57 / 59
第十二章:カバさんの嘔吐
57:宝物のように残ってほしい
しおりを挟む
健気な姿勢に、わたしの涙腺が緩みそうになる。瞳子さんの気持ちから、ジュゼットは何かを学んだのかもしれない。
「ジュゼットは、賢いね」
じんとこみ上げるものをごまかすように、笑って見せた。
わたしも泣かない。
わたし達が悲しむと、瞳子さんが余計に辛くなるだろうから。
「兄貴達、戻ってくる気配もないし、もったいないから先に食べようか」
次郎君が三段の重箱を開けて並べはじめた。おにぎりは半透明のプラスチック容器にぎっしりと詰められている。
「瞳子のご飯は、とても美味しいですわ」
ジュゼットがパッと幼い顔に戻る。胸に抱えていたピンクのカバのぬいぐるみから手を離すと、それはレジャーシートに転がらずに、ふよふよと浮遊した。
わ! カバさん、やっぱりまだそこにいたんだ。
「ワシ、もしかして賭けに負けるんかいな?」
「カバ、おまえ、まだ何か企んでいるのか?」
カバさんを見つけた途端、次郎君が殺気立つ。カバさんは次郎君には全く興味を示さず、ジュゼットの方へ向きを変えた。
「姫さんは、帰りたいんか?」
「――はい。今は帰らなければいけないと思っています」
「そうなんか。……ほんだら、まぁええか」
次郎君が身を乗り出して、ぐいっと浮遊するぬいぐるみを掴んだ。
「おまえは、何を企んでいるんだよ」
「そないピリピリせんでもええがな。別に何も企んでへんわ」
「嘘つけ」
「疑り深いやっちゃなぁ」
次郎君の態度は、これまでのカバさんの所業を思えば当然のことだけど、カバさんには伝わるはずもない。
「ワシは一郎と一蓮托生って言うたやろ。一郎が決めたことには抗わへん。そもそもあいつが望んだら、ワシはすぐに嘔吐やで」
「嘔吐?」
それって、お腹の中の世界を吐き戻すという意味だろうか。
「それに、ワシはついでに姫さんの願いも叶ったらええなって思ってただけや」
「ジュゼットの願い?」
「二度と帰りたくないって言うてたからな。世界がなくなったら、ちょうどええやんって」
やっぱり根本的にカバさんとは思考回路が違う。
お家に帰りたくなかったら、世界をなくしてしまえばいい。
どんな狂人の発想だろう。
「でも、そうか。姫さんは帰りたいんか」
次郎君の手から逃れて、カバさんがふよふよとジュゼットの膝の上に乗っかる。お腹の中にあるものを持って、どこかに逃げ去るような素振りはない。
ピンクのカバのぬいぐるみのまま、うっとりと大人しくなった。
「カバさんって、どうしてそんなにジュゼットの味方なの?」
方法論は途轍もなく間違えているけれど、いつもジュゼットのことは慮っている。
「味方? ようわからんけど、姫さんが笑うと面白いからな」
「面白い?」
「そやな」
わたしには理解できそうにもない。カバさんの行動基準は面白いか面白くないか。
二択で成り立っているのだろうか。
「まぁ、いちばん面白かったんは、イチローやけどな」
次郎君が鬼のような形相をしているけど、無理もない。わたしも冷ややかな目でカバさんを見てしまう。それきり大人しくなったカバさんから、瞳子さん作の豪華な重箱弁当に意識を向けた。ジュゼットと次郎君にお弁当を取り分けて、卵焼きをほおばる。
甘めの味付けは優しい。
わたしは砂浜のはるか向こう側まで行ってしまった二人の影を、視線で追った。寄り添うように重なる影。
もう何かを偽ることはなく、想いを伝え合えるはずなのだ。
一郎さんと瞳子さんは、通じ合った気持ちで何を語り合っているのだろう。
黄昏に光る波がキラキラと輝いている。まるで想い合う二人を祝福しているかのように切なく美しかった。
波打ち際に立つ二人。絵画のように綺麗な情景。
忘れたくない。
いつか瞳子さんが教えてくれたように。
(全てがなかったことになっても、気持ちは残っているんじゃないかって。結びつく記憶がなくなっていても、心の中にだけは、何かわからないまま、でも宝物のように残っているんじゃないかって)
できればそんなふうに心に残ってほしい。
今、この瞬間の気持ち。
宝物のように。
そう願わずにはいられなかった。
――AD(全次元)、カウントダウン。
――1。
「ジュゼットは、賢いね」
じんとこみ上げるものをごまかすように、笑って見せた。
わたしも泣かない。
わたし達が悲しむと、瞳子さんが余計に辛くなるだろうから。
「兄貴達、戻ってくる気配もないし、もったいないから先に食べようか」
次郎君が三段の重箱を開けて並べはじめた。おにぎりは半透明のプラスチック容器にぎっしりと詰められている。
「瞳子のご飯は、とても美味しいですわ」
ジュゼットがパッと幼い顔に戻る。胸に抱えていたピンクのカバのぬいぐるみから手を離すと、それはレジャーシートに転がらずに、ふよふよと浮遊した。
わ! カバさん、やっぱりまだそこにいたんだ。
「ワシ、もしかして賭けに負けるんかいな?」
「カバ、おまえ、まだ何か企んでいるのか?」
カバさんを見つけた途端、次郎君が殺気立つ。カバさんは次郎君には全く興味を示さず、ジュゼットの方へ向きを変えた。
「姫さんは、帰りたいんか?」
「――はい。今は帰らなければいけないと思っています」
「そうなんか。……ほんだら、まぁええか」
次郎君が身を乗り出して、ぐいっと浮遊するぬいぐるみを掴んだ。
「おまえは、何を企んでいるんだよ」
「そないピリピリせんでもええがな。別に何も企んでへんわ」
「嘘つけ」
「疑り深いやっちゃなぁ」
次郎君の態度は、これまでのカバさんの所業を思えば当然のことだけど、カバさんには伝わるはずもない。
「ワシは一郎と一蓮托生って言うたやろ。一郎が決めたことには抗わへん。そもそもあいつが望んだら、ワシはすぐに嘔吐やで」
「嘔吐?」
それって、お腹の中の世界を吐き戻すという意味だろうか。
「それに、ワシはついでに姫さんの願いも叶ったらええなって思ってただけや」
「ジュゼットの願い?」
「二度と帰りたくないって言うてたからな。世界がなくなったら、ちょうどええやんって」
やっぱり根本的にカバさんとは思考回路が違う。
お家に帰りたくなかったら、世界をなくしてしまえばいい。
どんな狂人の発想だろう。
「でも、そうか。姫さんは帰りたいんか」
次郎君の手から逃れて、カバさんがふよふよとジュゼットの膝の上に乗っかる。お腹の中にあるものを持って、どこかに逃げ去るような素振りはない。
ピンクのカバのぬいぐるみのまま、うっとりと大人しくなった。
「カバさんって、どうしてそんなにジュゼットの味方なの?」
方法論は途轍もなく間違えているけれど、いつもジュゼットのことは慮っている。
「味方? ようわからんけど、姫さんが笑うと面白いからな」
「面白い?」
「そやな」
わたしには理解できそうにもない。カバさんの行動基準は面白いか面白くないか。
二択で成り立っているのだろうか。
「まぁ、いちばん面白かったんは、イチローやけどな」
次郎君が鬼のような形相をしているけど、無理もない。わたしも冷ややかな目でカバさんを見てしまう。それきり大人しくなったカバさんから、瞳子さん作の豪華な重箱弁当に意識を向けた。ジュゼットと次郎君にお弁当を取り分けて、卵焼きをほおばる。
甘めの味付けは優しい。
わたしは砂浜のはるか向こう側まで行ってしまった二人の影を、視線で追った。寄り添うように重なる影。
もう何かを偽ることはなく、想いを伝え合えるはずなのだ。
一郎さんと瞳子さんは、通じ合った気持ちで何を語り合っているのだろう。
黄昏に光る波がキラキラと輝いている。まるで想い合う二人を祝福しているかのように切なく美しかった。
波打ち際に立つ二人。絵画のように綺麗な情景。
忘れたくない。
いつか瞳子さんが教えてくれたように。
(全てがなかったことになっても、気持ちは残っているんじゃないかって。結びつく記憶がなくなっていても、心の中にだけは、何かわからないまま、でも宝物のように残っているんじゃないかって)
できればそんなふうに心に残ってほしい。
今、この瞬間の気持ち。
宝物のように。
そう願わずにはいられなかった。
――AD(全次元)、カウントダウン。
――1。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
Husband's secret (夫の秘密)
設楽理沙
ライト文芸
果たして・・
秘密などあったのだろうか!
むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ
10秒~30秒?
何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。
❦ イラストはAI生成画像 自作
『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと - 〇
設楽理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡
やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡
――――― まただ、胸が締め付けられるような・・
そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ―――――
ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。
絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、
遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、
わたしにだけ意地悪で・・なのに、
気がつけば、一番近くにいたYO。
幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい
◇ ◇ ◇ ◇
💛画像はAI生成画像 自作
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる