キスをする5秒前~kiss.kiss.kiss~

秋野 林檎 

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1章 葉月と樹

樹・・・手を伸ばす。

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『それは…笑っている顔じゃないですよ』…か…


俺は…俺の代わりに泣いてくれる、優しい葉月ちゃんの頭に手をやった…茶色くて、ふわふわとした髪の手触りは、葉月ちゃんの柔らかな心みたいで、苦しくて、言葉が発せなかった俺の口は、癒されるように言葉が溢れでて…

「俺…好きだったんだ。弟の許婚と知っていても……好きだったんだ。」



『樹は、私の長い黒髪が好きなのね。』
そう言っていた彼女の黒髪に触れたのは…もう…昔。
違う手触りに…流れた月日を感じ…葉月ちゃんの頭を撫でていた手を止め

「17歳のガキにすべてを捨ててついて行くなんて…あり得ないことだとわかっていた。でも、そうやって攫ってしまいたいほど、堪らなくらい好きだったんだ」

葉月ちゃんは…黙って俺を見ていた。その瞳の強さに、俺は苦笑し…

「でも…見事に振られた…

養子として、本家に連れてこられた自分と、久住の家の嫁として育てられた彼女。久住家と言う化け物に、振り回される同じ運命を背負った彼女なら…きっと…この寂しさをわかってくれると思っていた。彼女がようやく…見つけた俺の居場所だと思った。

でも、そのひと
『私は生まれた時から、籠に入れられて、いずれ久住家の当主の嫁になると言われ、育てられた小鳥なの。外の世界では生きてゆけない。』と…言って『無理』って笑ったんだ。

バカばかしい、いったい、いつの時代。と葉月ちゃんは思うだろうなぁ。
でもあそこだけが、久住家の中だけ時間が止まってるんだ。

その流れを変えたかった。
だから俺は彼女に、なんにもできないガキのくせに、
『久住と言う伏魔殿から、一緒に逃げよう。待ってるから、俺…駅で待ってるから…』と言って、抱きしめて、何度も好きだと言って…キスをし…彼女から『無理』と言う言葉を言わせなかった。いや、聞きたくなかった。

俺は、彼女を救うつもりでいたが、本当は彼女に、救って欲しかったのかもしれない。どこにも居場所を見つけられない俺を…俺の存在ごと抱きしめ、『ここがあなたがいる場所』だと言って欲しかったんだ。

でも…彼女の中にも、俺の居場所はなかった。」


葉月ちゃんの頭の上に置いた手が震え、俺は…そっと葉月ちゃんの頭から手を引き、震える手を見られたくなくて拳を作った。

「10年前のあの日、俺はいつまで待っても現れないそのひとを、駅で待っていた。だけどさすがに5時間たって…あぁ、やっぱり来ないんだと思った時、これから先、自分はどうしたらいいのかわからなくて、駅の構内を彷徨っていた。誰も受け止めてくれないこの体が、心が、苦しくて…辛くて…寂しくて…笑い方を思い出せなくなっていた。…どこかに忘れてきたんだろうな。」

葉月ちゃんの眼が大きく見開き…大きな眼から…またひとつ涙が零れていった。

頬を伝う綺麗な涙に…そっと触れ…

『樹…』
と言って泣いた人の頬を伝う涙も…こうやって拭ってやったことを思い出したが、頭を大きく振って、その影を飛ばそうとしたが…耳元でまたあのひとが…俺の名前を呼ぶ声が聞こえ…

「だめなんだ…」と小さく呟き…葉月ちゃんを見た。

「あの日、駅に現れなかったのが、あのひとの答えだとわかっているのに、でも、まだ会う勇気が出ないんだ。会ってしまったら俺の心は、どうなるのかわからなくて…あのひとの心を無視して、あのひとを攫おうとするかもしれない。まだ…俺の中で、10年前が終わっていないんだ。もう…終わらせたい。もう…終わりたい。」

何も言わず唇を噛み、これ以上泣かないと言っているような、葉月ちゃんの顔を見て、俺は…こんな少女のような子に…何を言ってるんだと思うと、情けなくて…葉月ちゃんから眼を逸らした。だが、小さな手が俺の両頬を包み込み、視線を逸らす事をさせてくれなかった。

「…私も…2年前、この花見中央で彷徨ってました。同じ……ですね。」

「…えっ?…」

「もう、二度と笑う事などないと思ってました…でも、今は毎日…笑ってます。呆れるほど…毎日です。」

そう言って、俺の頬を軽く引っ張って…

「久住さん、この間笑ってましたよ。すごく楽しそうに…すごく綺麗な笑顔で…だから…久住さんは笑い方を忘れてなんかいません。」

「葉月ちゃん…」

「だから私、お誘いを受けたパーティに行きます。
その方に会える勇気が出るように、久住さんの背中を押してあげます。
笑えないのなら、こうやって頬を引っ張ってあげます。だから…まだ、心の中で、どこに行ったらいいのかわからなくて、彷徨っている10年前の久住さんがいて…不安で堪らないのなら…手を…私に伸ばしてください。もう、心を自由にしてあげるために…終わらせましょう。」

そう言って、まだ眼元に残る涙を拭うと、葉月ちゃんは笑って、俺に手を伸ばした。

彼女は…無敵だ。

この笑顔は、俺に笑顔を…、そしてその先には、幸せと言うものがあると、信じさせてくれる。

受け止めてくれる小さな手に…俺はそっと…震えながら手を伸ばした。
葉月ちゃんは笑って…俺の手を力一杯握ると

「任せてください。今の久住さんの手も、10年前の久住さんの手も…絶対離しませんから!」

10年前、苦しくて…寂しくて、助けて欲しくて伸ばした手に…今ようやく握り締めてくれる人が現れた気がした。



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