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常套句

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「あ、終電もうねーじゃん」

 ポケットから取り出した携帯の青い光が暗い夜道で煌々と浮かび、それを覗き込んでいる奏太かなたの顔を目映く照らしている。


 サークルの飲み会の帰り道。
 各々ばらけ解散したが、奏太と俺の二人だけ帰る方向が同じで、その最中ポツリと呟かれたその言葉にわざと聞こえないふりをして歩く。
 しかし、こちらの内心なども知らず、

「なー、今日泊めてよぉ」

 なんて酔っぱらっているせいで語尾を砕けさせ見上げてくる奏太。
 その上機嫌に赤らんだ顔をちらりと見下ろしては、思わず深いため息を溢してしまった。

 こいつはバカか。バカなのか。いや知ってるけど。とそのおつむの軽さに呆れつつ、

「無理。タクで帰ればいいじゃん」

 なんて端的にバッサリと切り捨てる。
 そうすれば、「なんでだよ! こっからお前ん家すぐだろ!」と案の定喚いた奏太の肩を、ご近所さんの迷惑考えろよ! と強く叩いた。

 俺だって酔っぱらってんだから頭に響く声出すなよ。とシクシク痛むこめかみに手を当てもう一度深く息を吐き、それから未だ文句を垂れているその顔をじっと見つめては、

「……俺、お前の事が好きだって、いつも言ってるよね?」

 と詰め寄った。


 ジャリッと靴の裏でアスファルトが砕ける音が夜の静寂を裂き、一瞬にして動きを止めた奏太が瞳を丸くしているのすらお構いなしに、

「この状況でそういう事言うってどういう神経してんの? それとも俺がいつも好きって言うの冗談だと思ってる? まぁいいけど。こういう流れでどうなるかくらい分かってるなら、泊めてもいーよ」

 とジリジリ近づけば、暗がりでも月明かりに照らされた奏太の瞳が瞬いたのが分かる。
 その少しだけ怯えを孕んだ表情に、らしくもなく頭をガシガシと掻いて視線を逸らした。



 ──奏太に片想いをして、早五年。
 高校二年の頃にはもう自分が奏太へ向ける気持ちが友情とは少しだけ違うのかもしれないと自覚していて、それに嘘だろと自分自身の気持ちを疑った事もあったし、諦めようとしたこともあった。
 けれども高校を卒業し、大学へと共に進学しても尚結局堂々巡りで最終的に行き着く結論は、やっぱり好きしかなくて。
 ならばもう砕け散ろうと、大学に進学し少し経ったあと言葉にして伝え始め、初めのうちは冗談だろと笑っていた奏太も俺の本気さに神妙な顔をするようになっている。
 けれども決して引いたり距離を取ったりしないその態度に付け上がり、何かと好きだよと伝え続けた結果、大学三年になった今ではもう挨拶くらいに思われているのだろう。
 まぁ正直そう思われてしまうのは結構悲しいけれど、それでも普通に一緒に馬鹿やって騒いで、こうしてふとした瞬間に二人になった時も柔い部分を見せてくれるのは嬉しいもので。

「嘘だよ。……タク代出すからさ、ちゃんと家に帰れよな」

 だなんて漂う何とも言えない空気を払拭するよう、いつもの友人の顔をして歩き出せば、遠くで蝉の声がした。


 生温い風が肌を撫ぜ、ザリッザリッ。と歩く度に砕け鳴るアスファルト。
 それがまるで俺の報われなさすぎる恋心みたいで笑える。なんてなんとも気持ちの悪い事を考えながら夜空を見つめ歩を進めようとすれば、不意にグッと掴まれた服の裾のせいで、思わずつんのめりそうになってしまった。

「うおっ、はっ!? なに!?」

 驚きつつ後ろを振り返ったが、転ばせようとした当の本人は小さく服の裾を掴んだまま俯いていて、表情が見えない。
 その旋毛を暫しじっと眺め、そんな姿でさえ愛しいとすら思ってしまうほどの末期症状に、恋ってのはほんと厄介だね。ともう一度深いため息を吐いた。

「……いや、別に怒ってるわけでも責めてるわけでもないから。ただ俺いまめちゃくちゃ酔っぱらってるせいで簡単に理性のストッパー外れちゃうからさ、だからそんな時にそういう事言わないでちゃんと俺に好かれてるっていう危機感持ってね。って話なだけ」

 そう言いながら、頭をポンッと撫でる。それからわしゃわしゃと乱暴に撫で回し、ほら帰るぞ。と促したが、それでも一向に顔を上げない奏太の様子に、眉間に皺を寄せた。


「奏太? なに、もしかして吐く?」
「………ら、」
「ん? なに?」

 服を握っている奏太の拳が微かに震えているのに気付いて、いや待ってこのタイミングで吐くのだけはマジでやめて。と思いつつ咄嗟に手を口元に差し出せば、

「……いっつも、家来る? とか誘ってくるから、俺、やっと覚悟決めて今日もともとお前ん家行く予定だったっつうの! それなのに今日に限ってぜんっぜん言ってこねーし俺が勇気振り絞ったらなんかこえーし! なんなんもう! いっつもからかってくるくらい余裕があんならもうちょっと俺の気持ちをおもんばかれよ! 俺の純情返せよばか野郎!」

 とドンッと胸元を殴られ睨まれてしまって、今度は俺が目を丸くする番だった。

 体に走る衝撃に咳き込みながら、……え、今、と必死に状況整理をしようと頭をフル回転させる。

 もう酔いなんてぶっ飛んでいて、言われた言葉がぐるぐると腹の中でまわり、なんだか急に視界がクリアになった気すらして思わず口元を弛めてしまった。


 ……え、だって今のって、普通にそういう事じゃんね。そりゃもうそうとしか捉えられないでしょ。

「……えー、いつの間に俺の事好きになってたの、奏太」
「……知らん。つか笑ってんじゃねーっつうの」
「もしかして今日べろべろに酔ってんのも緊張してたからなわけ? なかなか帰りたがらなかったのも、」
「あーもう! うっせーうっせー!! なんでそういうこと聞いてくんの!? 少しは俺の気持ちをおもんばかれよってまじで!」
「飲んでる時からなんか今日テンション変だなーって思ってたけど、それ照れ隠しだった? もしかして今の終電行ったってのも嘘?」
「俺の話聞いてる? そういう事聞いてくんなって言ってんの!……はー、もうほんとやだ。俺お前のそういうとこほんとやだ」

 なんて言いながら、ぐりぐり頭を押し付けてくる奏太の髪の毛から見えるうなじが真っ赤に染まっているのが月明かりに照らされてばっちり見えてしまって、堪らず吹き出しながらぎゅっと抱き込めば、汗で湿った体温がやけに生温かった。


「拗ねんなよ。ね、好きだよ奏太」

 そう呟いて旋毛に唇を落とし、

「……家、来る?」

 といつもの常套句を囁けば、腕の中で小さく蠢いた奏太が、「早く連れてけって言ってるじゃん……」なんて可愛らしい事を言ったもんだから、やはり堪えきれずまたしても吹き出してしまった。

 静かな住宅街に俺の笑い声だけが盛大に響き、「何笑ってんだよご近所迷惑だろ!」と今度は逆に俺が奏太に怒られ殴られたが、なぜだか全然痛さは感じなかった。



【 五年掛かりのお持ち帰りが成功した、夏の夜 】




 
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