27 / 31
36-37
しおりを挟む
36
フーヴァルは、船長室に入るなり言った。
「何もかも、あんたの思い通りってわけか」
ヴェルギルはにっこりと微笑み「おおよそは」などと、殊勝なことを言った。
マリシュナ号の船長室はヴェルギルに譲っていたから、エイルにつくまでは、ここは彼の部屋だ。フーヴァルは船艙から持ち出してきたワインを土産に、船室に入り込んだ。
「君がわたしに貢ぎ物とは珍しい」
ヴェルギルはフーヴァルに椅子を勧めて、自分は寝棚に腰掛けた。
「俺がそっちに──」
言いかけたフーヴァルを、手の動きで遮る。「遠慮など無用だ。わたしも千年前は船乗りだったのだし」
「竜頭船でしょう。船室なんかついてない」
「君がそれほど細かいことにこだわる男だったとは」ヴェルギルは非難がましく言った。
実際、ヴェルギルはどこに座っても大差がないように見えた。たとえ砂浜の流木に腰を下ろしても、その島全体を支配する王に見えるだろう。それくらい、彼の纏っている存在感は圧倒的だった。
フーヴァルは笑いながらワインの栓を開け、ずっしりとした杯を二つ並べて、なみなみと注いだ。
「こういう飲み方は王様の趣味じゃないかもしれないが、船乗りならこれで十分」
「いかにも」ヴェルギルは言い、杯を掲げる仕草をした。「スカイワード君は一緒ではないのか?」
フーヴァルは肩をすくめた。「張り切って夜の当直についてますよ。今じゃあいつも、正真正銘の新入り水夫ですからね」
ヴェルギルは賞賛するように眉を上げた。
「見上げた心意気だ。〈浪吼団〉の将来は安泰だな」
「ええ、まあ」
当てこすりをされている気がして、どうにも落ち着かなくなる。
「それで……実はお話ししたいことがあって来たんですが」
「何なりと」ヴェルギルは鷹揚に微笑んだ。
その笑顔は、全部お見通しって顔か? クソ。
「海軍卿をイルヴァに譲って、俺はエイルを出た。で、今はこうして戻ってきたわけで──」
「ああ。シーゲレ君は実によくやってくれている。君が夜逃げ同然にエイルを出て、刺激的な幽霊狩りに興じている間にも」
「俺は……!」
ヴェルギルが手をあげた。
「君が、エイルのためを思って行動したのだということはわかっているつもりだ。とは言え、一言相談が欲しくはなかったか? ──欲しかった。ゲラード王子を救出したことを報せるべきだったか? ──その通り」
こうして話しているだけで、胃が引き絞られるようになる相手はヴェルギルだけだ。フーヴァルの君主は、他に類を見ないほど公正で寛大である……と頭で納得しようとしても、妖精としての半身が、彼が重ねてきた年月や経験、その身のうちに飼っている吸血鬼としての本性を感じて、どうしても緊張してしまう。
「それは……誠に申し訳ございません」フーヴァルは言った。「軽率でした。国を思ってのこととは言え」
すると、ヴェルギルは表情をゆるめた。彼は寝棚の上であぐらをかき、旧友同士で飲んでいる時のように気安い格好になった。とは言え、動作の全てに『優雅に』という装飾がついてしまうのは仕方がないのだろうが。
ヴェルギルは言った。
「結論から言うと、キャトルを討とうが討つまいが、君を海軍卿に戻すことはできない」
フーヴァルは一瞬目をつぶった。
ほら、全部お見通しだった。
「そのかわりと言ってはなんだが……君には是非、別のことを頼みたいのだ」
「別のこと?」
「いま東方大陸全土で、熾烈なナドカ狩りが行われている」
フーヴァルは頷いた。「〈手〉の連中を、至る所で見かけます」
「そうなのだ。〈燈火の手〉が餌食にするのは、力を持たぬ市井のナドカだ。彼らは銀の剣を振り回し、ナドカというナドカをなぶり殺しにしている。さらに、王宮で職を得ていた者たちも容赦なく排斥されはじめている。もう東方大陸には、ナドカが安全に暮らせる場所はほとんど残されていない」
「そういう連中を、エイルに亡命させろってことですか?」
「さすが、話が早い」
ヴェルギルはにっこりと微笑んだ。
「さらに、だ──非情なことを言うようだが、優先すべきは高位の職に就いていたナドカたちだ。彼らは情報を持っているから、容易に国外に脱出することができない。ただ飼い殺しにされるか、さもなくば殺されるかしかないのだ。彼らを奪おうとすれば、相手は全力で阻止しにかかるだろう」
「でも、俺たちなら……」
「そう簡単に負けはすまい?」ヴェルギルは言い、ワインを飲んだ。
考えを巡らせるほどに、胸の中に炎が灯る。
挑戦するということについて。戦いを挑むということについて。
「君は戦う男だ。蒼き刃、フーヴァル・ゴーラム」ヴェルギルは言った。「君が、ただそれだけの男であったのなら、頼むつもりはなかった。しかし、今の君には……翼がある」
ゲラードのことを言われているのだとわかって、首の後ろが熱くなる。
「共に助け合って──できるだけ多くの命を救ってくれ。やってくれるな?」
フーヴァルは頷いた。
「喜んで」
そして、酒の杯を置いて跪き、厳かに言った。
「アーヴィン・ライエルは、改めてエイルに忠誠を誓います。この命に替えても」
ヴェルギルの手が肩に置かれる。
「エイルについたら戦支度をはじめよう。エレノア王女の戴冠も、ナドカの救出も、まずは戦に勝つところから」ヴェルギルは言った。「改めて、よろしく頼む」
ふたりは杯を持った腕を互い違いに組んで、一気に飲み干した。
古き良き、船乗りの流儀で。
37
それから、来るべきものが来るまでの日々は緊張のうちにめまぐるしく──そして緩慢に過ぎた。
キャトルが船団を作り上げた。それはダイラにとっては厄介なことであると同時に、彼自身の首を絞める結果ともなるだろう──というのが、ダイラ最大の艦隊を率いるデイビス提督の見方だった。〈嵐の民〉は敵味方の区別をつけない。キャトルに従う船が多ければ多いほど、今までのように気軽には幽霊の力を借りることはできなくなる、というわけだ。
それは、とても楽観的な見方だった。
ゲラードが新しくエイルに得た家は海辺の小高い丘にある。寝床は、イサス・ボテラの宿屋の使用人部屋よりも硬くて薄い。フーヴァルは自分の部屋にと言ってくれたけれど、甘えるつもりはなかった。少なくとも、自分に何ができるのかを見つけ出すまでは、彼に寄りかかる存在にはなるまいと決めていた。
フーヴァルがエイルの民になって以来、長い時間を掛けて育成をしてきた船乗りたちにとっても、これほど大規模な戦闘に備えるのは初めてのことだ。ゲラードも彼らに合流し、連日、操船や陣形についての訓練に参加した。夜明け前から夜遅くまで、戦闘のことを考える。救えるかもしれないもののこと──そして、失われるかもしれない命のことを。
警鐘を聞いた気がして飛び起きる。暗闇に耳を澄ませ、苦労して気のせいだったと納得してからまた横になるものの、迫りつつある戦に思いを巡らせて眠れなくなる──そんな夜が続いた。
ちょうど、その日もそんな風にして眠れなくなったのだった。
窓から差し込む月明かりが、妙に冴えていたせいもあったのかもしれない。ゲラードは半刻ほど悶々としたあとで、外出着に着替えて、エリマスの港に面した高台へ足を向けた。
イルヴァやフーヴァルをはじめとする船長たちが陸にいる間の仕事場が、エリマス城に向かってなだらかに傾斜する丘の中腹にある。フーヴァルが『根城』と呼ぶ建物は正式には海事省といい、その中で働くものたちが、海の防衛、貿易、港湾や船舶の管理に関わる仕事をしている。庁舎は港の、船荷の積み降ろしを行う巻き上げ機や、無数の監視塔が寄り集まった一画から声が届くほどの位置にあった。船乗りの多くはここで寝起きを共にし、非常時には船に飛び乗り、このエイルを守るために戦うのだ。
今ごろフーヴァルも、ここで夜を過ごしているはずだ。
だがゲラードは、彼を訪ねてきたのではなかった。
顔見知りの衛兵に声をかけ、見張り塔への階段を上る。海に面した鋸壁の縁に腰掛け、外側に足を垂らす。眠れぬ夜にこうして塔に昇り、夜の海と一つになったと感じるまで留まるのが、最近の習慣になりつつあった。
波音に耳を澄ませて、心の中を空っぽにしてゆく。
不安も、懸念も、何もかもを風に乗せて流して、海と、自分との間にある無限の虚空に意識を向ける。
すると、やがて自分の血潮の音が聞こえる。深く呼吸をして、鼓動と、夜の海が奏でる波音が重なるのをじっと待つ。そのうちに、肉体が重さを失う瞬間が訪れる。まるで、覚醒しながら夢を見ているような、不思議な感覚に陥るのだ。
その瞬間に、ゲラードは再び、友の気配を感じることができた。
姿を見ることはないけれど、確かに近くにいる。初めてあの監獄で姿を見たときのように、こちらを窺い、試すように瞬き、閃き、揺らめいている。
「僕は、君に名前を与えるべきだろうか」
ゲラードは、心の中で呟く。
「黄昏や、嵐や、太陽や月のように……何かひとつの象徴に、君を押し込めていいものだろうか」
そういう問いに対する答えが返ってきたことはない。
貴銀の血は、ゲラードの中で、まだ微睡んでいるようだ。
この血が──僕が必要とされるときに、力不足であるせいで全てを台無しにしたくはない。けれど同時に、力を信じすぎたせいで取り返しのつかない事態を引き起こすのが怖ろしくもあった。
きっと、だから友は姿を現さず、貴銀の血も眠ったままなのだ。
「世界が……何を求めているのか」
国を背負う以上に、遠大な話だ。
途方に暮れているうちに、友の気配も、世界との一体感も消えてしまった。
その時、階段を上ってくる音がして、ゲラードは夢から覚めた。
「よお」
思った通り、やって来たのはフーヴァルだった。
「ここいると、どうしてわかった?」
彼はゲラードの隣に腰を下ろした。「窓から、姿が見えたからな」
触れあった肩の温もりに、冷たい夜の空気が和らいだ。
「明日の早朝、モルノロに向かって発つぞ」
「モルノロ──」
「イムラヴの南にある岬だ。ことが起こるまで、そこで停泊する」
緊張が、腹にめり込む。
「そうか……」
いよいよ、戦だ。
「ま、ちゃちゃっと片付けてやるさ」フーヴァルは言った。
それほど簡単に済まないことは、ふたりとも十分すぎるほどわかっていた。
しばらくふたりは、都合の良い嘘に甘えたまま座っていた。月明かりの下で見るエイルのうち、半分が眠り、半分が目覚めている。そこには、ゲラードが見たいと思っていた世界が広がっているようだった。夜に生きる者と昼に生きる者とが、同じ国、同じ街、同じ夜を分け合っている。
きっとフーヴァルも、ゲラードと同じものを見ていたはずだ。
「明日は早い。さっさと寝ろよ」
そう言うと、フーヴァルは立ち上がって、見張り塔の階段を下りていった。
「ああ、わかった」
ゲラードは、最後にもう一度、眼下に広がる世界を見た。
僕に、何ができる?
この世界を守るために、いったい何が?
モルノロに停泊してからの日々は、マリシュナ号に新しく積み込まれた大砲の砲撃や、展帆や縮帆の訓練に費やされた。骨まで凍り付きそうなほど冷え込む早朝の甲板を掃除し、航路や作戦を話し合い、訓練をし、夜には楽しく笑って過ごす。
戦のことを考えない者はいなかったはずだ。けれど、皆はそれを表に出さなかった。下甲板で、ぼんやりとした灯りの中に身を寄せ合っては、毎晩のように音楽を奏で、笑いながら踊った。
ゲラードも、航海中に習い覚えた足取りで踊りに加わった。靴の底を床にたたきつけて拍子を刻む、激しい舞踊だ。宮廷で『踊り』と呼ばれていたものよりもずっと素朴だが、力強く、躍動的で……そして、喜びに満ちている。
一度、不安じゃないのかと仲間に尋ねたことがある。すると、戦のことを心配するのは明後日の天気を心配するのと同じだと、オーウィンが言った。
「俺たちは、いまここでやれることをやってる。それで死ぬなら、天命だったってことさ」
昔のゲラードだったら、それを投げやりな言葉のように思ったかもしれない。けれど、今はそうは思わなかった。それは一瞬一瞬を、後悔のないように生きるということだから。
いまここで、やれることを。
結局、それ以外にできることはないのかもしれない。
フィドルに陣太鼓、口琴や手拍子の輪の中で、汗を飛び散らせながら踊る。あけすけな歌詞の舟歌を口ずさみ、笑い合って、この一瞬を、胸に刻みつけた。
気付くとフーヴァルが、仲間たちの輪の中にいた。
ゲラードがフーヴァルの手を取って踊りに引き入れると、皆が歓声を上げた。
「筋がいいな、ガル!」
「まるで、溺れかけた虫?」
ゲラードが言うと、フーヴァルは笑った。
「そこまで悪くねえ」
踊って、踊って、足が震えるまで踊って、よろよろと抜け出す。
背中を叩いて労いながら人の輪を抜けて、フーヴァルとふたり、灯りの外に出た。上甲板へあがると、容赦ない風が吹き付け、温もりは一瞬にして奪われた。見張りに立つ乗組員と挨拶を交わしながら、フーヴァルとゲラードは、船尾楼甲板にあがった。
イムラヴの海は、ダイラの海とも、エイルの海とも違う。ダイラの海は、風は強いものの比較的穏やかで、青々としている。エイルの海は気まぐれで、鮮やかな翠色。イムラヴの海は緑青の色だ。厳しく、気難しく、そして寒々しい。太古の昔から、幾度となく人々の挑戦を受け入れ、挫き、時には鼓舞してきた海だ。
海は、夜にはいっそう茫々として見える。月影を宿した銀波はどこまでも連なり、尽きることがない。轟く潮騒は大気の隅々にまで満ちて、まるで荒々しい獣の息づかいのようだ。目に映る全てのものが、それぞれが持ち得る声で、雲を纏った月への賛美歌を口ずさんでいるようだった。
景色に見とれていると、フーヴァルがおもむろに言った。
「俺が、前につけてた金の耳飾り。覚えてるだろ」
「君が捨てたと言っていた、あの?」
フーヴァルは頷いた。
「あれは、貴金でできてたんだ」
ゲラードは小さく息を吸い込んだ。「わざと、力を封印していたのか?」
フーヴァルはもう一度頷いた。
「オチエンが……ホライゾンの皆が死んだと知ってからつけはじめた。アレをつければ、海に落ちても人魚にはならねえし、歳も取る」フーヴァルはそっと笑った。「何かの拍子に、運良く死なねえかと思ってた。俺だけ生き残ってんのが、なんて言うか、まるで……」
大きなため息が、白く煙って、流されていった。
「まるで、皆を裏切ってるみたいでな」
「アーヴィン」
「それだけじゃない」フーヴァルは首を振った。「心の底では、ナドカでいるのが嫌で仕方なかったんだ。弱っちくて、情けなくてよ」
「それは……逆じゃないのか?」
「逆じゃない。自分でもよくわからんままに、漠然とそう思ってた。だがお前といて、理由がわかった」
ゲラードは静かに尋ねた。「どうして?」
「『神』をこさえて、自分を愛するように仕向けるなんてことをやってのけるのは、人間だけだ」フーヴァルは言った。「ナドカには、そんな真似はできねえ。だから弱い」
貴銀の族は、精霊の中から神を作る。そのことを聞かされてから、ゲラードはずっと考えていた。
自分のことについて。世界のことについて。神々のことについて。
だが、頭の中から溢れそうなほど溜まった問いに、一つとして答えが出ることはなかった。
「僕は……そんな大それたものではないよ」ゲラードは俯いた。
「お前は最初から、俺たちの中に何かいいものを見出そうとしてた。俺たちだけじゃない。この世界にある全てのものの中に、何か尊いものを見つけてた。そういうことができる奴は……多くない。それは『力』だと、俺は思う」
ゲラードの心臓が、ゆっくりと、重く、鼓動する。
「お前みたいな人間の言葉が、国を動かす者の耳にちゃんと届くなら……何かが変わってくるはずだ」
「そう……だろうか」ゲラードは言った。「そうだといいが」
フーヴァルは笑って、肩でゲラードの肩を小突いた。
静かな笑いを分かち合う。不意にふたりを包んだ沈黙を分け合ってから、フーヴァルが口を開いた。
「貴金が力を失った」フーヴァルが、海の向こうに目を向けたまま、言った。「もう、人間になるための耳飾りはない。だから俺は……あと何年生きるかわからん。何十年、あるいは、何百年か」
彼は、苛立ちと苦しみの籠もったため息をついた。それから、痛みを誤魔化すための、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「きっと、お前が死ぬのを見ることになるんだろうな」
ゲラードは身じろぎし、フーヴァルとの間にあったわずかな隙間を埋めた。
「なら、疑いようもなく幸せだと、何度でも言うよ。僕が死ぬ最後の瞬間まで……君の頑固な頭でも納得せざるを得ないくらいにね」
フーヴァルが、ゲラードを見た。
「死ぬまでついてくる気か?」
「逆かも」ゲラードは小さく肩をすくめた。「君が、僕についてくるのかもしれない」
フーヴァルはハッと笑ってから、また大きな声で笑った。
「そうかもな」彼は言った。
肩を震わせて笑う、その振動に目を閉じる。それから、ゲラードは言った。
「以前僕は……君の考えではどこにもたどり着けないと言ったね」
「ああ、言ったな」
「何があれば『たどり着ける』のか──君は、僕にもその答えがわかってないんだろうと言った。その通りだった」
「ああ」フーヴァルは頷いた。
「いま……ほんの少しだけど、解りかけてきた気がするんだ、アーヴィン」ゲラードは、穏やかな夜風に載せるようにそっと、それを口にした。「手を差し伸べるということなんだ」
フーヴァルが鼻を鳴らす。理解はするが、完全に同意することはできないという時の癖だ。
「でも、誰もが手を差し伸べられるわけじゃねえ」
「ああ、そうだね」
ゲラードも、フーヴァルを見た。
「全員が戦えるわけじゃない──それと同じだ」フーヴァルが言う。
「ああ」ゲラードが、フーヴァルの手を握った。「だから、君は戦い続けろ。僕は手を差し伸べ続ける」
不意に、風が吹き渡った。雲が晴れ、月を映した海面がざわめき、星が瞬く。
「そうして試してみたいんだ、僕らがどこにたどり着けるのか」
フーヴァルは黙ったままゲラードを見つめた。以前は、何かを測るようなその眼差しに怖じ気づいたこともあった。自分を少しでも立派に見せたくて背伸びをしたことも。だが、今はただまっすぐに、その目を見つめ返すことができる。
やがて、フーヴァルの顔に笑みが浮かんだ。
「しょうがねえから、とことん付き合ってやるよ。ガル」フーヴァルはいい、つなぎ合わせた手に力を込めた。「まったく。お前に出会ったのが俺の運の尽きだったな」
「その分、僕の幸運を分けるよ」
ゲラードは微笑み、フーヴァルもその顔を見て微笑んだ。そして、ふたりは再び夜の海に目を向けた。
甲板の下からは、仲間たちの歌が漏れ聞こえていた。
とある帆船 ダイラに船出
オー・ホー いざゆかん!
とある帆船 故郷に戻る
マリーが上部帆桁に!
船艙には何が入ってる?
オー・ホー いざゆかん!
ダイヤモンドに黄金も
マリーは上部帆桁に!
そして、その夜から十日後──事態が動いた。
フーヴァルは、船長室に入るなり言った。
「何もかも、あんたの思い通りってわけか」
ヴェルギルはにっこりと微笑み「おおよそは」などと、殊勝なことを言った。
マリシュナ号の船長室はヴェルギルに譲っていたから、エイルにつくまでは、ここは彼の部屋だ。フーヴァルは船艙から持ち出してきたワインを土産に、船室に入り込んだ。
「君がわたしに貢ぎ物とは珍しい」
ヴェルギルはフーヴァルに椅子を勧めて、自分は寝棚に腰掛けた。
「俺がそっちに──」
言いかけたフーヴァルを、手の動きで遮る。「遠慮など無用だ。わたしも千年前は船乗りだったのだし」
「竜頭船でしょう。船室なんかついてない」
「君がそれほど細かいことにこだわる男だったとは」ヴェルギルは非難がましく言った。
実際、ヴェルギルはどこに座っても大差がないように見えた。たとえ砂浜の流木に腰を下ろしても、その島全体を支配する王に見えるだろう。それくらい、彼の纏っている存在感は圧倒的だった。
フーヴァルは笑いながらワインの栓を開け、ずっしりとした杯を二つ並べて、なみなみと注いだ。
「こういう飲み方は王様の趣味じゃないかもしれないが、船乗りならこれで十分」
「いかにも」ヴェルギルは言い、杯を掲げる仕草をした。「スカイワード君は一緒ではないのか?」
フーヴァルは肩をすくめた。「張り切って夜の当直についてますよ。今じゃあいつも、正真正銘の新入り水夫ですからね」
ヴェルギルは賞賛するように眉を上げた。
「見上げた心意気だ。〈浪吼団〉の将来は安泰だな」
「ええ、まあ」
当てこすりをされている気がして、どうにも落ち着かなくなる。
「それで……実はお話ししたいことがあって来たんですが」
「何なりと」ヴェルギルは鷹揚に微笑んだ。
その笑顔は、全部お見通しって顔か? クソ。
「海軍卿をイルヴァに譲って、俺はエイルを出た。で、今はこうして戻ってきたわけで──」
「ああ。シーゲレ君は実によくやってくれている。君が夜逃げ同然にエイルを出て、刺激的な幽霊狩りに興じている間にも」
「俺は……!」
ヴェルギルが手をあげた。
「君が、エイルのためを思って行動したのだということはわかっているつもりだ。とは言え、一言相談が欲しくはなかったか? ──欲しかった。ゲラード王子を救出したことを報せるべきだったか? ──その通り」
こうして話しているだけで、胃が引き絞られるようになる相手はヴェルギルだけだ。フーヴァルの君主は、他に類を見ないほど公正で寛大である……と頭で納得しようとしても、妖精としての半身が、彼が重ねてきた年月や経験、その身のうちに飼っている吸血鬼としての本性を感じて、どうしても緊張してしまう。
「それは……誠に申し訳ございません」フーヴァルは言った。「軽率でした。国を思ってのこととは言え」
すると、ヴェルギルは表情をゆるめた。彼は寝棚の上であぐらをかき、旧友同士で飲んでいる時のように気安い格好になった。とは言え、動作の全てに『優雅に』という装飾がついてしまうのは仕方がないのだろうが。
ヴェルギルは言った。
「結論から言うと、キャトルを討とうが討つまいが、君を海軍卿に戻すことはできない」
フーヴァルは一瞬目をつぶった。
ほら、全部お見通しだった。
「そのかわりと言ってはなんだが……君には是非、別のことを頼みたいのだ」
「別のこと?」
「いま東方大陸全土で、熾烈なナドカ狩りが行われている」
フーヴァルは頷いた。「〈手〉の連中を、至る所で見かけます」
「そうなのだ。〈燈火の手〉が餌食にするのは、力を持たぬ市井のナドカだ。彼らは銀の剣を振り回し、ナドカというナドカをなぶり殺しにしている。さらに、王宮で職を得ていた者たちも容赦なく排斥されはじめている。もう東方大陸には、ナドカが安全に暮らせる場所はほとんど残されていない」
「そういう連中を、エイルに亡命させろってことですか?」
「さすが、話が早い」
ヴェルギルはにっこりと微笑んだ。
「さらに、だ──非情なことを言うようだが、優先すべきは高位の職に就いていたナドカたちだ。彼らは情報を持っているから、容易に国外に脱出することができない。ただ飼い殺しにされるか、さもなくば殺されるかしかないのだ。彼らを奪おうとすれば、相手は全力で阻止しにかかるだろう」
「でも、俺たちなら……」
「そう簡単に負けはすまい?」ヴェルギルは言い、ワインを飲んだ。
考えを巡らせるほどに、胸の中に炎が灯る。
挑戦するということについて。戦いを挑むということについて。
「君は戦う男だ。蒼き刃、フーヴァル・ゴーラム」ヴェルギルは言った。「君が、ただそれだけの男であったのなら、頼むつもりはなかった。しかし、今の君には……翼がある」
ゲラードのことを言われているのだとわかって、首の後ろが熱くなる。
「共に助け合って──できるだけ多くの命を救ってくれ。やってくれるな?」
フーヴァルは頷いた。
「喜んで」
そして、酒の杯を置いて跪き、厳かに言った。
「アーヴィン・ライエルは、改めてエイルに忠誠を誓います。この命に替えても」
ヴェルギルの手が肩に置かれる。
「エイルについたら戦支度をはじめよう。エレノア王女の戴冠も、ナドカの救出も、まずは戦に勝つところから」ヴェルギルは言った。「改めて、よろしく頼む」
ふたりは杯を持った腕を互い違いに組んで、一気に飲み干した。
古き良き、船乗りの流儀で。
37
それから、来るべきものが来るまでの日々は緊張のうちにめまぐるしく──そして緩慢に過ぎた。
キャトルが船団を作り上げた。それはダイラにとっては厄介なことであると同時に、彼自身の首を絞める結果ともなるだろう──というのが、ダイラ最大の艦隊を率いるデイビス提督の見方だった。〈嵐の民〉は敵味方の区別をつけない。キャトルに従う船が多ければ多いほど、今までのように気軽には幽霊の力を借りることはできなくなる、というわけだ。
それは、とても楽観的な見方だった。
ゲラードが新しくエイルに得た家は海辺の小高い丘にある。寝床は、イサス・ボテラの宿屋の使用人部屋よりも硬くて薄い。フーヴァルは自分の部屋にと言ってくれたけれど、甘えるつもりはなかった。少なくとも、自分に何ができるのかを見つけ出すまでは、彼に寄りかかる存在にはなるまいと決めていた。
フーヴァルがエイルの民になって以来、長い時間を掛けて育成をしてきた船乗りたちにとっても、これほど大規模な戦闘に備えるのは初めてのことだ。ゲラードも彼らに合流し、連日、操船や陣形についての訓練に参加した。夜明け前から夜遅くまで、戦闘のことを考える。救えるかもしれないもののこと──そして、失われるかもしれない命のことを。
警鐘を聞いた気がして飛び起きる。暗闇に耳を澄ませ、苦労して気のせいだったと納得してからまた横になるものの、迫りつつある戦に思いを巡らせて眠れなくなる──そんな夜が続いた。
ちょうど、その日もそんな風にして眠れなくなったのだった。
窓から差し込む月明かりが、妙に冴えていたせいもあったのかもしれない。ゲラードは半刻ほど悶々としたあとで、外出着に着替えて、エリマスの港に面した高台へ足を向けた。
イルヴァやフーヴァルをはじめとする船長たちが陸にいる間の仕事場が、エリマス城に向かってなだらかに傾斜する丘の中腹にある。フーヴァルが『根城』と呼ぶ建物は正式には海事省といい、その中で働くものたちが、海の防衛、貿易、港湾や船舶の管理に関わる仕事をしている。庁舎は港の、船荷の積み降ろしを行う巻き上げ機や、無数の監視塔が寄り集まった一画から声が届くほどの位置にあった。船乗りの多くはここで寝起きを共にし、非常時には船に飛び乗り、このエイルを守るために戦うのだ。
今ごろフーヴァルも、ここで夜を過ごしているはずだ。
だがゲラードは、彼を訪ねてきたのではなかった。
顔見知りの衛兵に声をかけ、見張り塔への階段を上る。海に面した鋸壁の縁に腰掛け、外側に足を垂らす。眠れぬ夜にこうして塔に昇り、夜の海と一つになったと感じるまで留まるのが、最近の習慣になりつつあった。
波音に耳を澄ませて、心の中を空っぽにしてゆく。
不安も、懸念も、何もかもを風に乗せて流して、海と、自分との間にある無限の虚空に意識を向ける。
すると、やがて自分の血潮の音が聞こえる。深く呼吸をして、鼓動と、夜の海が奏でる波音が重なるのをじっと待つ。そのうちに、肉体が重さを失う瞬間が訪れる。まるで、覚醒しながら夢を見ているような、不思議な感覚に陥るのだ。
その瞬間に、ゲラードは再び、友の気配を感じることができた。
姿を見ることはないけれど、確かに近くにいる。初めてあの監獄で姿を見たときのように、こちらを窺い、試すように瞬き、閃き、揺らめいている。
「僕は、君に名前を与えるべきだろうか」
ゲラードは、心の中で呟く。
「黄昏や、嵐や、太陽や月のように……何かひとつの象徴に、君を押し込めていいものだろうか」
そういう問いに対する答えが返ってきたことはない。
貴銀の血は、ゲラードの中で、まだ微睡んでいるようだ。
この血が──僕が必要とされるときに、力不足であるせいで全てを台無しにしたくはない。けれど同時に、力を信じすぎたせいで取り返しのつかない事態を引き起こすのが怖ろしくもあった。
きっと、だから友は姿を現さず、貴銀の血も眠ったままなのだ。
「世界が……何を求めているのか」
国を背負う以上に、遠大な話だ。
途方に暮れているうちに、友の気配も、世界との一体感も消えてしまった。
その時、階段を上ってくる音がして、ゲラードは夢から覚めた。
「よお」
思った通り、やって来たのはフーヴァルだった。
「ここいると、どうしてわかった?」
彼はゲラードの隣に腰を下ろした。「窓から、姿が見えたからな」
触れあった肩の温もりに、冷たい夜の空気が和らいだ。
「明日の早朝、モルノロに向かって発つぞ」
「モルノロ──」
「イムラヴの南にある岬だ。ことが起こるまで、そこで停泊する」
緊張が、腹にめり込む。
「そうか……」
いよいよ、戦だ。
「ま、ちゃちゃっと片付けてやるさ」フーヴァルは言った。
それほど簡単に済まないことは、ふたりとも十分すぎるほどわかっていた。
しばらくふたりは、都合の良い嘘に甘えたまま座っていた。月明かりの下で見るエイルのうち、半分が眠り、半分が目覚めている。そこには、ゲラードが見たいと思っていた世界が広がっているようだった。夜に生きる者と昼に生きる者とが、同じ国、同じ街、同じ夜を分け合っている。
きっとフーヴァルも、ゲラードと同じものを見ていたはずだ。
「明日は早い。さっさと寝ろよ」
そう言うと、フーヴァルは立ち上がって、見張り塔の階段を下りていった。
「ああ、わかった」
ゲラードは、最後にもう一度、眼下に広がる世界を見た。
僕に、何ができる?
この世界を守るために、いったい何が?
モルノロに停泊してからの日々は、マリシュナ号に新しく積み込まれた大砲の砲撃や、展帆や縮帆の訓練に費やされた。骨まで凍り付きそうなほど冷え込む早朝の甲板を掃除し、航路や作戦を話し合い、訓練をし、夜には楽しく笑って過ごす。
戦のことを考えない者はいなかったはずだ。けれど、皆はそれを表に出さなかった。下甲板で、ぼんやりとした灯りの中に身を寄せ合っては、毎晩のように音楽を奏で、笑いながら踊った。
ゲラードも、航海中に習い覚えた足取りで踊りに加わった。靴の底を床にたたきつけて拍子を刻む、激しい舞踊だ。宮廷で『踊り』と呼ばれていたものよりもずっと素朴だが、力強く、躍動的で……そして、喜びに満ちている。
一度、不安じゃないのかと仲間に尋ねたことがある。すると、戦のことを心配するのは明後日の天気を心配するのと同じだと、オーウィンが言った。
「俺たちは、いまここでやれることをやってる。それで死ぬなら、天命だったってことさ」
昔のゲラードだったら、それを投げやりな言葉のように思ったかもしれない。けれど、今はそうは思わなかった。それは一瞬一瞬を、後悔のないように生きるということだから。
いまここで、やれることを。
結局、それ以外にできることはないのかもしれない。
フィドルに陣太鼓、口琴や手拍子の輪の中で、汗を飛び散らせながら踊る。あけすけな歌詞の舟歌を口ずさみ、笑い合って、この一瞬を、胸に刻みつけた。
気付くとフーヴァルが、仲間たちの輪の中にいた。
ゲラードがフーヴァルの手を取って踊りに引き入れると、皆が歓声を上げた。
「筋がいいな、ガル!」
「まるで、溺れかけた虫?」
ゲラードが言うと、フーヴァルは笑った。
「そこまで悪くねえ」
踊って、踊って、足が震えるまで踊って、よろよろと抜け出す。
背中を叩いて労いながら人の輪を抜けて、フーヴァルとふたり、灯りの外に出た。上甲板へあがると、容赦ない風が吹き付け、温もりは一瞬にして奪われた。見張りに立つ乗組員と挨拶を交わしながら、フーヴァルとゲラードは、船尾楼甲板にあがった。
イムラヴの海は、ダイラの海とも、エイルの海とも違う。ダイラの海は、風は強いものの比較的穏やかで、青々としている。エイルの海は気まぐれで、鮮やかな翠色。イムラヴの海は緑青の色だ。厳しく、気難しく、そして寒々しい。太古の昔から、幾度となく人々の挑戦を受け入れ、挫き、時には鼓舞してきた海だ。
海は、夜にはいっそう茫々として見える。月影を宿した銀波はどこまでも連なり、尽きることがない。轟く潮騒は大気の隅々にまで満ちて、まるで荒々しい獣の息づかいのようだ。目に映る全てのものが、それぞれが持ち得る声で、雲を纏った月への賛美歌を口ずさんでいるようだった。
景色に見とれていると、フーヴァルがおもむろに言った。
「俺が、前につけてた金の耳飾り。覚えてるだろ」
「君が捨てたと言っていた、あの?」
フーヴァルは頷いた。
「あれは、貴金でできてたんだ」
ゲラードは小さく息を吸い込んだ。「わざと、力を封印していたのか?」
フーヴァルはもう一度頷いた。
「オチエンが……ホライゾンの皆が死んだと知ってからつけはじめた。アレをつければ、海に落ちても人魚にはならねえし、歳も取る」フーヴァルはそっと笑った。「何かの拍子に、運良く死なねえかと思ってた。俺だけ生き残ってんのが、なんて言うか、まるで……」
大きなため息が、白く煙って、流されていった。
「まるで、皆を裏切ってるみたいでな」
「アーヴィン」
「それだけじゃない」フーヴァルは首を振った。「心の底では、ナドカでいるのが嫌で仕方なかったんだ。弱っちくて、情けなくてよ」
「それは……逆じゃないのか?」
「逆じゃない。自分でもよくわからんままに、漠然とそう思ってた。だがお前といて、理由がわかった」
ゲラードは静かに尋ねた。「どうして?」
「『神』をこさえて、自分を愛するように仕向けるなんてことをやってのけるのは、人間だけだ」フーヴァルは言った。「ナドカには、そんな真似はできねえ。だから弱い」
貴銀の族は、精霊の中から神を作る。そのことを聞かされてから、ゲラードはずっと考えていた。
自分のことについて。世界のことについて。神々のことについて。
だが、頭の中から溢れそうなほど溜まった問いに、一つとして答えが出ることはなかった。
「僕は……そんな大それたものではないよ」ゲラードは俯いた。
「お前は最初から、俺たちの中に何かいいものを見出そうとしてた。俺たちだけじゃない。この世界にある全てのものの中に、何か尊いものを見つけてた。そういうことができる奴は……多くない。それは『力』だと、俺は思う」
ゲラードの心臓が、ゆっくりと、重く、鼓動する。
「お前みたいな人間の言葉が、国を動かす者の耳にちゃんと届くなら……何かが変わってくるはずだ」
「そう……だろうか」ゲラードは言った。「そうだといいが」
フーヴァルは笑って、肩でゲラードの肩を小突いた。
静かな笑いを分かち合う。不意にふたりを包んだ沈黙を分け合ってから、フーヴァルが口を開いた。
「貴金が力を失った」フーヴァルが、海の向こうに目を向けたまま、言った。「もう、人間になるための耳飾りはない。だから俺は……あと何年生きるかわからん。何十年、あるいは、何百年か」
彼は、苛立ちと苦しみの籠もったため息をついた。それから、痛みを誤魔化すための、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「きっと、お前が死ぬのを見ることになるんだろうな」
ゲラードは身じろぎし、フーヴァルとの間にあったわずかな隙間を埋めた。
「なら、疑いようもなく幸せだと、何度でも言うよ。僕が死ぬ最後の瞬間まで……君の頑固な頭でも納得せざるを得ないくらいにね」
フーヴァルが、ゲラードを見た。
「死ぬまでついてくる気か?」
「逆かも」ゲラードは小さく肩をすくめた。「君が、僕についてくるのかもしれない」
フーヴァルはハッと笑ってから、また大きな声で笑った。
「そうかもな」彼は言った。
肩を震わせて笑う、その振動に目を閉じる。それから、ゲラードは言った。
「以前僕は……君の考えではどこにもたどり着けないと言ったね」
「ああ、言ったな」
「何があれば『たどり着ける』のか──君は、僕にもその答えがわかってないんだろうと言った。その通りだった」
「ああ」フーヴァルは頷いた。
「いま……ほんの少しだけど、解りかけてきた気がするんだ、アーヴィン」ゲラードは、穏やかな夜風に載せるようにそっと、それを口にした。「手を差し伸べるということなんだ」
フーヴァルが鼻を鳴らす。理解はするが、完全に同意することはできないという時の癖だ。
「でも、誰もが手を差し伸べられるわけじゃねえ」
「ああ、そうだね」
ゲラードも、フーヴァルを見た。
「全員が戦えるわけじゃない──それと同じだ」フーヴァルが言う。
「ああ」ゲラードが、フーヴァルの手を握った。「だから、君は戦い続けろ。僕は手を差し伸べ続ける」
不意に、風が吹き渡った。雲が晴れ、月を映した海面がざわめき、星が瞬く。
「そうして試してみたいんだ、僕らがどこにたどり着けるのか」
フーヴァルは黙ったままゲラードを見つめた。以前は、何かを測るようなその眼差しに怖じ気づいたこともあった。自分を少しでも立派に見せたくて背伸びをしたことも。だが、今はただまっすぐに、その目を見つめ返すことができる。
やがて、フーヴァルの顔に笑みが浮かんだ。
「しょうがねえから、とことん付き合ってやるよ。ガル」フーヴァルはいい、つなぎ合わせた手に力を込めた。「まったく。お前に出会ったのが俺の運の尽きだったな」
「その分、僕の幸運を分けるよ」
ゲラードは微笑み、フーヴァルもその顔を見て微笑んだ。そして、ふたりは再び夜の海に目を向けた。
甲板の下からは、仲間たちの歌が漏れ聞こえていた。
とある帆船 ダイラに船出
オー・ホー いざゆかん!
とある帆船 故郷に戻る
マリーが上部帆桁に!
船艙には何が入ってる?
オー・ホー いざゆかん!
ダイヤモンドに黄金も
マリーは上部帆桁に!
そして、その夜から十日後──事態が動いた。
1
あなたにおすすめの小説
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【8話完結】恋愛を諦めたおじさんは、異世界で運命と出会う。
キノア9g
BL
恋愛を諦め、ただ淡々と日々を過ごしていた笠原透(32)。
しかし、ある日突然異世界へ召喚され、「王の番」だと告げられる。
迎えたのは、美しく気高い王・エルヴェル。
手厚いもてなしと優しさに戸惑いながらも、次第に心を揺さぶられていく透。
これは、愛を遠ざけてきた男が、本当のぬくもりに触れる物語。
──運命なんて、信じていなかった。
けれど、彼の言葉が、ぬくもりが、俺の世界を変えていく。
全8話。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる