クリスマス・イヴに、シャリオドールで起こったことのほとんどすべて

奈倉柊

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2-3.森川だったら違うことを言うだろう(広瀬諒/スー・シェフ)

 ソムリエが駄目すぎます、と倉田さんが報告に来てから、森川が神経を尖らせてるのが解った。北澤のミスは奇跡的にもお客様に気づかれずに済んだようだが、斉藤くんのお茶目な「セルクル逆さま事件」とは違って、あれは一歩間違えれば取り返しのつかないことになっていた(同じボトルが冷えてなかったら一発アウトだ)。
 酒を飲ませたのはやっぱりまずかったんじゃないのか?
 斉藤くんは一応、皿洗いに専念していたが、相変わらずのだだ漏れでうわの空感がすごい。森川が時々「大丈夫?」とか「怪我しないようにね」とか声を掛けているが、斉藤くんは機械的に、はい、と答えるだけで目すら上げない。
 倉田さんのおかげでデセールの提供係を免れて安心したのか、相原くんがいるはずのキッチンの奥は静まり返っていた。
 ちなみに俺から見ると、斉藤くんと相原くんはキャラがけっこう被っている。髪色も顔立ちも全然違うのに、世間ずれしてない感じとか内向的で人付き合い苦手そうなとことか、どことなく小動物っぽい雰囲気とかが、似てるな、と思う。あと何故か、鏑木くんに対する反応のしかたが、この二人はまったく同じだ。
 でも北澤は、相原くんとは一回きりで距離を置いたのに、斉藤くんとは同じ一回きりで完全に感じになってる。というか、まだ森川と一応付き合ってることになってるはずなのに、そのっぷりはないだろう。さすがに恋人の目の前で失礼だろうとかはあいつの頭じゃ考えないって解ってるけど、森川のこと軽く扱いすぎじゃないのか。
 そういうことを考えながらビーツのポタージュにデコレーションするセルフィーユを毟っていると、そのポタージュがホールに出て行ったタイミングで森川に言われた。
「ヒロ、ちょっと頭冷やしてきな」
 必要ない、と俺は答えた。次に出すのはメインの一皿目、さわらのコンフィで、仕上げに火入れの作業が入る。一人では手が回らないだろうと思ったのだ。けど森川は、いいから外の空気吸ってきな、とやんわり言い方を変えてきた。つまり命令だってことだ。
 解ったよ。
 とは思ったけど素直に返事をする気になれず、俺は黙ったまま裏口へ向かい、ゴミ出し場に出るドアを普段の1.8倍くらいの速さと強さで開けた。

 そしたら、目の前に相原くんの金髪があった。
「おわ、相原くん?」
「ひ、、ひ、ひろせさん」
 驚かせてしまった。相原くんは殺人現場を目撃された犯人くらいの驚きようで、無駄に自分の口を両手で覆っている。
「どうしたの、こんなとこで」
 そう訊ねると、「ちょい、やっちゃったんす」と、彼特有の、言葉遣いは軽いのに意味は深刻な風に言ってくる。だけど今日のデセールなら完璧につくってあったし、提供も倉田さんが行ってくれることになったはずだ。
「潰しちゃった。倉田さんの」
 相原くんのサードキャラが出てきた。
「倉田さんの? 記念日のやつ?」
「それ」
 普段の相原くんは、いちばん楽に喋ることのできる「セカンドキャラ」で通している。ファーストはもちろん素の自分だけど、そのままだと人とうまく喋れないらしく、いわゆる「キャラ」を演じることでそれをカバーしているのだ。でも非常事態とかちょっと追い詰められている時とかに、ごく稀に、この甘え気味のタメ口で喋る「サードキャラ」が出てくる。
「倉田さんには言った?」
 予想通り、相原くんは頭をぶるぶる横に振った。「言えない。今日に限って」
 今日に限って。
 もちろんクリスマス・イヴだけど、今日は倉田さん夫妻の結婚記念日でもある。
 自分が頭を冷やしてこいと言われた矢先、俺より難題を突き付けられている奴に出くわした。
「とりあえず、倉田さんに正直に話した方がいいと思うよ」
 そう言ってはみたものの、森川だったら違うことを言うだろう、とも思った。森川なら間違いなく、店にあるもの何でも使っていいから今すぐつくり直せ、と言うだろう。
 俯いて浅い呼吸を繰り返している相原くんを見ながら、この場合どっちが正解なのか考えた。失敗は隠せば隠すほど状況を悪くする、と解っているから、俺はキッチンで何かやらかしたら即座に森川に言う。知られたくないとか格好悪いとか思っても絶対に知らせる。けど森川の場合、自分が失敗したらそれをカバーしたり修正したりできる人間は他にいない。まさか客席に謝りに行くわけにもいかないから、自分で何とかする。
そして、相原くんも森川と同じ立場だ。自分で何とかするしかない。
「森川シェフなら、今すぐ新しいのをつくれって言うと思うけど」
 そうしたら相原くんは顔を上げて、びっくりするくらい俺の目を直視してきた(相原くんと目が合うのはかなりレアな現象だ)。
「そうする。今からどうにかする」
 時間的に厳しいとは思ったけど、俺は、そっか、とだけ答えた。
 相原くんは頷き、決然とした様子で踵を返すとドアを開けた。

 キッチンに戻ると、斉藤くんがいなくなっていた。
 倒れちゃって、と、森川は簡潔に言った。俺もそれ以上は訊かなかった。黙って自分の位置につくと、鰆のソースと付け合わせの準備を始めた。
 頭は完璧に冷えていたし、相原くんのおかげで自分が今やるべきことがはっきり自覚できた。とりあえず目の前の仕事に集中すること。余計なことは考えない。ソースを温めて最終確認の味見をする。ポテト・ピュレに少しだけディジョンマスタードを混ぜる。ビーツのピクルスをカットして、前もって揚げてある根菜のチップスを飾る。
 こういう時、というのは二人ともが極度に集中している時、キッチンはまったくの無音になる。実際には包丁やフライパンポワルが忙しく音を立てているはずなのに、誰かがミュートをかけでもしたかのようにそれが聞こえなくなる。
 そして、俺はそういう緊張感が嫌いじゃない。
 シェフ、と言ってスプーンを差し出せば森川は黙って味見をし、軽く頷くか、ちょい胡椒とか酸味が出すぎてるとかの修正を出す。ヒロ、と言われれば俺は立ち位置を入れ替えて鰆の盛り付けを任せる。そして、完成した皿をチェックした森川がOK、と言えばその皿をカウンターへ運ぶ。目配せを交えながら無音のダンスを踊っているみたいで、俺は高揚する。それは森川と俺が、いちばん緊密に繋がる瞬間だから。
 それだから本音を言うと、俺は忙しい日のほうが好きだ。
 メイン二皿目は鴨の燻製。オーソドックスなバルサミコソースに、砕いたナッツで食感に変化をつける。付け合わせは自家製の無花果ジャムと冬野菜のソテ。少量のホーリーバジルを入れてエキゾチックなアクセントをつけるのはシェフの新しいアイデアだ。再び無音のステップを踏みながら、俺はシェフと二人でその皿を仕上げてゆく。
「OK」
「はいよ」
 そこから先は、ホールスタッフの仕事だ。
 キッチンは一時休憩になる。無人の洗い場が気になって森川に声を掛けると、洗い物はいいから後半に備えて休め、と言われた。二巡目はお客様がホールに入ったタイミングで、波多野さんをワインサービスに、北澤を洗い場に、配置換えすると。
 森川は先に二階の休憩室に上がっていき、俺は相原くんのところへ行って入口を軽くノックしてみた。返事がない。相原くん、と呼び掛けてから奥を覗くと、相原くんは何か書き込みで一杯のノートを広げて、何かしきりに呟きながら脳内作業に没頭していた。
 そっとしておいた方がいい、と判断して休憩室に行くと、ソファの上で斉藤くんが死んでいた、というか文字通り死んだように眠っていた。森川が苦笑いしつつ「もう、完全に恋の病。この展開は予想してなかったけど、案外、俺らにとっては良いきっかけだったかもね」と、何の引っ掛かりもなくさらっと言った。
 そういうことを急に言ってくるなよ、と思った。
 冷静に考えれば俺にとっても、北澤が本気で斉藤くんに行くんならそれは悪いことじゃない。むしろ歓迎したっていいくらいだ(店の営業にこれ以上支障が出なければだが)。北澤が森川を構う可能性が下がるから。
 もっと言うと、森川にはもう余所見をして欲しくないから。
 今だって、俺には不安がある。森川が考え直してやっぱり俺とそういうことになるのは止めた方がいい、みたいな結論を出す可能性だってある。いくら言葉で誘われたって、可能性を仄めかされたって、今更それを素直に信じるほど俺は無邪気じゃない。
 俺をこういう疑心暗鬼な体質にしたのは明らかに、森川だ。けどもし森川がこのまま踏み止まることなく俺の気持ちに応えてきたら、俺はただそれを喜べるか? 今まで俺は、自分の報われなさのすべてを森川の臆病さと優柔不断のせいだと思ってきたけど、本当は俺自身、怖かったんじゃないか。冷静に理性的に物事を突き詰めて考えた挙句、森川が俺を遠ざける可能性。それを怖れて、俺は自分の想いをひと息にぶつけることを避けてきたんじゃないか。
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