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プロローグ
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「きれいな月……」
姉と別れてリリーシャがやってきたのは、城の上部にあるバルコニーだった。それほど広くないその場所で、リリーシャは囲まれた柵の上に肘をつきながら、ぼんやりと宵闇に浮かぶ黄金の月を眺めていた。
今夜は、三日月。美しい弧を描くそれと同じように唇を緩めながら、リリーシャは上空を仰いだ。
すると、どこからか風に乗って流れてきたのは美しい音色。
「笛の音?」
リリーシャは音のする方に目を向けてみたが、闇夜に沈んだ光景ばかりで、その演奏主を見つけることは叶わなかった。
だれが、奏でているんだろう?
とても心に染みる音色なのに、寂しそうな曲――
物悲しい旋律を耳にしながらぼうっとしていると、昼間の出来事が彼女の脳裏で勝手に再生されていく。
人気のない廊下を早足で移動していた時に、偶然見かけてしまったのだ。姉と彼が二人で、何か言い合っている場面を。
慌てて近くの柱に隠れて様子を伺っていたら、姉の手が彼の胸元をつかんで彼の顔を引き寄せるのが見えて、彼女は逃げるようにその場を立ち去ったのだ。
あの後、何があったのかは知らないけれど――
彼の目が、幼い頃からずっと誰に向けられているか。同じように彼を追いかけていた彼女には、容易にわかってしまっていた。
もしかして彼だけじゃなく、お姉さまも彼のことを――?
この国のために彼への想いを捨てて、十歳以上も歳が離れている騎士団団長のお義兄さまを選ばれたの?
でも――
それももう、私には関係のない話。
私は、私の身は、そのうち隣国へと渡らなければならなくなるのだから。この国の、ために。
そういえば彼も横笛をよく吹いていたのに、最近はそれを耳にすることもなくなった。幼い頃から慣れ親しんでいたあの音色を、もう一度ききたかったけれど。
穏やかな風に、姉から預けられたベールが揺れる。
直接、外気を肌に感じたいと思ったリリーシャは、ベールをめくると長い髪と一緒に後ろに流した。
いつしか、あの物悲しい笛の演奏は止んでいる。
再び、静寂に包まれた中で心地よく吹いてくる風にリリーシャが身をゆだねていると、カタッという物音が背後から響いてきた。
「だれ?」
リリーシャはめくり上げていたベールを戻すと、ゆっくりと振りむいた。
バルコニーに続く大きな窓が開かれ、白のレースカーテンと対照的な赤いマントが躍る。そこから現れた人物に、リリーシャは淡黄色の瞳を丸くした。
「あなたは……! どうして、ここに――きゃっ!?」
一気に距離を詰め寄ってきた彼に突然抱きすくめられて、リリーシャから小さな悲鳴が飛び出す。困惑しながらリリーシャが目をさまよわせていると、彼女の鼻腔をツンとした刺激臭が通り抜けていき、彼女の表情が少しだけしかめられた。
「もしかして、酔っているのですか? お酒の匂いが、すごくきついです」
彼にしては珍しいと、リリーシャは思った。
生真面目な彼が、こんなに匂いを纏うほどに酔っているところを見るのは、初めてかもしれない。
それだけ今回のことが――、姉の結婚がショックだったんだろうか。
「フィル……、フィルロード?」
彼の名を、リリーシャはつぶやいた。
それに反応するように、彼は――フィルロードはリリーシャにうずめていた顔を上げる。月夜に照らされた紅蓮の瞳が、焦点を失ったまま妖しくきらめいた。
「フィルロード? どうかし――っ、なにを……!?」
ベールが荒っぽくめくられて、リリーシャの細身がビクッとわななく。
月光が淡く包む中で露になっていくベールと、近づいてくるどこかおかしい彼の瞳。その二つの行為から、彼の次の行動を察してしまったリリーシャは慌てて両手で顔を隠した。
「やめて……、やめてください……! あなたは、何をしようとしているのかわかっているのですか? こんなこと、許されることではありませんし、第一あなたらしくありません……!」
「姫……、不敬を承知でわたしはあなたに触れようとしています。罰なら……、後ほど甘んじて」
掠れた低音が、リリーシャの鼓膜をくすぐっていく。
「なぜ、ですか……? あなたがその瞳でずっと追い続けていたのは――おね、んうっ!?」
両手首を掴まれて、開かれた先で強引に唇が塞がれる。
生まれて初めての、異性との接吻。目の前の相手は、幼い頃から想い続けている彼。なのに、胸が苦しくてたまらない。
リリーシャの表情が、切なくゆがめられる。
「ん……、ぅ……っ……、や、ぁ……んっ」
休む間もなく角度を変えて何度も唇を押し当ててくる彼に、リリーシャは混乱が収まらずに、ただただ淡黄色の瞳を揺らし続けた。
姉と別れてリリーシャがやってきたのは、城の上部にあるバルコニーだった。それほど広くないその場所で、リリーシャは囲まれた柵の上に肘をつきながら、ぼんやりと宵闇に浮かぶ黄金の月を眺めていた。
今夜は、三日月。美しい弧を描くそれと同じように唇を緩めながら、リリーシャは上空を仰いだ。
すると、どこからか風に乗って流れてきたのは美しい音色。
「笛の音?」
リリーシャは音のする方に目を向けてみたが、闇夜に沈んだ光景ばかりで、その演奏主を見つけることは叶わなかった。
だれが、奏でているんだろう?
とても心に染みる音色なのに、寂しそうな曲――
物悲しい旋律を耳にしながらぼうっとしていると、昼間の出来事が彼女の脳裏で勝手に再生されていく。
人気のない廊下を早足で移動していた時に、偶然見かけてしまったのだ。姉と彼が二人で、何か言い合っている場面を。
慌てて近くの柱に隠れて様子を伺っていたら、姉の手が彼の胸元をつかんで彼の顔を引き寄せるのが見えて、彼女は逃げるようにその場を立ち去ったのだ。
あの後、何があったのかは知らないけれど――
彼の目が、幼い頃からずっと誰に向けられているか。同じように彼を追いかけていた彼女には、容易にわかってしまっていた。
もしかして彼だけじゃなく、お姉さまも彼のことを――?
この国のために彼への想いを捨てて、十歳以上も歳が離れている騎士団団長のお義兄さまを選ばれたの?
でも――
それももう、私には関係のない話。
私は、私の身は、そのうち隣国へと渡らなければならなくなるのだから。この国の、ために。
そういえば彼も横笛をよく吹いていたのに、最近はそれを耳にすることもなくなった。幼い頃から慣れ親しんでいたあの音色を、もう一度ききたかったけれど。
穏やかな風に、姉から預けられたベールが揺れる。
直接、外気を肌に感じたいと思ったリリーシャは、ベールをめくると長い髪と一緒に後ろに流した。
いつしか、あの物悲しい笛の演奏は止んでいる。
再び、静寂に包まれた中で心地よく吹いてくる風にリリーシャが身をゆだねていると、カタッという物音が背後から響いてきた。
「だれ?」
リリーシャはめくり上げていたベールを戻すと、ゆっくりと振りむいた。
バルコニーに続く大きな窓が開かれ、白のレースカーテンと対照的な赤いマントが躍る。そこから現れた人物に、リリーシャは淡黄色の瞳を丸くした。
「あなたは……! どうして、ここに――きゃっ!?」
一気に距離を詰め寄ってきた彼に突然抱きすくめられて、リリーシャから小さな悲鳴が飛び出す。困惑しながらリリーシャが目をさまよわせていると、彼女の鼻腔をツンとした刺激臭が通り抜けていき、彼女の表情が少しだけしかめられた。
「もしかして、酔っているのですか? お酒の匂いが、すごくきついです」
彼にしては珍しいと、リリーシャは思った。
生真面目な彼が、こんなに匂いを纏うほどに酔っているところを見るのは、初めてかもしれない。
それだけ今回のことが――、姉の結婚がショックだったんだろうか。
「フィル……、フィルロード?」
彼の名を、リリーシャはつぶやいた。
それに反応するように、彼は――フィルロードはリリーシャにうずめていた顔を上げる。月夜に照らされた紅蓮の瞳が、焦点を失ったまま妖しくきらめいた。
「フィルロード? どうかし――っ、なにを……!?」
ベールが荒っぽくめくられて、リリーシャの細身がビクッとわななく。
月光が淡く包む中で露になっていくベールと、近づいてくるどこかおかしい彼の瞳。その二つの行為から、彼の次の行動を察してしまったリリーシャは慌てて両手で顔を隠した。
「やめて……、やめてください……! あなたは、何をしようとしているのかわかっているのですか? こんなこと、許されることではありませんし、第一あなたらしくありません……!」
「姫……、不敬を承知でわたしはあなたに触れようとしています。罰なら……、後ほど甘んじて」
掠れた低音が、リリーシャの鼓膜をくすぐっていく。
「なぜ、ですか……? あなたがその瞳でずっと追い続けていたのは――おね、んうっ!?」
両手首を掴まれて、開かれた先で強引に唇が塞がれる。
生まれて初めての、異性との接吻。目の前の相手は、幼い頃から想い続けている彼。なのに、胸が苦しくてたまらない。
リリーシャの表情が、切なくゆがめられる。
「ん……、ぅ……っ……、や、ぁ……んっ」
休む間もなく角度を変えて何度も唇を押し当ててくる彼に、リリーシャは混乱が収まらずに、ただただ淡黄色の瞳を揺らし続けた。
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