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3、変革のシトリン
180、選ばれなかった王兄ともうひとりの預言者
しおりを挟む空国の王兄ハルシオンの夜は、最近は穏やかだ。
以前のように夢の中でカントループの孤独と狂気に染められて呪術を暴走させ、周囲に被害を出すこともないし、夢うつつの区別がつかなくなることがない。
その夜に見たのは、自分がまだカントループの記憶を蘇らせる前のころの夢だ。
場所は、城の書庫。
閲覧スペースの椅子に、幼い自分が座っている。
隣には弟のアルブレヒトがいて、その隣に学友令嬢のミランダがいた。テーブルの上には、絵本がたくさん置いてある。
ひとつの絵本をみんなで覗き込むようにして、ちいさな声で順番に文字を読み、1ページ1ページ順番にめくっていく。書庫に流れる時間はおだやかで、優しい時間だった。
「よげんしゃが、おうさまに……かんむりを、かぶせました」
ミランダの声が読み上げると、アルブレヒトが目をきらきらさせる。
「おうさま」
弟が自分を見て言うので、ハルシオンはにっこりした。
(そうだよ。このページに描かれているように、預言者に王冠をかぶせてもらうのは、私だよ)
二人は同じ年齢だったけれど、ものの考え方や発語は同じ年齢と思えないほどハルシオンはしっかりしていた。
自分は弟よりも優れているのだと、ハルシオンは自覚していた。その上で、弟には優しく接しようと思っていた。
「さあ、次のページをにいさまが読むよ」
おうさまが演説するシーンだもの。私が読むのがいいよね。
ハルシオンはそう思ったが、アルブレヒトはページをおさえて、「ぼくがよむ」と言った。
ちょうどそのとき、書庫にひとの気配が増えて、空国の預言者ネネイが近づいてきた。
現在と変わらぬ十代前半の少女の姿をしたネネイは、三人を順番に見た。三人はそろって背筋をのばし、行儀よく挨拶をした。
「絵本を読んでいらしたのですね」
優しいネネイの視線が最初にハルシオンを見たので、ハルシオンは「ネネイの次の主君は私なのだ」と思った。
「ネネイ、おうかん」
アルブレヒトが無邪気に絵本をみせている。
「かぶせてくれるの?」
問いかけに、ネネイが微笑む。
ハルシオンはなぜだか、弟に微笑むネネイにどきりとした。それで、なんとなく急ぐようにして、言葉を挟んだ。
「そうだよ、アル。ネネイは」
一瞬だけ「私に」と言いかけて、ハルシオンは喉がつかえたようになった。理由はわからない。
「……おうかんをかぶせてくれるんだよ」
ハルシオンはそのとき、結局「私に」という言葉をなしにして言った。
そして、嬉しそうなアルブレヒトの顔をみて「言わなくてよかった」と思ったのだった。
(今なら、理由がわかる。私は自分が選ばれない可能性もあるのだ、と思ったのだ)
「ハルシオン殿下、おそれいりますが……お時間です……」
青年の声で覚醒を促されつつ、ハルシオンはもそもそと寝台の上で丸くなった。
「殿下……」
王位に就かなかった自分を呼ぶのは、緑髪のルーンフォーク・ブラックタロンだ。よく仕えてくれている優秀な青年だ。
善良で気が弱い青年だ。あまり困らせてはいけない。最近は自信らしきものを感じさせるが。
「ふぁい。起きています……」
のろのろと身を起こすと、ほっとした気配が返ってくる。
* * *
停留中の島の浜辺に、美しく上品に飾られた日除けのテントが立ち並んでいる。
空国の船『ラクーン・プリンセス』の人々は、浜辺でパーティを楽しんでいた。
砂浜の一角で、大きな焚き火が篝火台に灯され、周りには人々が集まっている。
美味しい料理と上質なワインが供されて、笑顔と歓声が交わされていた。
料理は海の幸が中心で、香り高いスパイスで味付けられていた。香りのよいソースが火の明かりに照らされて明るい色を見せていて、食欲が刺激される。
「寄せては返す波を見ていると、眠くなるね。のんびり眠っていたよ」
ゆらめく海の波に砂浜が優しく撫でられている景色に目を細め、ハルシオンは弟である空王アルブレヒトの隣に座った。
アルブレヒトの隣には、アルブレヒトの伴侶である王妃ラーシャがいる。仲の良い夫婦だ。
「競売用の契約書はできたから安心してね、アル」
「ありがとう存じます、兄上」
商業神ルートの『神聖な契約』――契約書をつくり、破ったものに神罰を与える奇跡だ。
ハルシオンは現在、呪術が使えない。
けれど、聖印に聖句をとなえると『神聖な契約』は行使できることに気付いたのだった。
それは、ハルシオンの能力ではない。
ハルシオンの忠実な騎士であるルーンフォークが言ったのだ。
「聖印というのは、どうも魔導具ではないかと思うのです」
と――知識神の聖印をいじりながら、目をらんらんとさせて。
「知識神の聖句はなんでしょう? 実際に使ってみたいのですが」
と尋ねられたりもしたのだが、ハルシオンは即答できなかった。
「アル、招待客の中に紅国の知識神の聖印を落とした信徒はいなかったんだよね?」
「兄上。聖印の落とし物があったということですが、落とした方がいないかきいていますが、今のところ名乗り上げる様子がありません」
(他の神様の聖句って尋ねたら教えてもらえるのだろうか)
ハルシオンは好奇心をおぼえつつ、近づいてきた預言者ネネイに笑顔を向けた。
ハルシオンとアルブレヒトが成長して青年になっても、ネネイは変わらぬ少女の外見だ。
「陛下。ご挨拶の時間です」
ネネイが呼びかける相手は、アルブレヒトだ。
王冠を頭に煌めかせ、威厳をただよわせて、アルブレヒトがパーティを楽しむ王侯貴族たちに今後の予定を語る。
空国の港から物資を運ぶ船がくるので、そのあと島を離れ、オシクレメ海底火山がある海域を巡り、遺跡調査を終えたら帰還する。
明日には船内の下層にある競売場で珍しい品々の競売もあるので、楽しんでほしい。
そう笑ってしめくくるアルブレヒトに、拍手が贈られる。
「ハルシオン様」
「んっ」
にこにこと拍手をしていたハルシオンに、ネネイがちいさな声で呼びかける。珍しいことなので、ハルシオンはすこし驚いた。
「申し訳、ありませんでした」
「へっ?」
ネネイがなにかを謝ってきた。
しかし、ハルシオンには心当たりがない。首をかしげていると、預言者は言葉をつづけた。
「預言を、いたします。明日、競売の会場で……よからぬことが、起きるでしょう」
ハルシオンはまじまじと預言者の横顔を見た。その耳に、愛らしい歌声が聞こえてくる。
(……シュネーさんだ)
清らかで、心が洗われるような少女の歌声に、ハルシオンは視線を彷徨わせた。
その少女は、すぐに見つけられた。
人々に見守られ、綺麗な髪を潮風にきらきらとなびかせて歌うフィロシュネーがいる。
微笑ましく好ましくその姿を見守っていたハルシオンは、令嬢らしく着飾ったミランダが青王アーサーと話しているのも発見した。
(こういう宴席でも、ミランダはいつも近くにいてくれたのにな)
そう思うと、隙間風のような乾いた冷たい感情が吹いて心臓のあたりが痛むから、ハルシオンはそっと胸をおさえた。
「ネネイ。……その預言について、詳しくきくことはできますか?」
雑念をこころの端に押しやって、ハルシオンは隣にちょこんと座るネネイに問いかけた。
見上げるようにして自分を映す預言者の移り気な空の青の瞳は、美しかった。
「詳しく知る必要は、ありません。会場を、変えればいいだけ……です」
ネネイは、他者にきかれるのを怖れるように防諜の呪術を使っている。ハルシオンがその事実に気付いたとき、フィロシュネーが歌を終えて歓声を浴びながら、こちらへ近づいてきた。
「ハルシオン様。わたくしの部屋の前に、紅国の預言者を名乗る者からの謎の手紙が落ちていましたの」
フィロシュネーは挨拶もそこそこに本題を切り出して、その内容でハルシオンを驚かせるのだった。
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