クリスマス・イヴに、シャリオドールで起こったことのほとんどすべて

奈倉柊

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北澤侑弥の、まったくもって誰の参考にもならない誘惑の手引き(1)

 1.スーシェフ・広瀬の場合(本人談)

 怖いよ広瀬、と言われたのが、その会話の始まりだった。
 そう言ってきたのはソムリエの北澤で、我々の職場であるフレンチレストラン・シャリオドールの営業終了直後、というタイミングだった。
「お前が俺のこと嫌ってんのは知ってるけど、仕事中にまでそんなきつい目で見ることないんじゃないか?」
 また面倒な絡みかたをしてくる、と思った。
 仕事中だろうが何だろうが、俺はお前が嫌いなんだよ。
「お前の被害妄想だろ。もともと俺はこういう目つきだよ」
「そんな訳ないだろ。森川を見る目と全然違うじゃないか」
 当たり前だ。
 そもそも俺は出会った瞬間から森川のことが好きだったし、出会った瞬間から北澤のことが嫌いだった。
 北澤は俺と森川の学生時代、平和な蜜月にいきなり割り込んできた部外者だった。
 クソがつくほどの美形で妙な色気を振りまいて、あっという間に森川を自分のベッドに誘い込んだ奴。
 その時はすぐに別れて姿を消したので安心していたら、今度はここシャリオドールにソムリエとして現れてまたぞろ森川と縒りを戻して、おまけに俺の気持ちを知ってて事あるごとにこうやって絡んでくる。
 ソムリエとしては優秀な部類に入るんだろうが、客とも寝るわ店のスタッフにも手を出すわ、とにかく勝手のし放題で、またそれを森川が黙認するのにも腹が立った。
 相手が森川じゃなきゃ、自分の恋人には首輪をつけて繋いでおけ、と忠告しただろう。
 けど俺は北澤のことを、森川の恋人だと認めるのも癪だった。
「お前あれだな、俺の顔を見ると、想像するんだろ」
 北澤は俺の不機嫌を見越してさらに煽ってきた。
 俺が黙って北澤を睨みつけると、しゃあしゃあとこう言ってのけた。
「俺がどんな風に森川と寝てるのかってさ。正直、興味あるだろ?」
 それは興味とは言わない。
「興味なんかない。腹が立つだけだ。いいからもうこれ以上、俺に構うな」
 俺が答えた瞬間、北澤の挑発的な目が不意に、濡れたような光を帯びた。
「広瀬ってさ、冷静そうに見えてけっこう感情の起伏、激しいんだよな」
 思わず息が止まった。
 北澤の冷たい指がいきなり俺の頬に触れ、すっと耳元へ滑ったからだ。
「そういう奴がどういうセックスするのか、俺は興味あるよ」
 これは挑発じゃない、と俺はようやく悟った。
 これは挑発じゃなく、誘惑だ。
「正気か? お前、よりによって俺を」
 どうにかそれだけ訊くと、北澤は笑いを深めた。
「もちろん正気だよ。俺は今、他でもない広瀬諒を、誘ってんだよ」
 北澤はそう答えた。
 俺のすぐ耳元で。
 ご丁寧にフルネームで。
 また怒りが込み上げて、俺は北澤を押し退けた。
「お前、どんだけ恥知らずなんだよ。森川が知ったらどう思うか、ちょっとでも考えたか? 今お前がやってることは、ただの火遊びで済むことじゃないだろ」
 俺がそう言い募る間もまだ、北澤の目は俺の目を真向から見つめ続けた。
 そしてゆっくりと、だがはっきりと強い力で、頤を掴まれた。
「そうは言っても、お前は自分の好奇心には勝てないよ」
 目の前が揺らぐような、一瞬にして平衡感覚を失うような、足を踏み外して一気に転落するような、息を呑む瞬間。
 俺は、俺の好奇心には勝てない?
 俺の動揺の隙をついて、北澤はなめらかに唇を合わせてきた。
 躊躇いもなく優しく、そして深く。
 全身から力が抜けるのが解った。
 確かに俺は北澤のことがずっと嫌いだったし、今この瞬間も嫌いだ。
 だけど、こいつは森川と寝てる。
 こいつのどこが良くて森川が付き合い続けてるのか、俺はずっと理解できないままここまで来たが、もしかすると俺の知らない側面が、こいつにはあるのかもしれない。
 仮にそれが、単にセックスが巧い、という即物的なものだったとしても。
 そんなことをぐるぐる考え始めた時点でもう既に、俺は北澤に篭絡されていた。
 お前は自分の好奇心には勝てない、という決定的な一言と、俺の顎に触れた指先と、長い長いキスだけで。
 その途方もなく長くエロティックなキスを、終えるというよりは一時中断して、北澤は再び俺の目を覗き込んだ。
「この続きに、興味あるだろ」
 それは既に、質問じゃなかった。
 俺にできたのはただ目を逸らし、ごく小さく頷くことだけだった。

【所要時間:3分48秒】
【費用:0円】
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