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人生のリミット

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メール送信から一週間後、ようやく返信が来た。
僕は遅番を終えた後のネットカフェで、それを見た。

橋本俊殿

① お金を支援してほしいといいますが、トレーニングの結果が出なかった場合返す当てはありますか?あなたは今現在収入の安定しないフリーターですが…。
② 本当に、目標を達成する気がありますか?あきらめてませんか?当初の
情熱が衰えているような気がしますが…。
               セカンドピクチャー 田辺貫太郎





ネットカフェの座席で、僕は腕組みをし、大きく息をついた。
ある程度予想はしていたが、ここまで冷水を浴びせるような反応が返ってくるとは…。
① はまあ、会社組織の本音としては仕方ないかもしれない。しかし②は…
自分の夢、投手トレーニングに懸ける情熱をなんで疑われなければならないのか。
誰よりも必死に夢を追ってきた僕に対して、あんまりな言葉ではないか。
手足がかすかに震え、動悸が強くなっているのは悔しさゆえか。
いや…
もっと根本的な、深刻な疑念がある。
彼らにとって、僕の企画挑戦は正直どうでもいい案件なのではないか…。
所詮冴えないフリーターの考えた企画、その程度の扱いなのかもしれない…。


と言うか…
そもそも杉野弥生と縁を切り、給料と余暇の時間をすべて自分の為に使える状況を作り出せさえすれば、なにもスポンサーを必死になって求めなくてもよいのだ。
それが出来さえすれば、僕という人間にまつわる可能性も選択肢も以前とは比較にならぬほど大きく広がる。
僕を縛る鎖は、僕自身の意志で本来いかようにも引き千切ることが出来るのだ。
だが、僕の頭は、根本的な人格の改造を要求される、そうしたドラスティックなアクションを起こすことを、頑なに考えないようにしていた。
人とぶつかり合ったり、揉めたりする事を経て道を切り拓くという過程なしに、夢を叶えようとしていた。

僕は返信文を送った。

セカンドピクチャー 田辺様

大変失礼いたしました。
お金の件云々は、やはり球速で結果を出すまでは考えないようにします。
(中略)
企画に懸ける情熱は、今までもこれからも、変わらずマックスで有ります。
今後より一層、トレーニングに励んでいく所存でありますので、宜しくお願い致します。
                          橋本俊

…なんだかふられそうな女性に見捨てないでくれと食い下がってるみたいだ。
頭の隅でそんなことを思ったが、実際わずかに残ったチャンスの糸口を離すまいと、僕は必死だった。

深夜1時過ぎに、僕は家に帰りついた。
居間に入ると、父親がタオルケットをかぶって寝ていた。
酔っぱらっているのだろうか。
僕は父親の肩を揺すった。勤め先の工場の仲間と飲んできたのだろうか。
「ん??ああ、悪い悪い」
大きなあくびをして身体を起こした。
「今まで仕事だったのか?」
「うん、まあ寄り道もしてたけど。」
そういえば、父親と会話をするのも久しぶりな気がする。
「ふうん。順調か?」
その短い質問に膨大な意味が含まれているような気がして、僕は一瞬言葉に詰まった。
「う、うん。まあ。」
かろうじて言葉を濁すと、そうかと言い父親は大あくびをして、二階へと上がっていった。
あんなに小さな背中だったかなあ。
もう四捨五入すれば還暦である。いつまで第一線で働けるかわからない。
だのに息子の僕はフリーターであるどころか、ひそかに女性に毎月給料を貢ぎ続け、ろくに家にお金を入れもしないのである。以前ほど家計は苦しくはないとは言え。
このままで、いいはずはない。このままで…。
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