【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

文字の大きさ
149 / 228
Chap.13 失名の森へ

Chap.13 Sec.11

しおりを挟む
 これは、昨夜ゆうべの話。

「そっと降ろしてね? アリスちゃんが起きないように、そーっとね?」
「しつけぇな。ちゃんと気をつけるって言っただろ」
「しっ! 静かにして」
「…………(うぜぇ)」

 人さし指を唇に当ててみせるティアに、セトは無言の横目をぶつけた。両腕に抱えるウサギは起きる気配を見せない。この程度の声で話しても、なんら影響はない。

 ティアの私室に足を入れ、ベッドまで歩いて行く。先回りしたティアが、ぼんやりと光る照明のもと、ベッドを囲う邪魔くさそうな天蓋てんがいを開き、ベッド上を整えた。シーツの上にウサギをそっと置くと、記憶の底から浮かんだ映像が、既視感きしかんのように脳裏をかすめた——が、その寝顔は変化することなく、静かに眠っている。質量を感じていたセトの腕は負担を失い、物足りないような錯覚が残った。

「………………」
「……セト君、もう帰っていいんだよ?」
「……お前は、すぐ俺を追い出そうとしやがって……」
「誤解だってば。僕は何もしないよ」
「……そうかよ。まあ、口ではなんとでも言えるよな」
「……ほんとだよ? 僕は——何も、しない」
「………………」

 ティアの囁き声は妙にきっぱりとしていて、セトには別の意味合いに聞こえた。ふたりの視線はベッドへと落ちていたが、セトはちらりとティアの方へ流し、

「……嘘つけ。お前、こうなるよう仕向けたろ」
「……なんの話かな?」
「とぼけんな。さっきのジャンケン、偶然とは言わせねぇぞ」
「やだな、僕のこと疑ってるの?」
「疑うも何も、事実だろ」
「………………」

 意味ありげな微笑を唇に浮かべ、ティアはセトの横目を受け止めた。薄暗いなかで、暗い眼が互いに細められる。ひとつは、微笑むように。もうひとつは、疑わしげに。沈黙のままにしばし対峙たいじしていたが、ふ——と、ティアが吐息をこぼして両手を上げた。

「……降参。そんな睨まないでよ、白状するから」
「………………」
「って言っても、アリスちゃんに何かするつもりは、ほんとにないよ? 僕はただ……メル君の気持ちをんで、ロキ君とロン君のところに行かせたくなかったの」
「……信じられねぇな」
「え~? 僕のこと、なんだと思ってるの?」
「…………ペテン師」
「うん、それは普通に悪口だね。わりと的確で重みのある暴言だ」
「野獣よりかマシだろ」
「根に持つね……セト君は執念深いって聞いてたけど、こういうことかな?」
「誰だ、そんなこと言ったやつ」
「さぁ? 誰だろうね」
「どうせハオロンだろ」
「……どうかな?」

 ゆるく唇を曲げたティアに、セトは話をらされていると気づいた。

「……ロキとハオロンを避けたかったなら、メルウィンでよかっただろ。お前、自分が勝ちにいったじゃねぇか」
「仕方なく——ね。メル君を勝たせる方法が、あのときは思いつかなかった」
「………………」
「君からしたら、いとも簡単に勝利を導いたように見えるのかもだけど……ほんとのところ、そんな万能じゃない。僕、魔法遣いじゃないからね」
「そんなこと分かってる。サイキックでもねぇし、ただの人間なことくらい——はなから知ってる」
「そうだね、セト君は最初から、僕のこと同じ人間として……として、見てるね」
「——ごまかすな」
「ごまかしてるつもりは、ないんだ。ほんとに。……ジャンケンについては、セト君と初めてしたときに、君が……なんだっけ? 井戸? つぼ? とかいう手を出したでしょ?」
「……ピュイ、か。それがなんだよ?」
「そうそう、ピュイだ。グーピエールチョキシゾーパーフェイユ、それからピュイ。昔から君たちのジャンケンは、4種類でやるのが普通なんだよね?」
「……それが?」
「うん、面白いよね」
「……は?」
「だって、グーチョキパーのみっつで成り立ってるのに、余計なものが入ったせいで力関係が崩れてるでしょ? 本来は三竦さんすくみみたいな構図のはずが、グーにもチョキにも勝つとかいうピュイのせいでさ……わけ分かんない」
「ピュイのせいってなんだよ。パーフェイユグーピエールとピュイに勝つだろ? ……つか、ハウス独自じゃねぇよ。お前が知らねぇだけで、一般的なジャンケンだからな?」
「そうなの? ジャンケンのくせに、えらく心理的だね」
「……いや、なんの話だよ。お前ら今日は3種類のジャンケンだったじゃねぇか」
「それは僕が、“Rock,Paper,Scissorsグー、パー、チョキ”っていう声掛けをしたから」
「?」
「……僕が、誘導したの。君らの掛け声ってもっと別のでしょ? だから、あの掛け声で“3種類のジャンケンだ”って認識させたんだよ」
「なるほど……? まあ、そっちのジャンケンも知ってるしな。ピュイはガキの頃の名残なごりっつぅか……」
「うん、一般的なゲームのなかで出てくるのも3種類のジャンケンらしいしね。知らないわけはないんだよ」
「? ……おい、俺らなんの話してんだ?」
「ジャンケンの話。どうして僕がひとり勝ちしたのか——つまるところ勝ちにいったのか。アリスちゃんをロキ君たちから引き離す手段が、これくらいしか浮かばなかったっていう——釈明中」
「……いや、全然分かんねぇし何も釈明されてねぇけど」
「え、まだ説明しないとだめ? もう大体は分かったでしょ?」
「………………」
「……だからさ、4種類バージョンに慣れてる君らは、変な刷り込みがあるんだよ」
「すりこみ?」
グーピエールは、不利な手だって。上位互換のピュイがあるから、普通は出さない」
「……それは分かるぞ?」
「でも、あれでしょ? ロン君あたりは、たまにグーピエールも出すよね?」
「まぁな……たまに、だけど。それで勝つと気持ちいい、とか言ってるな」
「うん、ロン君はいい性格してるね」
「……で?」
「——で、グーの手は不利だっていう刷り込みのなか、僕が“3種類でやりますよ?”って、いきなり振ったから……一瞬の動揺が生まれたはずなんだ。とっさに出しやすいのは、本当はグーなんだけど……グーは不利だって思い込んでるから、反射的にそれを避けて、次に出しやすいパーが出たんだよ。4種類ジャンケンでも、パーは勝ちやすいだろうから……」
「そんなうまくいくか……?」
「ま、半分は賭けだったね。僕のなかでは、メル君とロン君はいけると思った。心の動きも読みやすいし。ロキ君は動揺しない代わりに……僕の言った“ジャンケンなら平等”っていう意見を心のなかで否定するだろうから、一般的にグーを出しやすいっていう——心理的なほうの確率を意識して、“メル君あたりはグーを出すだろう、ならパーを出しておけば負けはない”。あの一瞬で、そう判断してくれるかもって。その程度は期待してたけど」
「ふぅん……理屈を聞くと大したことねぇな?」
「まぁね、マジックは大概そういうものだよ」
「……けど、そういうことをいつも考えてると思うと……お前、けっこうこえぇな」
「うん、褒め言葉として受け取っとく」
「………………」
「……はい、もういいかな? アリスちゃんの寝顔を見つめる時間はおしまいだよ」
「変な言い方すんな。そこまで見てねぇだろ」
「いやいや、見てるよ? 僕がいなかったら何するか分かんないよね?」
「別に何もしねぇよ……全然起きねぇなって思ってただけだ」
「ふ~ん?」
「あのな……俺だってお前と同じだ。ウサギには何もしねぇよ」
「……そう?」
「そうだよ」
「…………この前、セト君のだったときは? 何もしてないの?」
「………………」
「——ほらね、嘘ばっかり」
「何も言ってねぇだろっ!」
「しぃーっ!」

 声を張ったことにハッとしたが、目下の人形めいた彼女に変化はない。ふたりは静かに顔を見合わせた。

「……ぐっすりだね? 眠れる森のアリス、って感じ」
「なんだそれ」
「おとぎ話だよ。永遠の眠りについたお姫様が、王子様のキスで目覚めるんだ」
「王子だったら、眠ってるやつを襲っても許されんのか」
「人工呼吸みたいなものじゃない? 命を救うため、ということで、ありなのかも?」
「そうかよ……」
「ま、今はセト君がキスしても起きなさそうだね」
「俺は眠ってるやつに手ぇ出すほどえてねぇ」
「突っこみどころはそこでいいのかな……? でもほんと、よく眠ってる。すごく眠たかったんだろうね……」
「…………私室くらい、与えてやってもいいのにな」
「……そうだね」
「サクラさんに、言ってみるか……?」
「……無駄じゃないかな」
「………………」
「………………」

 しばらくのあいだ見下ろしていたが、ティアが口を開く前にセトは部屋を出て行った。ティアも浴室に向かおうと背を向けたが、首だけ振り返ると、その寝顔に小さく声をかけた。まるで独り言のように、

「おやすみ、アリスちゃん」

 それは、摩訶まか不思議な世界に迷い込む、無垢むくな少女の名前。
 不思議の国の住人たちは、少女を歓迎しない。気ままに生きつつも特異なバランスで成り立つの関係性を、招かれざる少女は揺るがしていく。——崩壊まで。

 そんな名前を彼女に与えたのは、他でもない——ティア自身だった。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

処理中です...