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3、変革のシトリン

198、競売会と槍好きワンコ

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 新しい競売の会場は、『ラクーン・プリンセス』の中層にある。

 何時からどの商品、という予定が書かれたリストを手に、競売参加者たちは会場に好きに出入りする。
 空国自慢の呪術の結界が目に見える半透明の壁として張り巡らされた会場には、警備兵がずらり。警備兵の頭には真っ白のうさぎ耳帽子がかぶせられている。

「不届ものに『しっかり警備してますからね』とアピールしつつ、楽しい雰囲気も損ねないようにと工夫してみたのですっ」
 
 空国の王兄ハルシオンの背後に騎士服姿のミランダとルーンフォークが揃っている。フィロシュネーはハルシオンの右の席に案内されて座りつつ、ダーウッドを右隣に座らせた。
 
「密偵さんにお隣を譲りましょう。そして、ハルシオン殿下が俺に籍を譲ってくださることでしょうね」
「ノイエスタルさんの言葉は私には聞こえないようです」

「聞こえていますよね」
 サイラスは諦めた様子でダーウッドの右の席に腰を下ろした。
 
「密偵さん、この件についてどのように思われますか」
「ノイエスタルどの、その『密偵さん』と言う呼ばれ方は困ります」
「お名前で呼びます?」

 少し離れた場所に、空王アルブレヒトと王妃ラーシャ、青王アーサーと婚約者候補カタリーナ、という四人組がいる。
 
(あれは、もう他者の目にはお兄様の婚約者はカタリーナ様に決まったとおおやけに見せつけているようなものですわね)
 
 見覚えのある男、ノーウィッチ元外交官が反対側の遠い席から四人組を見ていて、同じ対象を見る者同士でパチリと視線が絡み合う。フィロシュネーは笑顔で手を振ってあげた。ノーウィッチ元外交官は、びくっと怯えた顔をしている。

「ダーウッド。元外交官のノーウィッチのお名前は、確かリッチモンドでしたかしら」
「リッチモンドどので合っていますぞ。二十六歳、趣味はスコーンを焼くこと。ただしよく焦がす。アーサー陛下が投げた槍を嬉しそうに追いかけて走る姿が有名で、槍を返しながら『もう一度投げてくださいッ』とねだったことから、ついた二つ名が『槍好きワンコ』……」
 
 そんな二つ名があったとは。
 知ってみると、なかなかに濃ゆい人物だ。

「せっかくなので彼を近くの席に呼ぼうと思うのだけど、あなたはどう思う? あの方についておくわしい?」
 
 尋ねると、ダーウッドは「どう思う、とは?」とふしぎそうにしながら席を立って、リッチモンドに近付いて呼びに行く。

「あなたに呼びに行けと言ったわけでは……」
 
 フィロシュネーが目を点にしたが、ダーウッドは離れていく。そして、途中でアーサーに挨拶をする。
 
(あ、挨拶がしたかったのですわね。リッチモンドはついでですわね)
 フィロシュネーは察してにやにやした。
 
 二言、三言。
 なにか言葉を交わして、ダーウッドがアーサーに頭を下げる。離れる。アーサーはゆったりと頷き……。

「目も合わせないの?」
 フィロシュネーは驚いた。
 
 やり取りの間、アーサーは視線を手元のリストに向けていて、ダーウッドを見なかったのだ。
 
「いかがなさいましたか、シュネーさん? なにか気になることが?」
 
 ハルシオンがそわそわと問いかけてくる。
 
「あ、いえ。お兄様が」
「アーサー陛下は、黄金の林檎のゼリーを狙っておられるようですねえ――さあさあシュネーさんっ。ドリンクをどうぞ? 競売は初めてですか? この入札魔導具を使って入札するのですよ」

 ハルシオンは、ドリンクと入札魔導具を渡してくれる。
 入札魔導具はフィロシュネーも愛用している筒杖にすこし似ている。

「事前に使用する金額を契約書に記載して、設定しておくんです。設定した金額を上限にして、落札できるんですね。落札するときはこの筒の側面にあるボタンを押して数字を上下して金額を定めまして。決まってからこの引き金を引くと上に光の文字が打ちあがり、入札金額が表示されるのですね」
 
「空国の方々は変な道具を開発するのがお好きですね。普通の札を使えばいいのに」
 
 サイラスが淡々とつっこみつつ、手を伸ばしてくる。入札魔導具を渡せば、カチカチと金額を設定して、フィロシュネーに返してくれる。

「どうぞ」
 
 俺が金を出すので遊んでいいですよ、と言うのだ。あのサイラスが! フィロシュネーは感激した。
 
「ありがとう……?」
 
 設定された上限金額は、フィロシュネーが自由に使えるお小遣い半年分くらいはある。

「シュネーさん、私も追加しましょう」

 ハルシオンが手を伸ばしてきて、さらに上限金額を引き上げる。

「お、お二人とも、ありがとうございます。でも、わたくしは、見学をしますわ。特にほしいと思うものはありませんの」
「商品より私がほしい? いや~、照れちゃいますね!」
 
 ハルシオンはフィロシュネーを間に挟んで反対側の席に座るサイラスがコメントをする声は硬い。
 
「ハルシオン殿下は随分浮かれておいでですね。ワインをかけたくなります」
「最近気づいたのですが、私はノイエスタルさんが格好つけようとするのを邪魔したくなるようなのですね、どうしてかなぁ……」
 
 フィロシュネーを挟んで見えない火花を散らす二人。
 その視線の間に割って入って場をおさめるように戻ってきたのが、リッチモンド・ノーウィッチを連れたダーウッドだった。

「おかえりなさい。呼んできてくださってありがとう。アーサーお兄様、ちょっと様子がおかしかったように見えましたけど……」
 
 リッチモンドよりも先にダーウッドに声をかけると、すこし寂しそうな声が返ってくる。
 
「陛下は婚約者どのと絆を深めておいでですので、お邪魔しないほうがよいのでしょう。陛下もお年頃。自立するご年齢なのですからな。ご成長は喜ばしいですが、じいやはすこし寂しい気もいたしますな」

 またそんなことを言う。
 フィロシュネーは眉を寄せてなにか言ってやろうかと言葉を選びかけたが、それより先にダーウッドはサイラスと席を交代してしまった。

「ありがとうございます。気が利きますね、アレクシアさん」
「どういたしまし……、っ!?」

 驚いた様子でダーウッドがサイラスを見ている。からん、と音を立てて預言者の杖が床に転がった。

(あ~~っ! サイラスーー!! いきなり『知ってます』って言ったらびっくりするでしょう!)
 
 フィロシュネーがあたふたしていると、サイラスは紳士的な所作でドリンクグラスを給仕から受け取り、姫君に接するようにダーウッドに差し出した。

「こちらはお礼のドリンクです。日記は興味深かったですよ」
「な……っ」

 これは絶対に反応を楽しんでいる――フィロシュネーははらはらと口を挟んだ。

「ダーウッド。日記が戻ってきたでしょう? あなたは夢うつつで覚えていないみたいだけど、あれを拾って届けたのはわたくしたちなのよ」

 さようでしたか、と呟くダーウッドの声は小さい。
 両手でフードの端を下に引っ張って顔を隠す様子は、動揺を隠そうとしているのが明らかだ。

「あのあの、でもね。全部読んだわけではないの。あとで、どこまで読んだかお話ししますからね」

 フィロシュネーがあたふたと言ったとき、困った様子の声がもうひとり分、かけられる。

「王妹殿下……おそれいりますが……お呼びとききましたが」
「あっ」

 リッチモンド・ノーウィッチだ。すっかり存在を忘れていた。
 『またいろいろ聞いちゃってますが』という顔をしている。
 
 リッチモンドは、以前会ったときよりも声に張りがない。声の大きさも小さい。自信をなくしたような、弱気な感じだ。

「リッチモンド。わたくしの後ろの席にお座りなさい」
「はっ」

 返事の歯切れの良さは、相変わらず。
 フィロシュネーはドリンクで舌をしめらせ、告げた。

「あなたにお姫様のエスコート役というお仕事を与えます。上手にできたら外交官に復職させてあげる。想い人にも堂々と求婚できましてよ」
 
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