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「正直、俺もキツイ」

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翌日。
またランチタイムピークで、僕は苦戦していた。
自分の主観においては、注文のコールに即座に反応し、最速最短の動きでバーガーを作成し、包装しているつもりなのである。
しかし現実には、作っているそばから次のオーダーが入ってきて、それが溜まってしまい、瞬く間にカオスに陥ってしまうのである。
川上さんと、あるいは「並みの社員」と僕とでは何が違うのであろうか。
頭の隅でそんな事を考えながら、必死にオーダーに対処し続ける。だが破局は、昨日より早いタイミングで訪れた。
「遅え!遅すぎる!」
怒り心頭の小笠原君が、バーガーステーションに怒鳴り込んできたのである。
「ご、ごめん…なさい。」
僕はマヨネーズの射出用具を、床に落としてしまった。
「川上さん代わってくださいよー!」
小笠原君の言葉に、黙って川上さんはこちらに歩み寄って来た。
そうして仏頂面で、僕に代わって作業を始めた。
突っ立っていた僕に、フライヤーをやれ、と川上さんは苛立ちながら言った。
…この日は川上さんは早上がりだった。僕一人で店を切り盛りし、閉めなければならない。
ディナータイムのピークは、小笠原君が手伝ってくれた。彼に言わせれば、別に僕の為ではなく、店が混乱に陥るのが嫌だからとのことであった。
(僕に対しては)不機嫌な小笠原君ら学生バイト達の顔色を窺いながら、断続的に事務所に行き川上さんに言われていた発注予測の基準表の作成を行う。
なんとか、早く帰れるようにしなければ…。
営業が終わり、レジクローズ作業に入る。

現金が合わない。
レジの理論値に、実際にあるべき現金の額が九千円足りない。
馬鹿な…。
計算し直しても結果は同じであった。
レジの棚の奥まで探すが、現金は見つからない。
動悸が激しくなる。こんなことは契約社員時代には無かったトラブルだ。
落ち着け…考えられる理由は…両替のミス…。
そう思って両替準備金をチェックするが、こちらに誤差は無かった。
それでなければ…レジ担当者のお釣りの渡し間違え…。
「ちょ、ちょっといいかなー。今日レジで紙幣のお釣りの渡し間違えがあったようなんだけど、心当たりないかなー。」
バーガーステーションの辺りで談笑していた小笠原君達に声をかける。
「知りませんよ。ちゃんとチェックして渡してるし。」
「社員のミスじゃないんですかー?」
「てかうちら疑うんですか?最悪―!」
…一蹴されてしまった。
その後も二〇分ほど計算を続けるが、誤差が解明されることはなかった。
どうしよう、このままでは店を閉められない。九千円の誤差なんて、始末書もののトラブルだ。
思い余って、僕は川上さんに電話を掛けた。
「お、お休みの所、すみません。実はレジで九千円マイナスが出ておりましてー」
十五分後、露骨に不機嫌な表情を浮かべた川上さんが私服姿でやって来た。
「す、すみません、早上がりだったのに…。」
僕の謝罪を無視して、川上さんはレジの計算を始めた。結果は同じだった。
舌打ちすると、両替金はチェックしたのか。と僕に訊いた。
「は、はい。両替金は誤差ゼロでした。」
「夕方時点でのチェックでは誤差はなかったんだろ?ということはお前が責任社員になってた時間帯で発生したことになる。」
「は、はい、すみません…。」
「すみませんで済むか。本部にどうやって報告するつもりだ…?ただでさえ微妙なお前の評価がガタ落ちだぞ。」
「は、はい…」
「今回の件と言い、昨日今日の仕事振りと言い、そういう感覚でいられると、正直、俺もキツい。」
胸の深いところに刺さった。
「まあいい。今日はこのまま閉めろ。始末書の文面は考えておけよ。後のクローズ…店閉め作業は任せた。」
そう言って川上さんは店を去った。
その夜は通常のクローズ業務に加え、発注予測表の作成も残っていたので、結局店を出たのは午前一時半を過ぎてからだった。
まさに懲役だ、と僕は思った。
…この牢獄は、杉野弥生のそれとは違った意味で、深く、暗く。そして寒い。鎖の頑丈さも、尋常ではなかった。
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