【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

文字の大きさ
96 / 228
Chap.9 盤上の赤と白

Chap.9 Sec.4

しおりを挟む
(そういえば、ロン君ってロキ君のとこにいるんだっけ……?)

 遅めの朝食を終えて私室を後にしたティアは、はたりとミヅキから得た情報を思い出した。AIなんて信じられないと評価したものの、この情報は確かだと思う。ハオロンの私室に向かうつもりだった足を、エレベータの直前で止めた。

「ティアくん? ……どうかした?」

 一緒に私室を出たメルウィンが、足を止めたティアにきょとんとする。ほかの兄弟といると小さく見える彼だが、こうして並ぶと目線はほとんど変わらない。癖っ毛の髪の下で、暗いブラウンの眼がくりっとしてこちらを見ていた。

「だめだ。ロン君、私室にいないと思う……」
「え? ……ぁ、そっか。昨日、ロキくんのとこ行くって言ってたかも……?」
「だよね? セト君から、ゲームしてるって聞いた気がする。……1時間前くらいかな? ミヅキ君に訊いたときも、ロキ君のとこで眠ってるって言ってたし……ということは、まだ眠ってる可能性もあるよね?」
「それはあるね……」
「起こすほどじゃないし……どうしようかな……」
「? ……いったん私室に戻って、あとから行くのはだめなの?」
「……僕がいると、アリスちゃんが気を抜けないと思う。しばらく出てくるって言っちゃったから……メル君は、調理室に行くの?」
「うん。お昼の用意をするよ」
「メル君……きみ、一日中ごはんに追われてない……?」
「……でも、僕がやりたくてやってることだから……みんなのためって名目があると、食材を好きに使えるし……」
「……料理は、楽しい?」
「うん、楽しい」
「そっか、それならいいね」

 ロキ君のために作るのって腹立たしくない?
 ——なんて言ってみたいけれど、やめよう。さっきのメルウィンの反応を見たせいか、そんなことを訊くのは不躾ぶしつけな気がした。

「えっと……僕はエレベータに乗るけど……ティアくん、乗る?」
「う~ん……とりあえず、乗ってみる」
「……とりあえず?」

 ティアの曖昧あいまいな頷きに、メルウィンは小さく笑って、自身の手をエレベータの前にかざした。開いたドアの先、メルウィンに続いて足を入れてから、

「——そうだ。僕、アリア君のとこに行くよ。きっと研究室だよね?」
「アリアくん? ……は、そうだね。たぶん、いると思う……朝は見てないけど。アリアくんなら、この時間に寝てることはないと思うから……」
「うんうん、アリア君なら起きてるはず。訊きたいことがあったんだよ。直接会って話したいことだし、ちょうどいいよ」
「……直接?」
「アリスちゃんの治療で、なんの薬を使ったのかなって」
「ぁ、それなら僕知ってるよ? 幸福薬だって言って……た」

 今のは前半うっかりで、後半わざと。ティアの誘導に、エレベータに気を取られて口をすべらせたメルウィンが固まった。ほんとはメルウィンを引っかける予定ではなかったのだけど。なんて、言い訳でしかないか。

「……幸福薬?」

 復唱する。ティアの知らない薬だった。
 メルウィンの顔がだんだんと青くなっていくのが可哀想で、「大丈夫。僕、アリスちゃんとロキ君の……知ってるから」一応フォローした。自分で落ちたらしいけど、そこはあえて言及しない。メルウィンがあからさまにほっとした。

「そうなんだ……もしかして、ロキ君に落とされたって、アリスさんが言ってた?」
「……うん、やっぱりそんな感じだよね」
「? ……ぁ、でも、このこと……サクラさんに言わないでね……? 口外禁止って言われてるから」
「分かってる。……幸福薬のこと、訊いてもいい?」

 1階に着いたエレベータの直角左手、調理室のドアへ行くメルウィンの後を追う。調理室に入って、さらに食堂へと向かったメルウィンが、誰もいないことを確認し、

「たしか、幸福感が増す薬だって言ってたよ」
「なにそれ……よく分からないな……」
「セトロニンとかオキシトシンの分泌を促すのかな……? 医療は僕も詳しくないから……でも、危ないものじゃないって言ってたよ?依存することもないみたい」
「……そうなの? それってアリア君の情報?」
「うん」
「ちなみに、薬を使ったのはアリア君? それとも……サクラさん?」
「ぇ……っと、たぶん、アリアくんかな? ……サクラさんの判断で投薬した、って、言ってたから」
「なるほどね……」

 アリアの所へ行く必要がなくなった。まさかメルウィンからこの情報を得られるとは思っていなかった。
 これ以上は邪魔になりそうだったので、メルウィンに別れを告げ、調理室を出た。行き場もないのでハウス内を歩いてみることにする。掃除の確認もかねて。ロボットがあるのに、正しく機能しているかどうかを人が見て回るなんて、なかなか滑稽こっけいだ。

 調理室からエレベータ前に戻り、そこを過ぎて医務室、研究室の前を行く。部屋はすべて右手にしかない。左手は白い壁が続いている。左壁の向こう側はサクラのいる中央棟で、ハウスは中央にある別棟を四角く囲むように廊下があり、四角よすみにはエレベータ、各部屋は廊下の外側に並んでいる。中央棟には一度しか入ったことがなく、それも広間にあたるワンフロアだけだが、意味もなく広かった。あれが幾階層もあるなら、サクラの占有スペースはかなりの広さになる。どんな部屋があって、何をしているのか。気にならないこともない。

 突きあたりで直角に折れる廊下を左に曲がると、右手の図書室の存在に意識がいった。多岐の分野にわたった、今では貴重な紙の本が保管されている。好き勝手に読めるわけではなく、いちいちサクラの許可がいるので、ティアはあまり利用していない。幸福薬についてもここで調べるわけにはいかないので、文明人らしくハウスのデータバンクにアクセスしようか。これもまた“ログが残る”のだとしたら、似たようなことか。

 1階を回りきってからエントランスホールの中央階段を上がり、なんとなく2階もくるりと回って、(これ、けっこう運動になるな……)時間を確認しつつ、エレベータで4階へと戻った。もうすこし時間をつぶしたいので、4階の展望広間——吹き抜けのエントランスホールの上にあたる共有スペースで、本来は何に使われていたのか分からない、大きな窓から眺望がきくだけのだだっ広い空間——に向かった。外の景色でも見ようかと思ったわけだが、

「……セト君は僕のストーカーかな?」

 先客に気づいて、思わずうんざりした声を出してしまった。
 白と黒のチェス盤のようなフロアの端っこで、壁に背を預けていた青年が、「あ?」目つきの悪い視線を投げてくる。手には端末があり、何か作業をしていたのだとは思うけれど、ここでしている意味がさっぱり分からない。——いや、分かる。エレベータを角に挟んで、ここからすぐそばにあるティアの私室。誰かが来れば、もしくは出て行ったとしても、セトなら音ですぐ気づくことができる距離。つまるところ、ティアの私室を見張っていると思われる。

「いちおう訊くね? ……なにしてるの?」
「……別に。お前に関係ねぇだろ」
「それが昨夜、僕のベッドで眠ったひとの態度かな?」
「ちゃんと帰ったじゃねぇか」
「アリスちゃんに手を出して?」
「は?」

 即座にかまを掛けてみたが、意外にもハズレの感触。セトは眉間を狭めて、「俺はなんもやってねぇぞ」無罪を主張した。どうやら嘘は言っていないようす。

「……あれ? ほんとに?」
「なんで疑ってんだよ」
「……や、でも……おかしいな……?」
「おかしくねぇよ。俺に対する評価を見直せ」

 目を細めて鬱陶うっとうしげに見返すセトは、やはり嘘をついている感じではない。しかし、彼女の赤い目許を思い出すと疑念がぬぐえない。

「……ほんとに?」
「しつけぇぞ。やってねぇって言ってんだろ」
「……ほんとに? なにもしてない?」
「だから俺は、何も」

 ぶつりと、変なところで会話が切れた。何か記憶のなかでひらめくものがあったような、ハッとした気づきの瞬間。
 妙に白々しい沈黙がおり、言いかけて止まっていたセトがそっと口を閉じた。代わりにティアがくり返す。

「……何も?」
「……してねぇ」
「うん、したね?」

 絞り出すようにつぶやかれた否定は肯定に相違なく、ティアはため息をこぼした。あきれたティアに、セトは弁明しようと口を開き、

「おい勘違いすんな! 俺はやってねぇぞ!」
「……勘違いではないよね? もう僕だいたい読めたけど?」
「はぁっ? なら言ってみろよ! 否定してやるよ」
「……昨日のアリスちゃんは、不思議なことにセト君をあんまり怖がらず、そんなアリスちゃんに気持ちがゆれて手を出しかけたけど、たぶん抵抗されて——や、抵抗というよりは、困惑したのかな? ……僕もいたしね。そんな感じでアリスちゃんに断られたので、しょうがなくお部屋に帰りました、と。……まぁ、キスぐらいはしたよね? つまり何もしてなくはないよね?」
「………………」

 反応を見ながらぺらぺらと思いつくままに語ると、セトが何も言えずに押し黙った。もうそれは完全なる肯定。無言の時間が過ぎていくのを待っていると、セトがこちらをにらみつけたまま、低い声で、

「……お前、起きてたな」
「や、眠ってたよ?」
「嘘つけ! 想像だけでそんな分かるわけねぇだろ!」
「そう言われても……っていうかさ、その返し、認めたことになっちゃうけどいいの?」
「ふさげんな! 起きてたなら言えよ!」
「や、だから、眠ってたってば」

 怒るセトに真実を告げるが、脳まで届かないらしく怒りのおさまる気配がない。無視して私室に戻ろうかな。目線を窓の外に送ると、空は雲に覆われていた。雨が降りそう。

「おい、聞いてんのか!」
「う~ん……そんなことよりさ、なんで僕のストーカーしてるの?」

 目線をセトに戻すと、「あ? 誰がお前なんかに付きまとうんだよ」顔をゆがめて不快感をあらわにされる。遠回しに言ってあげたのだが伝わらない。

「じゃ、言い換えるけど……なんでアリスちゃんを見張ってるの?」

 ストレートな問いに、セトが急に静かになった。先ほどとはまた違った沈黙。すこし深刻な雰囲気。

「…………べつに。見張ってねぇけど」
「んんん? それはちょっと無理がない?」
「お前に関係ねぇだろ」
「そうかもね? でも、自分の部屋を見張られてるなんて気分が悪いな。理由を聞かせてくれてもいいんじゃない?」
「……大したことじゃねぇ」
「そう? ……ここでは話せない? ……じゃなくて、僕じゃ話せない——かな?」

 憂いをこめて吐息で笑ってみせると、セトの表情がくもった。たいてい彼の心理は手に取るように分かる。北風と太陽理論? それか、押してだめなら引いてごらん? とにかくセトの基本は狩猟本能で、攻めるよりも引いたほうが効果がある。今回は罪悪感をつついてみるとして、

「そうだよね……セト君、僕は信じられないって言ってたしね……」
「いやあれは……冗談っつぅか、本気じゃねぇから……お前のことも、ちゃんと信用してるし……」
「……いいんだよ。兄弟っていっても、僕は他人みたいなものだよね? ほかの兄弟と比べたら、身体も弱いし、役立たないし……ほんと、僕のできることなんて何もないよね……?」
「お、おいっ! そんなことねぇよ! なんでそんなこと言うんだよっ」

 あざとすぎたかと思ったのに、効果覿面てきめんだった。昨夜も反応していたが、どうもこの卑屈モードに過敏なような。焦りだすセトは、壁から身を離してティアへと距離をつめた。

「お前のこと、そんなふうに思ったことなんて一度もねぇって……つぅか、そんなこと思ってたのかよ……」

 狼狽ろうばいを隠せずこちらを案じてくるセトに、(あ、まずい。これもう演技だって明かせないやつだ……ばれたら僕の命が危ないんじゃ……)内心で焦りを覚えたが、今さら引き返せない。

「……気にしないで。僕なんかに話したくないことを、無理に聞こうとしたのが悪かったよ……じゃ、僕は部屋に戻るから……」

 ひらりと指先で別れを示し、私室の方へとを進めた。たぶん今、背中に哀愁を背負えていると思う。それと、次にセトが何を言うかの予測もばっちり。

「——待てよ!」

 制止の声に、ゆっくりと首だけで振り返る。笑ってはいけない。なるべく心を無にして。

「なに?」
「……はなす」
「……え?」
「話す、から……お前の部屋に……入ってもいいか?」

 ずいぶんと迷いの見えるようすではあるけれど、予測どおりの展開。ティアの顔に自然とあふれる笑顔は、セトの信用を得た喜びでは当然なくて、

「もちろん、どうぞ」

 意のままに動かせるこまのようだなと、だいぶ失礼なことを考えていた。
 そしてそれは——ティアが思うくらいなのだから、きっとサクラにとっても同じなのだろう——気づいてはいけない可能性にも結び付いてしまった。

(……そっか。あのとき、サクラさんがわざわざ僕の前でアリスちゃんを追いつめたのは——)

——アリスちゃんさ、多分サクラさんに脅されてると思うんだよね。
——セト君をかばうために、残ることを決めたんだと思う。

 あれを、セトに伝えさせるためだったとしたら。

 散らばっていたカケラが、脳裏で急速に繋がっていく。不可解だったサクラの態度や行動が解け、矛先がはっきりとして——サクラがのぞむ盤面を、見た気がした。

(目的は最初から……セト君だったんだ)

 狙われた青年は、ティアの反応に呑気のんきにも安堵している。
 気づいてなどいない。ティアの芝居にも、サクラのそろえた駒にも、——なにひとつ。

 窓の外では、秋雨が音もなく降り始めている。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。

クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。 3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。 ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。 「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...