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1、贖罪のスピネル
15、あなたの故国は、なくなりました
しおりを挟む「殺せ!」
正義の心だ。
苛烈すぎる炎みたいな感情が煽られて、石が飛ぶたびにエスカレートしていく。
「王族ですらない。偽りの王族だ!」
「けがらわしい。許されない……!!」
あの相手には石を投げていいのだ。
みんなが投げているから、自分も。
自分たちは正義なのだ。
相手は悪なのだ。
「もっと痛めつけろ!」
「殺すだけじゃ生ぬるいわ! みんなでもっと石を投げましょう!」
(こ、これは、何かしら)
狂気だ。
大衆が正義という名の狂気に染まっている。フィロシュネーは、そう感じた。
「こ……怖い」
危険な熱狂と騒々しさが渦巻く感情の波が、怖い。
フィロシュネーが場の空気に怯えていると、ステージに異変が生じた。
「あっ」
卵だ。
パカっと卵が割れたのだ。
光が眩く溢れて、全員の視界を覆った。次の瞬間、広場には可愛らしい鳴き声が響いた。
「ぴぃぃぃいいい~っ」
光が止んだとき、投石もまた止んでいた。
人々の視界には、人間くらいの大きさのふわふわのひよこがいた。
まんまるで、モフモフのふわふわで、可愛い。
見ているだけで脱力するような、絶妙な顔だ。
(へっ!?)
フィロシュネーは、悲鳴をあげるのを忘れてその愛らしい不思議なひよこに魅入った。
「ぴ……、ぴいいいぃ?」
ぱちっ。目があった。
ひよこの黒い瞳には、吸い込まれそうな愛嬌があった。
「ぴぃっ!」
「ふあっ!?」
円らな瞳がフィロシュネーを見て、ぽよよんっと体を揺らしてふわふわ飛んでくる。
小さな羽がパタパタと上下して、羽根で飛んでる感じではないふよふよの浮遊感でフィロシュネーに飛びついてくる。
「ふ、ふわわっ……」
ぽよぽよとしたひよこは、フィロシュネーにぽすんっと抱きついた。可愛い。あったかい。ふわふわ!
視界の隅で、不思議な映像の中のサイラスが手紙を書いている。
『姫の愛読書は女性に冷たく接していた男が振られて後悔する様子を鑑賞して楽しむ趣旨の物語ですが、情操教育上よろしくないのではないでしょうか……』
「読書感想文ならわたくしに提出なさいよ、お父様に告げ口するんじゃありませんわよ」
そんな場合ではないのに、思わずフィロシュネーは駄目出しをした。
「ところで、なんだかどんどん眠たくなってくるわ」
魔力だ。
全身から魔力がスイスイと吸われていく。疲労感がどんどん増していく。
「ねえ、この映像、……もしかして、わたくしの魔力を勝手に使っていません?」
「ぴぃ」
ひよこが愛らしい声で肯定する。
「おおおおやめになってぇ? わたくし、干からびてしまいます」
魔法使いが魔法を使うためには、その人が持っている魔力を消耗する。
魔力を使いすぎると、疲れる。
疲れても使うと、眠くなる。倒れて寝込むことになる。
フィロシュネーは、魔力を酷使しすぎて過労死した魔法使いの噂を聞いたことがあった。魔力欠乏症状が自覚できているのに魔力を吸われ続けるのは、怖い。
「し、しんじゃう、しんじゃいますっ」
「ぴぃぃ?」
神鳥に懐かれている光景を見た誰かが「聖女だ」と声をあげると、ざわめきが方向性を変えていく。
「聖女だ」
「本物の聖女だ」
「こっちが本物だ……」
(い、石はこちらには飛んできませんわよねっ?)
フィロシュネーはモフモフのひよこに自分を隠すようにして縮こまった。注目されまくっている――この後どうすればいいのか。
「ハ、ハルシオン殿下ぁっ?」
あなたのせいなのでは? この状況?
フィロシュネーが視線を向けると、ハルシオンは何かを悩んでいるようだった。
「弟の罪が……どうしよう……」
ハルシオンは、弟アルブレヒトの罪が衆目に晒されたことを気にしているようだった。
「いや……」
一秒にも満たない葛藤の末に、ハルシオンは手を振った。すると、広場中の映像がスッと消えて、フィロシュネーの魔力が吸われなくなる。
「真の聖女、王女フィロシュネーは、カントループ商会が保護しています」
ハルシオンは立ち上がり、ゆったりと語り出した。
魔法を使っているのだろうか、普通に話しているのに、声は広場中に大きく響く。
広場中の視線がハルシオンに集まると、彼は鎖骨のあたりに軽く触れて呼吸を整えた。そして、言葉を続けた。
「ちなみに先ほどの映像の中に出てきた空王陛下は、偽者です。あれは陛下によく似た王兄ですよ」
フィロシュネーは驚いた。
王兄というのは、ハルシオンのことだ。つまり、自分がやったのだと偽り、空王を庇っている。
「カントループ商会が忠誠を捧げる空王陛下は、みなさんのお気持ちに共感します。青国の方々は、聖女を暗殺しようとしたり、偽聖女をたてて神鳥や民を欺こうとしたようですね。許される行いではありませんね」
ハルシオンがゴブレットを掲げる。
「けれど皆さん。どうか今はお気持ちをしずめ、穏やかなお気持ちを思い出してください」
菫色の魔力が溢れる。
揺籃にあやされるように、広場中の民がぼんやりとした表情になっていく。
(これは、催眠魔法ではないかしら)
人の心に働きかける類の魔法は、高度な技術を必要とする。また、青国では倫理的によろしくないと言われている。
ハルシオンのひだまりのような声が、民に語りかける。
「友が道を誤ったときに正すのも友としての務め。民のため、友のため、空国の陛下は青国を正してくださる。カントループ商会は、そう信じているわけです」
心地よい声が眠気を誘う。ふわふわとした疲労感の中、フィロシュネーは意識を手放した。
この日の後、青国と空国の民の間を噂が駆け抜けることになる。
「青国は、本物の聖女を殺そうとした」
「黒の英雄が聖女を守り、逃がしたんだ」
「逃亡中の黒の英雄と聖女を、空国の大商会が保護した」
「青国の第二王妃と第二王女は、民や神鳥を欺こうとした」
「青国の第二王妃は、青国の王を毒殺しようとした」
空王アルブレヒトは噂を追い風に正義の旗を振り、青国に侵攻した。
* * *
フィロシュネーが次に目を覚ましたとき、ベッドの側には仮面姿のハルシオンがいた。
「ああっ、シュネーさぁんっ!! シュネーさんは、ずっと眠っていたのです」
ハルシオンは心配そうにフィロシュネーの額に手をあてて、「うっかり魔力を吸われすぎたのでしょう」と教えてくれた。
「かわいそうに! かわいそうに! 悪い神鳥は食べちゃおうかと思ったのですが、シュネーさんのペットなので思いとどまりまして」
「ぴ……っ!? ぴぃ、ぴぃ……っ!?」
枕元には、手のひらサイズに縮んだ神鳥もいる。ハルシオンの言葉を理解したらしく、ちょっと怯えている。
「んっふふ、大きなサイズでいると邪魔なので、神鳥は私がミニサイズにしておきましたぁっ」
「じゃ、邪魔? 神鳥さまを、食べちゃうとか、邪魔とかっ!?」
フィロシュネーが耳を疑っていると、ハルシオンは「体調がよくなってから読んでくださいね」と言いながら薄い冊子をサイドテーブルに置いてくれた。
冊子には『よいこのための奇跡の使い方』というタイトルがつけられている。
「それは、なんですか? カントループ」
「私が調べた神鳥についての情報をまとめてみました。使い方とか」
「つ、つかい、かた?」
……どうもハルシオンの言葉には、神鳥への敬意がない。
「面白いものを創る子がいるのですねえ。技術力がたかぁい!」
「何を仰っているのか、わかりません」
(この殿下は何に対しても割と慇懃無礼なところがあるわよね)
傍若無人というか、そんな気配を感じるときがある。フィロシュネーがそう思っていると、ハルシオンはショッキングな事実を打ち明けた。
「シュネーさん。実は、お話しにくいのですが。あなたの故国は、なくなりました」
なんと、空王アルブレヒトが先日の広場での一件を受けて兵を動かした結果、青国の王都はあっさりと攻略され、これまで青国だった土地は『空国の領土』と呼ばれるようになった。青国の第二王妃と第二王女は断頭台に送られて民が見守る中で処刑された、というのである。
「え、ええええええっ……――」
こうしてフィロシュネーは『亡国の王女』という身分になったのだった。
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