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ハンドル・ミー・イフ・ユー・キャン! Subに転生したら相棒警察犬がDomだった話
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死を、いつか必ず来るものと思って日々を過ごしていると、いざその瞬間が訪れても大して恐怖を感じないものだ。
デイルは、死をもたらすものが自分の肉体を引き裂いてゆくのを感じた。いくつもの弾丸は、最初はただの衝撃としか感じられない。防弾チョッキに阻まれても、無防備な脚を貫通しても、その違いはわからない。
だが、まるで慈悲のような無感覚の一瞬を過ぎれば、それは熱と、激しい痛みに変わる。
──これが、ルークが味わったのと同じ痛みか。
そんなことを考えながら、デイルはその場に頽れた。背後にはパトカーがあり、前方には犯行現場があった。警察に包囲され、追い詰められた麻薬の売人が最後の賭けに出たのだ。手当たり次第に銃をぶっ放しながら、バイクに飛び乗り逃走を図った。
賭けに勝ったのは、あちらの方だ。
「ジャクソン!」
相棒──カレン・フォスター巡査が、自分を呼んでいる。傍らに屈み込み、負傷の程度を確認していくほどに、彼女の目の中の恐れが重たい確信に変わってゆく。
カレンは固く、わずかに震える声で無線に呼びかけた。パトカーの認識番号を繰り返した後、今までに聞いたことが無いほどの早口で告げる。
「巡査一名が負傷! 逃亡を図った容疑者からの銃撃を受けた。デイル・ジャクソン巡査が現場で重傷──」
バイクのエンジン音が遠ざかる。
「犯人を追え」
デイルはなんとか、そう口にした。
「俺はいいから、犯人を。バイクのナンバープレートは、八、四、八、三だ」
だが、カレンの耳に届いていたかどうか。彼女は必死の形相で、デイルの太ももを押さえている。彼女の手のひらの下から、温かい液体が、心臓が鼓動する度に漏れ出しているのを感じた。
身体が体温を失いつつあるのを自覚しつつ、デイルは大きなため息をついた。「やれやれ、まいったね」とでも言いたげな、おかしみさえ感じられそうなため息を。
「こんなことなら、君をもっと早くデートに誘うべきだった」
「黙ってて、デイル」
これが、ふたりの間でのお決まりの冗談だった。カレンもデイルも異性愛者ではない。だからこそ、余り者同士で相棒を組まされたのだと言っては笑っていた。
今、笑っているのはデイルだけだった。
「カレン」
朦朧とする意識の中で、デイルは言うべき言葉を探した。
ルークもこんな風に、俺を安心させる言葉を探していただろうか。もしも言葉を話せたなら、彼は何を言おうとしただろう。
──俺は、何を言うべきだろう。
「元気でな」? それとも「死は終わりではない」か?
遺されたものにどんな言葉をかけたとしても、気休めにしかならないのは良くわかっている。だから、ただ、こう言った。
「カレン、幸せになれ。長生きしろよ……」
カレンがなんと答えたのかはわからなかった。駆けつけた救急車のサイレンが、彼女の言葉をかき消してしまったからだ。
音が、痛みが、すべての感覚が遠ざかる。
死を、いつか必ず来るものと思って日々を過ごしていると、いざその瞬間が訪れても大して恐怖を感じない。まるで、幼い頃、母親に寝かしつけられた時のような安らぎさえ感じる。
最後に脳裏を過ったのは、「これで、ルークのいるところへいけるだろうか?」ということだった。
こうして、ラーストン市警のデイル・ジャクソン巡査は殉職した。
◆ ◇ ◆
デイルが目を覚ましたとき、それが『あり得ない』ことだとは、すぐに思い至らなかった。
眩しい光に目を瞬きながらも、負傷の有無を確認し、周囲の状況を確認しようとする。
自分は仰向けに寝そべっていて、頭上には青空、身体の下には草地がある。雨が降った後なのか、草はしっとりと濡れていた。
何処にも怪我はしていないから、無理やりのされて、野外に捨て置かれたわけでもないらしい。
なら、どうしてこんな野原で寝てるんだ? 飲み過ぎて公園で夜を明かしたのか──記憶を遡ろうとした瞬間、怖ろしい頭痛を伴って、記憶が戻ってきた。
銃弾。カレンの声と手。流れ出てゆく血。そして、無。
自分は死んだ。間違いない。
「嘘だろ……」
デイルは身を起こし、自分の身体を触ってみた。撃たれた場所には痛みも、傷跡もない。
近くの地面に、水たまりがあった。覗き込んでみると、他ならぬ自分と目が合う。金髪に、緑色の瞳。やや中性的な面立ちのせいで、舐められないように振る舞うのにいつも苦労していたが、それもそのまま、少しも変わっていない。
──俺は、何かを見逃したのだろうか?
死体安置所に降臨するUFOとか、海の向こうで巻き上がる銀色のベールだとか、神の前に立って存命中の悪事を並べ立てられるシーンがあったのに、それを覚えていないだけなのだろうか?
「ここは、何処なんだ……?」
よろよろと立ちあがって辺りを見回してみるが、だだっぴろい野原にいると言うこと以外、何もわからない。
何かの気配を感じたような気がして振り向くと、デイルの身長の倍はありそうな高さの巨石があった。なにかの記念碑のようにも見えるが、刻まれた碑文はない。
ストーンヘンジの立石の一つが、たまたま迷子になってここに居るような感じだ。
観光名所になりそうな雰囲気があるが、周囲にはわずかな踏み分け道が伸びているだけで、看板もベンチも、人影もない。
その時、遠くから音が聞こえた。ドドド……という重たい音に耳を澄ませているうちに、それが馬の蹄の音だと気付く。
──とすると、ここは牧場か?
「デイル!」
蹄の音に乗って、誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
デイルはホッとして、大きなため息をついた。自分のことを探していた者がいるのだ。
聞き覚えの無い声だが、きっと捜索隊か何かの一員なのだろう。デイルは両手をあげて叫び返した。
「おーい! 俺はここだ!」
「デイル!」
声の主が、巨石から伸びる踏み分け道の奥に現れた。
馬上の人影が三人。だが、遠目からでも牧場経営者でないことはわかった。
デイルの声を聞きつけた人影が、こちらに向かってくる。三人の騎手が近づけば近づくほど、デイルの疑念は膨らんだ。
その男たちが牧場経営者でない事は確かだが、捜索隊にも見えなかった。普通の人間らしい格好さえしていない。
まるで十八世紀の時代劇で見るようなコートと下穿きを身につけ、シャツの首元にはクラバットが結ばれている。
──俺は、映画の撮影現場にでも紛れ込んだのだろうか? それで、この異常な状況の説明がつくだろうか?
デイルは必死で考えようとしたが、思考は鍋の中のスパゲッティのように無秩序で、まとまらない。
三人の男たちは、狼狽えて立ち尽くすデイルからほんの数メートルのところまでやって来て、馬を下りた。
良く見ると、三人の男たちの服装はまったく同じだ。濃紺のコートに、アイボリーの下穿き。帽子には揃いの徽章が刺繍されている。なにかの制服のようだ。
「ルキウス隊長、この男で間違いありませんか」
「ああ」
隊長と呼ばれた男が、前に進み出る。
男は濃いブラウンの短髪に、明るい茶色の目をしていた。凜々しいとか、精悍という言葉がまず思い浮かぶ。決然とした真面目そうな瞳とは裏腹に、口元の印象は柔和だった。開けっぴろげな笑みが良く似合いそうだ。
「デイル・ジャクソン」
男がそう口にする。疑問形ではなかった。断言している。だが、彼と会うのはこれが初めてのはずだ。
デイルは訝しみながらも頷いた。
「ああ……あんたは?」
男はそれには答えず、背後で待機していた部下を振り向き、こう言った。
「彼の身柄はわたしが預かる。お前たちは先に街に戻れ」
部下はわずかに躊躇いの表情を浮かべたものの、従順に頷いて、鞍に跨がった。
「それでは、我々は本部で待機しています」
彼らはそう言うと馬首を転じて、来た道を戻っていった。
部下が充分遠ざかるのを待っているらしく、隊長はその背中をじっと見つめている。
デイルはと言えば、この状況を理解しようとすることに疲れはじめていた。自ら考えるより、目の前の男に説明してもらった方が早そうだ。
遠ざかる蹄の音が聞こえなくなった頃、痺れを切らしたデイルはもう一度尋ねた。
「なあ、あんた……俺を知ってるみたいだけど、前に会ったことがあったか?」
すると、男は振り向いた。しかも、満面の笑みで。その目には眩しいほどの歓びが輝いていた。
身構える間もなく、男の身体が近づいてくる。
本能的な危機感を覚えて、デイルの腰が引ける。
「ちょっ、何だよ──」
「デイル……!」
まるで、十年来の友人と再会するような調子でこちらの名前を呼んでいるが、こちらとしてはまったく身に覚えが無い。今までベッドのお相手だろうが、事情聴取の相手だろうが、一度見た顔は忘れないのがデイルの特技だったはずなのに。
いや、確信を持って言える。この男との面識はない。
ただ……どことなく既視感はある気がする。
明るい茶色の目──その目に何故か、胸を突くほどの懐かしさを感じる。
男の抱擁を拒むかどうかの判断に躊躇したのは、その不思議なデジャ・ビュのせいだった。
「デイル、やっと会えた!!」
次の瞬間、デイルは彼の腕の中にいて、強く抱きしめられていた。
身長一九〇センチ近い男の体躯が迫ってくる直前、彼の帽子が地面に落ちた。デイルは彼の頭のてっぺんに、フワフワとした三角形の耳を見た。
「おい、何する──!」
これは夢かと疑う前に、男の両腕が肩に回され、息が苦しくなるほど思い切り抱きしめられる。
彼は両脚でぴょんぴょんと跳ねながら、歓びを抑えきれないというように、デイルの頬に頬ずりをした。
「ああ、あなたの匂いだ!」
遠慮無く首筋の匂いを嗅がれて、思わずゾクゾクする。何が何だかわからないままに、混乱したデイルは咄嗟にこう口走っていた。
「待て!」
その瞬間、男はハッと身を強ばらせて身を離すと、その場に直立した。犬のような両耳が、頭の上でピンと立つ。
続けて、デイルは言った。
「座れ!」
これにも、男は当然のように従って、その場に座る。まるで……犬そのもののように。彼は次の命令を期待するように、まっすぐな目でデイルを見上げている。
彼がいつも、そうしていたように。
「まさか…………」
あまりにも馬鹿げていると思いながらも、デイルは尋ねた。
「ルーク、なのか……?」
すると彼は、喜びと感激と、彼の心に火花をもたらす、ありとあらゆる感情が殺到したような表情を浮かべて、立ち上がった。
「そう、そうです! 俺は、その……!」
言葉が見つからないのか、それとも言葉にならないのか、彼はわなわなと震えながら、縋るような目でデイルを見つめた。
「あなたにもう一度会えるなんて、夢みたいだ……!」
「でも……」
デイルは、混乱と目眩とでおぼつかない頭をなんとか回転させて、こう言った。
「でも、お前は犬だったはずだろ!!」
◆ ◇ ◆
デイルは、かつてラーストン市警の警察犬隊に所属していた。
相棒はオスのジャーマンシェパード。名前はルーク。
警察犬のハンドラーは、一人と一頭でバディを組み、車に乗り込んで市内をパトロールする。人間と犬とが同じ家に暮らし、寝食を共にする。正真正銘の相棒だ。
爆発物の探知や麻薬の探知など、警察犬として訓練された犬には得意分野がある。ルークには麻薬探知の才能があった。
あるとき、デイルはパトロール中に本部からの無線を受けた。銃を所持した麻薬の売人が、警官の制止を振り切って逃走中だという。
「今日は運がいいぞ、ルーク」
後部座席にいるルークが、デイルとルームミラー越しに目を合わす。犬は鏡の構造を理解しないという者もいるが、ルークは普通の犬とは違う。
「追いかけっこの準備はいいか?」
尋ねると、ルークは待ちきれないと言わんばかりに一声吠えた。
「よーし。その意気だ、相棒」
警察犬隊に所属しているハンドラーの大半が、自分の相棒はそんじょそこらの犬とは違う、特別な一頭だと思っている。デイルにとってのルークもそうだった。
純粋無垢で、遊び好き。優しくて賢く、忠誠心に満ちた、世界で一番の犬だ。
デイルは署内でも名の通った遊び人で、決まった相手を持たずに色んな相手と逢瀬を重ねてきたが、一度だってルークをないがしろにしたことはなかった。
ビビッときた相手と一、二時間のお楽しみを味わった後は、まっすぐにルークの待つ家に帰って、二人と一頭で水入らずの時間を過ごした。献身的すぎる、と揶揄されることもあった。「デイル・ジャクソンは犬の尻に敷かれてる」と言われさえした。
それでも、ルークが自分に寄せる絶大な信頼と愛情を前にすると、デイルは歓びと綯い交ぜになった後ろめたさを感じるのだった。
これほど混じりけの無い愛を、自分はルークに与えてやれているのだろうか、と。
その日、本部からの指示に従って車を着けた場所には車を乗り捨てた跡があった。パトロール中の警官に車を停められた犯人は、トランクを調べられそうになったところで車を急発進させたそうだ。十数分に及ぶ追跡の末、犯人は車を捨てて、廃倉庫に逃げ込んだ。
デイルは、車のすぐ外にあった足跡を指さした。
「ルーク、捜せ」
警察犬のコマンドはドイツ語やチェコ語など、外国語を使用するのが一般的だ。ルークはデイルの指示を聞くやいなや、足跡の匂いを嗅いだ。しばらく鼻をフンフンと言わせた後で、キッと顔を上げて歩き出す。
「よし、いいぞ!」
倉庫はすっかり荒れ果て、今では家のない中毒者達が薬を打ったり、セックスをしたりするための場所になっていた。
ルークとデイルは、床に転がる注射器やパイプを踏まないよう、慎重に進んだ。ところどころ穴のあいた天井から光が差し込み、汚れた床の上に水たまりのような日だまりを落としていた。
去年の暮れ、ヘロイン工場への大規模な手入れが行われた。激しい銃撃戦の末、界隈を支配していた売人グループのトップと、その部下たちが死んだ。後釜を巡って、市内ではギャングによる縄張り争いが活発化していた。
その時、視線の端で何かが動いた。
「ルーク、警戒しろ」
デイルに寄り添ったルークが、さっと耳を動かす。その方向を振り向くと、暗がりに男が立っていた。銃を構え、こちらに狙いをつけていた。
手にしたリードから、ルークの緊張が伝わってくる。
ルークを動揺させないよう、デイルは努めて、緊張を表に出さないようにした。
「銃を置け。そうすれば、こちらも君を傷つけない」
男は若かった。まだ十代だろう。影の奥で見開かれた目には恐怖が宿っていた。地元の年長者に言われるがまま、麻薬ビジネスに引きずり込まれてしまったのだろうか。治安の悪いこの街で、そういう子供は珍しくない。
行き当たりばったりにここまで逃げてきたが、この先どうすればいいか、まったく見当がついていないのだ。
「銃を置くんだ。もうすぐここに応援の警官がやってくる。そうしたら、君は包囲される。勝ち目はない」
男の表情は変わらなかったけれど、デイルの言葉を一言一句漏らさずに聞いているのはわかっていた。
銃を構えた手の、肩にこもっていた力が、ほんのわずかに緩む。
──いいぞ。
それから一インチ、もう一インチと、銃口が下を向く。
その時、倉庫のドアを蹴破って、応援の警官がやって来た。
「銃を下に置け!」
威圧的に怒鳴られた男は、反射的に、下げかけていた銃口をあげた。その瞬間、デイルは、男との間にある数メートルの距離を跳び越えて、銃口の黒々とした深淵を覗き込んでいた。
その時、ルークが前に飛び出した。
「ルーク、駄目だ──!」
防弾ハーネスを纏った、小さな背中があっという間に遠ざかる。ルークはロケットのように男に突進し、腕に噛みついた。
そして六発の銃声が、がらんどうの倉庫にこだました。そのうち二発は犯人が射ったもの。残りの四発は、駆けつけた制服警官が放ったものだった。
男はその場に頽れた。ルークはそれでもまだ、男の腕に噛みついて放そうとしない。デイルは男に駆け寄り、床に落ちた拳銃を確保してからルークのハーネスを掴んだ。
「ルーク、放せ! もういい、もう大丈夫だ!」
毛を逆立てて唸るルークは、最後に数度、犯人の手首を振り回したあとで口を離した。
制服警官が男に駆け寄り、負傷の程度を確認する。応急処置の末、犯人は外で待機していた救急車に搬送されていった。
これで、ひとまずは一件落着だ。
「まったく、お前ってやつは──」
デイルが血気盛んな相棒を労おうとした時、異変に気付いた。
ルークの身体に、力が入っていない。ひどく震えている。
「ルーク?」
しゃがみこんで、身体に手を這わす。右手が温かいもので濡れた。光にかざして確かめるまでもない。血だ。それも、大量の。
ピィ、とルークが鼻を鳴らす。自分の身に何が起こっているのか理解できず、怖がっているようだ。
「ルーク、ルーク、大丈夫だ。大丈夫だからな」
自分の声が震えていることに気付いたが、どうしようもなかった。
デイルはルークの身体をそっと抱え上げ、倉庫の外へと走った。
「重傷だ! 警察犬が重傷を負った!」
救急車に駆け寄ると、そこには売人が寝かせられたストレッチャーがあった。
「いますぐ病院に連れて行ってくれ! 重傷なんだ。頼む」
すると、救急隊員が前に進み出た。わずかに掲げられた両手を見て、デイルは、彼がルークを引き取ってくれるのかと思った。だが、その手は拒絶を示した。
「すでに人間が一人乗ってる。犬は一緒に載せられない」
その言い分に、どうやって抗議したのか思い出せない。
救急隊員は確かに同情するような顔をしてみせたが、優先されるべきは人命だと、はっきりとそう言った。それが規則だから、と。
「この近くに病院は? 動物病院はないのか!?」
周囲の景観に、野次馬に、手当たり次第に尋ねてみるけれど、答えはない。腕の中のルークの呼吸が速くなっていくのを感じた。
「頼む! 誰か助けてくれ!」
その時、同僚が、デイルの肩に手を置いて、こう言った。
「ジャクソン……せめて穏やかに逝かせてやれ」
無力感が胸を貫き、デイルはその場に頽れた。
アスファルトの地面にルークを降ろすと、彼は感謝するようにゆっくりと尾を振った。
「ルーク、ルーク、ごめんな……」
プロに徹して、涙を堪えるなんてことはできなかった。ルークは誰よりもデイルを信じ、愛したために死んでゆくのだ。
だが、デイルを見上げる彼の目に、それを後悔する気持ちは少しも無いようだった。舌をだらりと垂らし、浅く深い呼吸を繰り返しながらも、デイルから片時も目を離さない。
「ルーク……!」
やがて、すこしずつ呼吸が弱まり、目から光が消えてゆく。
「ルーク、待ってくれ、行くな」
彼は最後に一度だけ、ピィと鼻を鳴らした。二人きりの時間、デイルに甘えるときにそうしたように。
「ルーク?」
返事はなかった。いくら呼んでも、ヒゲの一本さえ震えることはなかった。
「ルーク……ああ……!」
デイルは、もはや痛みを感じなくなったルークの身体を抱きしめて、身体が空っぽになるまで泣いた。
その様子がSNSで拡散されると、テレビのニュースで取り上げられた。その後行われたルークの葬儀では、人間の警察官と同じように、棺に国旗がかけられ、弔砲まで鳴らされた。
デイルは、もう涙を流さなかった。こんな立派な儀式も、お涙頂戴の報道も、すべては茶番だと思った。
そして葬儀から二週間後、デイルは警察犬隊からの異動を願い出た。そして、死ぬまでの五年間、犬とは無縁の生活を送ってきた。
◆ ◇ ◆
「それで……元気でしたか、デイル?」
ルークはビールらしき液体が入った、木のジョッキをデイルの前のテーブルに置いた。
あの後、ルークはデイルを酒場に連れて来ていた。周囲はがやがやと騒がしいが、おかげで気が紛れた。
かつて自分の相棒だった警察犬が、人間の姿で自分に酒を奢ってくれるという、異常すぎる事態にもさほど驚かずにいられるのは、ここに来るまでにルークが説明してくれた、さらにとんでもない経緯を飲み込んだ後だからだ。
「まあ、そこそこ元気だったよ。薬の売人に打ち殺されるまでは」
キツい皮肉に、ルークは悲しげな目をしてみせる。
「それは気の毒に」
けれど、彼は気を取り直したように表情を明るくした。
「しかし、ここでこうして再会できたんですから。よかったですね」
「まあな……」
どうやら、ここは死後の世界らしい。
人が死ぬと、その魂は次の次元へと旅をする。そうして行き着くべき世界は無数に存在していて、ここはその中の一つなのだという。神話を信じていた頃の人間が、冥界とかヴァルハラと呼んだのは、こういう世界のことなのかもしれない。
この国は『ウェシリア』と呼ばれている。王が国を治め、魔法中心のテクノロジーで社会が回っている。大きな国では無いが、安定した平和を保っているという。
周囲は、妙な格好をした連中で溢れていた。チュニックや革鎧を身につけ、武器を身に帯びた戦士風の者から、ローブをはためかせて歩く学者風の者、めかし込んだ貴族のような者まで、さまざまだ。
ルークのように、身体の一部に動物の特徴を有している者もめずらしくなかった。耳や尻尾、牙に鉤爪。翼が生えた者もいる。酒場の主人がトカゲ人間だったのには、さすがに面食らったが。
移動手段は当然のように馬で、酒場の前には馬を繋いでおくための柵と、水飲み場が用意されていた。
街には武具屋に防具屋、魔法小間物屋が並び、薬屋のショーウィンドウには当然のように魔法薬が陳列してある。
まるっきり、ファンタジーの世界だ。
ここで産まれて死ぬ者がほとんどだが、ルークやデイルのように、よその世界から飛んできた魂が受肉することで二度目の生をうける者も、ごくごく稀にいるという。中にはルークのように、前の生とは異なる姿を結ぶこともあるそうだ。
つまり、デイルは元の世界で死に、この異世界へとやってきたと言うことだ。
死の間際、カレンに向かって言おうとした『死は終わりではない』というジョークを思い出す。まさかあれが真実だったとは、二重三重にたちの悪い冗談だ。
とは言えこんな状況でも、ルークと再会を果たせたことを喜べないわけではなかった。
ルークは、こちらではルキウスという名で通っているようだ。ルキウス・ケイナイン──警察犬のルーク。そのままだ。
彼は今、満ち足りた表情でデイルの前に座っている。改めてみると、彼は犬だった頃のルークにそっくりだった。顔つきが、というのではなく、雰囲気が似ているのだ。ふとした拍子に口もとから舌を覗かせ、ハッハッと楽しげに息を弾ませそうな気さえした。
「お前が元気そうで、良かったよ」
デイルは無意識にルークの頭に手を伸ばした。すると彼は、デイルが頭を撫でやすいようにひょいと頭を下げ、両耳をぺたりと倒した。
自分がしようとしていたことに気付いて、デイルはあわてて手を引っ込めた。
「悪い」
ルークも同じように、少し恥じ入ったような表情を浮かべた。
「こちらこそ。つい癖で──」
その時、デイルとルークの目があった。その瞬間の、なんとも言えない一体感──心を和ませる馴染み深さに、デイルは、自分をまごつかせる全ての事実を脇に追いやり、心の底からの笑みを浮かべた。
「やっぱり、お前はルークなんだな」
「はい」
ルークは、にっこりと微笑んだ。犬だったときに比べると幾分控えめだったけれど、その眼差しは紛れもなくルークものだ。
彼の目を見ていると、どういうわけか不安が消える。
デイルは、ジョッキの中の飲み物に口をつけてみることにした。香草で香り付けをしたビールらしい。癖のある味だが、美味しかった。
少し緊張がほぐれて、この状況の『良い面』に目を向ける余裕が出てきた。
「それで、お前の方はどうしてた? 隊長って呼ばれてたけど」
「実は……あなたと同じような仕事をしています」
デイルは眉を上げた。
「警察ってことか?」
「まだ発足したばかりで、あちらの世界ほど立派なものではありませんが」
ルークも、自分の分のジョッキから酒をのんだ。
「王命を受けて、領内で起こった事件の捜査や、治安維持を担当しています。俺はご覧の通り、犬としての性質を持ったまま転生したので、相変わらず鼻が利きますし」
「そいつはすごいな」
その時、ルークがちらりと上目遣いでデイルを見た。大好きなガムをねだるときの顔とそっくりだった。
「どうした?」
おもわず、彼のハンドラーだったころと同じ尋ね方をしてしまう。
甘やかすような口調に反応したのか、ルークの耳がわずかに倒れかける。が、気を取り直したらしく、耳は再びピンと直立した。
「実は、あなたに話さないといけないことが……」
その時、酒場のドアが勢いよく開く音がした。振り向くと、いかにも柄の悪そうな四人連れの男たちが入ってくるところだった。
彼らはやかましい音を立てて酒場のど真ん中の席に腰を下ろすと、我が物顔で給仕を呼びつけ、あれこれ注文をし始めた。
「どの世界でも、ああいう連中には事欠かないな……」
デイルが言うと、ルークはこくりと頷いた。彼の目元は緊張に強ばったまま、胡乱な客を見つめている。
警察犬としての訓練を一緒にはじめた時、ルークは他者への警戒心を抑えるのに苦労していた。訓練が進むにつれ、警戒すべき人間とそうではない人間の区別をつけられるようになった。今彼が浮かべている表情は、訓練をはじめた当初の彼を思い出す。
「ルーク、大丈夫だ。ただのごろつきだよ」
安心させようと、ルークの手に触れようとしたときだった。
ごろつきの一人が立ち上がり、高らかに告げたのだ。
「来い!」
その瞬間、デイルの意識がぐらりと揺れた。
「な……んだ、これ」
頭が重くなり、身体がムズムズと疼く。発せられた命令に従わなければ──それがあたかも生理的欲求であるかのように感じる。
「俺……行かないと──」
「デイル、まさか……!」
ルークが狼狽したように呟き、デイルの手を握った。と同時に、さっきの男がまた、大声で言う。
「来い! 売女ども、今すぐにだ!」
自分の意志とは無関係に、身体が勝手に反応して立ち上がろうとする。
「デイル、いけません」
ルークが一層強くデイルの手を握る。そうしている間にも、店内に居た給仕や、他の客の相手をしていた娼婦たちが、ふらふらと男たちの元へ集まっていく。
「これ……何なんだ」
デイルは、自分の身体が波間に揉まれるブイのように翻弄されているのを感じながら、なんとか尋ねた。
「気分が悪い……頼む。少しの間だけだから、行かせてくれ──」
その時、ルークがゆっくりと、断固とした声で告げた。
「デイル、待て」
その瞬間、今までとは比べものにならないほどの力を感じた。大きな手が身体全体を包み込み、生かさず殺さずの力加減で押さえつけられているかのような──。
その命令に従うのは、とても自然で、当然のことのように感じた。
「ルーク……俺に何をしたんだ?」
混乱を露わにしたデイルに、彼はこう説明した。
「この世界では、人びとにある特性が与えられることがあります。他者に命じる性と、それに従う性です。あの連中は支配性のようです。そして──」
ルークは同情と、それ以外の、名状しがたい強い感情を湛えた目でデイルを見つめた。
「あなたは、従属性の性質を得たようですね」
「従属性……ってのは?」
「支配性《ドム》が発した命令に従うことで、高揚感を得る性質を持つ者です。命令への抵抗力が弱いと、操られてしまう危険がある」
「そんな……」
とても理解が追いつかないと思うのに、肉体の方はさっそく、その説明を受け入れてしまっているようだった。
ごろつきの命令に従わなければと感じたのは強迫観念に近い感覚だったが、ルークのコマンドに従う時には、一切の抵抗を感じなかった。命令に従うと、満たされる。多幸感さえ覚える。
理解が深まるほどに、恐怖も感じた。
こんな性質が存在する世界で、どうやって自分の身を守れるというのだろう。
その時、ごろつき連中の一人が、また大声で命令を発した。
「服を脱げ、女ども!」
また、吐き気にも似た切迫感がデイルを襲う。シャツのボタンに指をかけなければと思うと同時に、そんなことは死んでもやりたくないと思う。本能と理性のせめぎ合いに、胃がキリキリと引き絞られるようだった。
ルークが席を立ち、デイルの肩に手を置いて、耳元で囁いた。
「デイル、俺を見て」
顔を上げると、ルークと目があった。優しくも頼もしい、明るい茶色の瞳が、デイルを鼓舞するように微笑んだ。
彼はデイルの顎を指先でそっと撫でると、こう言った。
「いい子です、デイル」
溺れそうなほど甘い戦慄が、全身を駆け巡る。まるで、肌の表面にいくつもの小さな花が開いたような感覚だった。
「お前は……支配性《ドム》なのか」
ルークはこくりと頷いた。そして、彼はデイルの顎から手を放し、乱痴気騒ぎを繰り広げているごろつきの席へと歩いて行った。
デイルはその姿から目を離せなかった。
ルークが前に立つと、男たちの声のトーンがわずかに下がる。膝の上に給仕の娘を乗せた一人が、ルークの格好をじろりと睨んで、こう言った。
「なんだ。ギゼラ殿下の飼い犬部隊が、俺たちに何の用だ? 仲間に入りたいってか?」
その冗談に、残りの男たちがドッと笑う。
「合意なく命令を使うことは禁じられている」
ルークが、冷静な、だが力強い声で言った。
「命令なんて大げさな。俺たちはただ、娼婦を呼んだだけだぜ」
彼らのまわりには、確かに派手なドレスを着ているものも居るが、数人は給仕の女性も混ざっていた。命令は、相手を選ばずに無理やり従属させる力を持つらしい。
「命令には、前もって当人同士の合意が必要だ」
ルークは辛抱強く繰り返してから、男の膝の上に腰掛けた女性に声をかけた。
「貴女はこの男と取り決めをしたか?」
娘は無言のまま、首を横に振った。
「なにをしちめんどくせえことを抜かしやがる。従属性の娼婦なんざ、命令に従うくらいしか脳がねえってのに──ほら、踊れ!」
すると、女たちは操り人形のように席を立ち、その場でぎこちなく踊り始めた。デイルの足もソワソワとおちつかなげに動いたものの、ルークの声の残響を思い出して、何とか抗うことができた。
今や酒場の客たちの耳目は、ルークとごろつきたちの対決に注がれている。フロアの片隅で楽隊が奏でていた音楽は調子はずれになり、時折不協和音が混ざっていた。
「もういい」
ルークが命じると、女性たちは動きを止めた。
「店の奥に避難していなさい」
すると、彼女たちは無言で頷き、カウンターの裏へと小走りで逃げていった。
「おい! 何を勝手に──」
立ち上がりかけたごろつきにのし掛かるように、ルークが距離を詰め、見下ろす。彼が男を睨み付けた瞬間──その目を見た瞬間に、金属音に似た耳鳴りが、デイルの頭蓋を貫いた。
「……っ!」
固いもの同士が擦れ合うような音を聞いた気がした。それから、一方にひびが入り、砕けるような音も。
それは厳密には音ではなかったかもしれない。第六感のようなもので、そう感じただけだったのかもしれない。だがデイルは確かに、今の勝負で勝ったのはルークの方だと理解した。
ごろつきは慌てふためきながら席を立ち、そそくさと店を後にした。
騒ぎが落ち着くと、ルークは店主を呼び、男たちが出した損害をその場で補填した。そして、次からは最初に命令を使用した時点で店から放り出すようにと指導した。
そしてようやく、ルークがデイルのところに戻ってきた。
「一人にしてしまってすみません──デイル? どうかしましたか?」
デイルは、さっき耳にした奇妙な音が、まだ身体の中で反響しているような気分の悪さに襲われていた。まっすぐ座っていられず、机に突っ伏しかけている。
ルークはハット息を呑み、慌てはじめた。
「ああ、しまった。すみません。俺の威圧を浴びてしまったんだ!」
グレアが何のことなのか、尋ねる気にもならない。
「あー……そうだと思う」
ルークは、さっきごろつきに対して見せた毅然とした態度をかなぐり捨て、オロオロと辺りを見回した。
「休める場所を確保しますから、待っていてください!」
彼は大慌てで、店主に話をつけてから戻ってきた。酒場の二階にある宿の部屋を取ったと言うので、ふらつく身体を支えてもらいつつ、階段を上った。
部屋は、小さなベッドと衣装箱が置かれているだけの質素なものだった。だが、こちらの世界に来てから休みなく異様な現実を注ぎ込まれ続けたデイルにとっては、天国のように安らげる空間に見えた。
ルークはデイルをベッドに寝かせると、その傍らに腰を下ろした。
「さっきは、すみませんでした」
ルークの耳は頭に張り付くほどぺたりと寝てしまっている。あまりにも悄然としているので、デイルは思わず笑った。
「正直、何を謝られているのかもわからない」
デイルの笑顔を見て、ルークの耳がほんの少し立ち上がる。
「命令を使うことが許されるのは、事前の合意がある場合だけです。このウェシリアでは、そんな当たり前のことが長い間無視されてきました。しかし、俺が使えるギゼラ殿下は、そのことを憂い、変えようとしておられます」
デイルは「ああ」と呟いた。
「警察のような仕事……って、そういうことか」
ルークは頷いた。
「はい」
彼の毅然とした仕事ぶりは、惚れ惚れするほどだった。彼の治安維持隊は発足して間もない組織だと言うが、とてもそうは思えない。
「立派だったよ、すごく」
ルークは小さく息を呑んで、嬉しさを隠し切れない様子で身じろぎした。だが、すぐに真面目な表情に戻った。
「支配性や服従性といった性力学が関係する事件の捜査と、治安維持が俺の仕事……なんですが」
彼は再び反省の色を浮かべた。
「誰よりも厳格に掟を守るべき俺が、あなたの合意を得ずに命令してしまった……おかしな感覚だったでしょう? もう二度としませんから」
気付くと、デイルはルークの腕を握っていた。
合意さえ結べば、あの感覚をまた味わえるのかもしれない──そう思ったら、手が勝手に動いていたのだ。
ルークの目が、デイルに注がれる。次の命令を待って、信頼を湛えた瞳でデイルの顔を見上げていた。昔のままの眼差しが、そこにあった。
「合意って、具体的には?」
「合い言葉を決めると言うことです。一種の呪文で、それを口にすると結界が生まれ、全ての命令は力を失います。それでも無理強いしようとすれば、支配性は肉体的苦痛を味わうことになる」
「なるほど。それなら──」
一瞬、考え無しに、「合い言葉を決めよう」と口走りそうになる。
けれど、踏みとどまった。
命令と服従で繋がれた関係が、ルークをどんな運命に追いやったのかを思い出したせいだ。
彼は苦痛に満ちた死を経て、この世界で新しい人生を得た。新しい仕事につき、新しい人間関係を育んでいるようだ。居場所があり、地位もある。彼には新しい未来があるのだ。
それなら、ここで再び自分が関わって、彼を昔に引き戻すのは……ルークのためにならない。
「色々と、ありがとうな」
昔のように「相棒」と呼びそうになったが、それも堪えた。
ルークは、転生してきた人が最初に行くべき場所をいくつか教えてくれた。生活の支援をしてくれる部署もあるという。移民局のようなものだろうか。それなら、生活の基盤を整えて自立することもできそうだ。
ルークと関わりを続けることを自分に許したとしても、彼を責任感や同情や、他の何かで縛るような存在にはなりたくない。だから早いところ、ここに自分の居場所を定めなくては。
だが、とりあえず今日のところは、泥のように眠ってしまいたい。
デイルの疲労を見て取ったのか、ルークが微笑んで言った。
「宿代は払ってありますから、今夜はここでゆっくり休んでください。俺は……仕事に戻らないと」
「ああ。わかってるよ、ありがとな」
ルークは部屋を立ち去りかけたものの、名残惜しそうに振り向いた。
「あの……また、あなたに会いに行きます。いいですよね?」
元の世界では、こういう状況でメールアドレスの交換やらなにやらをして、互いに連絡を取る方法を確保できたが、ここではどういう仕組みなのか、よくわからない。
「俺の居場所がわかるなら」
彼を束縛したくない気持ちも手伝って、つい消極的な返事をしてしまう。すると、ルークはフフ、と微笑んだ。
「俺にはわかりますよ。あなたがどこに居ても」
そして、部屋を出ていった。
デイルは大きなため息をついて、目を閉じた。
身体は疲れ切っていたけれど、意識は妙に冴えていた。まるで、大変な事件を担当した直後のようだった。短期記憶のフラッシュバックが脳裏に閃いては消えてゆく。
その時ふと、脳裏に疑問が浮かんだ。
あのとき、まるで待ち構えていたみたいに、ルークはデイルを迎えに来た。
──俺がこの世界に来ることを、彼はどうやって知ったんだ?
その答えに思いを巡らす前に、デイルは眠りに落ちていた。
†
犬として生きるのは幸福だ、とルークは思う。よい飼い主に恵まれれば尚のこと。
犬には、過去に頭を悩ますことも、先のことを思い煩う必要も無い。今この瞬間の喜びと悲しみ──そして愛が全てなのだ。
デイルが骨の形の玩具を投げてくれる時の喜び。デイルと離ればなれでいる時の悲しみ。デイルが自分を見つめて微笑んでいるときに感じる愛情。それが、犬として生きていた頃のルークの全てだった。
世界はデイルを中心に回っていて、それ以外のことは全て余白に散らばったガラクタに過ぎない。(中には、興味を惹くガラクタもあったけれど)
ルークにはデイルが居れば良かった。ルークはデイルのもので、デイルもまたルークのために存在するのだと確信していた。
デイルとこの世界で再会できたときには、その直感は間違っていなかったのだと思った。
転生者は、次元の間に起こる嵐に乗ってやってくる。運命に導かれ、異界の扉である、森の中の巨石に、その者たちは流れ着く。
前触れは、王宮勤めの占い師のところに訪れる。天啓が占い師を呼び、占い師が水晶玉を覗き込むと、次にこの世界にやってくる者の顔を見ることができるのだ。
五年に一度あるかないかという頻度で訪れる転生者の噂を、ルークが耳にしたのは偶然だった。
『ルキウスの次にやってくる者も、やはり同じ世界の者らしい』
占い師の話では、先に転生した者との縁の強さに引きずられて、前世での縁者がこちらにやってくることがある、と言う。
ルークの、デイルへの思いの強さを思えば、少しも不思議では無かった。だからこそ、ルークは時限嵐の前兆を待った。
占い師が次の転生者を見出してから、実際にその者がやってくるまで、どれくらいかかるのかはわからない。
そう早くなければいいという気持ちもあった。仕事を全うし、すっかり年老いてからの再会でも、嬉しい。とにかく、再び会えるのならどんな形での再会だって構わなかった。
だが、転生はルークが思っていたよりも早かった。つまり、デイルは若くして死んでしまったという事だ。自分と同じように。
占い師が転生者の到来を告げたとき、ルークは誰よりも早く、巨石の元へ駆けつけた。
扉に近づくほどに濃くなってゆく懐かしい匂いに、ルークは運命の導きを感じた。ふたりが一緒にいるのは正しいことなのだと思った。
道半ばで命を落とした者同士、今度こそこのウェシリアで、幸せに生を全うできるはずだ、と。
今でも、そんな風に確信できていたら良かったのに。
あれから二年。あの再会から、二年もの月日が過ぎてしまった。
今やルークの『確信』はさび付き、埃にまみれて心の片隅に転がっている。
ルークがついたため息を聞きつけて、馬に乗って前を進んでいた部下が、鞍上で心配そうに振り向く。
「お加減がわるいのですか?」
「いや、大丈夫。少し寝不足ぎみなんだ」
ルークは安心させるような微笑を浮かべてみせた。部下はホッとしたように頷き、また前へと視線を向けた。
「現場はあちらです」
「ああ」
部下に案内されるまでもなかった。現場には、すでに多くの人だかりができていた。先に駆けつけていた部下が保全を担当していたものの、この人出では、残された証拠も、手がかりとなる臭跡も弱まってしまっただろう。
街の無法ぶりを嘆く第三王女ギゼラ殿下の命により、治安維持隊が組織されてから六年になる。ウェシリアでは、これが初めての公的な法執行機関だ。ルークは隊長として、思い出せる限りの前世の記憶に頼って組織を導いてきたが、自分を含めた隊員の練度も、街の住民の理解も十分とは言えない。
手綱を引いて馬を下りる。
そこは街の裏通りの入り口で、昼日中でも薄暗い界隈の、さらに暗い一画だった。
貧しい住民が多く住むこのあたりでは、傾きかけた集合住宅を補強するついでに、更に上階を増築する。そのせいで、危なっかしく傾いだ建物が互いに寄りかかり合うように並んでいた。
人混みを掻き分けて路地に入ると、予想していたとおりの光景が広がっていた。
身を縮めて蹲ったままの、若い女性の遺体だ。
一見したところ外傷はないが、一方の手で膝を、もう一方で頭を抱えている。それでも身を守ることはできなかった。彼女を殺したものは、彼女自身の中に存在していたのだから。
「また、被支配性虚脱症による死者ですね」
部下が陰鬱な声で言った。
服従性虚脱症とは、服従性と、充分に信頼関係を築けていない支配性との間で行為が行われた後などに発症する。服従性の者が行為後に充分なケアを受けず放置されると、無力感や虚脱感に苛まれ、最悪の場合は死に至る。
衣服の乱れを見るに、ここで何らかの行為が行われていたことは明白だった。
ほつれた髪から垣間見える口元には真っ赤な紅が引かれていた。他の犠牲者と同じように、彼女もこのあたりで身を鬻いでいたのだろう。
「これで、今月に入って三人目か……」
服従性虚脱症自体はそう珍しいものではないが、死亡するほど深刻な症状は珍しい。それが、今月だけで三人もの犠牲者を生み出している。
──ギゼラ殿下はお喜びにならないだろう。
ルークはため息をついて、部下に証拠の保管と遺体の搬送、周辺の住民に聞き込みをするよう指示を出した。
「後ほど本部で落ち合おう」
「隊長はどちらへ?」
ルークはもう一度、今度はさっきよりも重いため息をついた。
「助っ人のところだ」
事件現場からそう遠くないところに、『シスリー印刷』の看板を掲げた建物がある。地上階と地下室は印刷屋のものだが、ルークが目指しているのは、二階にある小さな貸店舗だった。
階段を一歩ずつ登っていく足取りは重い。ドアに打ち付けられた木の板に、インクで『ジャクソン探偵社』と書いただけの看板が出ていた。
ノックする前から、ルークの鋭敏な聴覚には、二人分の寝息が聞こえていた。
今日百度目のため息をついてから、ルークは扉を叩いた。
「デイル?」
返事はない。今度はもっと大きな声で呼んだ。
「デイル! 起きてください!」
重い物が床に落ちる音がした。それから、ずるずると何かを引きずる音。よろめく足音が近づいてきたと思ったら、ドアが開いた。
「……なんだ」
饐えた匂いと、それから、紛れもないセックスの残り香が鼻をつく。ルークは、鼻に皺を寄せないように自分を抑えた。
「お話を伺いたいことが。入ってもいいですか?」
デイルは返事をする代わりに呻き、ドアを大きく開けた。
事業主の風貌とは裏腹に、〈ジャクソン探偵社〉の事務所は片付いている。デイルは店舗の奥に向かって歩きながら、客を応接するための長椅子で眠っている、若い男の脛をぽんと叩いた。
「おい、そろそろ出て行ってくれ」
男は眠そうに呻きながら身を起こすと、ルークの存在に気付いて身を竦ませた。
「うわっ、なんで治安維持隊が!?」
歯を剥き出しにして唸り声を上げたかったが、どうにか堪える。
「お前に用は無い。さっさと出て行け」
男は慌ただしく靴をはき直し、乱れた服を直す間も惜しんで、事務所を出て行った。
また、ため息が出る。
かつてのデイルも、こういう……その場限りの、だらしない関係を好んでいた。知らない男と、欲望の残り香を纏って家に帰ってくる度、ルークの心はかき乱されたものだった。
あの時ルークが感じていたのは、純粋な嫉妬と独占欲、自分の所有物に他人が触れた時に感じる怒りでしかなかった。
でも今は……彼を独占したいと想う気持ちに、別の意味が加わっている。犬と人間の間にあった深い溝が無くなった今は、彼を独り占めした後のことさえ望めてしまう。
だからこそ、彼と会うのは気が重いのだ。可能性があるのに手が届かないと知るのは、一層絶望的な気分をもたらすから。
「それで、今度はどんな事件だ?」
ルークがこれまでの事件の概要を話すと、デイルはふむ、と呟いて執務机に寄りかかった。
「それでお前は、これが単なる事故じゃ無いと思うんだな?」
「はい」
ルークは頷いた。
「しかし、死ぬほど強力な服従性虚脱症を起こさせるほど力の強い支配性は珍しいのです。にもかかわらず、現場に残された匂いは、全て別人のものでした」
「つまり、服従性虚脱症を起こさせたのは支配性じゃなく、別の何かのせいだ、と」
デイルは、それに続く答えを期待するようにルークを見た。
「魔法薬の一種ではないかと……これは、俺の推測に過ぎませんが」
デイルは頷いた。
「うん、そうだな。俺もそんな気がする」
「去年から、服従性の神経をなだめ、服従性陶酔へと導きやすくするための媚薬が出回りはじめました」
服従性陶酔とは、信頼し合った服従性と支配性とが行う行為の最中に起こるものだ。服従性が己の心身を支配性に委ねることで、命令への服従が強烈な陶酔感をもたらすようになる状態のことを言う。
そして、被害者たちに死をもたらした服従性虚脱症は、しばしば服従性陶酔の反動として発生する。
「当初は効き目が弱かったのでそれほど警戒していませんでしたが……」
「薬物中毒者は、より効き目の強いものを欲する」
デイルが言った。
「薬で無理に起こされた服従性陶酔なら、死に至るほど強力な揺り戻しがあってもおかしくないな」
ルークは頷いた。
「現場に共通する手がかりは?」
「ほとんどありません」と、ルークは力なく首を振った。
「被害者が売春を行っていた事以外は……」
うーん、とデイルは唸った。
「聞き込みを続けていますが、収穫と言えるほどのものも無くて」
「そのかっちりした制服で話を聞こうとしても、難しいだろうな」
デイルは小さく微笑んでから、独り言のように呟いた。
「薬を流通させているやつが居るのは間違いない。だが、ウェシリアにメキシコのカルテルは存在しないし、組織的と言ってもたかがしれているだろう。生産者も売り手も規模が小さいなら──」
「小さいなら、何です?」
そこで、デイルは顔を上げ、物思いから醒めたように瞬きをした。
「いや、なんでもない」
それから、彼は立ち上がると、ゆっくりとルークに近づいた。
ルークは、今はもう存在しない尻尾が振れるような感覚を味わいつつも、真面目な表情を保った。
「こういう捜査の時、俺たちはまず金の流れを追った。売人を見つけるんだ。そうすれば、一番深い根っこがどこにあるかもわかる」
「はい」
デイルは凄腕の捜査官だった。
ラーストン市警の中でも、警察犬隊に配属されるのはエリートだけだ。その能力は、この世界でも少しも衰えていない。
訪ねてくる度に違う男を連れ込んでいようとも、探偵としての彼を頼る客が途絶えないのがその証拠だ。こちらの世界に来てほんの二年で、デイルは生活の基盤を整えただけでなく、自立し、確固たる評判まで手に入れた。
治安維持隊が法執行機関として未熟なのは、ルーク自身が痛感している。これまで多くの事件を解決してきたし、以前に比べて街の治安は良くなった。けれど、それは警察犬としての能力を活かせるルークがいるからこその結果だ。
この組織を、自分がいなくなった後にも存続させ、貢献できるように育て上げるには、まだ力不足だった。
「デイル……気持ちは変わりませんか?」
おずおずと切り出すと、デイルは肩をすくめた。
「治安維持隊に入れって話なら、気持ちは変わってない。俺は一人で動くよ」
拒絶されるとわかっていても、やはり胸が痛んだ。
この上、どうしてなのか理由を説明して欲しいとせがんでも、また別の拒絶を味わうことになるだけだ。
ルークは諦めて、暇乞いをした。
「ご協力に感謝します……デイル」
「ああ。気をつけろよ」
探偵事務所の外に出て、ドアを閉めた後も、ルークはもう少しだけそこに立ち尽くして、デイルの残り香と、彼の鼓動の響きの中に身を置くことを許した。
──俺はもう、デイルに必要とされていない。
彼と会うたびに、その事実が身体中に突き刺さる。
この世界にやって来て──人として生きるようになって十年以上が経った。胸を張るべき立場と実績を積み、肩書きにふさわしい責任を負っても居る。
それなのに、デイルを前にするとまだ、犬だったときの自分が息を吹き返す。かれに笑いかけて欲しい。構って欲しい。骨の形の玩具を投げて欲しい。彼が与えてくれる幸せをただ享受したいと願いそうになる。
──だから……そう。これでいいのだ。
ルークは、自分に言い聞かせた。
この前と、さらにその前にもそうしたように。
けれど、デイルとの道はもう分かれたのだと、何度自分に言い聞かせてみても、己の未熟さをいいわけにして彼を訪ねてしまう。
きっと、この事件が解決するまでにまた、あのドアを叩くことになるのだろう。
ルークはもう一度ため息をついて、治安維持隊の本部への帰途についた。
†
ドアの向こうでルークの足音が遠ざかるのを、デイルは静かに聴いていた。
ルークが隊長を務める治安維持隊は、警察機構としての黎明期にある。隊員の数は十人ほどと小規模だが、事件の検挙数だけを見れば悪くない。おまけに、住民からの評判も上々だ。
権力を与えられた集団が、むやみやたらに力を振りかざすような事態に陥っていないのは、ルークがよい隊長だからなのだろう。
彼に幾度となく、治安維持隊への参加を誘われていたが、デイルは固辞し続けた。
組織に属すれば、後ろ盾を得ることができる一方で、自分の言動にルールが適用されることになる。
ルールは、それが課された者に自制を促す一方で、守るべきものとそうでないものに線引きをするものでもある。
人命を優先することで、犯人の逮捕に貢献したはずの犬の命が簡単に使い捨てにされる。これも、ルールの弊害だ。
だからこそデイルはウェシリアで、自分でルールを決められる仕事を選んだ。
選択肢は他にもあったとは思う。警備員だとか、酒場の用心棒とか、街のど真ん中にある立派な城の衛兵になる道もあった。けれど、無数の手札の中から『探偵』を選んだのは、この仕事に多少なりと言えども、ヒロイズムを追求する余地があるからだった。
窓から通りを伺って、ルークの姿が無いことを確認する。
空はわずかに翳り、夕暮れ時が近いことを告げている。
動き出すには、いい時間だった。
ラーストンで麻薬の捜査をしていた頃、デイルが相手にしていたのはいわゆる『大物』たちだった。
市内に工場を構え、何百人という売人を抱えた密売組織のバックについていたのは、主にメキシコのカルテルだ。
連中は組織を細分化し、簡単には上までたどり着けないように何重にも警戒線を張っている。そういう手合いを相手にするには、金の流れを追うのが最も効果的な方法だ。麻薬で儲けた金を洗浄するルートを見つけては潰し、資金難に追いやって弱体化させてゆくのだ。
だが、麻薬が国家予算並みの大金を生むビジネスになる前までは、麻薬の取り締まりと言えばおとり捜査だった。
近年、おとり捜査は末端の売人を何人か吊り上げるだけのものになってしまったが、法執行機関と同じく犯罪組織も未成熟なウェシリアでは、昔ながらの手法にも活躍の余地がある。
おとり捜査の有用性をルークに伝えなかったのは、これが危険で、神経を削る方法だからというだけではない。
今回の事件でおとりになるには、服従性である必要があるからだ。
デイルは、事務所の看板に『本日の営業は終了しました』の札を下げた。
そして、小綺麗な服をくたびれたボロに着替えてから、見苦しくないコートを羽織った。
日が落ちて、街灯に魔法仕掛けの灯がともるころ、事務所の裏口から人通りも疎らになった通りに滑り出た。
探偵という仕事をしていると、後ろ暗い商売が街のどこで行われているかといった情報を手に入れるのは容易い。
街の外れにある貧民街の一画に、打ち棄てられた病院がある。外壁には蔦が蔓延り、屋根には穴があいていた。窓という窓は破れ、風雨にさらされたカーテンは幽霊のように窓辺に揺れている。
たとえ昼日中に見たとしても気持ちのいい光景ではないが、夜、まばらな街灯の明かりにぼんやりと浮かび上がる景色は、この街の影そのものだった。
廃病院を監視できる位置に身を潜めて待っていると、男がひとり、中へと入ってゆくのが見えた。
この廃病院が、いつからそうした目的に使われていたのか、誰も知らない。
デイルは音を立てないように病院のドアをくぐり、中へと入った。
老朽化した床板を微かに軋ませながら、誰もいない受付を通り過ぎ、病室の並んだ廊下に辿り着く。床の上に積もった埃や建材の欠片の上に、いくつもの足跡があった。
廊下の並びの中に、一つだけドアが閉まった個室があった。目指すべき部屋はそこだ。
ルークが歩くたび、靴底の砂利がひび割れたタイル敷きの床にこすれて、妙に大きな音を立てた。
個室の前で立ち止まり、決められた回数だけ、壁をノックする。すると、湿気で歪んだベニヤのドアが開いた。
隙間からこちらをうかがう目は、妙に彩度のない青い目だった。繋いだ視線を行き交う、問いかけと承認。ドアが開いて、デイルは狭い個室に身体を滑り込ませた。
部屋にあったのは、四本全ての足の折れたベッドのなれの果てと、床に置かれたマットレス、そして倒れかけた小さなキャビネットだけだった。床には古い薬瓶の破片が散乱していた。
刑事の目が、勝手に探る。赤毛。四十代。筋肉質。獣の耳も尻尾も生えていない。獣性を抱えていない分、扱いやすいかもしれない。日に焼けた肌をしているから、野外で働く肉体労働者か。血の気が多いタイプに見えるのは確かだ。
「合い言葉は〈ルビコン〉だ。いいか?」
「意味はわからんが、わかった」
男はむっつりと頷いた。
「なあ、盛り上げるためのものは持ってないのか?」
尋ねると、男はほんの一瞬、警戒するような目でデイルを見た。
「ああ……」
男が低く唸る。
「持ってないことも無い」
──ビンゴだ。
喜びを顔に出さないように気をつけながら、デイルは誘うような声色を使った。
「俺の友達が、凄く良かったっていうから、試してみたい」
すると、男はポケットの中をごそごそと探った。取り出したのは、親指ほどの大きさのガラス容器だった。男は蓋を捻ってあけ、瓶の先端をデイルの目に近づけると、数滴の液体を落とした。
不思議な温感が眼球の表面に広がった後、スッと冷える。間もなく、頭がぼうっとしはじめた。
なるほど、これが薬の正体か。デイルと同じく、ルークも経口薬を疑っていた。胃の内容物などの目に見える証拠ならまだしも、目に残ったわずかな痕跡を見落としても無理はない。
「いいか、吐くなよ」
ざらついた声で男が言い、デイルの髪を掴んだ。
「跪け」
その命令を浴びた瞬間、一瞬にして頭の中が真っ白になる。オーガズムの直前のような高揚感と多幸感に、脳がどっぷりと浸かってしまったような感じがした。
危機感を覚えるには、遅すぎた。
「あ……」
髪を掴んだままの手に押さえつけられて、砂利と、得体の知れない液体でぬかるんだ床に膝をつく。男がベルトを弄るカチャカチャと言う音に続いて、下穿きが引き下ろされる。男は髪から離した手でデイルの顎を掴み、言った。
「開けろ」
開いた口に、かすかに湿った生ぬるいものが押し当てられる。
知らない男の、知らないにおいに、理性は拒否反応を示せとせっつく。だが、抵抗する術もないまま命令に従った本能は、止めどない快感に溺れていた。
喉の奥からこみ上げるものを飲み下そうにも、口を閉じることが出来ないせいで、上手くいかない。喉の付け根をぎゅっと締めて、なんとか吐き気を堪えた。口の中に唾液が溢れる。
「早く咥えろ」
男は言いながら、自分のものを口の中に押し込んできた。
侵入してきたものを受け入れ、舌を這わせると、唾液が零れて、顎を伝った。
男の深いうめき声が、病室の壁に反響する。獣じみた快感に呑まれた男の声に、震えながら総毛立った。
男の手が首に掛かり、壁際に押しつけられる。
男の顔を見上げる。こちらを見下ろす青白い視線が、ギラリと輝くのを見る。
彼はデイルの後頭部を思い切り壁に打ち付けた。眼球が揺れ、ほんの一瞬意識がもうろうとする。力なく俯きそうになる頭を掴まれ、頭皮を引きちぎられるかと思うほど強く引っ張られる。首を掴む太い指に喉を開かされ──屹立しきった男のものが、奥まで一気に押し込まれた。
「ん゛ぐ……!」
「黙れ」
ヤスリを呑んだような声で、男が言う。
男は容赦なく腰を振り、デイルの頭ごと、何度も壁に打ち付けた。
痛みを与えられるほどに、身体から力が抜ける。すべてを投げ出して、この感覚に身を委ねてしまいたいと思う。両脚の付け根、下着の中で、脈打つたびに膨れ上がるものが解放を求めて疼いていた。
男が、デイルの喉を掴む手に力を込める。
「もっと締めろ、雌犬……」
幾たびもこみ上げる吐き気を押さえつけ、鼻先が男の陰毛に埋まるほど深く飲み込む。荒い息と口淫の音が、湿った個室に反響して、聴覚を犯す。涙が頬を伝い、唾液と混ざって滴った。
こんな暴力的な行為なのに、心臓が破裂しそうなほど昂揚していた。
「ああ……クソ」
男が、食いしばった歯の間から吐き出す。
「零すんじゃねえぞ……」
男は手を離した。次の瞬間、鼻梁が曲がるほど思い切り下腹部を押しつけられ、息もままならないほど深く喉を抉られる。
「ぐ、」
男はそのまま、ぬるく青臭いものを迸らせながら、屹立で喉の奥を突き破ろうとするかのように、腰を突き出した。何度も。
精液が喉を塞ぎ、鼻腔を逆流する。視界の四隅が暗く沈む。
「全部飲み込め……」
──まずい、意識が飛ぶ──。
次の瞬間、けたたましい音がした。と思ったら、喉に押し込まれていたものが引き抜かれ、目の前に空間が開けた。
いきなり流れ込んだ空気に思い切り咳き込み、デイルはそのまま、床の上に吐いた。青臭いものと胃液が混ざり合ったものが、ひりひりと鼻腔を焼く。
「クソ……」
もうろうとした意識の向こう側から、男の喚き声が聞こえた。
「何なんだよ!?」
それに答えた声に、デイルの体温は氷点下まで下がった。
「治安維持隊だ」
涙ににじむ視界にうかぶ背中。瞬きをすると、彼の姿がはっきりと見えた。
「治安維持隊……!?」
男は下半身を剥き出しにしたまま床の上で腰を抜かしていた。こちらに背を向けた救世主の背中から、空気が軋むほどの威圧感が発せられている。
「ルーク」
自分のものとは思えない、しわがれた声が零れた。
「ルーク、俺は平気だから──その男を拘束しろ。重要参考人だ」
「俺をハメやがったのか!? ちゃっかり楽しんでおいて──」
ルークは男の胸ぐらを掴むと、握った拳を振り上げた。
「ルーク、駄目だ!」
きっぱりと告げると、ルークはようやく振り向いた。
その目に、グレアの残光があったせいで、頭が揺さぶられる感覚に襲われる。デイルは口を拭って、ふらつきながら立ち上がった。
「俺は平気だ」
証明してみせるように、両脚に力を込める。ルークは顎の線を強ばらせながらも、無言で頷いた。
「外で待機している部下に引き渡します。あなたはここで待っていてください」
「ああ、わかった」
弱々しく喚く男を引きずって、ルークが部屋を出ていく。
その瞬間に膝が萎えて、デイルはその場に頽れた。さっき味わった暴力的なまでの服従性陶酔は消え失せた。それどころか、陶酔はデイルの体温さえも根こそぎ道連れにしてしまったようだ。
手を持ち上げる気力が残っているうちに、シャツの内側で目元を拭う。薬の影響から、早く脱しなくては──。
だが、理論的な思考ができたのもそこまでだった。
呼吸が深く、遅くなり、眠りに落ちる直前のようになる。欲求は消え失せ、圧倒的な孤独感や無力感が身体と意識を包み込んだ。
デイルはその場に寝そべって、耳鳴りと、寒さから身を守るべく自分自身を抱きしめた。震えは起こらないのに、耐えがたいほど寒い。
瞼は閉じていなかったけれど、次第に視界から光が消えてゆく。
これが服従性虚脱症──死に至る絶望だ。
「デイル!」
その時、ルークが部屋に駆け戻ってきた。彼の体温が自分を包むのを感じるが、温もりが遠い。
ルークはデイルの名を呼びながら身体を抱き抱え、膝の上に頭を乗せた。
いっそ安らかな気持ちで、このまま永遠の眠りに身を委ねてしまおうかと思ったとき、ルークが言った。
「デイル──許してください」
そして、彼が耳元に囁いた。
「俺に、キスして」
なんて命令だ──そう異議を唱えるよりも先に、身体が動いていた。
彼の唇は、デイルの唇からほんの数ミリのところで待ち構えていた。わずかに首を傾げて隙間を埋めると、身体に灯が灯ったように、全ての感覚が息を吹き返す。
薬の影響下にあるせいか──それとも噂で聞いたように、強い信頼によって結ばれた二人の間で行われる行為が特別だからなのかはわからない。
ただ、キスをした瞬間にデイルの息を奪った感覚は、新たな信仰を魂に刻み込む──まるで洗礼だった。
まるではじめてキスをした子供のように、歯と歯がぶつかる。それでも構わなかった。
デイルはいっそう強く、ルークを引き寄せた。
†
ルークの耳の奥で、ドクドクと滾る血の音が聞こえる。これは、犬だった頃に戯れでデイルの顔を舐めたときとは、まるで違う。心臓が鼓動する度に身体中が疼き、彼を求めろと──もっと貪れとせっついてくるようだった。
「は……ルーク──」
唇を離して、彼を見下ろす。唾液に濡れた唇を緩ませたデイルの表情に、またもや視界が狭くなる。
「頼む……もう少し、触れていてくれ。媚薬のせいで身体が……」
ルークは彼を抱き上げ、薄汚れたマットレスの上に、努めて優しくデイルの身を横たえた。寄り添って横になるだけでも、服従性虚脱症の悪化を防ぐことはできるはずだ──そう思った。
「デイル──」
名前を呼ぶと、彼はルークの頬を掴んで、キスをしてきた。
「ん……!」
犬の本能の名残が欲する無邪気なじゃれ合いと、支配性の人としての本能が求める、もっと艶めかしい欲望がせめぎ合う。
そして、あっけなく、欲望が一方をねじ伏せた。
彼が欲しい。出会った瞬間から、デイルは俺のもので、俺はデイルのものだったのだから。
想いの強さが二人を結びつけている。この世界で再会できたのがその証拠だ。俺の呼び声に、デイル自身が答えたのだ。
──でも、デイルはもう、俺を求めていないのに。
これは、彼を救うためだけの行為だと、理性は頭の中の冷静さをかき集めようとする。
だが、彼を救うためだけの行為の、何が悪いと言うのだろう。何よりも大切な存在を救えるなら──たとえそうすることで、自分の欲望が満たされてしまうとしても──それでいいではないか。
「デイル……俺に命令して。あなたがして欲しいことを」
ルークはすり寄せられる身体を掻き抱き、彼のぬくもりと、においと、ありとあらゆる生体反応とを貪るように感じた。
「俺が命令しても、意味ないだろ──」
「いいから」
尻を掴み、力を込める。腕の中のデイルは息を呑み、それから、鼻にかかる甘い声を漏らした。
「あ」
ルークの口づけを受けながら、デイルが囁く。
「ルーク……俺を抱け……」
それで、ルークは抑制を捨てた。
ベルトに手をかけ、引きちぎってしまいそうな勢いで留め金を外す。下穿き越しでも、彼の熱と昂ぶりを感じた。同時に、自分の中にある同じ衝動を、彼に理解させたいと、強く思った。
下をずらして剥き出しになったものを、一つの手で握りこむ。先走りを先端に塗り広げると、こすれあう屹立がなまめかしい音を立てた。
「あ、ルーク……それ、したら駄目だ、すぐ──」
デイルが言い、震える手でルークの手首を掴んで止めさせようとする。
「駄目だって……」
心臓が、痛むほどに強く鼓動を打つ。
ルークは手を離す代わりに、もっと強く握ってから、自分のものと右手とでなぶるように扱いた。デイルのものが張り詰め、力強い脈動が、彼の身体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。
「あ、あ、ルーク、い……」
抱きしめた身体が、ぶるぶると震える。
「イって、デイル……」
「あ……!」
息を詰め、張り詰める身体。そして、絞り出すような声と共に、温かいものが放たれた。
腹にかかる熱いものが、愛撫するように肌の上を伝い降りてゆく。ルークはそれを指で掬って、デイルの尻の間に塗りつけた。
「ちょっと待……あ!」
制止も聞かず、ルークは自分の指をデイルの中に沈めた。
「あ、あ、あ……っ」
指を動かすたびに漏れる声。嫌だと言いながら、両手はしっかりと、ルークを引き寄せていた。上気する肌、涙に蕩けそうな目、口づけに柔らかくなった唇。その一つ一つを認識するほどに、止めることができなくなる。
ルークはデイルの耳元に唇を寄せて、言った。
「あなたの中に入りたい──今、ここで」
デイルは、潤んだ目に、それでも挑戦的な輝きを浮かべた。
「まだ、俺の命令が必要なのか?」
ルークは微笑み、キスをした。
「いいえ」
身体を抱きしめ、体勢を導いて、彼の中に自身を沈めてゆく。
「ん、あ……」
首筋にキスをして、甘噛みをして、ゆっくりと抽挿を始める。デイルの中は熱く、先ほどの絶頂の余韻に、ひくひくと震えていた。
「ああ……デイル」
ルークは呟いた。
「あなたの中は……とても……」
「それ以上、言うな」
小さな喘ぎを漏らしながら、デイルは笑った。ルークも微笑み、デイルの懇願を無視した。
「とても、素晴らしいです……」
ルークは言いながら、根元まで埋め込んだもので、かき回すように腰を使った。
「もっと、掻き乱したくなる」
「は……あ、──」
デイルは甘々とした声で鳴きながら、ルークの手にしがみついた。ねだるように尻を押しつけ、キスを求める。
「ん……」
彼の望みを叶えながら、シャツをたくし上げ、片手で胸元を、もう片手でへその下に手を当てた。デイルは自分の手を重ね、乳首と、芯を取り戻しつつあるペニスへ導いた。
「あー……」
快感に呆けたような声。
「すごく、いい……」
感じる場所の全てから快感を得ようとする貪欲さに煽られて、ルークは動きを速めた。
身体がぶつかり合う音、結合部がたてる濡れた音、デイルのあられもない声が個室の中に充満してゆく。何かが高まる。大きな波のようなものが近づいてくる。
「ルーク──俺、またいきそ……」
「デイル……俺も──」
離れようとした気配を察知したのか、デイルがルークの腕をぎゅっと掴んだ。
「いやだ。このまま──」
息が深く、掠れてゆく。
「このまま全部、奥に……あ……!」
へその下を抱いて、引き寄せる。熱い内壁の奥に先端が届き、そのすぼまりをぐっと押し広げる。
脊椎が痺れ、おののいて、じわりと滲む。この感覚を手放したくないと思う。同時に、今すぐにその向こう側へ至りたいと思う。
ルークはデイルに覆い被さり、愛撫するように優しく囁いた。
「デイル、俺を見て」
瞬きを一つして、デイルがルークを見つめる。潤んだ瞳は、ルークの目に宿る光を照り返したように輝きを増していった。
そして彼は、こみ上げるものに耐えかねたように、艶めかしい息をつく。
「あ……い、く……っ!」
その瞬間、彼は震え、さらに震えて、情熱を再び迸らせた。そして、ルークのものもまた、熱く蠢く内壁の中で何度も脈打ちながら、とろりとしたものを溢れさせた。
「あ……奥……出てる……」
自身の屹立からなおも精液を零しながら、デイルはうっとりと声を上げた。
「デイル……」
荒くなった呼吸をなんとか落ち着かせて、彼を抱きしめる。
「ん……」
デイルはルークの頬を引き寄せて、キスをした。
「お前が来てくれて、よかった」
ルークは唇を離したものの、離れがたい気持ちに引き寄せられて、デイルの頬に頬をすり寄せた。
「もし間に合わなかったら、あなたはまた、俺の前からいなくなってしまっていたかも知れない」
ルークは、抱きしめた腕に力を込めた。
「二度と、こんな無茶はしないでください。俺の前で平気を装うのも駄目です」
デイルは決まり悪そうに微笑んだ後、ルークにキスをした。
「さあ、どうするかな」
曖昧な態度に、ルークが言い募ろうとしたとき、デイルが言った。
「それなら……合い言葉は、『俺は平気だ』にしよう。それなら無闇に乱発しないで済む」
ルークは一瞬呆気にとられた後で、フッと吹き出した。
「まったく、あなたって人は!」
そして、二人で声を揃えて笑った。
◆ ◇ ◆
数日後、デイルは治安維持局の本部で、ルークと並んである書類を眺めていた。逮捕した男が所持していた目薬は、王立研究所に送って成分分析を頼んだ。その結果が届いていたのだ。
「どうりで、俺の鼻でも異常を嗅ぎ取れなかったわけだ……」
報告書に寄れば、目薬の成分内に、服従性陶酔に至りやすくする物質が発見されたという。
「この目薬にはベラドンナのエキスが使用されています」
「ベラ・ドンナって、花のベラドンナか?」
ルークが頷いた。
「毒性のある花です。この汁を目に垂らすと瞳孔が開き、瞳の魅力が増すといわれていますが……神経痛の薬としても使用されているとか」
それで、デイルの記憶が蘇った。
「ベラドンナ……そうか。ナチスの自白剤に使われてた花だな。瞳孔散大はアトピリンによるものだろう」
アトピリンには中枢神経抑制効果がある。中枢神経抑制剤といえば、鎮痛剤や睡眠導入剤を指す。脳の活動を抑制し、不安やパニック障害の治療にも用いられる一方、依存を引き起こす危険性のある薬品でもある。ラーストンでも、処方薬の横流しが度々問題になっていたのだ。
「服従性の神経をなだめて、服従性陶酔への導入を容易にするのにうってつけだな」
「しかも、ベラドンナの目薬は、若い男女の間で日常的に使われています」
「美しき貴婦人ね……」
ルークは頷いた。
「成分表だけ見れば、それほど害を為すようには思えません。ただ、配合が普通の目薬とは違います。ベラドンナの用量が多く、しかも魔法による栽培の影響もある。効き目が桁違いに増幅されているんです」
「これで、薬の正体がわかったな」
「ええ」
デイルは肩をすくめて見せた。
「で、どうする? 治安維持隊、隊長殿?」
ルークはキリッとした表情を浮かべて、頷いた。
「この目薬の瓶には見覚えがある。ですから、まず製造元をあたります。いまから出向いて──」
待て、とデイルが口を挟んだ。
「真正面から突っ込むつもりか? その制服で?」
ルークは怪訝そうにデイルを見下ろした。
「いけませんか?」
デイルはしばらく考え込んでから、言った。
「俺がその薬の生産者だったら、工場に見張りを置いておく」
「でしょうね」とルークが頷く。
「それで、警察官が近づいてくるのに気付いたら、証拠を全部燃やして何食わぬ顔で出迎えるだろうな。で、次の週には何事も無かったかのように、別の場所で薬を作り続ける」
ルークは目元を強ばらせた。
「では、どうすれば……」
「時には、正々堂々とやってるだけじゃ駄目なときもあるってことだ。俺に任せとけ」
デイルは言い、ニヤリとして見せた。ルークはそれをとがめるように、眉をわずかに顰めてみせた。
「もしかして、そういう危ない橋を渡りたいから、治安維持隊に加わるのを拒んでいるわけではないですよね?」
「それもある」
デイルは真面目くさった顔で言った。
薬の製造元がわかれば、あとはルークの嗅覚に頼ればいいだけだった。
目薬の生産工場は町の港の側にあった。倉庫と工場を兼ねたこぢんまりとした建物だ。
デイルは二日ほど、ルークと交代しながら工場の様子を監視した。工場には昼夜問わず灯りが灯り、生産用の機械も休むこと無く稼働している。
表向きの商品である美容目薬〈美しき貴婦人の眼差し〉の出荷量と見合わないほどの働きぶりだった。
更に一日周囲を観察してみると、岸壁に開いた排水口を見つけた。ルークの嗅覚によれば、この排水口は汚水を流すためのものでは無いという。
「人間が何度も行き来している匂いがします。船のロープに使われる油の匂いも。ここから媚薬の荷下ろしをしているのでしょう」
その推測を裏付けるように、その夜、排水口の付近で揺らめく不審な灯りをとらえた。一隻の小舟が排水口のすぐ下につけて、いくつかの木箱を積み込んでいた。
「よし。見つけたぞ」
物陰に潜んだまま、デイルが満足げに頷く。
「あの量からすると、事業拡大を目論んでそうだな」
「では、早く摘発しなくては」
「ああ」
「明日の朝を待って、突入します」
ルークはせっかちに言った。どうやら、デイルが危ない橋を渡るまえに事件を片付けてしまいたいらしい。
「いや待て、もう一つやることがある」
すると、ルークは落胆の表情を浮かべた。
「これで充分じゃないんですか?」
「考えても見ろ。工場に黒幕がいると思うか? 一番足がつきやすい生産現場に常駐するはずがない。だから、といって、こっちを調べ尽くしてから黒幕を捕まえようとしても、雲隠れした後だった、なんてことになりかねない」
なるほど、とルークは頷いた。
「今、油断している隙に黒幕との繋がりを見つけておくんだ。そうすれば、不意打ちで一網打尽にできる」
「でも、どうやって繋がりを探ります? 工場周辺では薬品の匂いが強すぎて、わたしの鼻はあまり役に立ちそうにありません」
デイルはほくそ笑んで、自分の頭を指さした。
「ここを使うんだよ、ここを」
「頭を使って……?」
「頭を使って侵入経路をみつけて、忍び込み、書類を漁って尻尾を掴む」
ルークは呆れたように呻いた。
「お前は加担する必要は無いんだぞ。俺一人でできる」
「冗談でしょう。俺も行きます」
ルークが、半ば憤然と言い返す。
「ようやく『追いかけっこの時間』になったのに、俺をのけ者にするんですか?」
その言葉で、ルークを失った日の記憶がまざまざと蘇った。
口をつぐむデイルの顔を、ルークは首を傾げて覗き込んだ。
「デイル?」
「追いかけっこの時間は終わりだ」
固い声で言い返す。
「ふざけているわけじゃありませんよ。安心してください。俺が何度でもあなたを守ります」
デイルは、口をついて出そうになる言葉を飲み込んだ。もっと冷静になるべきだ。この状況を客観的にとらえるべきだと思った。それなのに、気付くとこう言っていた。
「もう、俺のことを守ろうとするな」
その声色があまりにもぎこちなかったからか、それとも、デイルの痛みを感じ取ったのか、ルークはぴくりと身を震わせた。
「どうして、そんなことを言うんです」
「お前は──」
六発の銃声。その残響が脳裏にこだまする。無垢な眼差しが光を失った瞬間の記憶が蘇る。あれほどの痛みを、デイルは他に知らなかった。自分の命を奪った弾丸の痛みさえ霞んでしまうほどの痛みだ。
「俺のせいで、お前は死んだ」
一瞬、何を言われているのかわからないと言いたげに、ルークがデイルを見つめた。それから、彼は静かに言った。
「あれは、あなたのせいでは……」
デイルは首を横に振った。
「あれからの数年間、おれがどんな気持ちで生きていたか……」
新しい相棒犬と組めば痛みはマシになると、幾度となくアドバイスを受けた。ルークは確かに素晴らしい犬だったけれど、他の犬だって同じくらいお前を支えてくれる、と。
それは真実だったのだろうけれど、理屈では説明のつかない何かが、デイルに別の道を選ばせた。
「人間だけを優先するルールがなければ、お前は生き延びたかもしれない。少なくとも、最後まで痛みに苦しんだまま死ぬことはなかった」
ルークは、デイルの腕にそっと手を置いた。
「再会してから……あなたが『ルール』を毛嫌いするようになったのは何故なのか、ずっと気になっていました」
「ああ。そういうことだ」
デイルは小さく肩をすくめた。
「だから、俺はもう、ルールに縛られた組織に所属しない。お前と組んで仕事をするのも……それ以外のことも、これきりにしようと思ってる」
二人の間に生まれた沈黙が見えない棘を伸ばし、肌に突き刺さりそうになる頃、ようやく、ルークが言った。
「わかりました」
彼の声は静かだったが、決して無機質なわけでは無かった。
「ですが、今夜だけはあなたの側にいます。相手があなただからでは無く──市民を守るのが、俺の仕事だから」
ルークの声に宿る使命感と誇りを耳にすると、自分の深層に埋めてしまった感情が共鳴しそうになる。
かつては毎朝鏡を見る度、ルークのリードを握る度に、その気持ちと向き合うことができていたのに。
一つため息をついてから、デイルは頷いた。
「ああ、わかった」
二人は港の物陰に身を潜め、交代で仮眠を取った。目覚めたのは朝の六時。工場で、日中のシフトとの交代が行われるのは間もなくだ。デイルは、毎週決まった曜日のこの時間帯に、夜のシフトの従業員が全員一階に集まっていることを掴んでいた。違法薬物製造の証拠を隠滅するため、機械の清掃をしているのだ。
事務所に詰めている責任者はこのタイミングで一度帰宅し、睡眠を取ってから昼すぎに戻る。つまり、事務所に侵入する絶好のチャンスということだ。
工場の裏手の壁沿いに、空き木箱が積まれている一画があった。窓はあるものの、光を嫌う薬品を守るためか、内側から暗幕をかけられている。二階部分には鉄製のバルコニーが張り出していたが、そこにも人気は無かった。
デイルは木箱の強度を確かめつつ、一つずつよじ登っていった。
ルークには見張りを任せた。何者かが階段を上ってくる音がしたら、窓に小石を投げつけて報せることになっている。
バルコニーの手摺りに手を掛け、慎重に乗り越える。足音を立てないように窓に近づき、中を覗く。
上げ下げ窓の汚れた硝子越しに見えたのは、明かりを落とされ、人気の無い事務所だった。
デイルは、地上で待っているルークに『OK』のサインを送った。
ルークは緊張した面持ちで頷き返した。
デイルは、探偵として働き始めてから重宝するようになったピッキングの道具を使い、易々と鍵を開けた。
窓を開け、身を屈ませて中に入る。デイルは事務所のドアに鍵がかかっていることを確かめてから、物色をはじめた。早朝の弱々しい光を頼りに、書類という書類に目を通す。机の引き出しを全て改め、いくつかの帳簿に台帳、それと無数の手紙を漁ったが、怪しい内容のものはない。
その時、一番上の引き出しを見て、デイルは違和感を覚えた。引き出しそのものの高さに比べると、底が高すぎる。試しに底板をノックしてみると、思った通り虚ろな音がした。二重底になっているのだ。
デイルは引き出しを目一杯引き出して、裏側から底を手探りした。鍵穴らしきものが指先に触れたので、心の中で快哉を叫ぶ。
床に寝そべって鍵穴の攻略を開始する。単純な作りの鍵だったのが幸いして、あっという間に開いた。
胸の上にストンと落ちてきたのは、はめ込み式の木箱だ。中からは、媚薬の生産量に関する指示書などが出てきた。
「ビンゴだ」
デイルは、侵入をすぐに悟られないよう、書類のうちの何枚かだけをくすねてポケットに突っ込むと、引き出しを元通りにして部屋を出た。
バルコニーから顔を覗かせると、ルークの顔がぱっと明るくなった。
「大成功だ」
声に出さず、口だけでそう言ったが、ルークは再び心配そうな表情を浮かべて、「早く降りてきてください」と言った。
デイルは「わかってる」と返事をして来たときと同じようにバルコニーの手摺りにぶら下がった。積み上がった木箱に爪先をつけようとした、その時だった。
ルークの背後、十メートルも離れたところに、一人の男が立っていた。
工場の見張りの一人が、火打ち石銃のようなものを構えている。もちろん、ウェシリアの銃がただの火打ち石銃程度の威力なわけがない。あれは魔法銃で、斜線上にいる全ての者を肉片に変えてしまえるほどの威力がある。
デイルの驚愕の表情に気付いたルークは、後ろを振り向いた。そして、刺客の存在に気付くやいなや──デイルの方を向いた。
「デイル、伏せて──」
「俺は大丈夫だ!」
ルークの命令を打ち消すように、合い言葉を放つ。その瞬間、自分の意識をとらえかけた戒めがはじけ飛び、同時に、ルークが身を竦ませたのがわかった。
デイルは木箱の上に降り立つと、そのままルークの立つ場所めがけて、身を躍らせた。
魔法銃の撃鉄が落ちる、カチリと言う音が響く。
緑色の閃光が銃口から噴き出し、こちらに向かってくる。
デイルはルークに体当たりした勢いのままに、思い切り地面の上を転がった。Kでの中にはしっかりと、ルークを抱きしめたまま。
ザア、という音と共に、ゾッとするほどの熱が頭上を通り抜けてゆく。暴風がは尾をなぶり、巻き上げられた小石が肌にめり込んだ。だが、それ以上の熱は感じない。
デイルは即座に身を起こし、見張りに向かって飛び出していった。
「デイル、駄目だ──!」
ルークの声を置き去りにして、デイルは走った。見張りは二発目の魔法弾を装填ししているところだ。あと数秒、もしかしたら次の瞬間にも、次の一撃が飛んでくるだろう。
だが、恐怖は感じなかった。
「この野郎!」
デイルは唸りながら男につかみかかり、銃を持つ腕を背中側に捻りあげた。見張りが銃を取り落とす。すると、駆け寄ったルークが見張りの首根っこをつかみ、額を工場の壁に叩きつけた。
見張りは気を失って、その場に頽れた。
ルークは唸るように言った。
「後で、話があります」
「わかってる。後でな」
二人は他の見張りが駆けつけてくる前に、急いでその場を後にした。
◆ ◇ ◆
その後、治安維持隊は媚薬製造の黒幕まで辿り着くことができた。デイルが手に入れた書類を辿って捜査線上に浮かび上がったのは、国王の寵臣として名高いとある貴族だった。
事件は一大スキャンダルとして、毎日のように人びとに噂された。同時に、治安維持隊の活躍は全ウェシリア国民に知れ渡ることにもなった。
デイルは、そのことを嬉しいと思った。ルークが成し遂げたことが──自分がその力になれたことが嬉しかった。誇らしいとさえ思った。
使命感と誇り。ルークを失ってから今の今まで、すっかり忘れていた感覚だった。
全ての関係者は投獄されたが、デイルも無関係ではいられなかった。捜査に協力したとは言え、不法侵入などの手段を用いたことまでは見逃してはもらえなかった。
結局、デイルとルークとは、何枚もの報告書を書かされることになった。が、それで済んだのは御の字だろう。
ふたりは治安維持隊の本部に缶詰になり、朝一番から取り組んだ。すべての報告書を完成させる頃には夜が明けていた。
「家まで送ります」
本部の建物を出ると、ルークが目をしょぼつかせながら言った。
「ああ……」
わざわざそんなことはしなくていい、と言うべきだったかもしれない。だが、デイルは彼の厚意に甘えた。
今後もルールに縛られた組織に属さず、ルークと組んで仕事をするのもこれきりにすると、デイルは宣言した。その決意は、二人の間でネオンのように点滅していた。無音だが、やかましいほどの存在感を伴って。
ジャクソン探偵事務所の前まで来たとき、「じゃあ、またな」の言葉を口にするのが、とても難しかった。だから、ドアの鍵を開けてからも中に入らず、代わりにこう言った。
「お茶でも飲んでくか?」
ルークが顔を上げ、縋るような表情を、ほんの一瞬だけ浮かべる。だが、その脆さは瞬く間に隠された。
「いえ。あなたはもうお休みになった方がいい」
「そう……だな」
気詰まりな沈黙が降りた。
「お前と仕事ができて、嬉しかったよ」
デイルはぽつりと言った。
「でも、『これきり』ですか?」
ルークの目には、彼が感じている痛みを見て取ることができた。けれど、口元には微笑が浮かんでいた。
自分の表情を取り繕うことを知らなかった彼が浮かべた笑顔は、精一杯のプライドと、デイルへの気遣いの証しだった。
「俺は……」
デイルは俯いた。すると、ルークが距離を詰めてくる。
「迷いがあるなら、今すぐに答えを出さないで」
唇が触れるか、触れないか──そのギリギリのところで、目が合う。濃厚な蜂蜜を思わせるブラウンの瞳に、身を委ねたくなるほど強い感情が揺らめいていた。
「貴方を失いたくないのは、俺も一緒です」
彼は言った。
「だからといって、俺はあなたを避けたりしない」
ルークは言い、キスをして……唇を噛んだ。
彼を責任感や同情や、他の何かで縛るような存在にはなりたくない。彼の気持ちが自分に向いているのは、警察犬とハンドラーだったころの記憶を、まだ引きずっているせいだと思っていた。
けれど……これはちがう。
違うとわかっていたはずなのに、今まで目を背けていた。
「せっかく生まれ変わったのに、また俺を選ぶのか?」
すると、ルークは理解できない冗談の意味を尋ねるみたいに、わずかに首を傾げた。そして、言った。
「生まれ変わったから、今度は別の形であなたを愛することにしただけです」
返す言葉は無かった。あったとしても、口にすることはできなかった。ルークが再びデイルの唇を塞いでしまったから。
それから彼はデイルをドアに押しつけたままドアノブを回し、二人して事務所になだれ込んだ。
抱きすくめられたまま壁際に追い詰められ、自分より少し大きな身体を押しつけられる。膝頭が脚の間に差し込まれ、逃げ場がなくなる。それなのに、不思議な安心感があった。
あたたかい舌が容赦なく、歯列や唇の裏側、口蓋にまで触れてゆく。
「ん……」
膝から力が抜けそうになるのを堪えられたのは矜恃の成せる技か。それとも、今度こそ『媚薬』のせいにはできないセックスに、少しだけ怖じ気づいていたせいかもしれない。
「……っ、あ」
ルークの手が、シャツの裾から這入り込んで、腰に触れる。
彼はそこで手を止めて、静かな声で言った。
「あなたが望まないのなら、俺はこれ以上、あなたに触れません」
デイルは、そっと手を伸ばした。頬に触れると、彼はそっと目を閉じた。そのまま、静かに、デイルの言葉を待っている。
デイルが目を背け、向き合うことから逃げ続けてきた言葉を。
「わかったよ」
デイルは再び、ルークの襟首を掴んだ。唇の間に差し込んだ舌で舌に触れ、誘い、望みをわからせると、彼はそれを理解して同じ事を返してきた。
腰をなで下ろし、尻を掴んで引き寄せる。
「俺を……抱いてくれ。お前が望むように」
命令でも、命令でもない。それはデイルの心と、ルークの心を繋ぐための、何の変哲も無いただの言葉だった。
ルークは微笑み、デイルの腰を引き寄せて囁いた。
「了解、デイル」
デイルの両脚の間に屈み込む、ルークの乱れ髪が揺れる。
ルークは、ベッドに寝そべるデイルの下半身に屈み込み、跪いて、一心不乱にデイルに奉仕している。
彼は唾液で濡れたデイルのペニスを口から引き抜くと、屹立したものに頬をつけたまま言った。
「上手にできてますか?」
まるで、投げた玩具を持ってきて、頭を撫でてもらうのを待っているような表情だ。けれど、彼は犬であって犬では無い。彼は自ら過去を超越し、新しいルークになったのだ。
──だったら、俺もそれを受け入れないとな。
「ああ、上手だ……っ」
言葉の途中で、情けない声が出てしまう。
フェラチオの傍ら、潤滑剤で濡れたルークの指が、自分の身体の奥深くに這入り込んで、中を弄っているのだ。
「ルーク……指、抜いてくれ」
「本当に、いいんですか?」
「はやく挿れてくれないと、終わっちまう──」
ルークが長い中指をくるりと回すと、指の背が何かに触れて、甘い衝撃が身体を突き抜けた。
「ん、あっ!」
一気に呼吸がおぼつかなくなる。
頭を仰け反らせ、声が出ないほどの快感が弾ける。両足の間で、ルークが唇を舐めた。
「ここが、いいんですね?」
いいながら、中指の腹でその場所を撫でる。
「あ、ルーク、そこ、あんまり弄るな……!」
ルークはデイルの懇願を無視した。そして、指先で円を描くように、虐めるように、何度もその場所に触れた。
「ルー、ク……!」
それから、びくびくと脈打っているものを再び口にくわえて、舌を絡めた。
「あっ──ああ……っ!」
腰から下が溶けそうなほどの快感に飲まれながら、ルークの顔を見下ろす。こちらを見上げる彼の目に、笑みの閃きを見た。
ルークが目を伏せ──と思ったら、左手が腰を抱いた。そうして逃げられないようにして、彼は思いきり深くまで、デイルのものを飲み込んだ。
「あ……!」
先端が、喉の奥の窄まりを押し広げるのを感じる。異物の混入を察知した咽頭が締め付けるのと同時に、温かく濡れた指が前立腺をそっと擦った。
駄目だ。
「ルーク──も、いい」
毛穴が弛緩するほどの戦慄が、両腕から背中を這い上がってゆく。早く抜かないと、このまま終わってしまう。それなのに、離してくれない。
「ル……」
囚われて、雁字搦めにされて、とても飲み込みきれないものを無理矢理に流し込まれている気分だった。
「ルーク……!」
息ができない。眼の奥が滲む。脳が溶ける。
「あ……」
その瞬間、ルークは完全に、動きを止めた。
「は……?」
目を白黒させるデイルをよそに、彼は喉の奥から射精寸前のものを引き抜き、疼くアナルから指を抜いた。
「な……っ」
ルークは上半身を起こすと、わなわなと震えそうになっているデイルをじっと見つめた。それから、何の前置きも無くキスをした。
「以前は気付きませんでした……あなたの泣き顔が、とても素敵なことに」
ルークは悪びれずに言った。
「この、サディストめ……!」
デイルは毒づいたが、息が上がっているせいで、全く様になっていない。
「俺は、あなたの全てを好いているだけの、ただの支配性ですよ」
ルークはデイルの頬を撫で、その手を首筋、胸、腰へ、ゆっくりとおろしていった。快感に飢えた身体が、そんな些細な刺激に波立つ。
「デイル……」
低く、滑らかな声で、ルークが言った。
「俺を、受け容れて」
肌を蕩かすほどの戦慄。そして、理性を呑み込む、どろりとした甘い蜜が脳裏に滲んだ。
「ああ……」
すでに勃ち上がったルークのものに触れただけで、自分の胸が期待に膨らむ。
腰を浮かせてルークを受け入れる瞬間に、とてつもない充足感を抱いた。
「あ……」
心の底で待ち望んでいたものを受け入れる。欠乏が埋まる感覚に、ため息が漏れる。
自分の身体が、ルークにあわせて形を変えてゆくのがわかる。柔らかく、震えながら、隙間無く包み込んでゆく。
そして、根元までを飲み込んだとき、ルークがくれた命令をなしとげたことで、途方もない多幸感に包まれた。
「あ……」
これは、薬で無理やり引き起こされた服従性陶酔の比では無い。
「あ、あ……」
「デイル」
ルークは小さく息をついた。
「動いても、いいですか……?」
「ああ……」
デイルは小さく頷いた。ほんの一インチ動いただけでもオーガズムを迎えてしまいそうだったけれど。
だけど動けば、もっと気持ちよくなれる。
本能が命じるままに腰を浮かせて、もっと深くへと受け入れると、呼吸と混ざり合った粗い声が漏れた。
「あ……は……」
ルークの手がデイルの尻を掴み、誘導するように引き寄せた。奥まで埋め込まれたものが、充血し、潤んだ体内をかき回す。
ルークが動く度、快感が増す。その感覚をもっと追い求めたい気持ちと、底なしの快感に身を委ねる事への恐ろしさとがせめぎ合う。微かな不安を感じたのか、ルークがデイルの首筋に手を当てて、引き寄せた。
「ん、ん……ルーク……」
目を閉じて、キスで唇と舌を繋ぐと、不安が遠のいていった。
打ち寄せる波のような抽挿が、浮遊感さえ伴う陶酔をかき乱し、さらなる快感を注ぎ込んでくる。
「あ、あ……!」
自分の口から迸るのが、単なる吐息なのか、それとも喘ぎ声なのかも区別がつかない。
「デイル」
名前を呼ばれて、無我夢中の境地から戻ってくる。ルークはデイルの背中に腕を回すと、そのまま自分は身を横たえた。繋がったまま、ルークの腰の上に跨がったデイルは、目を白黒させている間に身体の向きまで返られていた。
「あ……?」
ルークがデイルを見上げて、楽しげに微笑んでいる。
彼の狙いがわかった時には、もう遅かった。
「ルーク、ちょっと待っ……」
「静かに」
デイルは息を呑んだ。すると、ルークは嬉しそうに目を細めて、デイルを褒めた。
「よくできました」
次の瞬間、熱を帯びた手に腰を掴まれて、身体がフッと浮き上がった。
それから、ルークはデイルの腰を勢いよく引き下ろしながら、思い切り突き上げてきた。
「あ……っ!」
ルークのものが敏感な場所を擦りあげ、抉って、奥の奥まで穿つ。腰から溶け出した快感が、眼の奥やつま先までじわりと染みこんでゆく。頭の後ろの毛がざわついて、目の前に火花が散った気がした。ルークの胸に、縋るように手を置く。
「ルーク、駄目だ──これ、強すぎる……」
また、重力が消えた。と思ったら、引き落とされ、さっきと同じくらい、いや、もっと深くまで埋め込まれる。
「ああ!」
怖い。もっと欲しい。苦しい。気持ちいい。相反する感情が次々とわき起こる。骨格が揺れるほど激しい抽挿に揺さぶられて、目から涙が零れた。
体内のものが、大きくなった。気のせいじゃない。
「そう……もっと泣いてください。デイル」
──この野郎、なにがただの支配性だ。
覚悟のような、諦めのようなものが、胸に落ちる。
──でも、そんな男に惚れてしまったのだから、仕方ない。
その時、ルークの両手が、腹の上で揺れているデイルのものを包み込んだ。
「あ……っ」
「デイル、あなたが気持ちいいように、動いて」
「ん、……っ」
頷いて、腰を突き出す。
「は……」
ルークが、微かに息を漏らした。
「よろしい。デイル」
──頼むから、これ以上は何も言わないでくれ。ただでさえ頭がおかしくなりそうなのに。
だが、ルークは尚も言った。
「ずっと……こうしていたくなる」
その言葉に、どう返事をしたらいいのか、デイルにはわからなかった。
新しい生き方を選んだ者同士、ここでどちらかが道を帰れば、それはもう一方への従属という関係になる。主従関係のようなものが、負い目が生まれる。
生まれ変わった者同士だからこそ、二人の間に、そんなものを介在させたくは無かった。
でも、それをどう伝えればいいのかわからない。
「ルーク」
だから、デイルは言葉を脇に置いて、キスをした。
俺も、ずっとこうしていたいよ──その気持ちだけが、彼に伝わるように。
口に出せば愚かな願いにしかならないものを、キスで閉じ込め、互いの唾液の中にとかして、飲み込んでしまえたらいい。
そうしたら、少なくとも自分の血肉に刻まれるだろうから。
柔らかく堅いものが、何度も何度も奥を穿つ。その度に、自分の中で凝っていたものが溶けてゆく。
「ルーク──あ、駄目だ……気持ちい……」
もはや、自分が何を口走っているのかさえわからない。
「ああ、クソ──いい……」
微かなひらめきのような、何かの気配。
「あ……」
前兆の微かな震えを感じて、また、涙が零れる。
「ルーク……!」
「イって、デイル」
ルークは囁いた。
「俺の手の中で、ほら……」
いつの間にか閉じていた目を開けると、夜明け前の西の空のような青灰の眼が、デイルを射貫いていた。
「あ」
ひらめきのような予感が、身体の最も深いところから沸き起こる震えを伴い、実感に塗り替えられてゆく。
「あ、あ……いく……」
自らの身体を抱きしめるように腕を回す。このままでは、身体が崩れ落ちてしまいそうだと思った。
「ルーク…………!」
そのとき、首筋をつつむ手のひらに引き寄せられた。快感に息を呑むデイルの、その飲み込んだ息を奪おうとするほど深い口づけ。泣きながら、喘ぎながら、必死で舌に舌を絡めた。
「ん……っ!」
まるで、これが最期と決めたかのように重く力強い心臓の鼓動。堰が破れて、限界まで満ちていたものが溢れる。
「ふ……う、あ……!」
ルークは、尚も脈打つデイルの屹立を握ったまま、滴る精液を指に絡めて、優しく愛撫した。
「デイル、俺も──」
「ああ……」
自身が放ったものが、彼の臍の周りにある継ぎ目を辿るように滴る。デイルはそれに手を伸ばして、塗り込むようになぞった。
「デイル……!」
彼の手が微かに震え──ほんの小さな、声にならない声を聞いた気がする。そして、身体の中で微かな痙攣を感じたと思ったら、温かいものが流れ込んできた。
「あ……」
我知らず、快感に呆けたぼんやりとした笑みを浮かべる。こんなに満たされた気持ちになったのは、初めてだった。
これを行為と呼ぶのでは、本質をとらえることができない。
これは、ただの行為でも、ましてや遊びやままごとでもなく、正真正銘の交わりだった。
ルークが荒い息をつきながら、ゆっくりと結合をとく。そして、ドサリとベッドに横たわり、満足しきった微笑を浮かべてデイルを見つめた。
「ルーク……」
「愛しています」
いきなりの告白に、一瞬、心臓が止まりそうになる。
甘やかな、小さな死。自分の決意も、矜持も、愚かな意地も、すべてを忘れたふりをして身を委ねてしまおうかとも思った。けれど、デイルは言った。
「その気持ちは……有能な警察犬がハンドラーに向ける愛情と何が違う?」
するとルークは、身じろぎをしてデイルに寄り添った。
「前世は関係ない。この世界で生まれ変わった俺が、この世界で改めて出会ったあなたに恋をして……愛したんです」
彼は優しい眼差しで、デイルを見つめた。
「あなたは? 俺のことを気遣うのは、ハンドラーが有能な警察犬に向ける愛情のせい──それだけですか?」
痛いところを突かれた。
「いいや」
すると、ルークは大きな笑みを浮かべた。
「なら、難しい話はいいじゃないですか、デイル」
彼はそう言うと、デイルをぎゅっと抱きしめた。
「俺はただ、あなたともう二度と離れたくない。二度目のチャンスが与えられたのだから、前よりもっとあなたを愛したいんです」
デイルは、今度は異議を唱えなかった。
「そう……そうだな」
デイルは頷いて、ルークを抱きしめ返した。
ルークは満足げなため息をついて、言った。
「これからも、あなたはあなたの生き方を選んでください。俺は俺の道を行きます。きっと、それが正しいことだと思うから」
デイルは、思いがけない喜びを感じた。
「お前は、それでいいのか?」
「ええ。今のあなたは、とても生き生きしているように見えるから」
「ありがとう」
ただし、とルークは前置きをした。
「あなたが危ない橋を渡るのを、ただ見ているつもりはないですけどね」
しかつめらしく言い添えてから、ルークはこう続けた。
「きっと俺たちふたり、これからも沢山の危険な目に遭うでしょう。時にはまた、命をかけるような事があるかも知れない。でもだからといって、俺が貴方のもので、あなたが俺の物だという事実を変えられますか?」
その言い草に、デイルは思わず噴き出してしまった。
ひとしきり笑った後でようやく、デイルは小さく首を振った。
「そうだな。その事実は変わらない。何があっても」
窓の外では、この部屋の中と入れ違いに、世界が動き始めようとしていた。
遠くくぐもった生活音。誰かの足音が微かに聞こえてくる。
柔らかなブランケットのような眠りに身を委ねようとしたとき、ルークが囁いた。
「何度生まれ変わっても、あなたの傍に居ます」
「ああ」
デイルは、それを受け入れるように微笑んだ。すると、ルークはこう続けた。
「今度は、俺があなたのハンドラーになる番だったようですけどね。あなたがあんなに無茶をする人だったなんて──」
その言い草に眠気が吹っ飛んで、デイルは噴き出すように笑った。
「お前が俺のハンドラー?」
それから、デイルはフフンと笑い、愛しい相棒の鼻先に、ちょんと人差し指を置いた。
「やれるものなら、やってみな」
ルークは、その人差し指を甘噛みして、微笑んだ。
「望むところです」
デイルは、死をもたらすものが自分の肉体を引き裂いてゆくのを感じた。いくつもの弾丸は、最初はただの衝撃としか感じられない。防弾チョッキに阻まれても、無防備な脚を貫通しても、その違いはわからない。
だが、まるで慈悲のような無感覚の一瞬を過ぎれば、それは熱と、激しい痛みに変わる。
──これが、ルークが味わったのと同じ痛みか。
そんなことを考えながら、デイルはその場に頽れた。背後にはパトカーがあり、前方には犯行現場があった。警察に包囲され、追い詰められた麻薬の売人が最後の賭けに出たのだ。手当たり次第に銃をぶっ放しながら、バイクに飛び乗り逃走を図った。
賭けに勝ったのは、あちらの方だ。
「ジャクソン!」
相棒──カレン・フォスター巡査が、自分を呼んでいる。傍らに屈み込み、負傷の程度を確認していくほどに、彼女の目の中の恐れが重たい確信に変わってゆく。
カレンは固く、わずかに震える声で無線に呼びかけた。パトカーの認識番号を繰り返した後、今までに聞いたことが無いほどの早口で告げる。
「巡査一名が負傷! 逃亡を図った容疑者からの銃撃を受けた。デイル・ジャクソン巡査が現場で重傷──」
バイクのエンジン音が遠ざかる。
「犯人を追え」
デイルはなんとか、そう口にした。
「俺はいいから、犯人を。バイクのナンバープレートは、八、四、八、三だ」
だが、カレンの耳に届いていたかどうか。彼女は必死の形相で、デイルの太ももを押さえている。彼女の手のひらの下から、温かい液体が、心臓が鼓動する度に漏れ出しているのを感じた。
身体が体温を失いつつあるのを自覚しつつ、デイルは大きなため息をついた。「やれやれ、まいったね」とでも言いたげな、おかしみさえ感じられそうなため息を。
「こんなことなら、君をもっと早くデートに誘うべきだった」
「黙ってて、デイル」
これが、ふたりの間でのお決まりの冗談だった。カレンもデイルも異性愛者ではない。だからこそ、余り者同士で相棒を組まされたのだと言っては笑っていた。
今、笑っているのはデイルだけだった。
「カレン」
朦朧とする意識の中で、デイルは言うべき言葉を探した。
ルークもこんな風に、俺を安心させる言葉を探していただろうか。もしも言葉を話せたなら、彼は何を言おうとしただろう。
──俺は、何を言うべきだろう。
「元気でな」? それとも「死は終わりではない」か?
遺されたものにどんな言葉をかけたとしても、気休めにしかならないのは良くわかっている。だから、ただ、こう言った。
「カレン、幸せになれ。長生きしろよ……」
カレンがなんと答えたのかはわからなかった。駆けつけた救急車のサイレンが、彼女の言葉をかき消してしまったからだ。
音が、痛みが、すべての感覚が遠ざかる。
死を、いつか必ず来るものと思って日々を過ごしていると、いざその瞬間が訪れても大して恐怖を感じない。まるで、幼い頃、母親に寝かしつけられた時のような安らぎさえ感じる。
最後に脳裏を過ったのは、「これで、ルークのいるところへいけるだろうか?」ということだった。
こうして、ラーストン市警のデイル・ジャクソン巡査は殉職した。
◆ ◇ ◆
デイルが目を覚ましたとき、それが『あり得ない』ことだとは、すぐに思い至らなかった。
眩しい光に目を瞬きながらも、負傷の有無を確認し、周囲の状況を確認しようとする。
自分は仰向けに寝そべっていて、頭上には青空、身体の下には草地がある。雨が降った後なのか、草はしっとりと濡れていた。
何処にも怪我はしていないから、無理やりのされて、野外に捨て置かれたわけでもないらしい。
なら、どうしてこんな野原で寝てるんだ? 飲み過ぎて公園で夜を明かしたのか──記憶を遡ろうとした瞬間、怖ろしい頭痛を伴って、記憶が戻ってきた。
銃弾。カレンの声と手。流れ出てゆく血。そして、無。
自分は死んだ。間違いない。
「嘘だろ……」
デイルは身を起こし、自分の身体を触ってみた。撃たれた場所には痛みも、傷跡もない。
近くの地面に、水たまりがあった。覗き込んでみると、他ならぬ自分と目が合う。金髪に、緑色の瞳。やや中性的な面立ちのせいで、舐められないように振る舞うのにいつも苦労していたが、それもそのまま、少しも変わっていない。
──俺は、何かを見逃したのだろうか?
死体安置所に降臨するUFOとか、海の向こうで巻き上がる銀色のベールだとか、神の前に立って存命中の悪事を並べ立てられるシーンがあったのに、それを覚えていないだけなのだろうか?
「ここは、何処なんだ……?」
よろよろと立ちあがって辺りを見回してみるが、だだっぴろい野原にいると言うこと以外、何もわからない。
何かの気配を感じたような気がして振り向くと、デイルの身長の倍はありそうな高さの巨石があった。なにかの記念碑のようにも見えるが、刻まれた碑文はない。
ストーンヘンジの立石の一つが、たまたま迷子になってここに居るような感じだ。
観光名所になりそうな雰囲気があるが、周囲にはわずかな踏み分け道が伸びているだけで、看板もベンチも、人影もない。
その時、遠くから音が聞こえた。ドドド……という重たい音に耳を澄ませているうちに、それが馬の蹄の音だと気付く。
──とすると、ここは牧場か?
「デイル!」
蹄の音に乗って、誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
デイルはホッとして、大きなため息をついた。自分のことを探していた者がいるのだ。
聞き覚えの無い声だが、きっと捜索隊か何かの一員なのだろう。デイルは両手をあげて叫び返した。
「おーい! 俺はここだ!」
「デイル!」
声の主が、巨石から伸びる踏み分け道の奥に現れた。
馬上の人影が三人。だが、遠目からでも牧場経営者でないことはわかった。
デイルの声を聞きつけた人影が、こちらに向かってくる。三人の騎手が近づけば近づくほど、デイルの疑念は膨らんだ。
その男たちが牧場経営者でない事は確かだが、捜索隊にも見えなかった。普通の人間らしい格好さえしていない。
まるで十八世紀の時代劇で見るようなコートと下穿きを身につけ、シャツの首元にはクラバットが結ばれている。
──俺は、映画の撮影現場にでも紛れ込んだのだろうか? それで、この異常な状況の説明がつくだろうか?
デイルは必死で考えようとしたが、思考は鍋の中のスパゲッティのように無秩序で、まとまらない。
三人の男たちは、狼狽えて立ち尽くすデイルからほんの数メートルのところまでやって来て、馬を下りた。
良く見ると、三人の男たちの服装はまったく同じだ。濃紺のコートに、アイボリーの下穿き。帽子には揃いの徽章が刺繍されている。なにかの制服のようだ。
「ルキウス隊長、この男で間違いありませんか」
「ああ」
隊長と呼ばれた男が、前に進み出る。
男は濃いブラウンの短髪に、明るい茶色の目をしていた。凜々しいとか、精悍という言葉がまず思い浮かぶ。決然とした真面目そうな瞳とは裏腹に、口元の印象は柔和だった。開けっぴろげな笑みが良く似合いそうだ。
「デイル・ジャクソン」
男がそう口にする。疑問形ではなかった。断言している。だが、彼と会うのはこれが初めてのはずだ。
デイルは訝しみながらも頷いた。
「ああ……あんたは?」
男はそれには答えず、背後で待機していた部下を振り向き、こう言った。
「彼の身柄はわたしが預かる。お前たちは先に街に戻れ」
部下はわずかに躊躇いの表情を浮かべたものの、従順に頷いて、鞍に跨がった。
「それでは、我々は本部で待機しています」
彼らはそう言うと馬首を転じて、来た道を戻っていった。
部下が充分遠ざかるのを待っているらしく、隊長はその背中をじっと見つめている。
デイルはと言えば、この状況を理解しようとすることに疲れはじめていた。自ら考えるより、目の前の男に説明してもらった方が早そうだ。
遠ざかる蹄の音が聞こえなくなった頃、痺れを切らしたデイルはもう一度尋ねた。
「なあ、あんた……俺を知ってるみたいだけど、前に会ったことがあったか?」
すると、男は振り向いた。しかも、満面の笑みで。その目には眩しいほどの歓びが輝いていた。
身構える間もなく、男の身体が近づいてくる。
本能的な危機感を覚えて、デイルの腰が引ける。
「ちょっ、何だよ──」
「デイル……!」
まるで、十年来の友人と再会するような調子でこちらの名前を呼んでいるが、こちらとしてはまったく身に覚えが無い。今までベッドのお相手だろうが、事情聴取の相手だろうが、一度見た顔は忘れないのがデイルの特技だったはずなのに。
いや、確信を持って言える。この男との面識はない。
ただ……どことなく既視感はある気がする。
明るい茶色の目──その目に何故か、胸を突くほどの懐かしさを感じる。
男の抱擁を拒むかどうかの判断に躊躇したのは、その不思議なデジャ・ビュのせいだった。
「デイル、やっと会えた!!」
次の瞬間、デイルは彼の腕の中にいて、強く抱きしめられていた。
身長一九〇センチ近い男の体躯が迫ってくる直前、彼の帽子が地面に落ちた。デイルは彼の頭のてっぺんに、フワフワとした三角形の耳を見た。
「おい、何する──!」
これは夢かと疑う前に、男の両腕が肩に回され、息が苦しくなるほど思い切り抱きしめられる。
彼は両脚でぴょんぴょんと跳ねながら、歓びを抑えきれないというように、デイルの頬に頬ずりをした。
「ああ、あなたの匂いだ!」
遠慮無く首筋の匂いを嗅がれて、思わずゾクゾクする。何が何だかわからないままに、混乱したデイルは咄嗟にこう口走っていた。
「待て!」
その瞬間、男はハッと身を強ばらせて身を離すと、その場に直立した。犬のような両耳が、頭の上でピンと立つ。
続けて、デイルは言った。
「座れ!」
これにも、男は当然のように従って、その場に座る。まるで……犬そのもののように。彼は次の命令を期待するように、まっすぐな目でデイルを見上げている。
彼がいつも、そうしていたように。
「まさか…………」
あまりにも馬鹿げていると思いながらも、デイルは尋ねた。
「ルーク、なのか……?」
すると彼は、喜びと感激と、彼の心に火花をもたらす、ありとあらゆる感情が殺到したような表情を浮かべて、立ち上がった。
「そう、そうです! 俺は、その……!」
言葉が見つからないのか、それとも言葉にならないのか、彼はわなわなと震えながら、縋るような目でデイルを見つめた。
「あなたにもう一度会えるなんて、夢みたいだ……!」
「でも……」
デイルは、混乱と目眩とでおぼつかない頭をなんとか回転させて、こう言った。
「でも、お前は犬だったはずだろ!!」
◆ ◇ ◆
デイルは、かつてラーストン市警の警察犬隊に所属していた。
相棒はオスのジャーマンシェパード。名前はルーク。
警察犬のハンドラーは、一人と一頭でバディを組み、車に乗り込んで市内をパトロールする。人間と犬とが同じ家に暮らし、寝食を共にする。正真正銘の相棒だ。
爆発物の探知や麻薬の探知など、警察犬として訓練された犬には得意分野がある。ルークには麻薬探知の才能があった。
あるとき、デイルはパトロール中に本部からの無線を受けた。銃を所持した麻薬の売人が、警官の制止を振り切って逃走中だという。
「今日は運がいいぞ、ルーク」
後部座席にいるルークが、デイルとルームミラー越しに目を合わす。犬は鏡の構造を理解しないという者もいるが、ルークは普通の犬とは違う。
「追いかけっこの準備はいいか?」
尋ねると、ルークは待ちきれないと言わんばかりに一声吠えた。
「よーし。その意気だ、相棒」
警察犬隊に所属しているハンドラーの大半が、自分の相棒はそんじょそこらの犬とは違う、特別な一頭だと思っている。デイルにとってのルークもそうだった。
純粋無垢で、遊び好き。優しくて賢く、忠誠心に満ちた、世界で一番の犬だ。
デイルは署内でも名の通った遊び人で、決まった相手を持たずに色んな相手と逢瀬を重ねてきたが、一度だってルークをないがしろにしたことはなかった。
ビビッときた相手と一、二時間のお楽しみを味わった後は、まっすぐにルークの待つ家に帰って、二人と一頭で水入らずの時間を過ごした。献身的すぎる、と揶揄されることもあった。「デイル・ジャクソンは犬の尻に敷かれてる」と言われさえした。
それでも、ルークが自分に寄せる絶大な信頼と愛情を前にすると、デイルは歓びと綯い交ぜになった後ろめたさを感じるのだった。
これほど混じりけの無い愛を、自分はルークに与えてやれているのだろうか、と。
その日、本部からの指示に従って車を着けた場所には車を乗り捨てた跡があった。パトロール中の警官に車を停められた犯人は、トランクを調べられそうになったところで車を急発進させたそうだ。十数分に及ぶ追跡の末、犯人は車を捨てて、廃倉庫に逃げ込んだ。
デイルは、車のすぐ外にあった足跡を指さした。
「ルーク、捜せ」
警察犬のコマンドはドイツ語やチェコ語など、外国語を使用するのが一般的だ。ルークはデイルの指示を聞くやいなや、足跡の匂いを嗅いだ。しばらく鼻をフンフンと言わせた後で、キッと顔を上げて歩き出す。
「よし、いいぞ!」
倉庫はすっかり荒れ果て、今では家のない中毒者達が薬を打ったり、セックスをしたりするための場所になっていた。
ルークとデイルは、床に転がる注射器やパイプを踏まないよう、慎重に進んだ。ところどころ穴のあいた天井から光が差し込み、汚れた床の上に水たまりのような日だまりを落としていた。
去年の暮れ、ヘロイン工場への大規模な手入れが行われた。激しい銃撃戦の末、界隈を支配していた売人グループのトップと、その部下たちが死んだ。後釜を巡って、市内ではギャングによる縄張り争いが活発化していた。
その時、視線の端で何かが動いた。
「ルーク、警戒しろ」
デイルに寄り添ったルークが、さっと耳を動かす。その方向を振り向くと、暗がりに男が立っていた。銃を構え、こちらに狙いをつけていた。
手にしたリードから、ルークの緊張が伝わってくる。
ルークを動揺させないよう、デイルは努めて、緊張を表に出さないようにした。
「銃を置け。そうすれば、こちらも君を傷つけない」
男は若かった。まだ十代だろう。影の奥で見開かれた目には恐怖が宿っていた。地元の年長者に言われるがまま、麻薬ビジネスに引きずり込まれてしまったのだろうか。治安の悪いこの街で、そういう子供は珍しくない。
行き当たりばったりにここまで逃げてきたが、この先どうすればいいか、まったく見当がついていないのだ。
「銃を置くんだ。もうすぐここに応援の警官がやってくる。そうしたら、君は包囲される。勝ち目はない」
男の表情は変わらなかったけれど、デイルの言葉を一言一句漏らさずに聞いているのはわかっていた。
銃を構えた手の、肩にこもっていた力が、ほんのわずかに緩む。
──いいぞ。
それから一インチ、もう一インチと、銃口が下を向く。
その時、倉庫のドアを蹴破って、応援の警官がやって来た。
「銃を下に置け!」
威圧的に怒鳴られた男は、反射的に、下げかけていた銃口をあげた。その瞬間、デイルは、男との間にある数メートルの距離を跳び越えて、銃口の黒々とした深淵を覗き込んでいた。
その時、ルークが前に飛び出した。
「ルーク、駄目だ──!」
防弾ハーネスを纏った、小さな背中があっという間に遠ざかる。ルークはロケットのように男に突進し、腕に噛みついた。
そして六発の銃声が、がらんどうの倉庫にこだました。そのうち二発は犯人が射ったもの。残りの四発は、駆けつけた制服警官が放ったものだった。
男はその場に頽れた。ルークはそれでもまだ、男の腕に噛みついて放そうとしない。デイルは男に駆け寄り、床に落ちた拳銃を確保してからルークのハーネスを掴んだ。
「ルーク、放せ! もういい、もう大丈夫だ!」
毛を逆立てて唸るルークは、最後に数度、犯人の手首を振り回したあとで口を離した。
制服警官が男に駆け寄り、負傷の程度を確認する。応急処置の末、犯人は外で待機していた救急車に搬送されていった。
これで、ひとまずは一件落着だ。
「まったく、お前ってやつは──」
デイルが血気盛んな相棒を労おうとした時、異変に気付いた。
ルークの身体に、力が入っていない。ひどく震えている。
「ルーク?」
しゃがみこんで、身体に手を這わす。右手が温かいもので濡れた。光にかざして確かめるまでもない。血だ。それも、大量の。
ピィ、とルークが鼻を鳴らす。自分の身に何が起こっているのか理解できず、怖がっているようだ。
「ルーク、ルーク、大丈夫だ。大丈夫だからな」
自分の声が震えていることに気付いたが、どうしようもなかった。
デイルはルークの身体をそっと抱え上げ、倉庫の外へと走った。
「重傷だ! 警察犬が重傷を負った!」
救急車に駆け寄ると、そこには売人が寝かせられたストレッチャーがあった。
「いますぐ病院に連れて行ってくれ! 重傷なんだ。頼む」
すると、救急隊員が前に進み出た。わずかに掲げられた両手を見て、デイルは、彼がルークを引き取ってくれるのかと思った。だが、その手は拒絶を示した。
「すでに人間が一人乗ってる。犬は一緒に載せられない」
その言い分に、どうやって抗議したのか思い出せない。
救急隊員は確かに同情するような顔をしてみせたが、優先されるべきは人命だと、はっきりとそう言った。それが規則だから、と。
「この近くに病院は? 動物病院はないのか!?」
周囲の景観に、野次馬に、手当たり次第に尋ねてみるけれど、答えはない。腕の中のルークの呼吸が速くなっていくのを感じた。
「頼む! 誰か助けてくれ!」
その時、同僚が、デイルの肩に手を置いて、こう言った。
「ジャクソン……せめて穏やかに逝かせてやれ」
無力感が胸を貫き、デイルはその場に頽れた。
アスファルトの地面にルークを降ろすと、彼は感謝するようにゆっくりと尾を振った。
「ルーク、ルーク、ごめんな……」
プロに徹して、涙を堪えるなんてことはできなかった。ルークは誰よりもデイルを信じ、愛したために死んでゆくのだ。
だが、デイルを見上げる彼の目に、それを後悔する気持ちは少しも無いようだった。舌をだらりと垂らし、浅く深い呼吸を繰り返しながらも、デイルから片時も目を離さない。
「ルーク……!」
やがて、すこしずつ呼吸が弱まり、目から光が消えてゆく。
「ルーク、待ってくれ、行くな」
彼は最後に一度だけ、ピィと鼻を鳴らした。二人きりの時間、デイルに甘えるときにそうしたように。
「ルーク?」
返事はなかった。いくら呼んでも、ヒゲの一本さえ震えることはなかった。
「ルーク……ああ……!」
デイルは、もはや痛みを感じなくなったルークの身体を抱きしめて、身体が空っぽになるまで泣いた。
その様子がSNSで拡散されると、テレビのニュースで取り上げられた。その後行われたルークの葬儀では、人間の警察官と同じように、棺に国旗がかけられ、弔砲まで鳴らされた。
デイルは、もう涙を流さなかった。こんな立派な儀式も、お涙頂戴の報道も、すべては茶番だと思った。
そして葬儀から二週間後、デイルは警察犬隊からの異動を願い出た。そして、死ぬまでの五年間、犬とは無縁の生活を送ってきた。
◆ ◇ ◆
「それで……元気でしたか、デイル?」
ルークはビールらしき液体が入った、木のジョッキをデイルの前のテーブルに置いた。
あの後、ルークはデイルを酒場に連れて来ていた。周囲はがやがやと騒がしいが、おかげで気が紛れた。
かつて自分の相棒だった警察犬が、人間の姿で自分に酒を奢ってくれるという、異常すぎる事態にもさほど驚かずにいられるのは、ここに来るまでにルークが説明してくれた、さらにとんでもない経緯を飲み込んだ後だからだ。
「まあ、そこそこ元気だったよ。薬の売人に打ち殺されるまでは」
キツい皮肉に、ルークは悲しげな目をしてみせる。
「それは気の毒に」
けれど、彼は気を取り直したように表情を明るくした。
「しかし、ここでこうして再会できたんですから。よかったですね」
「まあな……」
どうやら、ここは死後の世界らしい。
人が死ぬと、その魂は次の次元へと旅をする。そうして行き着くべき世界は無数に存在していて、ここはその中の一つなのだという。神話を信じていた頃の人間が、冥界とかヴァルハラと呼んだのは、こういう世界のことなのかもしれない。
この国は『ウェシリア』と呼ばれている。王が国を治め、魔法中心のテクノロジーで社会が回っている。大きな国では無いが、安定した平和を保っているという。
周囲は、妙な格好をした連中で溢れていた。チュニックや革鎧を身につけ、武器を身に帯びた戦士風の者から、ローブをはためかせて歩く学者風の者、めかし込んだ貴族のような者まで、さまざまだ。
ルークのように、身体の一部に動物の特徴を有している者もめずらしくなかった。耳や尻尾、牙に鉤爪。翼が生えた者もいる。酒場の主人がトカゲ人間だったのには、さすがに面食らったが。
移動手段は当然のように馬で、酒場の前には馬を繋いでおくための柵と、水飲み場が用意されていた。
街には武具屋に防具屋、魔法小間物屋が並び、薬屋のショーウィンドウには当然のように魔法薬が陳列してある。
まるっきり、ファンタジーの世界だ。
ここで産まれて死ぬ者がほとんどだが、ルークやデイルのように、よその世界から飛んできた魂が受肉することで二度目の生をうける者も、ごくごく稀にいるという。中にはルークのように、前の生とは異なる姿を結ぶこともあるそうだ。
つまり、デイルは元の世界で死に、この異世界へとやってきたと言うことだ。
死の間際、カレンに向かって言おうとした『死は終わりではない』というジョークを思い出す。まさかあれが真実だったとは、二重三重にたちの悪い冗談だ。
とは言えこんな状況でも、ルークと再会を果たせたことを喜べないわけではなかった。
ルークは、こちらではルキウスという名で通っているようだ。ルキウス・ケイナイン──警察犬のルーク。そのままだ。
彼は今、満ち足りた表情でデイルの前に座っている。改めてみると、彼は犬だった頃のルークにそっくりだった。顔つきが、というのではなく、雰囲気が似ているのだ。ふとした拍子に口もとから舌を覗かせ、ハッハッと楽しげに息を弾ませそうな気さえした。
「お前が元気そうで、良かったよ」
デイルは無意識にルークの頭に手を伸ばした。すると彼は、デイルが頭を撫でやすいようにひょいと頭を下げ、両耳をぺたりと倒した。
自分がしようとしていたことに気付いて、デイルはあわてて手を引っ込めた。
「悪い」
ルークも同じように、少し恥じ入ったような表情を浮かべた。
「こちらこそ。つい癖で──」
その時、デイルとルークの目があった。その瞬間の、なんとも言えない一体感──心を和ませる馴染み深さに、デイルは、自分をまごつかせる全ての事実を脇に追いやり、心の底からの笑みを浮かべた。
「やっぱり、お前はルークなんだな」
「はい」
ルークは、にっこりと微笑んだ。犬だったときに比べると幾分控えめだったけれど、その眼差しは紛れもなくルークものだ。
彼の目を見ていると、どういうわけか不安が消える。
デイルは、ジョッキの中の飲み物に口をつけてみることにした。香草で香り付けをしたビールらしい。癖のある味だが、美味しかった。
少し緊張がほぐれて、この状況の『良い面』に目を向ける余裕が出てきた。
「それで、お前の方はどうしてた? 隊長って呼ばれてたけど」
「実は……あなたと同じような仕事をしています」
デイルは眉を上げた。
「警察ってことか?」
「まだ発足したばかりで、あちらの世界ほど立派なものではありませんが」
ルークも、自分の分のジョッキから酒をのんだ。
「王命を受けて、領内で起こった事件の捜査や、治安維持を担当しています。俺はご覧の通り、犬としての性質を持ったまま転生したので、相変わらず鼻が利きますし」
「そいつはすごいな」
その時、ルークがちらりと上目遣いでデイルを見た。大好きなガムをねだるときの顔とそっくりだった。
「どうした?」
おもわず、彼のハンドラーだったころと同じ尋ね方をしてしまう。
甘やかすような口調に反応したのか、ルークの耳がわずかに倒れかける。が、気を取り直したらしく、耳は再びピンと直立した。
「実は、あなたに話さないといけないことが……」
その時、酒場のドアが勢いよく開く音がした。振り向くと、いかにも柄の悪そうな四人連れの男たちが入ってくるところだった。
彼らはやかましい音を立てて酒場のど真ん中の席に腰を下ろすと、我が物顔で給仕を呼びつけ、あれこれ注文をし始めた。
「どの世界でも、ああいう連中には事欠かないな……」
デイルが言うと、ルークはこくりと頷いた。彼の目元は緊張に強ばったまま、胡乱な客を見つめている。
警察犬としての訓練を一緒にはじめた時、ルークは他者への警戒心を抑えるのに苦労していた。訓練が進むにつれ、警戒すべき人間とそうではない人間の区別をつけられるようになった。今彼が浮かべている表情は、訓練をはじめた当初の彼を思い出す。
「ルーク、大丈夫だ。ただのごろつきだよ」
安心させようと、ルークの手に触れようとしたときだった。
ごろつきの一人が立ち上がり、高らかに告げたのだ。
「来い!」
その瞬間、デイルの意識がぐらりと揺れた。
「な……んだ、これ」
頭が重くなり、身体がムズムズと疼く。発せられた命令に従わなければ──それがあたかも生理的欲求であるかのように感じる。
「俺……行かないと──」
「デイル、まさか……!」
ルークが狼狽したように呟き、デイルの手を握った。と同時に、さっきの男がまた、大声で言う。
「来い! 売女ども、今すぐにだ!」
自分の意志とは無関係に、身体が勝手に反応して立ち上がろうとする。
「デイル、いけません」
ルークが一層強くデイルの手を握る。そうしている間にも、店内に居た給仕や、他の客の相手をしていた娼婦たちが、ふらふらと男たちの元へ集まっていく。
「これ……何なんだ」
デイルは、自分の身体が波間に揉まれるブイのように翻弄されているのを感じながら、なんとか尋ねた。
「気分が悪い……頼む。少しの間だけだから、行かせてくれ──」
その時、ルークがゆっくりと、断固とした声で告げた。
「デイル、待て」
その瞬間、今までとは比べものにならないほどの力を感じた。大きな手が身体全体を包み込み、生かさず殺さずの力加減で押さえつけられているかのような──。
その命令に従うのは、とても自然で、当然のことのように感じた。
「ルーク……俺に何をしたんだ?」
混乱を露わにしたデイルに、彼はこう説明した。
「この世界では、人びとにある特性が与えられることがあります。他者に命じる性と、それに従う性です。あの連中は支配性のようです。そして──」
ルークは同情と、それ以外の、名状しがたい強い感情を湛えた目でデイルを見つめた。
「あなたは、従属性の性質を得たようですね」
「従属性……ってのは?」
「支配性《ドム》が発した命令に従うことで、高揚感を得る性質を持つ者です。命令への抵抗力が弱いと、操られてしまう危険がある」
「そんな……」
とても理解が追いつかないと思うのに、肉体の方はさっそく、その説明を受け入れてしまっているようだった。
ごろつきの命令に従わなければと感じたのは強迫観念に近い感覚だったが、ルークのコマンドに従う時には、一切の抵抗を感じなかった。命令に従うと、満たされる。多幸感さえ覚える。
理解が深まるほどに、恐怖も感じた。
こんな性質が存在する世界で、どうやって自分の身を守れるというのだろう。
その時、ごろつき連中の一人が、また大声で命令を発した。
「服を脱げ、女ども!」
また、吐き気にも似た切迫感がデイルを襲う。シャツのボタンに指をかけなければと思うと同時に、そんなことは死んでもやりたくないと思う。本能と理性のせめぎ合いに、胃がキリキリと引き絞られるようだった。
ルークが席を立ち、デイルの肩に手を置いて、耳元で囁いた。
「デイル、俺を見て」
顔を上げると、ルークと目があった。優しくも頼もしい、明るい茶色の瞳が、デイルを鼓舞するように微笑んだ。
彼はデイルの顎を指先でそっと撫でると、こう言った。
「いい子です、デイル」
溺れそうなほど甘い戦慄が、全身を駆け巡る。まるで、肌の表面にいくつもの小さな花が開いたような感覚だった。
「お前は……支配性《ドム》なのか」
ルークはこくりと頷いた。そして、彼はデイルの顎から手を放し、乱痴気騒ぎを繰り広げているごろつきの席へと歩いて行った。
デイルはその姿から目を離せなかった。
ルークが前に立つと、男たちの声のトーンがわずかに下がる。膝の上に給仕の娘を乗せた一人が、ルークの格好をじろりと睨んで、こう言った。
「なんだ。ギゼラ殿下の飼い犬部隊が、俺たちに何の用だ? 仲間に入りたいってか?」
その冗談に、残りの男たちがドッと笑う。
「合意なく命令を使うことは禁じられている」
ルークが、冷静な、だが力強い声で言った。
「命令なんて大げさな。俺たちはただ、娼婦を呼んだだけだぜ」
彼らのまわりには、確かに派手なドレスを着ているものも居るが、数人は給仕の女性も混ざっていた。命令は、相手を選ばずに無理やり従属させる力を持つらしい。
「命令には、前もって当人同士の合意が必要だ」
ルークは辛抱強く繰り返してから、男の膝の上に腰掛けた女性に声をかけた。
「貴女はこの男と取り決めをしたか?」
娘は無言のまま、首を横に振った。
「なにをしちめんどくせえことを抜かしやがる。従属性の娼婦なんざ、命令に従うくらいしか脳がねえってのに──ほら、踊れ!」
すると、女たちは操り人形のように席を立ち、その場でぎこちなく踊り始めた。デイルの足もソワソワとおちつかなげに動いたものの、ルークの声の残響を思い出して、何とか抗うことができた。
今や酒場の客たちの耳目は、ルークとごろつきたちの対決に注がれている。フロアの片隅で楽隊が奏でていた音楽は調子はずれになり、時折不協和音が混ざっていた。
「もういい」
ルークが命じると、女性たちは動きを止めた。
「店の奥に避難していなさい」
すると、彼女たちは無言で頷き、カウンターの裏へと小走りで逃げていった。
「おい! 何を勝手に──」
立ち上がりかけたごろつきにのし掛かるように、ルークが距離を詰め、見下ろす。彼が男を睨み付けた瞬間──その目を見た瞬間に、金属音に似た耳鳴りが、デイルの頭蓋を貫いた。
「……っ!」
固いもの同士が擦れ合うような音を聞いた気がした。それから、一方にひびが入り、砕けるような音も。
それは厳密には音ではなかったかもしれない。第六感のようなもので、そう感じただけだったのかもしれない。だがデイルは確かに、今の勝負で勝ったのはルークの方だと理解した。
ごろつきは慌てふためきながら席を立ち、そそくさと店を後にした。
騒ぎが落ち着くと、ルークは店主を呼び、男たちが出した損害をその場で補填した。そして、次からは最初に命令を使用した時点で店から放り出すようにと指導した。
そしてようやく、ルークがデイルのところに戻ってきた。
「一人にしてしまってすみません──デイル? どうかしましたか?」
デイルは、さっき耳にした奇妙な音が、まだ身体の中で反響しているような気分の悪さに襲われていた。まっすぐ座っていられず、机に突っ伏しかけている。
ルークはハット息を呑み、慌てはじめた。
「ああ、しまった。すみません。俺の威圧を浴びてしまったんだ!」
グレアが何のことなのか、尋ねる気にもならない。
「あー……そうだと思う」
ルークは、さっきごろつきに対して見せた毅然とした態度をかなぐり捨て、オロオロと辺りを見回した。
「休める場所を確保しますから、待っていてください!」
彼は大慌てで、店主に話をつけてから戻ってきた。酒場の二階にある宿の部屋を取ったと言うので、ふらつく身体を支えてもらいつつ、階段を上った。
部屋は、小さなベッドと衣装箱が置かれているだけの質素なものだった。だが、こちらの世界に来てから休みなく異様な現実を注ぎ込まれ続けたデイルにとっては、天国のように安らげる空間に見えた。
ルークはデイルをベッドに寝かせると、その傍らに腰を下ろした。
「さっきは、すみませんでした」
ルークの耳は頭に張り付くほどぺたりと寝てしまっている。あまりにも悄然としているので、デイルは思わず笑った。
「正直、何を謝られているのかもわからない」
デイルの笑顔を見て、ルークの耳がほんの少し立ち上がる。
「命令を使うことが許されるのは、事前の合意がある場合だけです。このウェシリアでは、そんな当たり前のことが長い間無視されてきました。しかし、俺が使えるギゼラ殿下は、そのことを憂い、変えようとしておられます」
デイルは「ああ」と呟いた。
「警察のような仕事……って、そういうことか」
ルークは頷いた。
「はい」
彼の毅然とした仕事ぶりは、惚れ惚れするほどだった。彼の治安維持隊は発足して間もない組織だと言うが、とてもそうは思えない。
「立派だったよ、すごく」
ルークは小さく息を呑んで、嬉しさを隠し切れない様子で身じろぎした。だが、すぐに真面目な表情に戻った。
「支配性や服従性といった性力学が関係する事件の捜査と、治安維持が俺の仕事……なんですが」
彼は再び反省の色を浮かべた。
「誰よりも厳格に掟を守るべき俺が、あなたの合意を得ずに命令してしまった……おかしな感覚だったでしょう? もう二度としませんから」
気付くと、デイルはルークの腕を握っていた。
合意さえ結べば、あの感覚をまた味わえるのかもしれない──そう思ったら、手が勝手に動いていたのだ。
ルークの目が、デイルに注がれる。次の命令を待って、信頼を湛えた瞳でデイルの顔を見上げていた。昔のままの眼差しが、そこにあった。
「合意って、具体的には?」
「合い言葉を決めると言うことです。一種の呪文で、それを口にすると結界が生まれ、全ての命令は力を失います。それでも無理強いしようとすれば、支配性は肉体的苦痛を味わうことになる」
「なるほど。それなら──」
一瞬、考え無しに、「合い言葉を決めよう」と口走りそうになる。
けれど、踏みとどまった。
命令と服従で繋がれた関係が、ルークをどんな運命に追いやったのかを思い出したせいだ。
彼は苦痛に満ちた死を経て、この世界で新しい人生を得た。新しい仕事につき、新しい人間関係を育んでいるようだ。居場所があり、地位もある。彼には新しい未来があるのだ。
それなら、ここで再び自分が関わって、彼を昔に引き戻すのは……ルークのためにならない。
「色々と、ありがとうな」
昔のように「相棒」と呼びそうになったが、それも堪えた。
ルークは、転生してきた人が最初に行くべき場所をいくつか教えてくれた。生活の支援をしてくれる部署もあるという。移民局のようなものだろうか。それなら、生活の基盤を整えて自立することもできそうだ。
ルークと関わりを続けることを自分に許したとしても、彼を責任感や同情や、他の何かで縛るような存在にはなりたくない。だから早いところ、ここに自分の居場所を定めなくては。
だが、とりあえず今日のところは、泥のように眠ってしまいたい。
デイルの疲労を見て取ったのか、ルークが微笑んで言った。
「宿代は払ってありますから、今夜はここでゆっくり休んでください。俺は……仕事に戻らないと」
「ああ。わかってるよ、ありがとな」
ルークは部屋を立ち去りかけたものの、名残惜しそうに振り向いた。
「あの……また、あなたに会いに行きます。いいですよね?」
元の世界では、こういう状況でメールアドレスの交換やらなにやらをして、互いに連絡を取る方法を確保できたが、ここではどういう仕組みなのか、よくわからない。
「俺の居場所がわかるなら」
彼を束縛したくない気持ちも手伝って、つい消極的な返事をしてしまう。すると、ルークはフフ、と微笑んだ。
「俺にはわかりますよ。あなたがどこに居ても」
そして、部屋を出ていった。
デイルは大きなため息をついて、目を閉じた。
身体は疲れ切っていたけれど、意識は妙に冴えていた。まるで、大変な事件を担当した直後のようだった。短期記憶のフラッシュバックが脳裏に閃いては消えてゆく。
その時ふと、脳裏に疑問が浮かんだ。
あのとき、まるで待ち構えていたみたいに、ルークはデイルを迎えに来た。
──俺がこの世界に来ることを、彼はどうやって知ったんだ?
その答えに思いを巡らす前に、デイルは眠りに落ちていた。
†
犬として生きるのは幸福だ、とルークは思う。よい飼い主に恵まれれば尚のこと。
犬には、過去に頭を悩ますことも、先のことを思い煩う必要も無い。今この瞬間の喜びと悲しみ──そして愛が全てなのだ。
デイルが骨の形の玩具を投げてくれる時の喜び。デイルと離ればなれでいる時の悲しみ。デイルが自分を見つめて微笑んでいるときに感じる愛情。それが、犬として生きていた頃のルークの全てだった。
世界はデイルを中心に回っていて、それ以外のことは全て余白に散らばったガラクタに過ぎない。(中には、興味を惹くガラクタもあったけれど)
ルークにはデイルが居れば良かった。ルークはデイルのもので、デイルもまたルークのために存在するのだと確信していた。
デイルとこの世界で再会できたときには、その直感は間違っていなかったのだと思った。
転生者は、次元の間に起こる嵐に乗ってやってくる。運命に導かれ、異界の扉である、森の中の巨石に、その者たちは流れ着く。
前触れは、王宮勤めの占い師のところに訪れる。天啓が占い師を呼び、占い師が水晶玉を覗き込むと、次にこの世界にやってくる者の顔を見ることができるのだ。
五年に一度あるかないかという頻度で訪れる転生者の噂を、ルークが耳にしたのは偶然だった。
『ルキウスの次にやってくる者も、やはり同じ世界の者らしい』
占い師の話では、先に転生した者との縁の強さに引きずられて、前世での縁者がこちらにやってくることがある、と言う。
ルークの、デイルへの思いの強さを思えば、少しも不思議では無かった。だからこそ、ルークは時限嵐の前兆を待った。
占い師が次の転生者を見出してから、実際にその者がやってくるまで、どれくらいかかるのかはわからない。
そう早くなければいいという気持ちもあった。仕事を全うし、すっかり年老いてからの再会でも、嬉しい。とにかく、再び会えるのならどんな形での再会だって構わなかった。
だが、転生はルークが思っていたよりも早かった。つまり、デイルは若くして死んでしまったという事だ。自分と同じように。
占い師が転生者の到来を告げたとき、ルークは誰よりも早く、巨石の元へ駆けつけた。
扉に近づくほどに濃くなってゆく懐かしい匂いに、ルークは運命の導きを感じた。ふたりが一緒にいるのは正しいことなのだと思った。
道半ばで命を落とした者同士、今度こそこのウェシリアで、幸せに生を全うできるはずだ、と。
今でも、そんな風に確信できていたら良かったのに。
あれから二年。あの再会から、二年もの月日が過ぎてしまった。
今やルークの『確信』はさび付き、埃にまみれて心の片隅に転がっている。
ルークがついたため息を聞きつけて、馬に乗って前を進んでいた部下が、鞍上で心配そうに振り向く。
「お加減がわるいのですか?」
「いや、大丈夫。少し寝不足ぎみなんだ」
ルークは安心させるような微笑を浮かべてみせた。部下はホッとしたように頷き、また前へと視線を向けた。
「現場はあちらです」
「ああ」
部下に案内されるまでもなかった。現場には、すでに多くの人だかりができていた。先に駆けつけていた部下が保全を担当していたものの、この人出では、残された証拠も、手がかりとなる臭跡も弱まってしまっただろう。
街の無法ぶりを嘆く第三王女ギゼラ殿下の命により、治安維持隊が組織されてから六年になる。ウェシリアでは、これが初めての公的な法執行機関だ。ルークは隊長として、思い出せる限りの前世の記憶に頼って組織を導いてきたが、自分を含めた隊員の練度も、街の住民の理解も十分とは言えない。
手綱を引いて馬を下りる。
そこは街の裏通りの入り口で、昼日中でも薄暗い界隈の、さらに暗い一画だった。
貧しい住民が多く住むこのあたりでは、傾きかけた集合住宅を補強するついでに、更に上階を増築する。そのせいで、危なっかしく傾いだ建物が互いに寄りかかり合うように並んでいた。
人混みを掻き分けて路地に入ると、予想していたとおりの光景が広がっていた。
身を縮めて蹲ったままの、若い女性の遺体だ。
一見したところ外傷はないが、一方の手で膝を、もう一方で頭を抱えている。それでも身を守ることはできなかった。彼女を殺したものは、彼女自身の中に存在していたのだから。
「また、被支配性虚脱症による死者ですね」
部下が陰鬱な声で言った。
服従性虚脱症とは、服従性と、充分に信頼関係を築けていない支配性との間で行為が行われた後などに発症する。服従性の者が行為後に充分なケアを受けず放置されると、無力感や虚脱感に苛まれ、最悪の場合は死に至る。
衣服の乱れを見るに、ここで何らかの行為が行われていたことは明白だった。
ほつれた髪から垣間見える口元には真っ赤な紅が引かれていた。他の犠牲者と同じように、彼女もこのあたりで身を鬻いでいたのだろう。
「これで、今月に入って三人目か……」
服従性虚脱症自体はそう珍しいものではないが、死亡するほど深刻な症状は珍しい。それが、今月だけで三人もの犠牲者を生み出している。
──ギゼラ殿下はお喜びにならないだろう。
ルークはため息をついて、部下に証拠の保管と遺体の搬送、周辺の住民に聞き込みをするよう指示を出した。
「後ほど本部で落ち合おう」
「隊長はどちらへ?」
ルークはもう一度、今度はさっきよりも重いため息をついた。
「助っ人のところだ」
事件現場からそう遠くないところに、『シスリー印刷』の看板を掲げた建物がある。地上階と地下室は印刷屋のものだが、ルークが目指しているのは、二階にある小さな貸店舗だった。
階段を一歩ずつ登っていく足取りは重い。ドアに打ち付けられた木の板に、インクで『ジャクソン探偵社』と書いただけの看板が出ていた。
ノックする前から、ルークの鋭敏な聴覚には、二人分の寝息が聞こえていた。
今日百度目のため息をついてから、ルークは扉を叩いた。
「デイル?」
返事はない。今度はもっと大きな声で呼んだ。
「デイル! 起きてください!」
重い物が床に落ちる音がした。それから、ずるずると何かを引きずる音。よろめく足音が近づいてきたと思ったら、ドアが開いた。
「……なんだ」
饐えた匂いと、それから、紛れもないセックスの残り香が鼻をつく。ルークは、鼻に皺を寄せないように自分を抑えた。
「お話を伺いたいことが。入ってもいいですか?」
デイルは返事をする代わりに呻き、ドアを大きく開けた。
事業主の風貌とは裏腹に、〈ジャクソン探偵社〉の事務所は片付いている。デイルは店舗の奥に向かって歩きながら、客を応接するための長椅子で眠っている、若い男の脛をぽんと叩いた。
「おい、そろそろ出て行ってくれ」
男は眠そうに呻きながら身を起こすと、ルークの存在に気付いて身を竦ませた。
「うわっ、なんで治安維持隊が!?」
歯を剥き出しにして唸り声を上げたかったが、どうにか堪える。
「お前に用は無い。さっさと出て行け」
男は慌ただしく靴をはき直し、乱れた服を直す間も惜しんで、事務所を出て行った。
また、ため息が出る。
かつてのデイルも、こういう……その場限りの、だらしない関係を好んでいた。知らない男と、欲望の残り香を纏って家に帰ってくる度、ルークの心はかき乱されたものだった。
あの時ルークが感じていたのは、純粋な嫉妬と独占欲、自分の所有物に他人が触れた時に感じる怒りでしかなかった。
でも今は……彼を独占したいと想う気持ちに、別の意味が加わっている。犬と人間の間にあった深い溝が無くなった今は、彼を独り占めした後のことさえ望めてしまう。
だからこそ、彼と会うのは気が重いのだ。可能性があるのに手が届かないと知るのは、一層絶望的な気分をもたらすから。
「それで、今度はどんな事件だ?」
ルークがこれまでの事件の概要を話すと、デイルはふむ、と呟いて執務机に寄りかかった。
「それでお前は、これが単なる事故じゃ無いと思うんだな?」
「はい」
ルークは頷いた。
「しかし、死ぬほど強力な服従性虚脱症を起こさせるほど力の強い支配性は珍しいのです。にもかかわらず、現場に残された匂いは、全て別人のものでした」
「つまり、服従性虚脱症を起こさせたのは支配性じゃなく、別の何かのせいだ、と」
デイルは、それに続く答えを期待するようにルークを見た。
「魔法薬の一種ではないかと……これは、俺の推測に過ぎませんが」
デイルは頷いた。
「うん、そうだな。俺もそんな気がする」
「去年から、服従性の神経をなだめ、服従性陶酔へと導きやすくするための媚薬が出回りはじめました」
服従性陶酔とは、信頼し合った服従性と支配性とが行う行為の最中に起こるものだ。服従性が己の心身を支配性に委ねることで、命令への服従が強烈な陶酔感をもたらすようになる状態のことを言う。
そして、被害者たちに死をもたらした服従性虚脱症は、しばしば服従性陶酔の反動として発生する。
「当初は効き目が弱かったのでそれほど警戒していませんでしたが……」
「薬物中毒者は、より効き目の強いものを欲する」
デイルが言った。
「薬で無理に起こされた服従性陶酔なら、死に至るほど強力な揺り戻しがあってもおかしくないな」
ルークは頷いた。
「現場に共通する手がかりは?」
「ほとんどありません」と、ルークは力なく首を振った。
「被害者が売春を行っていた事以外は……」
うーん、とデイルは唸った。
「聞き込みを続けていますが、収穫と言えるほどのものも無くて」
「そのかっちりした制服で話を聞こうとしても、難しいだろうな」
デイルは小さく微笑んでから、独り言のように呟いた。
「薬を流通させているやつが居るのは間違いない。だが、ウェシリアにメキシコのカルテルは存在しないし、組織的と言ってもたかがしれているだろう。生産者も売り手も規模が小さいなら──」
「小さいなら、何です?」
そこで、デイルは顔を上げ、物思いから醒めたように瞬きをした。
「いや、なんでもない」
それから、彼は立ち上がると、ゆっくりとルークに近づいた。
ルークは、今はもう存在しない尻尾が振れるような感覚を味わいつつも、真面目な表情を保った。
「こういう捜査の時、俺たちはまず金の流れを追った。売人を見つけるんだ。そうすれば、一番深い根っこがどこにあるかもわかる」
「はい」
デイルは凄腕の捜査官だった。
ラーストン市警の中でも、警察犬隊に配属されるのはエリートだけだ。その能力は、この世界でも少しも衰えていない。
訪ねてくる度に違う男を連れ込んでいようとも、探偵としての彼を頼る客が途絶えないのがその証拠だ。こちらの世界に来てほんの二年で、デイルは生活の基盤を整えただけでなく、自立し、確固たる評判まで手に入れた。
治安維持隊が法執行機関として未熟なのは、ルーク自身が痛感している。これまで多くの事件を解決してきたし、以前に比べて街の治安は良くなった。けれど、それは警察犬としての能力を活かせるルークがいるからこその結果だ。
この組織を、自分がいなくなった後にも存続させ、貢献できるように育て上げるには、まだ力不足だった。
「デイル……気持ちは変わりませんか?」
おずおずと切り出すと、デイルは肩をすくめた。
「治安維持隊に入れって話なら、気持ちは変わってない。俺は一人で動くよ」
拒絶されるとわかっていても、やはり胸が痛んだ。
この上、どうしてなのか理由を説明して欲しいとせがんでも、また別の拒絶を味わうことになるだけだ。
ルークは諦めて、暇乞いをした。
「ご協力に感謝します……デイル」
「ああ。気をつけろよ」
探偵事務所の外に出て、ドアを閉めた後も、ルークはもう少しだけそこに立ち尽くして、デイルの残り香と、彼の鼓動の響きの中に身を置くことを許した。
──俺はもう、デイルに必要とされていない。
彼と会うたびに、その事実が身体中に突き刺さる。
この世界にやって来て──人として生きるようになって十年以上が経った。胸を張るべき立場と実績を積み、肩書きにふさわしい責任を負っても居る。
それなのに、デイルを前にするとまだ、犬だったときの自分が息を吹き返す。かれに笑いかけて欲しい。構って欲しい。骨の形の玩具を投げて欲しい。彼が与えてくれる幸せをただ享受したいと願いそうになる。
──だから……そう。これでいいのだ。
ルークは、自分に言い聞かせた。
この前と、さらにその前にもそうしたように。
けれど、デイルとの道はもう分かれたのだと、何度自分に言い聞かせてみても、己の未熟さをいいわけにして彼を訪ねてしまう。
きっと、この事件が解決するまでにまた、あのドアを叩くことになるのだろう。
ルークはもう一度ため息をついて、治安維持隊の本部への帰途についた。
†
ドアの向こうでルークの足音が遠ざかるのを、デイルは静かに聴いていた。
ルークが隊長を務める治安維持隊は、警察機構としての黎明期にある。隊員の数は十人ほどと小規模だが、事件の検挙数だけを見れば悪くない。おまけに、住民からの評判も上々だ。
権力を与えられた集団が、むやみやたらに力を振りかざすような事態に陥っていないのは、ルークがよい隊長だからなのだろう。
彼に幾度となく、治安維持隊への参加を誘われていたが、デイルは固辞し続けた。
組織に属すれば、後ろ盾を得ることができる一方で、自分の言動にルールが適用されることになる。
ルールは、それが課された者に自制を促す一方で、守るべきものとそうでないものに線引きをするものでもある。
人命を優先することで、犯人の逮捕に貢献したはずの犬の命が簡単に使い捨てにされる。これも、ルールの弊害だ。
だからこそデイルはウェシリアで、自分でルールを決められる仕事を選んだ。
選択肢は他にもあったとは思う。警備員だとか、酒場の用心棒とか、街のど真ん中にある立派な城の衛兵になる道もあった。けれど、無数の手札の中から『探偵』を選んだのは、この仕事に多少なりと言えども、ヒロイズムを追求する余地があるからだった。
窓から通りを伺って、ルークの姿が無いことを確認する。
空はわずかに翳り、夕暮れ時が近いことを告げている。
動き出すには、いい時間だった。
ラーストンで麻薬の捜査をしていた頃、デイルが相手にしていたのはいわゆる『大物』たちだった。
市内に工場を構え、何百人という売人を抱えた密売組織のバックについていたのは、主にメキシコのカルテルだ。
連中は組織を細分化し、簡単には上までたどり着けないように何重にも警戒線を張っている。そういう手合いを相手にするには、金の流れを追うのが最も効果的な方法だ。麻薬で儲けた金を洗浄するルートを見つけては潰し、資金難に追いやって弱体化させてゆくのだ。
だが、麻薬が国家予算並みの大金を生むビジネスになる前までは、麻薬の取り締まりと言えばおとり捜査だった。
近年、おとり捜査は末端の売人を何人か吊り上げるだけのものになってしまったが、法執行機関と同じく犯罪組織も未成熟なウェシリアでは、昔ながらの手法にも活躍の余地がある。
おとり捜査の有用性をルークに伝えなかったのは、これが危険で、神経を削る方法だからというだけではない。
今回の事件でおとりになるには、服従性である必要があるからだ。
デイルは、事務所の看板に『本日の営業は終了しました』の札を下げた。
そして、小綺麗な服をくたびれたボロに着替えてから、見苦しくないコートを羽織った。
日が落ちて、街灯に魔法仕掛けの灯がともるころ、事務所の裏口から人通りも疎らになった通りに滑り出た。
探偵という仕事をしていると、後ろ暗い商売が街のどこで行われているかといった情報を手に入れるのは容易い。
街の外れにある貧民街の一画に、打ち棄てられた病院がある。外壁には蔦が蔓延り、屋根には穴があいていた。窓という窓は破れ、風雨にさらされたカーテンは幽霊のように窓辺に揺れている。
たとえ昼日中に見たとしても気持ちのいい光景ではないが、夜、まばらな街灯の明かりにぼんやりと浮かび上がる景色は、この街の影そのものだった。
廃病院を監視できる位置に身を潜めて待っていると、男がひとり、中へと入ってゆくのが見えた。
この廃病院が、いつからそうした目的に使われていたのか、誰も知らない。
デイルは音を立てないように病院のドアをくぐり、中へと入った。
老朽化した床板を微かに軋ませながら、誰もいない受付を通り過ぎ、病室の並んだ廊下に辿り着く。床の上に積もった埃や建材の欠片の上に、いくつもの足跡があった。
廊下の並びの中に、一つだけドアが閉まった個室があった。目指すべき部屋はそこだ。
ルークが歩くたび、靴底の砂利がひび割れたタイル敷きの床にこすれて、妙に大きな音を立てた。
個室の前で立ち止まり、決められた回数だけ、壁をノックする。すると、湿気で歪んだベニヤのドアが開いた。
隙間からこちらをうかがう目は、妙に彩度のない青い目だった。繋いだ視線を行き交う、問いかけと承認。ドアが開いて、デイルは狭い個室に身体を滑り込ませた。
部屋にあったのは、四本全ての足の折れたベッドのなれの果てと、床に置かれたマットレス、そして倒れかけた小さなキャビネットだけだった。床には古い薬瓶の破片が散乱していた。
刑事の目が、勝手に探る。赤毛。四十代。筋肉質。獣の耳も尻尾も生えていない。獣性を抱えていない分、扱いやすいかもしれない。日に焼けた肌をしているから、野外で働く肉体労働者か。血の気が多いタイプに見えるのは確かだ。
「合い言葉は〈ルビコン〉だ。いいか?」
「意味はわからんが、わかった」
男はむっつりと頷いた。
「なあ、盛り上げるためのものは持ってないのか?」
尋ねると、男はほんの一瞬、警戒するような目でデイルを見た。
「ああ……」
男が低く唸る。
「持ってないことも無い」
──ビンゴだ。
喜びを顔に出さないように気をつけながら、デイルは誘うような声色を使った。
「俺の友達が、凄く良かったっていうから、試してみたい」
すると、男はポケットの中をごそごそと探った。取り出したのは、親指ほどの大きさのガラス容器だった。男は蓋を捻ってあけ、瓶の先端をデイルの目に近づけると、数滴の液体を落とした。
不思議な温感が眼球の表面に広がった後、スッと冷える。間もなく、頭がぼうっとしはじめた。
なるほど、これが薬の正体か。デイルと同じく、ルークも経口薬を疑っていた。胃の内容物などの目に見える証拠ならまだしも、目に残ったわずかな痕跡を見落としても無理はない。
「いいか、吐くなよ」
ざらついた声で男が言い、デイルの髪を掴んだ。
「跪け」
その命令を浴びた瞬間、一瞬にして頭の中が真っ白になる。オーガズムの直前のような高揚感と多幸感に、脳がどっぷりと浸かってしまったような感じがした。
危機感を覚えるには、遅すぎた。
「あ……」
髪を掴んだままの手に押さえつけられて、砂利と、得体の知れない液体でぬかるんだ床に膝をつく。男がベルトを弄るカチャカチャと言う音に続いて、下穿きが引き下ろされる。男は髪から離した手でデイルの顎を掴み、言った。
「開けろ」
開いた口に、かすかに湿った生ぬるいものが押し当てられる。
知らない男の、知らないにおいに、理性は拒否反応を示せとせっつく。だが、抵抗する術もないまま命令に従った本能は、止めどない快感に溺れていた。
喉の奥からこみ上げるものを飲み下そうにも、口を閉じることが出来ないせいで、上手くいかない。喉の付け根をぎゅっと締めて、なんとか吐き気を堪えた。口の中に唾液が溢れる。
「早く咥えろ」
男は言いながら、自分のものを口の中に押し込んできた。
侵入してきたものを受け入れ、舌を這わせると、唾液が零れて、顎を伝った。
男の深いうめき声が、病室の壁に反響する。獣じみた快感に呑まれた男の声に、震えながら総毛立った。
男の手が首に掛かり、壁際に押しつけられる。
男の顔を見上げる。こちらを見下ろす青白い視線が、ギラリと輝くのを見る。
彼はデイルの後頭部を思い切り壁に打ち付けた。眼球が揺れ、ほんの一瞬意識がもうろうとする。力なく俯きそうになる頭を掴まれ、頭皮を引きちぎられるかと思うほど強く引っ張られる。首を掴む太い指に喉を開かされ──屹立しきった男のものが、奥まで一気に押し込まれた。
「ん゛ぐ……!」
「黙れ」
ヤスリを呑んだような声で、男が言う。
男は容赦なく腰を振り、デイルの頭ごと、何度も壁に打ち付けた。
痛みを与えられるほどに、身体から力が抜ける。すべてを投げ出して、この感覚に身を委ねてしまいたいと思う。両脚の付け根、下着の中で、脈打つたびに膨れ上がるものが解放を求めて疼いていた。
男が、デイルの喉を掴む手に力を込める。
「もっと締めろ、雌犬……」
幾たびもこみ上げる吐き気を押さえつけ、鼻先が男の陰毛に埋まるほど深く飲み込む。荒い息と口淫の音が、湿った個室に反響して、聴覚を犯す。涙が頬を伝い、唾液と混ざって滴った。
こんな暴力的な行為なのに、心臓が破裂しそうなほど昂揚していた。
「ああ……クソ」
男が、食いしばった歯の間から吐き出す。
「零すんじゃねえぞ……」
男は手を離した。次の瞬間、鼻梁が曲がるほど思い切り下腹部を押しつけられ、息もままならないほど深く喉を抉られる。
「ぐ、」
男はそのまま、ぬるく青臭いものを迸らせながら、屹立で喉の奥を突き破ろうとするかのように、腰を突き出した。何度も。
精液が喉を塞ぎ、鼻腔を逆流する。視界の四隅が暗く沈む。
「全部飲み込め……」
──まずい、意識が飛ぶ──。
次の瞬間、けたたましい音がした。と思ったら、喉に押し込まれていたものが引き抜かれ、目の前に空間が開けた。
いきなり流れ込んだ空気に思い切り咳き込み、デイルはそのまま、床の上に吐いた。青臭いものと胃液が混ざり合ったものが、ひりひりと鼻腔を焼く。
「クソ……」
もうろうとした意識の向こう側から、男の喚き声が聞こえた。
「何なんだよ!?」
それに答えた声に、デイルの体温は氷点下まで下がった。
「治安維持隊だ」
涙ににじむ視界にうかぶ背中。瞬きをすると、彼の姿がはっきりと見えた。
「治安維持隊……!?」
男は下半身を剥き出しにしたまま床の上で腰を抜かしていた。こちらに背を向けた救世主の背中から、空気が軋むほどの威圧感が発せられている。
「ルーク」
自分のものとは思えない、しわがれた声が零れた。
「ルーク、俺は平気だから──その男を拘束しろ。重要参考人だ」
「俺をハメやがったのか!? ちゃっかり楽しんでおいて──」
ルークは男の胸ぐらを掴むと、握った拳を振り上げた。
「ルーク、駄目だ!」
きっぱりと告げると、ルークはようやく振り向いた。
その目に、グレアの残光があったせいで、頭が揺さぶられる感覚に襲われる。デイルは口を拭って、ふらつきながら立ち上がった。
「俺は平気だ」
証明してみせるように、両脚に力を込める。ルークは顎の線を強ばらせながらも、無言で頷いた。
「外で待機している部下に引き渡します。あなたはここで待っていてください」
「ああ、わかった」
弱々しく喚く男を引きずって、ルークが部屋を出ていく。
その瞬間に膝が萎えて、デイルはその場に頽れた。さっき味わった暴力的なまでの服従性陶酔は消え失せた。それどころか、陶酔はデイルの体温さえも根こそぎ道連れにしてしまったようだ。
手を持ち上げる気力が残っているうちに、シャツの内側で目元を拭う。薬の影響から、早く脱しなくては──。
だが、理論的な思考ができたのもそこまでだった。
呼吸が深く、遅くなり、眠りに落ちる直前のようになる。欲求は消え失せ、圧倒的な孤独感や無力感が身体と意識を包み込んだ。
デイルはその場に寝そべって、耳鳴りと、寒さから身を守るべく自分自身を抱きしめた。震えは起こらないのに、耐えがたいほど寒い。
瞼は閉じていなかったけれど、次第に視界から光が消えてゆく。
これが服従性虚脱症──死に至る絶望だ。
「デイル!」
その時、ルークが部屋に駆け戻ってきた。彼の体温が自分を包むのを感じるが、温もりが遠い。
ルークはデイルの名を呼びながら身体を抱き抱え、膝の上に頭を乗せた。
いっそ安らかな気持ちで、このまま永遠の眠りに身を委ねてしまおうかと思ったとき、ルークが言った。
「デイル──許してください」
そして、彼が耳元に囁いた。
「俺に、キスして」
なんて命令だ──そう異議を唱えるよりも先に、身体が動いていた。
彼の唇は、デイルの唇からほんの数ミリのところで待ち構えていた。わずかに首を傾げて隙間を埋めると、身体に灯が灯ったように、全ての感覚が息を吹き返す。
薬の影響下にあるせいか──それとも噂で聞いたように、強い信頼によって結ばれた二人の間で行われる行為が特別だからなのかはわからない。
ただ、キスをした瞬間にデイルの息を奪った感覚は、新たな信仰を魂に刻み込む──まるで洗礼だった。
まるではじめてキスをした子供のように、歯と歯がぶつかる。それでも構わなかった。
デイルはいっそう強く、ルークを引き寄せた。
†
ルークの耳の奥で、ドクドクと滾る血の音が聞こえる。これは、犬だった頃に戯れでデイルの顔を舐めたときとは、まるで違う。心臓が鼓動する度に身体中が疼き、彼を求めろと──もっと貪れとせっついてくるようだった。
「は……ルーク──」
唇を離して、彼を見下ろす。唾液に濡れた唇を緩ませたデイルの表情に、またもや視界が狭くなる。
「頼む……もう少し、触れていてくれ。媚薬のせいで身体が……」
ルークは彼を抱き上げ、薄汚れたマットレスの上に、努めて優しくデイルの身を横たえた。寄り添って横になるだけでも、服従性虚脱症の悪化を防ぐことはできるはずだ──そう思った。
「デイル──」
名前を呼ぶと、彼はルークの頬を掴んで、キスをしてきた。
「ん……!」
犬の本能の名残が欲する無邪気なじゃれ合いと、支配性の人としての本能が求める、もっと艶めかしい欲望がせめぎ合う。
そして、あっけなく、欲望が一方をねじ伏せた。
彼が欲しい。出会った瞬間から、デイルは俺のもので、俺はデイルのものだったのだから。
想いの強さが二人を結びつけている。この世界で再会できたのがその証拠だ。俺の呼び声に、デイル自身が答えたのだ。
──でも、デイルはもう、俺を求めていないのに。
これは、彼を救うためだけの行為だと、理性は頭の中の冷静さをかき集めようとする。
だが、彼を救うためだけの行為の、何が悪いと言うのだろう。何よりも大切な存在を救えるなら──たとえそうすることで、自分の欲望が満たされてしまうとしても──それでいいではないか。
「デイル……俺に命令して。あなたがして欲しいことを」
ルークはすり寄せられる身体を掻き抱き、彼のぬくもりと、においと、ありとあらゆる生体反応とを貪るように感じた。
「俺が命令しても、意味ないだろ──」
「いいから」
尻を掴み、力を込める。腕の中のデイルは息を呑み、それから、鼻にかかる甘い声を漏らした。
「あ」
ルークの口づけを受けながら、デイルが囁く。
「ルーク……俺を抱け……」
それで、ルークは抑制を捨てた。
ベルトに手をかけ、引きちぎってしまいそうな勢いで留め金を外す。下穿き越しでも、彼の熱と昂ぶりを感じた。同時に、自分の中にある同じ衝動を、彼に理解させたいと、強く思った。
下をずらして剥き出しになったものを、一つの手で握りこむ。先走りを先端に塗り広げると、こすれあう屹立がなまめかしい音を立てた。
「あ、ルーク……それ、したら駄目だ、すぐ──」
デイルが言い、震える手でルークの手首を掴んで止めさせようとする。
「駄目だって……」
心臓が、痛むほどに強く鼓動を打つ。
ルークは手を離す代わりに、もっと強く握ってから、自分のものと右手とでなぶるように扱いた。デイルのものが張り詰め、力強い脈動が、彼の身体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。
「あ、あ、ルーク、い……」
抱きしめた身体が、ぶるぶると震える。
「イって、デイル……」
「あ……!」
息を詰め、張り詰める身体。そして、絞り出すような声と共に、温かいものが放たれた。
腹にかかる熱いものが、愛撫するように肌の上を伝い降りてゆく。ルークはそれを指で掬って、デイルの尻の間に塗りつけた。
「ちょっと待……あ!」
制止も聞かず、ルークは自分の指をデイルの中に沈めた。
「あ、あ、あ……っ」
指を動かすたびに漏れる声。嫌だと言いながら、両手はしっかりと、ルークを引き寄せていた。上気する肌、涙に蕩けそうな目、口づけに柔らかくなった唇。その一つ一つを認識するほどに、止めることができなくなる。
ルークはデイルの耳元に唇を寄せて、言った。
「あなたの中に入りたい──今、ここで」
デイルは、潤んだ目に、それでも挑戦的な輝きを浮かべた。
「まだ、俺の命令が必要なのか?」
ルークは微笑み、キスをした。
「いいえ」
身体を抱きしめ、体勢を導いて、彼の中に自身を沈めてゆく。
「ん、あ……」
首筋にキスをして、甘噛みをして、ゆっくりと抽挿を始める。デイルの中は熱く、先ほどの絶頂の余韻に、ひくひくと震えていた。
「ああ……デイル」
ルークは呟いた。
「あなたの中は……とても……」
「それ以上、言うな」
小さな喘ぎを漏らしながら、デイルは笑った。ルークも微笑み、デイルの懇願を無視した。
「とても、素晴らしいです……」
ルークは言いながら、根元まで埋め込んだもので、かき回すように腰を使った。
「もっと、掻き乱したくなる」
「は……あ、──」
デイルは甘々とした声で鳴きながら、ルークの手にしがみついた。ねだるように尻を押しつけ、キスを求める。
「ん……」
彼の望みを叶えながら、シャツをたくし上げ、片手で胸元を、もう片手でへその下に手を当てた。デイルは自分の手を重ね、乳首と、芯を取り戻しつつあるペニスへ導いた。
「あー……」
快感に呆けたような声。
「すごく、いい……」
感じる場所の全てから快感を得ようとする貪欲さに煽られて、ルークは動きを速めた。
身体がぶつかり合う音、結合部がたてる濡れた音、デイルのあられもない声が個室の中に充満してゆく。何かが高まる。大きな波のようなものが近づいてくる。
「ルーク──俺、またいきそ……」
「デイル……俺も──」
離れようとした気配を察知したのか、デイルがルークの腕をぎゅっと掴んだ。
「いやだ。このまま──」
息が深く、掠れてゆく。
「このまま全部、奥に……あ……!」
へその下を抱いて、引き寄せる。熱い内壁の奥に先端が届き、そのすぼまりをぐっと押し広げる。
脊椎が痺れ、おののいて、じわりと滲む。この感覚を手放したくないと思う。同時に、今すぐにその向こう側へ至りたいと思う。
ルークはデイルに覆い被さり、愛撫するように優しく囁いた。
「デイル、俺を見て」
瞬きを一つして、デイルがルークを見つめる。潤んだ瞳は、ルークの目に宿る光を照り返したように輝きを増していった。
そして彼は、こみ上げるものに耐えかねたように、艶めかしい息をつく。
「あ……い、く……っ!」
その瞬間、彼は震え、さらに震えて、情熱を再び迸らせた。そして、ルークのものもまた、熱く蠢く内壁の中で何度も脈打ちながら、とろりとしたものを溢れさせた。
「あ……奥……出てる……」
自身の屹立からなおも精液を零しながら、デイルはうっとりと声を上げた。
「デイル……」
荒くなった呼吸をなんとか落ち着かせて、彼を抱きしめる。
「ん……」
デイルはルークの頬を引き寄せて、キスをした。
「お前が来てくれて、よかった」
ルークは唇を離したものの、離れがたい気持ちに引き寄せられて、デイルの頬に頬をすり寄せた。
「もし間に合わなかったら、あなたはまた、俺の前からいなくなってしまっていたかも知れない」
ルークは、抱きしめた腕に力を込めた。
「二度と、こんな無茶はしないでください。俺の前で平気を装うのも駄目です」
デイルは決まり悪そうに微笑んだ後、ルークにキスをした。
「さあ、どうするかな」
曖昧な態度に、ルークが言い募ろうとしたとき、デイルが言った。
「それなら……合い言葉は、『俺は平気だ』にしよう。それなら無闇に乱発しないで済む」
ルークは一瞬呆気にとられた後で、フッと吹き出した。
「まったく、あなたって人は!」
そして、二人で声を揃えて笑った。
◆ ◇ ◆
数日後、デイルは治安維持局の本部で、ルークと並んである書類を眺めていた。逮捕した男が所持していた目薬は、王立研究所に送って成分分析を頼んだ。その結果が届いていたのだ。
「どうりで、俺の鼻でも異常を嗅ぎ取れなかったわけだ……」
報告書に寄れば、目薬の成分内に、服従性陶酔に至りやすくする物質が発見されたという。
「この目薬にはベラドンナのエキスが使用されています」
「ベラ・ドンナって、花のベラドンナか?」
ルークが頷いた。
「毒性のある花です。この汁を目に垂らすと瞳孔が開き、瞳の魅力が増すといわれていますが……神経痛の薬としても使用されているとか」
それで、デイルの記憶が蘇った。
「ベラドンナ……そうか。ナチスの自白剤に使われてた花だな。瞳孔散大はアトピリンによるものだろう」
アトピリンには中枢神経抑制効果がある。中枢神経抑制剤といえば、鎮痛剤や睡眠導入剤を指す。脳の活動を抑制し、不安やパニック障害の治療にも用いられる一方、依存を引き起こす危険性のある薬品でもある。ラーストンでも、処方薬の横流しが度々問題になっていたのだ。
「服従性の神経をなだめて、服従性陶酔への導入を容易にするのにうってつけだな」
「しかも、ベラドンナの目薬は、若い男女の間で日常的に使われています」
「美しき貴婦人ね……」
ルークは頷いた。
「成分表だけ見れば、それほど害を為すようには思えません。ただ、配合が普通の目薬とは違います。ベラドンナの用量が多く、しかも魔法による栽培の影響もある。効き目が桁違いに増幅されているんです」
「これで、薬の正体がわかったな」
「ええ」
デイルは肩をすくめて見せた。
「で、どうする? 治安維持隊、隊長殿?」
ルークはキリッとした表情を浮かべて、頷いた。
「この目薬の瓶には見覚えがある。ですから、まず製造元をあたります。いまから出向いて──」
待て、とデイルが口を挟んだ。
「真正面から突っ込むつもりか? その制服で?」
ルークは怪訝そうにデイルを見下ろした。
「いけませんか?」
デイルはしばらく考え込んでから、言った。
「俺がその薬の生産者だったら、工場に見張りを置いておく」
「でしょうね」とルークが頷く。
「それで、警察官が近づいてくるのに気付いたら、証拠を全部燃やして何食わぬ顔で出迎えるだろうな。で、次の週には何事も無かったかのように、別の場所で薬を作り続ける」
ルークは目元を強ばらせた。
「では、どうすれば……」
「時には、正々堂々とやってるだけじゃ駄目なときもあるってことだ。俺に任せとけ」
デイルは言い、ニヤリとして見せた。ルークはそれをとがめるように、眉をわずかに顰めてみせた。
「もしかして、そういう危ない橋を渡りたいから、治安維持隊に加わるのを拒んでいるわけではないですよね?」
「それもある」
デイルは真面目くさった顔で言った。
薬の製造元がわかれば、あとはルークの嗅覚に頼ればいいだけだった。
目薬の生産工場は町の港の側にあった。倉庫と工場を兼ねたこぢんまりとした建物だ。
デイルは二日ほど、ルークと交代しながら工場の様子を監視した。工場には昼夜問わず灯りが灯り、生産用の機械も休むこと無く稼働している。
表向きの商品である美容目薬〈美しき貴婦人の眼差し〉の出荷量と見合わないほどの働きぶりだった。
更に一日周囲を観察してみると、岸壁に開いた排水口を見つけた。ルークの嗅覚によれば、この排水口は汚水を流すためのものでは無いという。
「人間が何度も行き来している匂いがします。船のロープに使われる油の匂いも。ここから媚薬の荷下ろしをしているのでしょう」
その推測を裏付けるように、その夜、排水口の付近で揺らめく不審な灯りをとらえた。一隻の小舟が排水口のすぐ下につけて、いくつかの木箱を積み込んでいた。
「よし。見つけたぞ」
物陰に潜んだまま、デイルが満足げに頷く。
「あの量からすると、事業拡大を目論んでそうだな」
「では、早く摘発しなくては」
「ああ」
「明日の朝を待って、突入します」
ルークはせっかちに言った。どうやら、デイルが危ない橋を渡るまえに事件を片付けてしまいたいらしい。
「いや待て、もう一つやることがある」
すると、ルークは落胆の表情を浮かべた。
「これで充分じゃないんですか?」
「考えても見ろ。工場に黒幕がいると思うか? 一番足がつきやすい生産現場に常駐するはずがない。だから、といって、こっちを調べ尽くしてから黒幕を捕まえようとしても、雲隠れした後だった、なんてことになりかねない」
なるほど、とルークは頷いた。
「今、油断している隙に黒幕との繋がりを見つけておくんだ。そうすれば、不意打ちで一網打尽にできる」
「でも、どうやって繋がりを探ります? 工場周辺では薬品の匂いが強すぎて、わたしの鼻はあまり役に立ちそうにありません」
デイルはほくそ笑んで、自分の頭を指さした。
「ここを使うんだよ、ここを」
「頭を使って……?」
「頭を使って侵入経路をみつけて、忍び込み、書類を漁って尻尾を掴む」
ルークは呆れたように呻いた。
「お前は加担する必要は無いんだぞ。俺一人でできる」
「冗談でしょう。俺も行きます」
ルークが、半ば憤然と言い返す。
「ようやく『追いかけっこの時間』になったのに、俺をのけ者にするんですか?」
その言葉で、ルークを失った日の記憶がまざまざと蘇った。
口をつぐむデイルの顔を、ルークは首を傾げて覗き込んだ。
「デイル?」
「追いかけっこの時間は終わりだ」
固い声で言い返す。
「ふざけているわけじゃありませんよ。安心してください。俺が何度でもあなたを守ります」
デイルは、口をついて出そうになる言葉を飲み込んだ。もっと冷静になるべきだ。この状況を客観的にとらえるべきだと思った。それなのに、気付くとこう言っていた。
「もう、俺のことを守ろうとするな」
その声色があまりにもぎこちなかったからか、それとも、デイルの痛みを感じ取ったのか、ルークはぴくりと身を震わせた。
「どうして、そんなことを言うんです」
「お前は──」
六発の銃声。その残響が脳裏にこだまする。無垢な眼差しが光を失った瞬間の記憶が蘇る。あれほどの痛みを、デイルは他に知らなかった。自分の命を奪った弾丸の痛みさえ霞んでしまうほどの痛みだ。
「俺のせいで、お前は死んだ」
一瞬、何を言われているのかわからないと言いたげに、ルークがデイルを見つめた。それから、彼は静かに言った。
「あれは、あなたのせいでは……」
デイルは首を横に振った。
「あれからの数年間、おれがどんな気持ちで生きていたか……」
新しい相棒犬と組めば痛みはマシになると、幾度となくアドバイスを受けた。ルークは確かに素晴らしい犬だったけれど、他の犬だって同じくらいお前を支えてくれる、と。
それは真実だったのだろうけれど、理屈では説明のつかない何かが、デイルに別の道を選ばせた。
「人間だけを優先するルールがなければ、お前は生き延びたかもしれない。少なくとも、最後まで痛みに苦しんだまま死ぬことはなかった」
ルークは、デイルの腕にそっと手を置いた。
「再会してから……あなたが『ルール』を毛嫌いするようになったのは何故なのか、ずっと気になっていました」
「ああ。そういうことだ」
デイルは小さく肩をすくめた。
「だから、俺はもう、ルールに縛られた組織に所属しない。お前と組んで仕事をするのも……それ以外のことも、これきりにしようと思ってる」
二人の間に生まれた沈黙が見えない棘を伸ばし、肌に突き刺さりそうになる頃、ようやく、ルークが言った。
「わかりました」
彼の声は静かだったが、決して無機質なわけでは無かった。
「ですが、今夜だけはあなたの側にいます。相手があなただからでは無く──市民を守るのが、俺の仕事だから」
ルークの声に宿る使命感と誇りを耳にすると、自分の深層に埋めてしまった感情が共鳴しそうになる。
かつては毎朝鏡を見る度、ルークのリードを握る度に、その気持ちと向き合うことができていたのに。
一つため息をついてから、デイルは頷いた。
「ああ、わかった」
二人は港の物陰に身を潜め、交代で仮眠を取った。目覚めたのは朝の六時。工場で、日中のシフトとの交代が行われるのは間もなくだ。デイルは、毎週決まった曜日のこの時間帯に、夜のシフトの従業員が全員一階に集まっていることを掴んでいた。違法薬物製造の証拠を隠滅するため、機械の清掃をしているのだ。
事務所に詰めている責任者はこのタイミングで一度帰宅し、睡眠を取ってから昼すぎに戻る。つまり、事務所に侵入する絶好のチャンスということだ。
工場の裏手の壁沿いに、空き木箱が積まれている一画があった。窓はあるものの、光を嫌う薬品を守るためか、内側から暗幕をかけられている。二階部分には鉄製のバルコニーが張り出していたが、そこにも人気は無かった。
デイルは木箱の強度を確かめつつ、一つずつよじ登っていった。
ルークには見張りを任せた。何者かが階段を上ってくる音がしたら、窓に小石を投げつけて報せることになっている。
バルコニーの手摺りに手を掛け、慎重に乗り越える。足音を立てないように窓に近づき、中を覗く。
上げ下げ窓の汚れた硝子越しに見えたのは、明かりを落とされ、人気の無い事務所だった。
デイルは、地上で待っているルークに『OK』のサインを送った。
ルークは緊張した面持ちで頷き返した。
デイルは、探偵として働き始めてから重宝するようになったピッキングの道具を使い、易々と鍵を開けた。
窓を開け、身を屈ませて中に入る。デイルは事務所のドアに鍵がかかっていることを確かめてから、物色をはじめた。早朝の弱々しい光を頼りに、書類という書類に目を通す。机の引き出しを全て改め、いくつかの帳簿に台帳、それと無数の手紙を漁ったが、怪しい内容のものはない。
その時、一番上の引き出しを見て、デイルは違和感を覚えた。引き出しそのものの高さに比べると、底が高すぎる。試しに底板をノックしてみると、思った通り虚ろな音がした。二重底になっているのだ。
デイルは引き出しを目一杯引き出して、裏側から底を手探りした。鍵穴らしきものが指先に触れたので、心の中で快哉を叫ぶ。
床に寝そべって鍵穴の攻略を開始する。単純な作りの鍵だったのが幸いして、あっという間に開いた。
胸の上にストンと落ちてきたのは、はめ込み式の木箱だ。中からは、媚薬の生産量に関する指示書などが出てきた。
「ビンゴだ」
デイルは、侵入をすぐに悟られないよう、書類のうちの何枚かだけをくすねてポケットに突っ込むと、引き出しを元通りにして部屋を出た。
バルコニーから顔を覗かせると、ルークの顔がぱっと明るくなった。
「大成功だ」
声に出さず、口だけでそう言ったが、ルークは再び心配そうな表情を浮かべて、「早く降りてきてください」と言った。
デイルは「わかってる」と返事をして来たときと同じようにバルコニーの手摺りにぶら下がった。積み上がった木箱に爪先をつけようとした、その時だった。
ルークの背後、十メートルも離れたところに、一人の男が立っていた。
工場の見張りの一人が、火打ち石銃のようなものを構えている。もちろん、ウェシリアの銃がただの火打ち石銃程度の威力なわけがない。あれは魔法銃で、斜線上にいる全ての者を肉片に変えてしまえるほどの威力がある。
デイルの驚愕の表情に気付いたルークは、後ろを振り向いた。そして、刺客の存在に気付くやいなや──デイルの方を向いた。
「デイル、伏せて──」
「俺は大丈夫だ!」
ルークの命令を打ち消すように、合い言葉を放つ。その瞬間、自分の意識をとらえかけた戒めがはじけ飛び、同時に、ルークが身を竦ませたのがわかった。
デイルは木箱の上に降り立つと、そのままルークの立つ場所めがけて、身を躍らせた。
魔法銃の撃鉄が落ちる、カチリと言う音が響く。
緑色の閃光が銃口から噴き出し、こちらに向かってくる。
デイルはルークに体当たりした勢いのままに、思い切り地面の上を転がった。Kでの中にはしっかりと、ルークを抱きしめたまま。
ザア、という音と共に、ゾッとするほどの熱が頭上を通り抜けてゆく。暴風がは尾をなぶり、巻き上げられた小石が肌にめり込んだ。だが、それ以上の熱は感じない。
デイルは即座に身を起こし、見張りに向かって飛び出していった。
「デイル、駄目だ──!」
ルークの声を置き去りにして、デイルは走った。見張りは二発目の魔法弾を装填ししているところだ。あと数秒、もしかしたら次の瞬間にも、次の一撃が飛んでくるだろう。
だが、恐怖は感じなかった。
「この野郎!」
デイルは唸りながら男につかみかかり、銃を持つ腕を背中側に捻りあげた。見張りが銃を取り落とす。すると、駆け寄ったルークが見張りの首根っこをつかみ、額を工場の壁に叩きつけた。
見張りは気を失って、その場に頽れた。
ルークは唸るように言った。
「後で、話があります」
「わかってる。後でな」
二人は他の見張りが駆けつけてくる前に、急いでその場を後にした。
◆ ◇ ◆
その後、治安維持隊は媚薬製造の黒幕まで辿り着くことができた。デイルが手に入れた書類を辿って捜査線上に浮かび上がったのは、国王の寵臣として名高いとある貴族だった。
事件は一大スキャンダルとして、毎日のように人びとに噂された。同時に、治安維持隊の活躍は全ウェシリア国民に知れ渡ることにもなった。
デイルは、そのことを嬉しいと思った。ルークが成し遂げたことが──自分がその力になれたことが嬉しかった。誇らしいとさえ思った。
使命感と誇り。ルークを失ってから今の今まで、すっかり忘れていた感覚だった。
全ての関係者は投獄されたが、デイルも無関係ではいられなかった。捜査に協力したとは言え、不法侵入などの手段を用いたことまでは見逃してはもらえなかった。
結局、デイルとルークとは、何枚もの報告書を書かされることになった。が、それで済んだのは御の字だろう。
ふたりは治安維持隊の本部に缶詰になり、朝一番から取り組んだ。すべての報告書を完成させる頃には夜が明けていた。
「家まで送ります」
本部の建物を出ると、ルークが目をしょぼつかせながら言った。
「ああ……」
わざわざそんなことはしなくていい、と言うべきだったかもしれない。だが、デイルは彼の厚意に甘えた。
今後もルールに縛られた組織に属さず、ルークと組んで仕事をするのもこれきりにすると、デイルは宣言した。その決意は、二人の間でネオンのように点滅していた。無音だが、やかましいほどの存在感を伴って。
ジャクソン探偵事務所の前まで来たとき、「じゃあ、またな」の言葉を口にするのが、とても難しかった。だから、ドアの鍵を開けてからも中に入らず、代わりにこう言った。
「お茶でも飲んでくか?」
ルークが顔を上げ、縋るような表情を、ほんの一瞬だけ浮かべる。だが、その脆さは瞬く間に隠された。
「いえ。あなたはもうお休みになった方がいい」
「そう……だな」
気詰まりな沈黙が降りた。
「お前と仕事ができて、嬉しかったよ」
デイルはぽつりと言った。
「でも、『これきり』ですか?」
ルークの目には、彼が感じている痛みを見て取ることができた。けれど、口元には微笑が浮かんでいた。
自分の表情を取り繕うことを知らなかった彼が浮かべた笑顔は、精一杯のプライドと、デイルへの気遣いの証しだった。
「俺は……」
デイルは俯いた。すると、ルークが距離を詰めてくる。
「迷いがあるなら、今すぐに答えを出さないで」
唇が触れるか、触れないか──そのギリギリのところで、目が合う。濃厚な蜂蜜を思わせるブラウンの瞳に、身を委ねたくなるほど強い感情が揺らめいていた。
「貴方を失いたくないのは、俺も一緒です」
彼は言った。
「だからといって、俺はあなたを避けたりしない」
ルークは言い、キスをして……唇を噛んだ。
彼を責任感や同情や、他の何かで縛るような存在にはなりたくない。彼の気持ちが自分に向いているのは、警察犬とハンドラーだったころの記憶を、まだ引きずっているせいだと思っていた。
けれど……これはちがう。
違うとわかっていたはずなのに、今まで目を背けていた。
「せっかく生まれ変わったのに、また俺を選ぶのか?」
すると、ルークは理解できない冗談の意味を尋ねるみたいに、わずかに首を傾げた。そして、言った。
「生まれ変わったから、今度は別の形であなたを愛することにしただけです」
返す言葉は無かった。あったとしても、口にすることはできなかった。ルークが再びデイルの唇を塞いでしまったから。
それから彼はデイルをドアに押しつけたままドアノブを回し、二人して事務所になだれ込んだ。
抱きすくめられたまま壁際に追い詰められ、自分より少し大きな身体を押しつけられる。膝頭が脚の間に差し込まれ、逃げ場がなくなる。それなのに、不思議な安心感があった。
あたたかい舌が容赦なく、歯列や唇の裏側、口蓋にまで触れてゆく。
「ん……」
膝から力が抜けそうになるのを堪えられたのは矜恃の成せる技か。それとも、今度こそ『媚薬』のせいにはできないセックスに、少しだけ怖じ気づいていたせいかもしれない。
「……っ、あ」
ルークの手が、シャツの裾から這入り込んで、腰に触れる。
彼はそこで手を止めて、静かな声で言った。
「あなたが望まないのなら、俺はこれ以上、あなたに触れません」
デイルは、そっと手を伸ばした。頬に触れると、彼はそっと目を閉じた。そのまま、静かに、デイルの言葉を待っている。
デイルが目を背け、向き合うことから逃げ続けてきた言葉を。
「わかったよ」
デイルは再び、ルークの襟首を掴んだ。唇の間に差し込んだ舌で舌に触れ、誘い、望みをわからせると、彼はそれを理解して同じ事を返してきた。
腰をなで下ろし、尻を掴んで引き寄せる。
「俺を……抱いてくれ。お前が望むように」
命令でも、命令でもない。それはデイルの心と、ルークの心を繋ぐための、何の変哲も無いただの言葉だった。
ルークは微笑み、デイルの腰を引き寄せて囁いた。
「了解、デイル」
デイルの両脚の間に屈み込む、ルークの乱れ髪が揺れる。
ルークは、ベッドに寝そべるデイルの下半身に屈み込み、跪いて、一心不乱にデイルに奉仕している。
彼は唾液で濡れたデイルのペニスを口から引き抜くと、屹立したものに頬をつけたまま言った。
「上手にできてますか?」
まるで、投げた玩具を持ってきて、頭を撫でてもらうのを待っているような表情だ。けれど、彼は犬であって犬では無い。彼は自ら過去を超越し、新しいルークになったのだ。
──だったら、俺もそれを受け入れないとな。
「ああ、上手だ……っ」
言葉の途中で、情けない声が出てしまう。
フェラチオの傍ら、潤滑剤で濡れたルークの指が、自分の身体の奥深くに這入り込んで、中を弄っているのだ。
「ルーク……指、抜いてくれ」
「本当に、いいんですか?」
「はやく挿れてくれないと、終わっちまう──」
ルークが長い中指をくるりと回すと、指の背が何かに触れて、甘い衝撃が身体を突き抜けた。
「ん、あっ!」
一気に呼吸がおぼつかなくなる。
頭を仰け反らせ、声が出ないほどの快感が弾ける。両足の間で、ルークが唇を舐めた。
「ここが、いいんですね?」
いいながら、中指の腹でその場所を撫でる。
「あ、ルーク、そこ、あんまり弄るな……!」
ルークはデイルの懇願を無視した。そして、指先で円を描くように、虐めるように、何度もその場所に触れた。
「ルー、ク……!」
それから、びくびくと脈打っているものを再び口にくわえて、舌を絡めた。
「あっ──ああ……っ!」
腰から下が溶けそうなほどの快感に飲まれながら、ルークの顔を見下ろす。こちらを見上げる彼の目に、笑みの閃きを見た。
ルークが目を伏せ──と思ったら、左手が腰を抱いた。そうして逃げられないようにして、彼は思いきり深くまで、デイルのものを飲み込んだ。
「あ……!」
先端が、喉の奥の窄まりを押し広げるのを感じる。異物の混入を察知した咽頭が締め付けるのと同時に、温かく濡れた指が前立腺をそっと擦った。
駄目だ。
「ルーク──も、いい」
毛穴が弛緩するほどの戦慄が、両腕から背中を這い上がってゆく。早く抜かないと、このまま終わってしまう。それなのに、離してくれない。
「ル……」
囚われて、雁字搦めにされて、とても飲み込みきれないものを無理矢理に流し込まれている気分だった。
「ルーク……!」
息ができない。眼の奥が滲む。脳が溶ける。
「あ……」
その瞬間、ルークは完全に、動きを止めた。
「は……?」
目を白黒させるデイルをよそに、彼は喉の奥から射精寸前のものを引き抜き、疼くアナルから指を抜いた。
「な……っ」
ルークは上半身を起こすと、わなわなと震えそうになっているデイルをじっと見つめた。それから、何の前置きも無くキスをした。
「以前は気付きませんでした……あなたの泣き顔が、とても素敵なことに」
ルークは悪びれずに言った。
「この、サディストめ……!」
デイルは毒づいたが、息が上がっているせいで、全く様になっていない。
「俺は、あなたの全てを好いているだけの、ただの支配性ですよ」
ルークはデイルの頬を撫で、その手を首筋、胸、腰へ、ゆっくりとおろしていった。快感に飢えた身体が、そんな些細な刺激に波立つ。
「デイル……」
低く、滑らかな声で、ルークが言った。
「俺を、受け容れて」
肌を蕩かすほどの戦慄。そして、理性を呑み込む、どろりとした甘い蜜が脳裏に滲んだ。
「ああ……」
すでに勃ち上がったルークのものに触れただけで、自分の胸が期待に膨らむ。
腰を浮かせてルークを受け入れる瞬間に、とてつもない充足感を抱いた。
「あ……」
心の底で待ち望んでいたものを受け入れる。欠乏が埋まる感覚に、ため息が漏れる。
自分の身体が、ルークにあわせて形を変えてゆくのがわかる。柔らかく、震えながら、隙間無く包み込んでゆく。
そして、根元までを飲み込んだとき、ルークがくれた命令をなしとげたことで、途方もない多幸感に包まれた。
「あ……」
これは、薬で無理やり引き起こされた服従性陶酔の比では無い。
「あ、あ……」
「デイル」
ルークは小さく息をついた。
「動いても、いいですか……?」
「ああ……」
デイルは小さく頷いた。ほんの一インチ動いただけでもオーガズムを迎えてしまいそうだったけれど。
だけど動けば、もっと気持ちよくなれる。
本能が命じるままに腰を浮かせて、もっと深くへと受け入れると、呼吸と混ざり合った粗い声が漏れた。
「あ……は……」
ルークの手がデイルの尻を掴み、誘導するように引き寄せた。奥まで埋め込まれたものが、充血し、潤んだ体内をかき回す。
ルークが動く度、快感が増す。その感覚をもっと追い求めたい気持ちと、底なしの快感に身を委ねる事への恐ろしさとがせめぎ合う。微かな不安を感じたのか、ルークがデイルの首筋に手を当てて、引き寄せた。
「ん、ん……ルーク……」
目を閉じて、キスで唇と舌を繋ぐと、不安が遠のいていった。
打ち寄せる波のような抽挿が、浮遊感さえ伴う陶酔をかき乱し、さらなる快感を注ぎ込んでくる。
「あ、あ……!」
自分の口から迸るのが、単なる吐息なのか、それとも喘ぎ声なのかも区別がつかない。
「デイル」
名前を呼ばれて、無我夢中の境地から戻ってくる。ルークはデイルの背中に腕を回すと、そのまま自分は身を横たえた。繋がったまま、ルークの腰の上に跨がったデイルは、目を白黒させている間に身体の向きまで返られていた。
「あ……?」
ルークがデイルを見上げて、楽しげに微笑んでいる。
彼の狙いがわかった時には、もう遅かった。
「ルーク、ちょっと待っ……」
「静かに」
デイルは息を呑んだ。すると、ルークは嬉しそうに目を細めて、デイルを褒めた。
「よくできました」
次の瞬間、熱を帯びた手に腰を掴まれて、身体がフッと浮き上がった。
それから、ルークはデイルの腰を勢いよく引き下ろしながら、思い切り突き上げてきた。
「あ……っ!」
ルークのものが敏感な場所を擦りあげ、抉って、奥の奥まで穿つ。腰から溶け出した快感が、眼の奥やつま先までじわりと染みこんでゆく。頭の後ろの毛がざわついて、目の前に火花が散った気がした。ルークの胸に、縋るように手を置く。
「ルーク、駄目だ──これ、強すぎる……」
また、重力が消えた。と思ったら、引き落とされ、さっきと同じくらい、いや、もっと深くまで埋め込まれる。
「ああ!」
怖い。もっと欲しい。苦しい。気持ちいい。相反する感情が次々とわき起こる。骨格が揺れるほど激しい抽挿に揺さぶられて、目から涙が零れた。
体内のものが、大きくなった。気のせいじゃない。
「そう……もっと泣いてください。デイル」
──この野郎、なにがただの支配性だ。
覚悟のような、諦めのようなものが、胸に落ちる。
──でも、そんな男に惚れてしまったのだから、仕方ない。
その時、ルークの両手が、腹の上で揺れているデイルのものを包み込んだ。
「あ……っ」
「デイル、あなたが気持ちいいように、動いて」
「ん、……っ」
頷いて、腰を突き出す。
「は……」
ルークが、微かに息を漏らした。
「よろしい。デイル」
──頼むから、これ以上は何も言わないでくれ。ただでさえ頭がおかしくなりそうなのに。
だが、ルークは尚も言った。
「ずっと……こうしていたくなる」
その言葉に、どう返事をしたらいいのか、デイルにはわからなかった。
新しい生き方を選んだ者同士、ここでどちらかが道を帰れば、それはもう一方への従属という関係になる。主従関係のようなものが、負い目が生まれる。
生まれ変わった者同士だからこそ、二人の間に、そんなものを介在させたくは無かった。
でも、それをどう伝えればいいのかわからない。
「ルーク」
だから、デイルは言葉を脇に置いて、キスをした。
俺も、ずっとこうしていたいよ──その気持ちだけが、彼に伝わるように。
口に出せば愚かな願いにしかならないものを、キスで閉じ込め、互いの唾液の中にとかして、飲み込んでしまえたらいい。
そうしたら、少なくとも自分の血肉に刻まれるだろうから。
柔らかく堅いものが、何度も何度も奥を穿つ。その度に、自分の中で凝っていたものが溶けてゆく。
「ルーク──あ、駄目だ……気持ちい……」
もはや、自分が何を口走っているのかさえわからない。
「ああ、クソ──いい……」
微かなひらめきのような、何かの気配。
「あ……」
前兆の微かな震えを感じて、また、涙が零れる。
「ルーク……!」
「イって、デイル」
ルークは囁いた。
「俺の手の中で、ほら……」
いつの間にか閉じていた目を開けると、夜明け前の西の空のような青灰の眼が、デイルを射貫いていた。
「あ」
ひらめきのような予感が、身体の最も深いところから沸き起こる震えを伴い、実感に塗り替えられてゆく。
「あ、あ……いく……」
自らの身体を抱きしめるように腕を回す。このままでは、身体が崩れ落ちてしまいそうだと思った。
「ルーク…………!」
そのとき、首筋をつつむ手のひらに引き寄せられた。快感に息を呑むデイルの、その飲み込んだ息を奪おうとするほど深い口づけ。泣きながら、喘ぎながら、必死で舌に舌を絡めた。
「ん……っ!」
まるで、これが最期と決めたかのように重く力強い心臓の鼓動。堰が破れて、限界まで満ちていたものが溢れる。
「ふ……う、あ……!」
ルークは、尚も脈打つデイルの屹立を握ったまま、滴る精液を指に絡めて、優しく愛撫した。
「デイル、俺も──」
「ああ……」
自身が放ったものが、彼の臍の周りにある継ぎ目を辿るように滴る。デイルはそれに手を伸ばして、塗り込むようになぞった。
「デイル……!」
彼の手が微かに震え──ほんの小さな、声にならない声を聞いた気がする。そして、身体の中で微かな痙攣を感じたと思ったら、温かいものが流れ込んできた。
「あ……」
我知らず、快感に呆けたぼんやりとした笑みを浮かべる。こんなに満たされた気持ちになったのは、初めてだった。
これを行為と呼ぶのでは、本質をとらえることができない。
これは、ただの行為でも、ましてや遊びやままごとでもなく、正真正銘の交わりだった。
ルークが荒い息をつきながら、ゆっくりと結合をとく。そして、ドサリとベッドに横たわり、満足しきった微笑を浮かべてデイルを見つめた。
「ルーク……」
「愛しています」
いきなりの告白に、一瞬、心臓が止まりそうになる。
甘やかな、小さな死。自分の決意も、矜持も、愚かな意地も、すべてを忘れたふりをして身を委ねてしまおうかとも思った。けれど、デイルは言った。
「その気持ちは……有能な警察犬がハンドラーに向ける愛情と何が違う?」
するとルークは、身じろぎをしてデイルに寄り添った。
「前世は関係ない。この世界で生まれ変わった俺が、この世界で改めて出会ったあなたに恋をして……愛したんです」
彼は優しい眼差しで、デイルを見つめた。
「あなたは? 俺のことを気遣うのは、ハンドラーが有能な警察犬に向ける愛情のせい──それだけですか?」
痛いところを突かれた。
「いいや」
すると、ルークは大きな笑みを浮かべた。
「なら、難しい話はいいじゃないですか、デイル」
彼はそう言うと、デイルをぎゅっと抱きしめた。
「俺はただ、あなたともう二度と離れたくない。二度目のチャンスが与えられたのだから、前よりもっとあなたを愛したいんです」
デイルは、今度は異議を唱えなかった。
「そう……そうだな」
デイルは頷いて、ルークを抱きしめ返した。
ルークは満足げなため息をついて、言った。
「これからも、あなたはあなたの生き方を選んでください。俺は俺の道を行きます。きっと、それが正しいことだと思うから」
デイルは、思いがけない喜びを感じた。
「お前は、それでいいのか?」
「ええ。今のあなたは、とても生き生きしているように見えるから」
「ありがとう」
ただし、とルークは前置きをした。
「あなたが危ない橋を渡るのを、ただ見ているつもりはないですけどね」
しかつめらしく言い添えてから、ルークはこう続けた。
「きっと俺たちふたり、これからも沢山の危険な目に遭うでしょう。時にはまた、命をかけるような事があるかも知れない。でもだからといって、俺が貴方のもので、あなたが俺の物だという事実を変えられますか?」
その言い草に、デイルは思わず噴き出してしまった。
ひとしきり笑った後でようやく、デイルは小さく首を振った。
「そうだな。その事実は変わらない。何があっても」
窓の外では、この部屋の中と入れ違いに、世界が動き始めようとしていた。
遠くくぐもった生活音。誰かの足音が微かに聞こえてくる。
柔らかなブランケットのような眠りに身を委ねようとしたとき、ルークが囁いた。
「何度生まれ変わっても、あなたの傍に居ます」
「ああ」
デイルは、それを受け入れるように微笑んだ。すると、ルークはこう続けた。
「今度は、俺があなたのハンドラーになる番だったようですけどね。あなたがあんなに無茶をする人だったなんて──」
その言い草に眠気が吹っ飛んで、デイルは噴き出すように笑った。
「お前が俺のハンドラー?」
それから、デイルはフフンと笑い、愛しい相棒の鼻先に、ちょんと人差し指を置いた。
「やれるものなら、やってみな」
ルークは、その人差し指を甘噛みして、微笑んだ。
「望むところです」
60
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