カクテルの紡ぐ恋歌(うた)

弦巻耀

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第五章 ブルーラグーンの戸惑い

ライバルとの対面(2)

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 美紗は思わず「えっ」と声をもらした。しかし、大須賀がその五倍くらいの音量で美紗の声をかき消した。

「な、何、奥さん役? 日垣1佐の? 何そのオイシイ話!」
「できることなら、メグさん連れて行きたいよ。そうすれば、1部長はあなたに押し付けて、私は最初っからゆっくり友達と飲める」
「ちょ、ちょっと待って。押し付けて? 日垣1佐をアタシに? 是非、押し付けられたいわっ。どういういきさつでそんな話になったんですかあ?」

 大須賀は急に目をギラギラさせて、吉谷に掴みかからんばかりに迫った。吉谷が話したコトの経緯は、美紗が前日に直轄チームで聞いた話とほとんど同じだった。
 日垣が、総務課長に事情を話し、吉谷を『奥様代理』に指名したのだろうか。それとも、彼女に直接、レセプションに同行して欲しいと言ったのだろうか。


 にわかに、胸の中を、何かが飛び回り始める。


 吉谷から顔を背けるように下を向く美紗の隣で、大須賀はますます興奮気味に早口で喋り続けた。

「日垣1佐、一人暮らしだったんだあ。それで『奥さん代理』って話になったんですね。そういうことは早く教えてくださいよ」
「私だって、『奥さん代理』の件は昨日の夕方に聞いたんだから」
「違う、違う。単身赴任してるって話。そうと分かれば、こっちのアプローチも変わってくるじゃないですか」

 美紗は、ますます声が大きくなる大須賀の横で、凍り付いた。豪胆な「ライバル」は、やはり、相当に気合が入っているらしい。

「やだ、変な方向にいかないでよ」

 吉谷が不愉快そうに眉をひそめるが、大須賀に先輩の言葉は全く聞こえていないようだった。

「取りあえず、そのレセプションから攻めようかな。吉谷さんは、あくまで個人宛に来た招待状で出席するんでしょう? つまり、日垣1佐の『奥さん代理』のポストは、まだ空いてるって解釈できるわけだし、二人で付き添ったって別に構わないわけだし……」

 大須賀は一人でブツブツ呟くと、突然、美紗のほうに向きなおった。

「ねえっ、鈴置さん!」

 美紗が飛び上がりそうに驚いて顔を上げると、完全にテンションの上がった「ライバル」は、ピンク系のアイメイクがバッチリ決まった目を大きく見開き、椅子ごと体を寄せてきた。

「忙しいトコ悪いけど、日垣1佐にお伺い立ててくれないかなあ? 『奥さん代理』に8部の大須賀恵が立候補しますけど、追加の付き添い、いかがですかって」

 私もそれを狙ってたのに、と言いそうになって、美紗はすっかり動転した。金魚のように口だけを動かしながら身を引いたが、大須賀はなおも、派手な顔とボリュームのある胸を近づけてくる。

「私、吉谷さんほどじゃないけど、にちょっとだけ留学してたことあるから、フランス語はそこそこできるし、知らない人と話すのも全っ然平気だから。大物だろうが何だろうが、日垣1佐に寄ってくる変な奴いたら、アタシが盾になってあげるわ。どう? 適任よ!」
「ちょっと、美紗ちゃん困ってるじゃない。だいたい、女子会はどうしたのよ」

 吉谷が暴走気味の大須賀を美紗から引き離そうとしたとき、険のある声が三人の間に割り込んできた。

「地域担当部の人が外国人と会うのは、原則禁止なんじゃないんですか」

 部屋の奥のほうで、二十代後半と思しき女が、明らかに侮蔑の色を目に浮かべて立っていた。グレーのワンピースに薄手のカーディガンというラフな格好をした痩身の彼女は、細い眉に釣り目気味という顔立ちのせいか、かなり気が強そうな印象を醸している。

 大須賀は、自分より若いその女性職員に、露骨にムッとした顔を向けた。しかし、吉谷は全く動じることなく、「そうだったよね」と場を取り繕った。

八嶋やしまさんの言う通り。外とのおつきあいは第1部うちの特権だから」

 統合情報局では、保全上の観点から、職員が私的に外国人と接することを制限していたが、地域担当部に属する人間は特に厳しい制約を課されていた。秘区分の高い情報源に接する機会が、第1部に比べて、格段に多いためだ。

「ああっ、悔しいなあ。私も1部に引っ越したい」
「1部長から8部長に『人を出してくれ』って一言入れば、メグさんも堂々と行けるんだけどね。指揮系統を通じてレセプションに出ろと言われるんだったら、部内規則は関係なくなるわけでしょ?」
「うちの部長が間に入れば、か。今更それは無理ですよねえ」

 先輩二人が再び話し始めるそばで、美紗はそっと後ろを振り向き、冷ややかな声の主を見た。
 美紗より少し背が高そうな相手は、あまり化粧っ気もなく、地味さでは美紗と似通うものがあった。しかし、先方は、親近感どころか、敵意に満ちた目つきで、美紗をじっと睨み返してきた。

 過去に何か、彼女の不興を買うようなことをしただろうか。統合情報局に異動してから今日までのことをざっと思い返してみても、美紗に心当たりはなかった。

 吉谷が「八嶋さん」と呼んだ女性職員は、同じ第1部の所属だった。確か、事業企画課の渉外班にいる。海外関係機関との連絡調整や交流窓口の役目を担う渉外班は、第1部長直轄チームとは、仕事上の関わりがほとんどなかった。
 実際、美紗は、仕事中に時々八嶋の姿を見かけてはいたが、彼女と言葉を交わしたことは一度もない。

 全く接触がないのだから、不興を買う機会すらないはずだ……。

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