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第三章 ハンターの眼差し
第1部長の正体(2)
しおりを挟む一瞬の喪心から回復した美紗は、自分が階段の踊り場でへたり込んでいるのに気付いた。
片ひざをついた日垣が、目の前に紙の束を差し出している。議事録取りに入ったセッションで使われたブリーフィング資料一式と、美紗が書いたメモ書きだった。
「君が本物のスパイなら、実に大した演技力だ。二年以上も省内に潜んで情報局に配置されるチャンスを待ち続けていたとは、誰が予想できる? 気の弱そうな素振りも、素人然とした態度も、完璧じゃないか」
陰険な言葉を、美紗はぐったりと聞いていた。言い返す気力もなかった。
「他の物はしばらくこちらで預からせてもらう。君は自席に戻って、比留川に言われていたとおりのことをやれ。USBは私に貸したとでも言っておけばいい」
日垣は、手に持っていたものを美紗に押し付けると、残りが入った書類ケースを持って立ち上がった。
スパイ嫌疑をかけた相手に仕事を続けさせて、どうするつもりなのだろう。しかし美紗には、彼の指示に従う以外に選択肢はない。
足に力が入らない。無理やり立ち上がろうと左手を床につくと、左腕全体に痺れるような痛みが走った。美紗は、かすかに声を漏らして、身を丸めた。
「立てるか」
いつも聞きなれている穏やかな声と共に、大きな手が差し出された。ついさっき、美紗を犯罪者のように調べた、骨ばった手――。
「やめて! 来ないで!」
美紗はひきつった顔で後ずさった。
差し出された手も、優しそうな顔も、作り慣れた嘘だ。濃紺の制服を着た男に近寄られるのが恐ろしかった。これ以上、嘘に穢されたくない。
美紗は書類を左手に持ち替えると、右腕に体重をかけてなんとか立ち上がった。
二人は、半階分の階段を上り、地下二階のフロアへ出た。
人気のない廊下を突き当たりまで来ると、日垣は、壁と同じ色をした厚い鉄扉の電子ロックを解除した。
ドアの向こうに、敷地内に複数ある建物を繋ぐ、長い地下通路があった。天気がいいせいか、そこを通る人間の姿は見えず、遠くに響く足音だけが聞こえる。
「今後のことは追って指示する。それまで、先ほどのセッションのことは他言無用だ。『直轄ジマ』の連中にも話すな」
日垣は周囲の様子をうかがいながら、早口でささやくように言った。
「周りに何を聞かれても適当にごまかしておくんだ。絶対に気付かれるな」
「でも……」
日垣の真意が分からなかった。なにより、何もなかったフリをしていられるか、とても自信がない。不安げな顔をする美紗を、日垣は無理やり外に押し出した。
「君の言い分は後日聞かせてもらう。いずれ内部調査が入るだろうから、身の潔白を主張するつもりなら、今後の行動にはせいぜい気を付けろ」
言い捨てるような言葉とともに、ドアが閉まった。自動ロックがかかる嫌な音が地下通路に響いた。
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