191 / 384
3、変革のシトリン
188、私がアレクシアだと気付きもしない
しおりを挟む
無言のまま浜辺に引き返す青年は、やっぱり自分が知らない人物のように思えて、ダーウッドは淋しくなった。
「そうだ。婚約者は、カタリーナ・パーシー=ノーウィッチ公爵令嬢に決めようと思うのだ」
足元が波から完全に逃れて、浜辺に降ろしてもらいながら、ダーウッドは主君である青年のちいさな報告を聞いた。
浜辺は賑わっていて、波はざぶざぶと常に音を立てている。
なのに、ダーウッドは一瞬世界中が静まったような錯覚をおぼえた。
「さようでございますか」
カタリーナ・パーシー=ノーウィッチ公爵令嬢は、不老症だ。
だいたい十五歳前後で体の成長が止まった様子で、子どもは作れる体という診断書付きだ。
背格好や髪や瞳の色合いがアレクシアを思わせるような雰囲気で、どことなく似ているともいえる。
刺されて海に落とされたという事故も、優しいアーサーのこころを惹く効果があったに違いない。
(ソラベルが喜びそうですね。思惑通り、と)
本日、さきほど、自分は「あの預言は嘘だったのだから、気にしなくていいのだ」と言ってあげた。
だからアーサーはアレクシアという過去の婚約者への後ろめたい気持ちから解放されて、カタリーナを唯一無二の伴侶として愛するのだ。情深い青年だから、深く大切に伴侶を愛することだろう。
(おふたりの御子が生まれたら、私が名前を考えて差し上げるのもいいでしょう。きっと可愛らしいのでしょうね)
水に濡れた自分の体が、ひどく貧相に思える。
あの愛らしいフィロシュネー姫が言ったのだった。ぺったんこ、と。
――自分は、二次性徴前に成長が止まった。だから、子どもが宿せないのだ。何百年生きても、誰かと愛を交わす資格すら得られないのだ。
(それが、なに? 私は、なにを考えているのだか……嫉妬している? 羨んでいる? ああ、そういう情念が私にあるの……)
自分は世界中を欺いていて、主君を守ることもできなかった、裁かれるべき咎人なのに。それが、まるでただの人間のような、平凡な女にでもなったような情を感じている。
「お前、風邪でも引いたか。元気がない……」
顔を覗き込むようなアーサーの声から逃れるように、ダーウッドは魔法の光を消して顔をそむけた。
「水に漬けるからです」
声は冷たく響いただろうか。
感情など持ち合わせていないように聞こえればいい――そう思ったけれど、アーサーは正面にまわりこんでしゃがみ、今度は下から覗き込むようにするではないか。これは失敗したのだ。
「お前が水を怖がるのが面白くて、やりすぎたな。すまぬ」
素直に謝る心根や、よし。
しかし、つづく言葉は。
「船に戻って風呂にでも浸かるか。お前、風呂も苦手と聞いているが」
「反省していないではありませんか」
「ははっ」
(そもそも、アーサー陛下は私のことを異性だとすら認識していない)
私がアレクシアだと気付きもしない――そんな痛みが胸にある。気付かれないのは、望ましいはずなのに。
(私もおかしい。どうかしている)
赤子のころから見てきた御子ではないか。二百歳以上年下の御子ではないか。
自分は人の営みとは外れた影にいるのだ。なにを血迷っているのか。
妙な望みを抱く資格も、それが叶わぬと嘆く資格もないのに。
「水浴びが好きな鳥もいるのになあ」
「また鳥扱いをなさって……」
人間扱いすらされていないのだ。
そう思うと、おかしさが込み上げてくる。
「――くくっ」
口の端を歪めて喉を鳴らすと、アーサーはのほほんとした声で喜んだ。
「おっ。機嫌がなおったか」
私の陛下は、私のことをなにもご存じでない。わかっていない……それでいいのだ。
「機嫌もなにも……陛下のおそばにいるだけで、私はいつも幸せなのですよ」
「お前、それはうそだ」
アーサーが嘘だと言いながらも気に入った様子で嬉しそうに笑っている。
ああ――この青年の笑顔が、私は好きなのだ。
敬愛をこめて頬に触れ、顔を近づけると、「預言でもさえずるのか」と軽く首をかたむけてくれる。
許されたような気分になって顔を近づけて、頬にさりげなく、ほんの一瞬だけ掠めるようなキスをする。……ほんのすこしだけ、魔がさしたのだ。
「陛下。黄金の林檎は、あなたさまが落札なさいませ……っくしゅん」
預言者の声でささやいて、顔色をうかがう。
アーサーは思ったとおり、掠めた感触に気付いてもいないような気配だ。
だから、ダーウッドは安心して微笑んだ。
「そうだ。婚約者は、カタリーナ・パーシー=ノーウィッチ公爵令嬢に決めようと思うのだ」
足元が波から完全に逃れて、浜辺に降ろしてもらいながら、ダーウッドは主君である青年のちいさな報告を聞いた。
浜辺は賑わっていて、波はざぶざぶと常に音を立てている。
なのに、ダーウッドは一瞬世界中が静まったような錯覚をおぼえた。
「さようでございますか」
カタリーナ・パーシー=ノーウィッチ公爵令嬢は、不老症だ。
だいたい十五歳前後で体の成長が止まった様子で、子どもは作れる体という診断書付きだ。
背格好や髪や瞳の色合いがアレクシアを思わせるような雰囲気で、どことなく似ているともいえる。
刺されて海に落とされたという事故も、優しいアーサーのこころを惹く効果があったに違いない。
(ソラベルが喜びそうですね。思惑通り、と)
本日、さきほど、自分は「あの預言は嘘だったのだから、気にしなくていいのだ」と言ってあげた。
だからアーサーはアレクシアという過去の婚約者への後ろめたい気持ちから解放されて、カタリーナを唯一無二の伴侶として愛するのだ。情深い青年だから、深く大切に伴侶を愛することだろう。
(おふたりの御子が生まれたら、私が名前を考えて差し上げるのもいいでしょう。きっと可愛らしいのでしょうね)
水に濡れた自分の体が、ひどく貧相に思える。
あの愛らしいフィロシュネー姫が言ったのだった。ぺったんこ、と。
――自分は、二次性徴前に成長が止まった。だから、子どもが宿せないのだ。何百年生きても、誰かと愛を交わす資格すら得られないのだ。
(それが、なに? 私は、なにを考えているのだか……嫉妬している? 羨んでいる? ああ、そういう情念が私にあるの……)
自分は世界中を欺いていて、主君を守ることもできなかった、裁かれるべき咎人なのに。それが、まるでただの人間のような、平凡な女にでもなったような情を感じている。
「お前、風邪でも引いたか。元気がない……」
顔を覗き込むようなアーサーの声から逃れるように、ダーウッドは魔法の光を消して顔をそむけた。
「水に漬けるからです」
声は冷たく響いただろうか。
感情など持ち合わせていないように聞こえればいい――そう思ったけれど、アーサーは正面にまわりこんでしゃがみ、今度は下から覗き込むようにするではないか。これは失敗したのだ。
「お前が水を怖がるのが面白くて、やりすぎたな。すまぬ」
素直に謝る心根や、よし。
しかし、つづく言葉は。
「船に戻って風呂にでも浸かるか。お前、風呂も苦手と聞いているが」
「反省していないではありませんか」
「ははっ」
(そもそも、アーサー陛下は私のことを異性だとすら認識していない)
私がアレクシアだと気付きもしない――そんな痛みが胸にある。気付かれないのは、望ましいはずなのに。
(私もおかしい。どうかしている)
赤子のころから見てきた御子ではないか。二百歳以上年下の御子ではないか。
自分は人の営みとは外れた影にいるのだ。なにを血迷っているのか。
妙な望みを抱く資格も、それが叶わぬと嘆く資格もないのに。
「水浴びが好きな鳥もいるのになあ」
「また鳥扱いをなさって……」
人間扱いすらされていないのだ。
そう思うと、おかしさが込み上げてくる。
「――くくっ」
口の端を歪めて喉を鳴らすと、アーサーはのほほんとした声で喜んだ。
「おっ。機嫌がなおったか」
私の陛下は、私のことをなにもご存じでない。わかっていない……それでいいのだ。
「機嫌もなにも……陛下のおそばにいるだけで、私はいつも幸せなのですよ」
「お前、それはうそだ」
アーサーが嘘だと言いながらも気に入った様子で嬉しそうに笑っている。
ああ――この青年の笑顔が、私は好きなのだ。
敬愛をこめて頬に触れ、顔を近づけると、「預言でもさえずるのか」と軽く首をかたむけてくれる。
許されたような気分になって顔を近づけて、頬にさりげなく、ほんの一瞬だけ掠めるようなキスをする。……ほんのすこしだけ、魔がさしたのだ。
「陛下。黄金の林檎は、あなたさまが落札なさいませ……っくしゅん」
預言者の声でささやいて、顔色をうかがう。
アーサーは思ったとおり、掠めた感触に気付いてもいないような気配だ。
だから、ダーウッドは安心して微笑んだ。
0
あなたにおすすめの小説
追放聖女の再就職 〜長年仕えた王家からニセモノと追い出されたわたしですが頑張りますね、魔王さま!〜
三崎ちさ
恋愛
メリアは王宮に勤める聖女、だった。
「真なる聖女はこの世に一人、エミリーのみ! お前はニセモノだ!」
ある日突然いきりたった王子から国外追放、そして婚約破棄もオマケのように言い渡される。
「困ったわ、追放されても生きてはいけるけど、どうやってお金を稼ごうかしら」
メリアには病気の両親がいる。王宮で聖女として働いていたのも両親の治療費のためだった。国の外には魔物がウロウロ、しかし聖女として活躍してきたメリアには魔物は大した脅威ではない。ただ心配なことは『お金の稼ぎ方』だけである。
そんな中、メリアはひょんなことから封印されていたはずの魔族と出会い、魔王のもとで働くことになる。
「頑張りますね、魔王さま!」
「……」(かわいい……)
一方、メリアを独断で追放した王子は父の激昂を招いていた。
「メリアを魔族と引き合わせるわけにはいかん!」
国王はメリアと魔族について、何か秘密があるようで……?
即オチ真面目魔王さまと両親のためにお金を稼ぎたい!ニセモノ疑惑聖女のラブコメです。
※小説家になろうさんにも掲載
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。
戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。
『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。
※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。
時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。
一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。
番外編の方が本編よりも長いです。
気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
捨てられた聖女、自棄になって誘拐されてみたら、なぜか皇太子に溺愛されています
h.h
恋愛
「偽物の聖女であるお前に用はない!」婚約者である王子は、隣に新しい聖女だという女を侍らせてリゼットを睨みつけた。呆然として何も言えず、着の身着のまま放り出されたリゼットは、その夜、謎の男に誘拐される。
自棄なって自ら誘拐犯の青年についていくことを決めたリゼットだったが。連れて行かれたのは、隣国の帝国だった。
しかもなぜか誘拐犯はやけに慕われていて、そのまま皇帝の元へ連れて行かれ━━?
「おかえりなさいませ、皇太子殿下」
「は? 皇太子? 誰が?」
「俺と婚約してほしいんだが」
「はい?」
なぜか皇太子に溺愛されることなったリゼットの運命は……。
【完結】完全無欠の悪女様~悪役ムーブでわがまま人生謳歌します~
藍上イオタ
恋愛
「完全無欠の悪女、デステージョに転生してる!?」
家族に搾取され過労で死んだ私が目を覚ますと、WEB漫画世界に転生していた。
「悪女上等よ! 悪の力で、バッドエンドを全力回避!」
前世と違い、地位もお金もあり美しい公爵令嬢となった私は、その力で大好きなヒロインをハッピーエンドに導きつつ、自分のバッドエンドを回避することを誓う。
婚約破棄を回避するためヒーローとの婚約を回避しつつ、断罪にそなえ富を蓄えようと企むデステージョだが……。
不仲だったはずの兄の様子がおかしくない?
ヒロインの様子もおかしくない?
敵の魔導師が従者になった!?
自称『完全無欠の悪女』がバッドエンドを回避して、ヒロインを幸せに導くことはできるのか――。
「小説化になろう」「カクヨム」でも連載しています。
完結まで毎日更新予定です。
【完結】シロツメ草の花冠
彩華(あやはな)
恋愛
夏休みを開けにあったミリアは別人となって「聖女」の隣に立っていた・・・。
彼女の身に何があったのか・・・。
*ミリア視点は最初のみ、主に聖女サシャ、婚約者アルト視点侍女マヤ視点で書かれています。
後半・・・切ない・・・。タオルまたはティッシュをご用意ください。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる