戦争の親玉

闇之一夜

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五、ネオ・アリーナで兄弟ゲンカ

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 体内で非常アラームも鳴っていたのに、気づかなかった。血が完全になくなり、全機能が停止したのだ。停まる寸前に自動的に榊を殺して血を得そうなものだが、人質を取って脅すことに気を取られていたせいか、それはしなかった。

 血のためならなんでも全自動で動くよう作られているはずなのに、これは妙に人間的な行動である。やはり思考することで、コンピューターが少しずつ進化しているようである。人間味というものは遂行の足を引っ張るだけだから、任務にとってはかなり迷惑な話だろう。


 ともかく、停止したのだから、これで解体されて、全ては終わりのはずだった。私が再び目覚めることは永久にないはずだった。
 ところが、こうしてまた動き出し、語ることになってしまった。

 そのいきさつは――全てあとで報道機関等で知ったことであるが――とりあえず、先に状況から、かいつまんで説明しておく。



 榊エリをがっちり抱えて停まった私は、ユンボに巻いた鎖で左右から引き剥がされ、トラックに乗せられて倉庫にしまわれた。こんな殺人機械はすぐにでも処分されるはずだったが、お偉いから「待った」がかかった。総理大臣が、ある企画に私を使いたいと言ったのだ。

 彼の提案ということだったが、こんな人類への脅威を再び起こして利用しようとは、いっけん自身の立場に関わるそうとう愚かしい行為に見えるが、そうでもなかった。日本は度重なる戦場での失策で深刻な財政難に陥っており、ここで私を利用すれば、特需景気が見込めるのである。
 その利用法は、愚策の多い彼らしいバカバカしいアイディアだった。東京最南端にあるネオ・アリーナという四万人収容のバカでかいドームで、他のロボットと私を戦わせて破壊する、というものである。私の廃棄処分の工程を観客に見せてショウにするわけだ。

 実行すると予想通り、客の数は凄まじいものになり、定員をはるかにオーバー、広大なドームは立ち見が山と出来てどこも人がひしめき、通行もままならない大盛況となった。チケットの売り上げは天文学的になり、経済への波及は、かつてのバブル以来の好景気を生むかと思われた。
 ホールの広さは大型ショッピングモール並みで、中央のステージの周りを防護ガラスでぐるりと覆い、これは特殊合金で強化され、鋼鉄よりもはるかに硬く、私のようなロボットの腕力でもビクともしない――との触れ込みだった。



 徐々に目が見え、頭がはっきりしてきたとき、自分が異様な環境にいることを知った。周りの嵐のような怒号、注ぐまばゆい真昼のようなライト、押すと弾力のある黒い床。

 室内であることはすぐ分かったが、すぐに事態は把握できない。周囲にはぐるりと観客がひしめいて波のようにうごめき、それははるか遠くまで並び、水平線のようだ。
 私がいるのは、まさに憎悪の海のど真ん中だった。私はずっと床に倒れていて、意識が戻り、身を起こしたのだ。そばにいたと思しき数人が慌てて逃げた。口に血を注ぎ込んでくれたらしい。体内機械が熱を帯びて作動しているのを感じる。
 ふと目の前にそそり立つ、それに気づいた。

 身長十メートルはあろう、黒い壁のようなそれは、ぶっといグレーのドラム缶をつないだような単純な腕と足、胴体をしており、頭すらバケツを逆さに乗せたような適当さだった。突っ立ったビルのような、とても話が通じそうもないオツムをしていそうなデカブツ。絵に描いたような、古風な「巨大ロボット」だった。

 私がゆっくり立ち上がると、観客たちのボルテージは最高潮に達し、私たちを周囲から渦のように包み、飲み込んだ。しかし、音がこの程度で済んでいるのは、周りを分厚いガラスが覆っているからだと、すぐに気づいた。

 怒号はほとんど我々への、というより私への叫びで、決して歓声ではなく、怒りと呪い、悪意に満ちた罵詈雑言、罵倒の嵐だった。聞き取れたのは「早くぶっ壊しちまえ!」「そんな悪魔女、やっちまえ!」「殺せ!」「潰せ!」という、物騒なものだった。
 すぐに事態が飲み込めた。

 ここはドームの競技場であり、私は試合に出されているのだ。試合相手は、この目の前にそそり立つデカブツ君だろう。
 つまり、これは廃棄処分である。普通なら私が停まっているうちに工場なんかでさっさとやるところを、何かの事情で、こんな手の込んだ方法を使うことになったのだ。

 要するに、膨大な観衆の前で、このデカブツに私を破壊させ、金儲けするのである。私ほどの凶悪犯もいないから、公開処刑は話題になるだろうし、日本経済のためにもなろう。また被害者への「追悼」にもなる。復讐と言ってもよい。
 いくら凶悪犯でもそこまで、中世ヨーロッパの縛り首の見世物みたいなことは普通はしないだろうが、私の場合は機械だから、気にする奴はいない。


 この「試合」には司会者までいて、ガラスの前でマイクにガナりまくっていた。観衆を向いていて顔は見えないが、白のタキシードで決めてシルクハットまで被り、そのテンションマックスな喋りといい、軽薄な名前といい、すべてが下世話な色物そのものだった。

「ついにやってまいりました、あの日本中を恐怖のどん底に陥れた最悪の殺人マシン、ブラッド一号バーサス、弟のブラッド二号の試合であります! 司会進行を勤めさせていただきますのは、わたくし、ジョーカー大滝であります!
 みんなー! この悪魔がメタメタにヤラれるところを見たくないかああー! このクソ野郎に死んで欲しいかああー!」
 大滝の煽りに大衆は轟音の雄たけびで答えた。完全にショウだった。

 ふとガラスの向こうに最前列が見えた。看板に太字で「遺族席」と書かれ、喪服で神妙に座る姿がいくつも見えたが、一様に顔をしかめていた。私に家族を殺され、この特等席で私の最期を見届けるべく来たのだろうが、おそらく、ここまで真面目さゼロの見世物だとは知らなかったので、憤慨しているのだろう。

 だが私としては、デカブツ君の素性が分かっただけでよかった。「弟のブラッド二号」ということは、凛博士自作の二台目なのだ。そのわりにはやけに不恰好で、変な美意識のある博士の作とも思えないので、急の付け焼刃か、あるいは助手が作ったのだろう。
 これだけ思考する人工頭脳を持つ私の弟とは思えない外見だが、そう判断するのは早急だ。あれで知性が高いかもしれない。
 いや待て、私の廃棄のためだけなら、むしろそんなもの、ないほうがよさそうである。
 まあ、すぐに分かることだ。


 そう思う間に、二号が重い右腕を振り上げ、前かがみになって私に振り下ろしてきた。思ったほど動きは速く、さっとよけた私をかすめてこぶしが床に跳ね返った。見上げると、灰色の逆さバケツのような彼の頭には、顔もない。ただ、額の辺に小さなライトが一つ付いているのが見えた。
 リングを右に左に虫のようによけながら飛ぶと、彼もそれに合わせてほいほいと拳を叩き込んでくる。けっこう正確で、うかうかしてるとやられるレベルだ。

 こぶしが私をかすめるたび、方々から下品な歓声があがる。「いまだ! 殺せ!」「やっちまえ!」「早く死ね、このクソ野郎!」など、生物でもない私に対し、やたら「殺せ」を連発しているが、ほかに適切な表現もないので、無理からぬことである。


 弟の単純な動きから判断すると、やはりこいつは何も考えていない、と見た。だがいつまでもちょこまかしていてもラチがあかない。足元に突入し、股の間をすり抜けようとした。追いかけて前のめりに倒れてくれるのを期待したのだ。
 ところが意外に手が速く、私はぶっとく節くれだつ指に捕まり、高々と掲げられて床に叩きつけられた。激しくバウンドし転がると、客の熱狂は頂点に達した。

 どこもダメージはないようだったが、もう二、三回されると危ない感じだ。
 そこで強硬手段に出た。私は彼の足へ蟻のように這いあがり、飛んでくるこぶしをよけながら、腹から肩へとのぼった。案の定、鋼鉄の拳は彼自身の体を何度も叩き、そのたびに表面がへこんで、ふらふらとよろけた。やはり、あまり頭が良くはないようだ。

 振動で振り落とされないよう、つかまりながら肩から首へあがり、彼の顔面の部分に張り付いて、すぐに身を離した。私はあおむけに落ちたが、遠ざかる弟が自分の顔面を拳で思い切り殴るのが見えた。
 目も鼻もないつるつるの顔面に手首までめり込んで陥没し、手が離れると、黒い裂け目の中にヒューズや緑のコードが見えた。それはバチバチと火花を散らせ、彼は顔から白い炎を吹いてのけぞった。

 事態に気づいた観客からどよめきが起こり、大滝は慌てて、強化ガラスは絶対に破れないだの、大丈夫だの、安心だの、と何度も繰り返した。しかし誰が見ても、私の弟が常軌を逸したのは明らかだった。
 彼の破壊された電子頭脳は、その体をコントロール不能になった。

 彼はいったん気張るように背を丸め、ガクガクと震えると、いきなりくるりと背を向けた。無数の観客の恐怖に見開く目が、夜空にとつじょ現れた星々のようにカッと光った。弟は客たちに向かって拳を振り上げ、ガラスをガッツンガッツン殴りはじめた。客席に恐慌の渦が起きたが、ジョーカー大滝は、なおも必死にマイクに叫んでいた。
 ――皆さん、ご心配なく! ガラスは壊れません!
 ――ビクともしないよう作ってあります!
 ――どうか! 落ち着いて!

 しかし、ブラッド二号のこぶしが何度も執拗に殴りつけるうち、その言葉が無意味であるとすぐに分かった。たわみ続ける透明の壁に、かすかに小さな線が見えたかと思うと、たちまち縦横にひびがいくつも走った。
 観客の騒ぎは極限に達し、司会の叫びは埋没した。
 バワン!
 派手な音と共に大穴があいた。

 二号が太い腕を突っ込んでそれを広げだすと、私は突っ立って顔をあげたまま、それを眺めていた。
 彼は完全に狂った。
 あとは、ただ任せておけばよい。

 我が不逞の弟、ブラッド二号がガラスの裂け目に片足を入れてのっそり外へ出るや、無数の客たちの凄まじい悲鳴が、リングの中へ滝のように流れ込んできた。
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