いつの間にか時計は十一時を回っていた。


 玄関に現れた先生は私服で、水色のチェックのセーターに黒ズボンというラフでおしゃれな格好だった。お茶を出し、何か食べますかと聞くと、お構いなくと言った。人形の顔を見たが、綺麗ですねと言い、別に嫌な感じはしない、と言った。

 日付が変わる頃、俺は広げた新聞紙の上でケースと人形をハンマーで叩き割った。先生はそれをスマホで撮影し、「確かに壊しましたね、間違いありません」と、しばし女の残骸を見つめた。
 今まで気づかなかったが、こうして人と冷静に見ると、無残にバラされたむくろの周りにガラスの破片が飛び散り、電灯できらきらと輝いて、異様な美麗さがあった。もとは綺麗な和服美女だったことが、この無残さにいっそう怪しい華を添えているように思えた。

 何度もやっているように、人形とガラスを別の袋に入れて玄関の脇に置いた。燃えないごみは日にちがあって今出すのはまずいし、どのみち俺が夢遊病でそれを取ってくるのなら、袋はどこにあっても変わらない。話をしたりテレビを観て時間を潰し、夜中の二時に床に入った。

 どうせ明るくても眠ってしまうので、電気は消さなかった。先生はスマホを撮影モードにしてスタートさせてから、タンスの上の奥の壁に立てかけた。いつも人形が置いてある場所がよく見える位置である。
「万事、私に任せて、安心して寝てください」
 そう言うと先生は椅子に座り、タンスの監視を始めた。もちろん、俺の動きにも注意しながら。

 俺は前に同じように監視しようと頑張ったが、結局窓からの朝日に起こされるまで畳に倒れこんでいた。今度も電灯がまぶしいし、こんな不安な気持ちで寝られるわけがないと思いながら、すぐ意識がなくなった。
 朝まで全く目が覚めなかった。夢も見なかった。
 そのあと、あんなにもおぞましく不可解なことが起きていたなどとは、夢にも思わずに……。
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