深淵のバラッド —あやかし捜査官 朝美楪の怪異事件ファイル—

藤香いつき

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File.01 闇色の秘密

闇色の秘密

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 就寝前に、私は家の照明をすべて消す。外出の前にけた、すべての照明を。一部屋を除いて。
 入室しない蓮花の部屋だけは、いつも明かりがついている。延々とともっている。
 
 自分の部屋のベッドに入って、私は息を潜める。真っ暗な室内は、目が慣れるにつれ、ゆっくりと闇色の濃淡で浮かびあがる。
 無音ではない。
 隣の部屋からは、今夜も声が聞こえる。
 
「お姉ちゃん、うるさい」

 感情を削ぎ落とした平坦な口調に、わずかないら立ちと拒絶がにじんでいる。低く抑えられた声なのに、胸の奥に突き刺さるほどの圧がある。
 冷たい響きが、何度も繰り返される。
 
「お姉ちゃん、うるさい。お姉ちゃん、うるさイ。お姉ちゃん、うるさい。お姉、チャン、うるさ、イ」
 
 カタっ、ガタっと、机やイスを乱暴に扱う音が鳴る。壁は薄くないはずだが、家鳴やなりのような軋みを伴って、家中がかすかに揺れて響いている。
 蓮花が、怒っている。
 
「………………」
 
 目を閉じることなく、闇を見つめる。
 鳴り響く音の世界に、独りぼっちではないと感じる。
 
 蓮花が——いる。
 
 
 安堵あんどの気持ちが全身に染み渡ったころ、闇のしじまを裂くように、玄関のチャイムが唐突に鳴り響いた。

「っ……」

 まどろんでいた心臓が、一瞬にして跳ね上がる。不意打ちの音が私の暗闇を揺るがした。
 ピーンポーン、と。馴染みある電子音で、しかし鋭く響いたその音は、異様だった。あまりに遅い。ヘッドボードにあったスマホを取って見るが、時刻は二時を回っている。
 こんな時刻に訪ねてくる人など、いるはずがない。それなのに、チャイムは確かに鳴った。

 静寂の中に残るかすかな余韻が、じわじわと不安を滲ませていく。
 慎重に身を起こした。心臓はまだ速く脈打っている。
 ドアを開けて、廊下にそっと足を下ろした瞬間、ひやりとした感触が肌を刺した。
 思わず息を呑むが、それでも足を引っ込めることなく、一歩、また一歩と踏み出す。裸足の足裏が冷たい床に触れるたび、寒気とは違う、得体の知れない悪寒が背筋を這い上がってくる。

 家の中は闇に沈み、静寂に包まれていた。
 だが、たった今鳴ったばかりのチャイムの余韻が、耳の奥にしつこく張りついている。
 誰が、なぜ、こんな夜更けに——。

 鼓動を押し殺しながら階段を下りきり、玄関へと足を進めた。
 玄関の壁に掛けてあったコートを羽織る。リビングに設置された、外部カメラのモニターを確認する発想はなかった。
 胸のなかには、確信めいた予感があった。
 防犯でドアに掛かるアンティークのチェーンが、手錠の鎖に似ていた。
 
「……どうか、しましたか?」
 
 そっと開いたドアの隙間から、外へと尋ねてみる。
 わずかに開かれたその隙間から、筋張った手がドアを掴んで引き開けた。チェーンによって止まったが、相手を確認するには十分だった。
 
「捜査官さん……」

 ぽつりと零れた音が、彼の存在を明確にした。
 街灯の薄明かりを拾った、赤銅色の髪。覆いかぶさるほどに大きな影を生む、夜色の長躯ちょうく。私と重なる視線の先には——色違いの虹彩こうさい
 金の眼が、静かに私を威圧した。
 
「開けろ」
「……どうしてです?」
 
 有無を言わさない彼の瞳に向けて、薄く笑ってみせる。ドアノブを持つ私の手は震えている。
 
「こんな時間に、女性だけの家を訪れるなんて、いくら警察でも……」
「死にてぇのか」
 
 力の入った彼の手がドアを引き、伸びきったチェーンが強く音を立てた。
 物騒な彼のセリフに、警察を呼ばなくては——ああ、この彼が警察ではないか——無意な思考が回る。
 
 物騒なセリフに反して、彼の目は真摯に私を見ていた。
 誤魔化せない。一縷いちるの望みも打ち砕くほど、真実だけを見据える目をしている。
 
 ドアの隙間から差し込まれた彼の手が、チェーンを掴んだ。ギリッとり音を立てて、金属の鎖が引き千切られた。
 目をみはった私の先で、金の眼が強く煌めき——額の皮膚が、とがるようにり上がっていた。
 
 私の手を振り払って、ドアが大きく開かれる。動揺する私の横を、あたえ捜査官はすり抜けた。
 
「どこだ」
「ま、待ってくださいっ……」
 
 ためらいなく踏み込んだ足は、大きな音で廊下の床をきしませた。與捜査官は、リビングや和室へのドアを含めて一瞥いちべつを回し、私の肩あたりに目を送る。
 
「上か」
 
 何かに導かれるように、彼の目は階段のほうを捉えた。引き止めようとした私の腕は払われていた。
 與捜査官を追いかけるが、迷いなく階段を上がっていく彼の足に追いつけない。震えていた私の脚は、もたつく動きで必死に階段をのぼった。
 
 私が二階に上がったときには、與捜査官は蓮花の部屋の前に辿たどり着こうとしていた。
 そして、その瞬間——ガシャン、と。けたたましい音が廊下を突き抜けた。
 床に置かれていた、蓮花のための夕飯プレートが、與捜査官の足によって弾き飛ばされていた。
 陶器が砕ける鋭い音と、スープが床に飛び散る生々しい音。闇に沈む床はよく見えないのに、無惨な光景がありありと浮かぶ。
 
 それでも、與捜査官は躊躇ちゅうちょなどしない。蓮花の部屋のドアを、勢いよく引き開けた。
 
 ——空気がぜるような、鈍い衝撃音。見えない巨大な拳をたたきつけられたかのように、與捜査官の体が弾け飛んだ。
 廊下の壁に打ちつけられた彼の体が、重力によって床に落ちるのを、私は目を見開いて見ていた。
 
「うぁ……油断した……っ」
 
 掠れた文句には、血を吐くような音が混じる。開かれたドアから溢れた光が、廊下の壁を背に座り込む與捜査官を見せた。
 無事だ——その事実に、安堵ではなくハッと焦燥を覚えて駆け寄っていた。
 與捜査官にではなく、蓮花の部屋へと。
 
「蓮ちゃんっ……」
 
 
 この部屋に入るのは、いつぶりだろう。
 蓮花の葬式が終わって、家に帰ってきて——ひとりぼっちでたたずんだ、あの時が最後だろうか。
 この悪夢はいつめるのだろう、と。けた明かりを消せずに、ドアを閉じた、その時。
 蓮花が、帰ってきたのだ。
 
——お姉ちゃん、うるさい。
 
 ドアの向こうで、あの子の声がしたのだ。
 怨みの籠もった、低く床を伝うような声が、最期の言葉を、はっきりと。

 そうだ、きっと。
 私を呪うために、帰ってきてくれたんだ——。
 
 
 
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