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勇者のママは環の婚礼を魔王様と≪婚礼編≫

十二ノ環・墜落の麗人6

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 心地いい、髪を撫でられる感触。
 疲弊した体が優しい温もりに包まれている。
 温かいです。温かだけど筋肉に覆われた硬い感触、守られているような感覚、ハウストでしょうか。ああ、でもこの甘えるように抱きしめてくる腕はイスラかもしれません。
 この温もりを感じていると、不思議ですね、重苦しい不快な疲労感がじわじわと抜け落ちていくようなのです。

「……ぅ……ん」

 重い瞼をゆっくり開ける。
 でも視界に映った男に驚愕しました。

「ゼロスっ……」

 そう、冥王ゼロス。
 澄んだ蒼い瞳、黒髪にある一房の青髪。この端正な相貌は忘れたくても忘れられないものです。
 そして自分がゼロスに抱きしめられたままなのに気付く。
 ぶわりっ、背筋を恐怖がかけあがりました。

「は、離してください! っ、痛いッ」

 腕を突っぱねてゼロスの腕から逃れる。でも勢い余って彼の膝上から転がり落ちてしまいます。
 打ち付けた体を庇いながら顔を上げ、息を飲みました。
 ここは玉座のような空間だったのです。
 窓しかない薄暗い空間。
 真ん中にぽつんと玉座があるだけでした。玉座の足や肘置きには冥界の蔦が巻き付いています。

「……また逃げるのか?」
「また逃げるって、いったいなんのことですっ」

 睨みつけるも声が震えていました。
 相手は冥界の冥王です。どんな目に遭うか分かりません。
 でも不意に、自分が真新しい白いローブに身を包んでいることに気が付きました。
 弄ばれた体も清められ、石鹸の香りを纏っています。
 思い出す。あの時、ゼロスが現われたのです。すぐに意識を失いましたが、たしかにゼロスでした。

「っ……」

 唇を噛んで視線を落とす。
 素肌を男たちに暴かれ、好き放題に弄ばれた恥辱。途中で助けられたとはいえ、あまりの屈辱に体が震えそうになる。
 私は震えそうな体を無理やり抑え、ゼロスに礼を言う。

「……助けていただいたことは……感謝します……」

 こうして囚われているなら、あの恥辱の場所から救い出されても現状はなに一つ変わっていません。でも助けられたことに変わりはないのです。

「花の香りに惑わされて攫われたようだ」
「…………あなたが命じたのではないのですか?」
「僕はそんな手は使わない」

 ゼロスはそう答えると玉座から立ち上がります。
 そしてゆっくりした足取りで歩いてくる。
 殺気を感じるわけではありません。でも、底知れぬ威圧感を覚えて後ずさってしまう。

「な、なんのつもりですっ。私を元の世界に帰してください!」
「せっかくここへ来たのに? ここなら約束が果たせるのに」
「約束……?」

 意味が分かりません。
 そもそも冥王となにか約束した覚えなどないのです。

「訳が分からないことを言わないでください! お願いです、私を帰してください!」
「……なんで、どうしてそんなこと言うんだ!」

 いきなり激昂したかと思うと私へ手を伸ばしてくる。
 捕まりたくなくて駆け出しました。

「い、いやです! こないでください!」

 しかし逃げたところで変わりません。窓辺で行き止まりです。
 この窓から逃げられないかと外を見て、絶望しました。
 この玉座は先ほど閉じ込められていた寝室よりも更に上階の高殿だったのです。
 地上から吹き上げる風は凄まじく、灰色の空を覆う雲は嵐の前のように流れている。とても窓から逃げられるような所ではありません。

「っ、どうすれば……っ」

 背後からはゼロスが迫っています。
 唇を噛み締めて高殿の窓から灰色の空を見上げる。
 その時でした。
 灰色の雲に覆われた空。その雲を突き抜けるようにして、たくさんの巨石が雨のように降り注いだのです。

「えっ、な、なんですかっ。わっ!」

 巨石は地上に衝突する前にすべて空中で爆散します。
 空から降り注ぐそれは、まるで星の墜落。

「喜んでくれたかな」

 ふと問われる。
 振り返るとゼロスがどこか照れ臭そうに私を見ていました。

「ブレイラが、流れ星は綺麗だって言ったから」

 無邪気な顔で私に言いました。
 意味が分かりません。
 青褪めて首を振る私に、ゼロスは途端に不機嫌な顔になる。そしてむきになった子どものように言うのです。

「言ったじゃないか、流れ星は綺麗だって! たくさん流れ星を降らすと、ブレイラは喜んでいた!」
「たくさんの、流れ星……」

 震える指先を握りしめました。
 一つだけ、思い当たることがあるのです。
 満天の夜空に、たくさんの流れ星がきらきらと一線を描いていた。息を飲むほど美しい星空。

「まさか……」

 ごくりっと息を飲む。
 あの流れ星の夜、私が一緒にいたのはゼロという少年。
 抱っこしたゼロの甘い重みと温もりを今でも覚えています。
 そして、今、私の目の前にいる冥王ゼロス。

「まさか、あなた、あなたは……、ゼロ……」
「あの夜、とても楽しかったんだ。ブレイラと二人で」

 そう言ってゼロスは微笑みました。とても、とても嬉しそうに微笑みました。
 そして私の背後に広がる灰色の空を指さす。

「見て、あそこ。次はあっち。ほら、こっちも」

 ゼロスが指さした先でスゥッと流れ星、いえ、星の墜落。
 指さした先々で星が一線を描き続ける。
 それは想像を絶する恐ろしい光景でした。

「や、やめてっ……。やめてください!」

 こんな星の墜落など見たくありません!
 私はゼロスの腕にしがみ付くようにして手を降ろさせる。
 ゼロスは不満そうに首を傾げました。

「……綺麗じゃないからかな。やはり冥界の空は駄目か……。灰色の空に流れ星が降っても綺麗じゃないから、ブレイラ、喜んでくれないね」

 ゼロスが私を見つめます。
 無邪気な子どものような顔で。そして。

「欲しいな、空が綺麗な人間界。魔界も精霊界も、全部欲しい。そこでたくさん流れ星を見せよう。そしたら、ブレイラは喜ぶ」

 紡がれた言葉に愕然としました。
 ただ、ただ恐ろしいのです。
 ゼロスの底知れぬ恐ろしさに、全身がガタガタと震えだす。
 怖いです。とても、怖い。

「もう、やめてくださいっ……。もうっ、私を、帰してください……っ」

 涙が溢れて止まりませんでした。
 震えるほどの恐怖と悲しさに何も考えられなくなっていく。寂しくて、不安で、ハウストとイスラに会いたい。ハウストとイスラに会いたいです。

「ブレイラ、泣かないで。二人で綺麗な流れ星を見ようよ」

 ゼロスが宥めるように言って、私をそっと抱きしめました。
 私の背中に回された腕は優しくて、先ほど感じた底知れぬ恐怖など微塵も感じない。優しく抱きしめられ、慰めるように髪を撫でられるのです。
 でも、窓の外に広がる景色は星の墜落。私にとっては恐怖以外のなにものでもない。

「……ハウスト、イスラ、会いたいっ……。会いたいです、ぅ……。お願いですから、帰してくださいっ……、私を、ハウストとイスラのところにっ……」
「っ、なんでだ! 魔王と勇者ばかり、どうしてっ……」

 私の震える肩にゼロスの額が押し付けられる。
 彼は叫ぶように私に訴えました。
 でも、私が冥王に何が出来るのです。私は元の世界に、ハウストとイスラのいる世界に帰りたい。

「――――いつまで自由にしておくつもりです」

 突然、背後から声がかけられました。
 その声に全身から血の気が引いていく。

「っ、……へ、ヘルメスっ……」

 そこにいたのはヘルメスでした。
 ヘルメスはニタリと笑い、私を足から頭の先まで舐めるように見る。
 背筋に悪寒が走り抜けました。蹂躙された恐怖と恥辱が甦るのです。

「任せてくれればブレイラ様を従順なメスネコにしてやれますよ?」

 ヘルメスはそう言ってゼロスに恭しく一礼しました。
 しかし震えている私に気付いたゼロスが間に立ちます。

「下がっていろ。ブレイラが怯えている」
「おや、ブレイラ様はゼロス様のお気に入りですか。実に惜しい。さっさとぶち込んで具合を確かめておくべきだった」
「ヘルメス、人間風情がゼロス様の前で下品な物言いは許されません。黙りなさい」
「これはこれはラマダ様、ご機嫌麗しく」

 薄闇の中から一人の女性が現われる。
 ラマダと呼ばれた女性は妖艶な雰囲気を纏い、素肌は奇妙なほど青白い。
 ラマダは私をちらりと一瞥するも無視し、ゼロスに向かってお辞儀しました。
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