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5 新学期③
しおりを挟むウィノナー様の事も、亜人の事も気になって後ろ髪を引かれたけれど、次の講義は魔法学なので、私は荷物をまとめて席を立った。同じ教室を使って行うのは応用のSクラスで、基礎のFクラスの私は旧棟に行かなくてはならない。
『水』のウェルシュタイン家の方を中心としてくすくすと笑われながら、私は教室を出た。
学園は歴史深く、幾度となく増築と増強を繰り返されているから道が複雑だ。旧棟への行き方もひとつではなくて、私はいつもなるべく人に会わないように裏道を使っている。
あまり整備されていない裏道を歩きながら、私はふと気が付いた。他国の王子と王女が間もなくこの学園へと来るからだろうか、衛兵がいつもよりも多い気がする。
今、大陸でレディからの支持が厚い、新進気鋭のデザイナーによって作られたライトブルーのワンピース姿は少し草の生えた裏道を歩いているとかなり目立つようで、衛兵からの視線を感じる。
私は足早に教室へと向かった。
*
学園は、魔法とは何か魔力とは何かということを学ぶところではなくて、魔法の制御について学ぶところだ。だから、制御するほどの魔力を持たない者にはそもそも不必要な機関で、魔力の少ない者の基礎クラスは数人ほどしか生徒がいない。
生徒の9割は標準のBからEクラスに所属していて、残りの1割は上級のAと応用のSクラス。Sクラスはほぼ全員が5属性の家の関係者だ。
Fクラスのみ、生徒数が少ないので1年生から3年生まで合わせてで1つのクラス。
「それでは、今学期も、輪読を、致します」
老いた教授が教壇に立ち、繰り返し読んでいる本の輪読が始まった。10歳程度の子供向けの本はこう始まる。
『まほうのすべては、まりょくりょうによってきまります』
今回冒頭のその文章を読んだのは、『雷』のサンデルセン家の親戚筋に当たる3年生の方だ。ウェイバー様とは従兄弟という関係だと聞いたことがある。
彼は嫌々読み上げて、席についた後私の方を見てふん、と鼻を鳴らした。
「……はい、よろしい。ええ、今ありましたように、魔法は、魔力に拠るもの。過ぎたことは、できませぬ。皆さんには自分の魔力量を知って、その中で、何が出来るかを考えて頂きたい。
過ぎた魔法を使うことは、身を滅ぼすのです」
先程の男性がもう一度鼻を鳴らした。うるさい、とでも言うように。
「それでは、みなさん、それを踏まえて休み中の課題であった『自身で行使可能な魔法の最大化』について、発表を。まずはエルルーナ嬢から」
*
講義が終わって、私は本棟へと戻っていた。
この後はランチタイムで、私はいつも裏庭のベンチで本を読みながら食事を頂いているけれど、今日はとても暑く、そろそろ外で食べるのは難しいかもしれない。
日陰を求めもう少しだけ壁に沿って歩くと、足元でがさりと言う音がした。
「な……に?」
尖った草木の中に、ふわふわとした毛糸玉のようなものが転がっている。
でも毛糸玉ではない。ぴんと伸びた2本の耳と、くりくりと開かれた瑠璃色の瞳がそこにあった。
丸まった鳥か、生まれたばかりのうさぎかと思ったけれど、きっとどれとも違う。図鑑でもこんな生き物は見たことがない。
きっと本当は真っ白な毛並みなのだろうけど、泥や枯れ葉が巻き付いて茶色になってしまっている。それに、ケガもしているようだ。
「だい、じょうぶかしら?」
そっと持ち上げてみると羽のように軽く、生き物ではないのかと疑ってしまう。だけど、ぶるぶると震えているし、とくとくとした鼓動も感じる。やっぱり、生きている。目は合うけれど、光はなく今にも消えてしまいそうだ。
可哀想になって、手当てのできる場所へ連れていこうと思った。このまま放っておいたら大きな鳥に狙われてしまいそうだ。
「失礼ですが、そちらのお嬢様」
不意に話しかけられて、咄嗟に私はその不思議な生き物を背後に隠した。昔、屋敷の庭園で野良の子猫を助けようとしてお母様に大層怒られたことがあるのだ。
振り返ると、衛兵が二人立っていた。
「私はライアス=ヴァーデンと申します。このような裏道で何をしていらっしゃるのでしょうか?」
「……講義の、帰り道でございます」
背後にある旧棟を指し示すと、ライアス=ヴァーデンと名乗った衛兵は片方の眉を動かした。旧棟でも講義を行っていることを知らなかったのだろう。こんなところで?と小声で呟いている。
「……左様でいらっしゃいますか。失礼ですが、この辺りで、見慣れない生き物を見られませんでしたか?」
思わず、背中に隠した左手に力を込めそうになった。あまり表情に出ない性質のおかげか、不審には思われなかったようだけれど。
「大きさは片手に収まる程度なのですが」
「…………どうして、その様なものを探していらっしゃるのかお聞きしても宜しいでしょうか」
二人組の若い方の男性が、それは、と続けた。にやにやと笑いながら。
「魔族の使い魔なのですよ。見付けたら光魔法で焼き切るのです」
「おい、ジョン」
軽々しく言うな、とたしなめる。私は魔族?と頭の中で疑問を浮かべた。それと共に目の前の衛兵に対して不信感を覚える。
「失礼。今の話はどうぞご内密に。それで、見てはいらっしゃいませんか?」
私はとても躊躇ったけれど、こくりと頷いた。
昔助けられなかった野良猫は、その後鳶につつかれて死んでしまったわよ、と使用人に笑いながら言われた。
「そうですか。大変危険ですので、見掛けられましたら私共にすぐにお伝えを。それでは」
衛兵が去って、私もすぐにその場を去った。嘘をついてしまったから、心臓が嫌な動き方をしている。何とか抑えるようにして、着いた裏庭で手の中の生き物をもう一度眺めた。
魔族という言葉がちらちらとしたけれど、力なく開かれた瑠璃色の目を見てやっぱりと思った。
魔族や、魔族の使い魔は皆全て等しく瞳に五芒星が刻印されていると聞いている。古い書物には必ずそう書かれているのだ。
だけど、この子の瞳には五芒星は無かった。
日陰に入ってどう治療すれば良いのだろうと思っていると、先ほどまでぐったりとしていた身体がのろのろと動き始めた。そのままゆっくりと動いて、私の髪の下に入るような格好になった。ちょうど、影ができるところに。
「……きゅ」
「そんなところだと、うまく休めないわ。こっちにおいで」
手の平を示すけれどその子はもっと奥へと動き、ぴょん、とひとつ跳ねた。
「もしかして、暗いところがいい、の?」
「きゅ」
そう、とでも言うように身を震わせた。
「陽が当たっていたからあんなに辛そうにしていたのね」
「きゅ、きゅ」
そう尋ねると、ぴょんぴょんと元気に弾み始めた。髪の毛に身を絡めるようにして動くので、その姿が可愛らしくて少し笑ってしまった。きっと、本当はこんなに元気な子なのだ。
「あなたは、魔族の、じゃなくても使い魔……なのよね。どなたの使い魔なの?お家はどこにあるの?帰れるの?」
「きゅ?きゅ、きゅ!」
何かを動きで示そうとしているようだけど、私には分かってあげられない。高度な魔法を用いれば使い魔を得る事ができるけれど、使い魔が常に姿を現し続けるには膨大な魔力が必要になると聞いた事がある。少なくとも、身の回りで使い魔を持っている方の話は聞いたことがない。
「今、もう少し暗くしてあげるね」
私は辺りを見回して誰もいないことを確認すると、その生き物にそっと手を重ねた。
魔力の少ない私が唯一使える魔法がこれだ。
「闇を纏えダーク」
お腹の奥底からごっそりと力が抜け落ちて、手のひらから熱いものがこぼれ落ちていく。湧いた湯が溢れていくような、そんな感覚は何度行っても慣れる事はない。
私の手から闇が現れ、その子を包んだ。その中できゅ、きゅとまた跳ねているようだ。
ダークは闇魔法の初級魔法。本来は視界のみを奪う魔法だけれど、少しだけ調整すれば人ひとりぐらいを覆うぐらいの闇に広げる事ができる。
だけど、瞬きを3回ほどする間に、ぽろぽろと端からこぼれ落ちていくように闇は消えてく。同時に、途方もないほどの疲労感が襲ってきた。魔力切れのサインだ。
「……どう?少し元気に、」
なれたかしら、とは続けられなかった。眩いほどの白の毛並みに、宝石のような瑠璃色の瞳を輝かせたその子は、流れるような速さで天へと昇った。その子が飛んだ軌道には、きらきらと星屑のようなものが散り、青い空を星空に変える。
「きゅっ、きゅっ」
数度私の周りを回って、それから柔らかな毛を頬に当てると、真っ直ぐ飛んで行った。小さな体はすぐに小さくなっていき、やがて消えた。
たった一瞬での変貌に少し驚いてしまったけれど、真っ直ぐ飛んでいった姿を見て、主人の所に帰ったのだなと思った。
ちゃんと帰るべき所に帰れますように、と心から思った。
*
しばらく待ってあの子が帰ってこないのを確認して私はすぐにその場を去った。
もうお昼休みが始まっていて、本棟のカフェテリアは混み合っていた。ランチセットを注文してフロアを見回したけど、出遅れたから席はない。やっぱり外で食べるしかないのかな、と外に出ようとして思い切り転んだ。
「あらまあ、どうされましたの?そんな地べたに這いつくばって」
「……アーリア様」
『水』のアーリア様とウェルシュタインの分家筋の方々が見上げた先に立っていた。
「基礎クラスは如何でしたの?今日も仲良く皆様で本を読まれたのでしょう。楽しそうで何よりですわ」
「旧棟の方は何やら衛兵も多くて、てっきりFクラスのどなかたが授業中に失・敗・でもされたのかと」
くすくす、とさざ波のように笑いが広がる。広いカフェテリアの中、何事かと足を止める生徒もいるけれど、それがアーリア様と私と言うことに気が付くと、何だ、とそのまま去っていく。
「……何をしている」
「フィリップ殿下……!」
はっと、アーリア様が顔色を変えられた。普段殿下はカフェテリアで昼食は召し上がっていないので、まさかいらっしゃるとは思っていなかったのかもしれない。
「こんなフロアの真ん中で何の騒ぎだ」
殿下の目は真っ直ぐ私を捉えていた。その後ろには大きな目をぱちぱちと瞬かせているリリーの姿。
「……転んだ、のです」
「転ぶ?こんなところで?」
「ねえさま、制服に紅茶が染みてしまってぐちゃぐちゃ」
リリーがハンカチを出そうとしたのを、小さな声で大丈夫、と止めた。
アーリア様は殿下の矛先が向かなかったため、安堵したような微笑みを浮かべている。
「振る舞いも成っていないのに、国賓を迎えられるのか……」
ため息をつきながら殿下がそう言って、リリーが小首をかしげる。
「国賓とは、どなたのこと?」
「ああ、リリーにはまだ言っていなかったな。間もなく、彼のアリラハ国の王子と王女が来るんだ。正式な交流は100年以上無く、お迎えするに当たって王家としてパーティを開くことになる」
「まあ、素敵。知らない国のかたを迎えるってとても素敵。楽しみ」
「もちろん、リリーもパーティに招くよ。だから体調は大事にしないと」
「はあい」
その話の流れで、私は話を察した。
「父上からの命だ。お前も、参列するようにと」
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