次元境界管理人 〜いつか夢の果てで会いましょう〜

長月京子

文字の大きさ
1 / 59
第一章:見てはいけないものを見てしまった

1:時任(ときとう)先輩とお姫様

しおりを挟む
――11D、消息不明。
――HD(高次元)エラー発生。
――警戒レベル ∞(無限大)。
――影響 ∞(無限大)。





 わたしはバタバタと大学内の連絡通路を走りぬけた。これだけ広いと在学生といえども、立ち入ったことのない場所がたくさんある。

 学生みんなが特殊棟と呼ぶ校舎の標本室を目指した。
 目的は人体模型である。模型君と名付けられている、とても精巧な人形。

 本物と見まがうばかりの内臓のレプリカが、パズルのように取り外しできるらしい。

 時は学院祭間近。わたしの在籍する文学科の出し物は定番のお化け屋敷。仕掛けのために、どうしても模型君が必要なのだ。

「なんか、ちがう学校に来たみたい」

 特殊棟に足を踏み入れるのは初めてだった。しんと静謐で人気のないさまはまるで廃墟のよう。
 得体の知れない迫力に圧倒されつつ、わたしは標本室を目指す。

「わたくしを一体どうするおつもりなの?」

 突然響いた甲高い声に、私はびくりと立ち止まった。

 誰かいる。

 いや、でも関わりたくない。私は完全無視を決め込んで再び駆けだした。

「いやです! お離しなさい!」

 なんだか、只事ではない状況のような気がするけど。

「誰か!」

 声が引きつるような悲鳴になった。
 駄目だ、放っとけない。
 完全無視をとりやめ、助けを求める声に応じるように駆けだす。

「離して! 誰か!」

 悲鳴が漏れる教室の扉の前へ、足音を殺して忍び寄った。

 什器じゅうき保管室。

 幸い廊下側の窓は透明のガラスで中が見える。わたしは息を殺すようにして中の様子をうかがった。さすがに考え無しに飛び込むほど無謀な正義感は持ち合わせていない。

「誰か来て! 助けて! 衛兵!」

 教室の中をのぞいて、わたしはあんぐりする。さっきまでの緊迫感がいっせいに凪いだ。

「あ、なんだ」

 演劇部の練習か。

 煌びやかな中世風ドレスをまとった少女の後姿が目に飛び込んできたのだ。校内のあちこちで、学院祭の準備が進められている。什器保管室なら、大道具に使用する機材でも物色しに来たのだろう。ついでに演技の復習でも始めてしまったのかな。

 ほっと吐息をついて、屈めていた姿勢を正した。犯罪性がないなら、隠れる必要もない。もう一度何気なく教室の中に目を向けると、お姫様役の女性と稽古をしているもう一人の人物と目が合った。
 すらりとした長身。王子様役には申し分のない容姿。

 だけど。

「え!?」

 予想外の人影を見つけてしまい、思わず声がでた。

時任ときとう先輩?」

 教室の中でお姫様の腕を掴んだまま、先輩がさっと血相をかえた。

早坂はやさか !?」 「離しなさい!」

 先輩の声と、お姫様の声が重なる。小柄な女性はひどく演技に熱が入っている様だ。時任先輩が演劇部に関わっていた事は驚きだけど、彼の知名度と美貌なら助っ人をお願いされるのもわかる。

 私は稽古中にお邪魔をしてすみませんの意味合いで、ぺこりと先輩に会釈をして立ち去ろうとした。

「待って! 早坂!」

 先輩の声と同時に、乱暴に保管室の扉が開く。先輩はお姫様を引きずるように腕をつかんだまま、私の進路に立ちふさがった。

「待てよ!」

 壁ドンされる。

「見たな?」

「はい?」

 突然端整なお顔に迫られて、わたしは棒立ちになる。
 近い、近いよ、先輩。その美しいお顔が近すぎる!

「離しなさい! 誰か!」

 お姫様の演技はまだ続いている。そういう練習なのかな。あまりにも至近距離に先輩の顔があるせいで、彼女のことを見られない。

「誰か! たすけ――」

「ちょっと黙って!」

 時任先輩はお姫様を怒鳴りつけると、トンと首筋に手刀をお見舞いした。くらりと気を失ったお姫様を壁についていない方の手で鮮やかに抱きとめる。

「せ、先輩!?」

 気絶させるなんて、これも演技のうちなの? ん? あれ?
 お姫様役の人、本当に在学生? 本物の幼女に見えますけど。

「――くそ、まずいことになった」

 ぐったりと気を失っているお姫様を小脇に抱えて、先輩が項垂れる。

「えっと」

 状況がまったく呑み込めなくなったけど、至近距離で先輩と対峙しているのは心臓に悪い。
 わたしはそそくさとその場を立ち去ろうと試みる。

「学院祭の出し物の練習ですよね。サプライズで何かするんですか? わたし、ここで見た事は誰にも話しませんし。人体模型を取りに来ただけですので、すぐに退散しますよ?」

「――……」

 項垂れていた先輩が顔をあげてわたしを見た。何かを推し量るような、考えているような眼。
 さらりと癖のない先輩の前髪が、鼻先に触れそうに近い。

「早坂」

 近い! お顔が近い!

「おまえ、俺のことどう思う?」

「え?」

「嫌いなタイプとか、生理的に受け付けないとか、あるだろ?」

 先輩を生理的に受け付けない女子がいたら、わりと真剣にお目にかかりたい。

「先輩は――す、素敵ですよ」

 お世辞のほうが戸惑いなく言えたかもしれない。突然、本人に積年の憧れを語ることになってしまい、めちゃくちゃ恥ずかしい。声が上ずってしまい、顔に熱が集中する。

「――早坂」

「は、はい!」

「ちょっと、俺と一緒に来てほしい」

「え? でも、わたし、人体模型を持っていかないと」

 先輩はすぐにジーパンのポケットからスマートホンを取り出した。通じた先に端的に何かを伝えて、再びポケットにしまう。

「知り合いに頼んだから大丈夫。俺と来て」

 豪奢なドレスを着たお姫様を小脇に抱えたまま、先輩が固まっているわたしの腕を取った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと - 〇  

設楽理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡ やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡ ――――― まただ、胸が締め付けられるような・・ そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ――――― ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。 絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、 遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、 わたしにだけ意地悪で・・なのに、 気がつけば、一番近くにいたYO。 幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい           ◇ ◇ ◇ ◇ 💛画像はAI生成画像 自作

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...