カズ

闇之一夜

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後編

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 いよいよプレゼンテーションの日がきた。研究所の奥にある視聴覚室で、パイプ椅子に座る総勢三十人ほどの同期や先輩たちの前で、当所の研究員たちがそれぞれの成果を発表し、独自のアイディアを提供する場である。KAプロジェクト――カズの頭文字を取ってつけた、新作ロボット育成計画――の主任である山内花梨は、彼が製作し教育した「息子」の成長ぶりを、ここで披露しなくてはならない。

 最後に質疑応答の時間があるとはいえ、できるだけ分かりやすく見せるに越したことはない。となると、カズ自身に彼の内面や能力を話させるのが手っ取り早い。
 そこでプロジェクトのメンバー全員一致の意見で、彼に「演説」させようということになったが、花梨は本当はあまり乗り気ではなかった。この世に生まれてまだ一月しか経っていないカズに、大勢の人前で話をさせるなど、時期尚早だと思った。

 が、同時に必要だとも感じた。これから多くの人間と交流し、そのつど対応できるようにならなくてはならない。この計画の肝は、ロボットであるカズが、身体能力・内面ともども、どこまで生身の人間に近づけるか、という可能性の追求である。
 もちろん、その目的のために、カズの心がストレスなどで犠牲になっては意味がない。彼の気持ちとなるべくすり合わせながら、この人類未踏の計画を慎重に進めねばならない。彼ほどに人間に近いロボットは、世界でも初めてと言われている。まさに彼らは科学の最先端を突っ走っていた。

 そのわりには、カズの部屋に所員なら誰でも出入り自由だったりしてアバウトだが、そのくらいのゆるさが必要だった。花梨のみならず、ここの研究員全員が、彼を単なる機械ではなく、一人の人間扱いするつもりでいた。


 演説といっても大げさなものでなく、たんにカズの日常で感じたことや思うこと、体験したことを、ただそのまま話してもらえばいい。あとの補足等はすべて花梨に任せればよい。
 そういうわけでカズは原稿を作ったが、ペンを握って文字を書くのはまだ不得手なのでワープロを使った。内容は特に決めず自由に書かせたが、やはり花梨と一緒に観た映画の感想がメインになった。

 会社のプレゼンはふつう背広でやるが、ここでは科学者らしくいつもの白衣である。
 カズはどうかというと、わざわざ背広を着せるのも変だというので、ふだんどおりの黄色のセーターとジーパンで行くことになった。




 夕方四時ジャスト。予定どおり三十人もの白衣の科学者たちが並べたパイプ椅子につめられて見守るなか、発表が始まった。ここの全員がするわけではなく、日をわけてあるので、今日は五人である。
 最後の花梨の番が近づくにつれ、最後列の右端に座る彼の癖の貧乏ゆすりが始まり、視線を感じてあわてて止めた。
 だが隣で見ていたカズは、なんの表情もなく淡々と言った。
「博士、私もなにか胸の中があわただしく動いているのですが……これが緊張というものでしょうか?」
「そうだ。俺もしてる。映画のなかでも、よく緊張のシーンが出たろ?」
「ドンパチで追い詰められた主人公は、確かに額に汗をかいて必死の表情でしたが――」
 彼の声は、なにか残念そうなトーンを帯びた。
「その顔を真似はしましたが――そのときは何も感じませんでした」
「それなら、今の状態は格段の進歩だ。君は緊張という感情をモノにしたんだからな。よくやった、カズ」と花梨は満面の笑みを向けた。「君が人間に近づいてくれて、俺はうれしい」
「ありがとうございます」

 ただ緊張しただけで誉められるなんて、彼くらいのものだろうが、緊張しすぎて失敗したら、花梨も誉めるどころではなかろう。そして幸い今のカズは、「緊張すればするほど、喜ばれるにちがいない」などと勘違いするほどに複雑な思考はできなかった。




 発表は順調に進み、最後にカズの番がきた。予定どおり観た映画の話をしていたが、途中から脱線してアドリブ状態になり、花梨にはかなり聞きたくない名前が出た。
「この前、桜庭凛博士がおっしゃっていたのですが、」
 カズの発言にぎょっとして思わず見回したとき、右側二メートルほど向こうの席にいる当人と目があった。にやにやとサムアップするので殺意すらわいたが、今はそんな場合ではない。
 カズはこの大事な場で、いったいなにを話す気か。


「古代の海に、アンモナイトという貝がいたそうですが、進化しすぎて複雑な巻き方になり、蛇がうねってるようなのも現れ、その結果、環境に適応できずに絶滅しました(作者による注釈・この説は桜庭の勘違いで、実際は気候の激変による。個体の形状は無関係)。そして、人間もいずれはこのような道を進み、過剰な進化によって滅ぶだろう。というのが――」
 ここで、進行係が手をあげて彼にストップをかけた。持ち時間をすぎたからだが、花梨が立ち上がり、「すみません、もう少しやらせてください! お願いします!」と、彼だけでなく、周りの全員を見回し、両手をあげて懇願した。


 続行が決まり、カズは続きを話そうとしたが、目をとじてしばらく固まった。どうしたのかと、みんなが見つめるなか、彼は、まるで人間が「一息ついて、仕切りなおす」ときのように、おもむろに目をひらき、また話しだした。その口調も、声のトーンも、今までになく落ち着いたもので、しかもそれにはどこか、やさしさや親しみのようなものがにじんでいて、花梨は少しおどろいた。

「……つまり、人間もいつかは進化しすぎて滅ぶ、というのが桜庭凛博士の説ですが――私は、そうは思いません。
 いえ、それを聴いたときは、そうなのかと思いましたが、今はそうは思いません。なぜかというと――」
 カズは言いつつ、ふと花梨の顔を見た。その場の全員が驚いた。彼の口元が、うっすらと笑みを浮かべていたからだ。彼が人まねでなく、自らの感情で笑ったのは、これが初めてだった。

「なぜかといいますと、今のことです。たった今のことです。たったいま、私がつい時間オーバーをしてしまったのを、花梨博士が一生懸命に、本当に私のことを思い、みなさんに、ほんとうに一心に、お願いしてくれました。そのおかげで、私はこうして、話したかったことを、ぜんぶお話しすることができています。
 人間は、誰かのためにつくすことが出来る。ほかの人間のことを大事にし、助けたり、あるいは助けられたりする。そういうものだと、今ここで、私は学びました。
 これはたぶん、アンモナイトには出来ないことではないか。私も人間ではありませんが、人間の場合は、たとえ複雑に進化しても、そのまま滅ぶことはないような気がします。

 実際は、わかりません。
 ただ、今の花梨博士にしていただいたこと――その、とてもやさしい『心』というものをいただいたことで、私の中身は、今までになくあたたかく、これを『しあわせ』と呼ぶのなら、本当にこのとおりだろう、という状態が、いま私のすべてに満ちている。このことから考えると、人間がアンモナイトのように滅ぶ、という未来には、どうしても納得できません。
 人間の未来は、これからも、ずっと続くような気がします。

 以上で終わります。
 時間をすぎてしまい、申し訳ありませんでした」


 カズが頭をさげるや、その場の全員が立ち上がって拍手喝采、視聴覚室はまさにスタンディング・オベーションの状態となった。彼に否定された桜庭凛さえ、苦笑で手をたたいている。
 が、一人だけ拍手しなかった者がいた。
 彼は終わるや席を走り出して彼に飛びつき、満面の笑みで叫んだ。

「よかったぞ、カズ!! よくやった! ほんとうにいいスピーチだった!!」
「あ、ありがとうございます、花梨博士」
 ハグなど初めての経験で戸惑ったが、カズも声に嬉しさを隠さずに言った。それは少し上ずってさえいた。

「博士」
 花梨が離れると、カズはおずおずと聞いた。
「私には――顔が、ありますか?」
「ああ」
 彼の生みの親は、にこにこと言った。
「いい顔だぞ!」
 カズもまた、にっこりと笑った。

 それは、彼がまた人間に一歩近づいたことを、輝かしくあらわすものだった。
(「カズ」終)
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