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勇者のママは環の婚礼を魔王様と≪婚約編≫

五ノ環・魔王と勇者の冒険か、それとも父と子の冒険か。11

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「ハウスト、都へ向かう途中に先ほどお話しした花が咲いている花畑があります。先に寄っていきますか?」
「ああ、案内を頼む。ブレイラ、手を」
「え? わあっ!」

 突然手を引かれたかと思うと、体を持ちあげられて馬に跨らされました。
 ふわりと舞い乱れたローブの裾をハウストが直してくれる。
 甘い過保護に小さなため息が出ました。

「私も歩きますよ?」
「森を逃げ回って疲れただろう」
「……私のこと舐めてませんか?」

 少しムッとしました。
 森を少し走り回ったくらいで疲れる私ではありません。

「怒るな。俺が大事にしたいだけだ」

 そう言って私の手を取り、馬の手綱を握らされました。
 さり気なく手の甲を包むように握られて頬が熱くなります。

「そ、それなら……」

 ハウストはそういうことをさらりと言うので困ってしまいますよ。
 甘い照れ臭さに目を泳がせて、イスラに手を伸ばす。

「イスラもどうぞ」
「いいの?」
「はい。また一緒に乗ろうと言ったじゃないですか」
「うん!」

 イスラが嬉しそうに頷きました。
 ハウストにひょいと抱えられたイスラが私の前に降ろされます。
 アイオナの愛馬は私とイスラを乗せても動じることはなく、ハウストに縄を引かれて歩きだしました。

「サーシャはどうしていますか? アロカサルの都には、やはりサーシャのご両親がいました。早く会わせてあげたくて」
「魔界で保護したままだ。アロカサルを戻し次第すぐに人間界に戻そう」
「お願いします。きっと喜びますね」
「ブレイラ、オレがもどす!」

 私たちの会話を聞いていたイスラが胸を張って言いました。

「ふふふ、ありがとうございます。都をよろしくお願いしますね」

 私はイスラに笑いかけ、いい子いい子と頭を撫でてあげます。
 でもそうしながらも気掛かりがありました。

「ハウスト、アイオナとゴルゴスが気になることを言っていました。今回のアロカサル転移はゴルゴスやアイオナの手によって引き起こされたもののようです。彼らが話すには勇者の宝を守る為に逃げてきたと」
「やはりそうか……」
「気付いていたのですか?」
「ああ。勇者の宝を使えば可能なことだ。この異界も本来なら冥界の怪物がいるなど有り得ない世界。勇者によって繋がれる異界だからな」
「勇者の宝が狙われているということと関係があるのでしょうか」
「まだ確信はないが、恐らく」
「モルカナを思い出します……」

 今は亡きモルカナ国の王妃と執政も冥界と接触し、怪物になり果てて消滅しました。他の国も水面下で侵蝕されている可能性を捨てきれません。

「ハウスト、冥界とはどんな世界なんですか? 一万年前に滅びるまでは幻想界と呼ばれる世界だったんですよね? そもそも、どうして幻想界は滅びたんですか?」

 モルカナ国で『冥界』という世界を知ってから、ずっと気になっていました。
 分かっていることは、冥界は存在してはならない世界ということ。オークやクラーケンといった三界には存在しない怪物がいるということ。そして、その世界の存在は魔王と精霊王が警戒を覚えるほどであるということ。
 私の質問にハウストは口を閉ざしてしまう。
 でも、じっと見つめていると諦めたような溜息をつきました。

「……つまらない話しだが、いいか?」
「当たり前じゃないですか。この状況で楽しい話しを期待するような人間に見えますか?」

 じろりと睨むとハウストが苦笑しました。
 失礼ですよ、私はそんな人間ではありません。

「不快にさせたならすまなかった。ただ冥界は幻想界が一万年前に姿を変えた古い世界だ。内容も神話に近い。だが実在しているのは確かだ」
「今も、ということですよね? やっぱり」

 今まで見たことも聞いたこともない、世界中のほとんどの魔族や精霊族や人間が知らない世界がある。なんだか不思議な心地です。

「ああ、今もある。今の冥界について分かっていることは、現在の冥界の王の名だけだ。冥王の名は『ゼロス』――――」


 瞬間、強烈な花の香りに襲われました。


 眩暈を覚えるほどの甘い、甘い花の芳香。濃厚なそれに嗅覚がおかしくなってしまいそう。
 ただそれだけなのに、不思議ですね、ハウストの声が、遠いです。
 遠くて、遠くて、上手く聞こえません。
 ハウストもう一度教えてください。上手く聞こえませんでした。そう伝えたいのに言葉になりません。頭の中がぐるぐる回って、うまく整理できない……。
 こうしている間にも馬はゆっくり進んで、茂みを抜けてあの花畑へ出ました。

「……あ、ここです。ハウスト、この場所、……ハウスト? イスラ?」

 気が付くと、ハウストとイスラの姿が消えていました。
 置いていかれたのでしょうか。それとも置いてきてしまったのでしょうか。いえそんな筈ありませんよね。
 私は二人を探そうと周囲を見回し、花畑の中に見慣れぬ青年を見つけました。

「あれは……」

 美丈夫な長身の男です。黒髪に一束ほどの青い髪が混じっている。端正な相貌もそうですが、なにより澄んだ蒼い瞳がとても綺麗でした。でも、今そこに切なげな感情を宿している気がするのは気のせいでしょうか。
 花を見ていた男は私に気が付き、ゆっくり顔をあげる。
 目が合いました。
 澄んだ蒼い瞳がとても美しい。
 男が蒼い双眸を細めて微笑む。

「はじめまして」
「は、はじめまして。あの、どうしてここに? アロカサルの方でしょうか」

 アロカサルの民が迷い込んでしまったのでしょうか。
 しかし男は首を横に振る。

「では、人を見かけませんでしたか? ハウストとイスラというのですが、背が高い黒髪の男と、四歳ほどの子どもです」
「見ていない」
「そうですか……」
 手掛かりが掴めず視線が落ちてしまいます。
 でも、そんな私に男がゆっくりとした足取りで近づいてきました。
 くしゃり。くしゃり。躊躇わずに花を踏んで歩いてくる。
 優しい面差しと、穏やかな雰囲気。それなのに足元は踏みしめた花弁が散って、異様な違和感を覚えてしまう。なんだか奇妙な男です。
 そして馬に乗ったままの私を見上げ、手を差し出しました。

「どうぞ」
「え?」
「どうぞ」

 有無を言わせぬ誘いでした。
 しかし見知らぬ男の手を取ることに躊躇いを覚えてしまう。
 馬の手綱を握ったまま首を横に振りました。

「結構です。一人で降りられ、うわああ!」

 視界が引っくり返る。
 そして視界に映ったのは異界の灰色の空と、息を飲むほど美しい蒼い双眸。
 そう、いきなり馬から引き摺り下ろされ、地面に引き倒されたのです。

「危ないじゃないですか!!」
「黙れ!!」
「っ……」

 怒鳴られて息を飲む。
 な、な、なんなんですか、この人。人を馬から引き摺り下ろした挙げ句、怒鳴りつけるなんて。
 異様さが少し怖いです。でも同時にイラッとしました。私が怒りこそすれ、怒られるなんて納得できません。

「なんのつもりです。少し横暴ではありませんか?」

 押し倒されたままじろりと睨んで言い放ちました。
 すると男は俯いて黙りこんでしまう。
 顔は見えませんが、怒られて少しは反省したのでしょうか。
 でももう少し文句を言わなければ気が済みません。

「だいたい初対面の人間に失礼ですよ。いきなり馬から引き摺り下ろすなんて、そんな乱暴が許されると、ぅぐっ! うぅ……!」

 突然、首を絞められました。
 苦しいっ。息が、できないっ。

「やめっ、離しな、さい……!」

 男の手を必死に引き剥がそうとするのに、男は微動にもしません。
 首が痛いです。苦しくて、頭が真っ白になっていく。
 このままでは本当にっ、本当に意識が落ちてしまう。そうしたら、もう、ハウストやイスラに会えなくなってしまうっ。そんなの、そんなのっ、冗談じゃありません!!!!

「っ、どきなさい……!!!!」

 ガッ!!
 渾身の力で足掻き、思いきり蹴りあげました。
 しかし、ぴくりともしない体。ハウストのように鍛えあげられたそれは鋼鉄のようで、私の蹴りなどものともしないのです。
 歴然とした腕力差に絶望に飲み込まれそうになる。でも、ここで諦めてはハウストやイスラに会えなくなる。それだけは絶対に嫌ですっ。

「ぐっ、ぅっ、はな、しなさ、いっ! あぅっ、……どきな、さいっ!!」

 ガッ! ガッ!!
 もがいて、暴れて、何度も何度も蹴りつける。
 薄れていく意識を繋ぎとめて、生にしがみ付くように、暴れて暴れて最後のひと足掻きまで暴れてやるんです……!
 そうしていると、ふと首を絞めていた手が少し緩まっていることに気が付きました。
 微かですが呼吸ができる。
 喘ぐように呼吸をし、また抵抗を繰り返す。

「いい加減にっ、離しな、さい!!」

 思いきり蹴りつけていると、私に伸し掛かっている男の体がぶるぶると震えていることに気が付きました。
 首を掴んでいる手まで震えだし、俯いて何かをぶつぶつと呟きだす。

「お前もかっ。お前も、僕をっ……、僕をっ!」

 がばりっ。顔をあげたかと思うと、男は私を見てニタリッと笑う。
 間近に迫った歪んだ笑みに息を飲みました。

「僕の名はゼロス。三界の王たちに伝えるといい、復活は近いと」


 瞬間、強烈な花の香りに襲われました。


 またしても意識が塗りつぶされるような、濃厚な甘い花の香り。
 ゼロス。それが男の名前でした。
 いったい何者かと聞きたいのに、頭の中をうまく整理できない。意識が遠のき、そして。

「――――ブレイラ!」

 はっと我に返る。
 視界にはハウストが映りました。
 ハウストは私を抱きかかえ、心配そうに覗きこんでいます。その隣にいるイスラは泣きだしそうな顔で唇を噛みしめている。
 私と目が合うとハウストはほっと安堵し、イスラは大きな瞳をみるみる潤ませていく。

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