【完結】君と恋を

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第四章

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 ──裕が人知れず連れていかれてから、約三十分後。


 何も知らぬ蓮が出勤し、スタッフルームで裕の姿を探したが、勿論居る筈はなく。
 けれどもそんな非常事態になっているとは思ってもいない蓮は、まだ来てないのか。と少々落胆の色を見せるだけだった。

 しかし、着替えようと自身の鍵の壊れたロッカーを開けた蓮は、そこで小さく眉間に皺を寄せた。

 いつもゴミやら何やらが放られているというのに、今日に限ってはそれがなく。いつもそんな自分の姿を蔑むようニヤニヤ見てくるはずのカイ一派の人間も居ない事に気付いた蓮は、なんだか嫌な予感がする。と表情を曇らせ、携帯を取り出し裕に電話を掛けた。


 プルルッ、と鳴り響くコール音。

 しかし裕が出ることはなく、ちらりと壁にある時計を見れば、時刻はもう出勤時間の十分前で。
 さすがに本来ならもう来ている筈のその時間に、いやもしかしたらただの遅刻か、或いは何かしらの用事が出来て急遽休みになったのかもしれない。と胸をざわめかせる不安感を拭うよう、蓮が心の中で呟いた、その時──。


 扉の外から電話の音が聞こえ、

「ねえ、これ裕の携帯じゃない?」

 なんて手に裕の携帯を持った石やんと誠也、それから瑛が入ってきたので、蓮はブツッと電話を切り、三人に詰め寄った。



「お、蓮、おは、」
「なんで石やんが裕の携帯持ってんの」
「へっ、……ああ、裏口の扉の横に落ちてた。ちょうど中に入ろうとしたら携帯の音したからさ、見てみたら裕の携帯ぽいなぁって思って、しかも蓮からのコールだったからこれ絶対落として蓮と探してたんだろうなと思って持ってきてやったよん。偉いだろ、ってあれ、裕は?」
「いない」
「へっ?」
「いないんだよ」

 素っ頓狂な声をあげる石やんの横で、「外にまで探しに行ってんの?」と誠也が笑ったが、蓮がいつになく真剣な表情で笑顔すら浮かべていない事に何かを察知したのか、誠也もきゅっと表情を引き締めた。

「俺が来たときから居ないし、カイさん達も来てない」
「は? なんでそこでカイさんが出てくるんだよ」

 蓮の言葉に珍しく眉間に皺を寄せ、どういう事だよと見つめてくる誠也に、……もしかして。と横に居た瑛が呟く。
 その声に蓮は目を伏せながら、口を開いた。

「誠也達は知らなかっただろうけど、裕、最近までカイさん一派に嫌がらせされてたんだよね」
「……は?」
「え、聞いてないんだけど」
「裕はいちいちそんな事言うタイプじゃないでしょ。……まぁ本人も気にしてなかったし、最近は俺に標的が変わってたから、」

 そう言いながら話を続けようとする蓮に、しかし誠也がいや待てって、と言わんばかりに頭を抱える。

「ちょっと待てって、まじで付いていけねぇ」
「情報過多すぎんだけど!」

 石やんもぽかんと口を開け、状況把握が追い付かないといった様子であり、けれども瑛だけは知っていたような態度に、誠也は瑛を見た。


「瑛は知ってたのかよ?」
「いや、詳しくは知らないけど、この間裕と蓮がそんな話してるの聞いたから……」

 珍しく本当に真剣な眼差しを向けてくる誠也に、困惑の表情を浮かべる瑛。
 その言葉に誠也はガリガリと頭を掻き、なんで誰も俺に教えてくんなかったの。と呟きながら、一度重い溜め息を吐いた。


「……まぁ、一応は分かった。で、なんでその嫌がらせが裕から蓮に変わったわけ?」
「皆の前で俺が誠也に宣戦布告したから」
「……あー、なるほど」
「で、昨日の売り上げ報告でカイさん抜かして俺が二位になったから、今日辺り何かされるだろうなと踏んでたんだけど、」
「……その矛先が何かしらあって、裕になったって事?」
「……あってほしくないけどね」

 そう俯きながら、蓮が先ほどの誠也同様、深い溜め息を吐く。
 まさか自分達の知らぬ所でそんな事が起こっていたなんてと誠也と石やんは未だ状況の整理に戸惑っているなか、その話をただ空気のように黙って聞く事しか出来なかった周りの内勤やホストがざわつき始めた、その時。

 ガチャリとスタッフルームの扉が開き、今しがた話題の的となっていたカイがのそりと部屋に入ってきた。

 カイの登場に、途端にピシッと固まった空気が流れる、室内。
 そんな異質な空気感と、一斉に自分を見る視線に、やはりカイも違和感を覚えたのか、眉間に皺を寄せた。

「……は? なんだよ」

 まるで威嚇する猫のよう、じろりと周りを睨みながら呟くカイ。
 それをじっと見ていた蓮だったが、とうとうカイへと近付き、口を開いた。

「カイさん、裕がどこ行ったか知りませんか」

 なんて単刀直入に問い詰めてくる蓮に、しかしカイは更に眉間に皺を寄せるだけだった。

「はぁ? 知らねぇよ。てかなんで俺があいつの居場所知ってると思ってんだよ」

 蓮の言葉にカチンときたのか、食って掛かってくるカイの、本当に知らないような態度。
 それにカイが仕組んだ事ではないと分かった蓮だったが、それでもじゃあなぜいつもの取り巻きが居ないんだ。とまたしても詰め寄った。

「じゃあ他の人達はどこに居るんですか」
「知らねぇよ」
「カイさんが知らないなんておかしいですよね」
「はぁ? 俺らはお前らみたいにいつでも一緒って訳じゃねえんだよ」
「裕が居ないんですよ」
「だから知らねぇって、」

 とまで言ってから、ようやくカイも蓮が何を言いたいのか汲み取ったらしく、一瞬だけ表情を強ばらせる。
 しかしそれも一瞬で、また普段のように人を小馬鹿にしたような態度でハッと吐き捨てるように、顔を逸らしたカイ。
 そんなカイの態度を、先程から一度も笑顔を見せていない蓮は真顔で見下ろしながら、更に一歩カイへと近寄った。

「じゃあ他の人達がどこに居るのか、電話して聞いてもらっていいですか」

 まるでお願いとは呼べぬ態度で、蓮が言葉を紡ぐ。
 だがカイは知らねぇよの一点張りで、それに堪忍袋の緒が切れたのか、蓮はとうとうカイの胸ぐらを強く掴んだ。

「聞けよ」

 そう蓮が凄みながら普段の穏やかな口調を崩し問い詰め、その声に蓮とカイのやり取りを呆気に取られ見ていた三人は、ハッとしたよう慌てて止めに入った。


「蓮、落ち着けって!」
「れん!」
「蓮駄目だって!」

 そう三人が蓮を羽交い締めるよう止めるが、蓮は聞いていないのか、未だカイの胸ぐらを掴んだままで。

「聞けって!!」

 と、とうとう怒号を浴びせていて、その蓮の見たこともない鬼気迫る姿に周りのホスト達が固まっていれば、バンッと乱暴に扉が開いた。


「何やってんだお前ら!」

 騒ぎを聞きつけたのか、有人がそう叫びながら部屋に入ってくる。
 そして一触即発という雰囲気に目を見開き、しかしそれから状況を把握するよりも先にこの事態を何とかしようと、お前らも押さえろ! と突っ立っているホスト数名に声を掛け、それにハッとした数名が、ようやく蓮を止めに入った。




***



「どういう事か説明しろ」

 二人をなんとか引き離した、あと。
 珍しく強気な口調で静かに聞く有人に、なんとか落ち着こうとした蓮は深い息を吐きながら、しかし抑揚のない声で告げた。

「携帯だけ店の外に落として、裕が居なくなってる」

 ぽつりと呟かれた、言葉。
 しかしその一言で全て察したのか、有人は一度目を見開き、それからカイを見た。

「……カイ、お前何か知ってるのか」
「ケホッ……知りません……」

 真剣な眼差しで見つめてくる有人に、蓮の追求から解放され床にへたりこんだままのカイが胸元を擦り、ケホッと咳き込みながら、呟く。
 それにまたしても蓮が掴みかかろうとしたがそれを誠也が制し、カイさん。とカイの名を呼んだ。

「カイさん、聞くだけ聞いてくださいよ」
「……いい加減うぜぇなぁ。ていうかなんで俺らを犯人扱いしてんだよ。あいつがたまたま携帯落としたまま気付かねぇで勝手に飛んだだけかもしんねぇだろ。今までだって何人も急に辞めてんだろうが」

 ふてくされたまま有人越しにそう反論するカイを、カイ。と有人が止め、それからカイの前に座り込んだ。

「その飛んでる原因だって、ほぼお前らだろ」

 そう鋭く言い放つ、有人。
 その言葉に驚いた表情を見せたカイに小さく溜め息を吐いた有人だったが、しかしまたしても厳しい目でカイを見た。

「……俺が知らないとでも思ってたのか? ……まぁでも、この業界は特殊で、のしあがってこそなんぼだと俺だって理解してる。だからこそ小さな小競り合いは仕方ない事だし、誰かしら多少そういう目に合うのものだとも、分かってる。そういう奴を救ってやるのも俺の仕事だけど、だからといってそれを上に報告もせず察してくれっていう他力本願な奴も、戦いも無視もせず尻尾巻いて逃げるような奴も、この業界じゃなくてどこに行っても通用なんてしないとも、俺は思ってる。だからこそ、今までお前達のやってる事を気にしつつあえて何も言わなかった。でも、今回ばかりは度が過ぎてる。それはお前だって分かってるだろ、カイ」

 鋭い声で、これまでの事も知っていた。と言いながら、しかしそれから有人はふっと少しだけ表情を和らげた。

「……カイ、今までホストとして歩んできた意地が、ここでナンバー2を張ってたプライドがあるなら、堕ちるところまで堕ちるなよ」

 諭すよう真っ直ぐ見つめる、有人の力強い眼差し。

 それにカイは唇をぐしゃりと歪め、それから言い淀み、しかしとうとう観念したかのように、歯切れ悪く呟いた。

「……ここの近くに、【east】ってバーがありますよね。いつも俺らあそこのVIPルームで飲んでるんで……多分、居るとしたらそこに……」

 
 そのカイの言葉を聞いた瞬間、弾かれるよう部屋を飛び出していく蓮。
 それは止める暇もないスピードで、しかしその背に慌てて声を掛けた有人だったが、壁に掛けてある時計をちらりと見てはあと少しで開店の時間だと気付き、途端に表情を曇らせた。

 マネージャーである有人がお店を空ける事は、基本許されていない。けれどもこの非常事態にそんな事など言ってられないとも分かっていて、しかし、じゃあ誰がお店を、と一瞬にして有人が考えを巡らせていれば、

「有さん! 行って!」

 と誠也が有人の肩を掴み、立ち上がらせた。


「ここは有さんが適任でしょ! お店は俺達が回すから!」

 そう捲し立て、「ほら行って! 蓮が何かする前に!」と誠也が背中を押すので、有人は誠也と石やん、それから瑛の顔を見たあと、じゃあ任せたよ。と言い残して部屋を出ていった。



 ──それきり、……シン、と静まり返る、室内。

 しかし、突然の出来事で呆けている面々を正気に戻させるよう、誠也はパンパンと手を叩いた。

「はい! 開店準備しないと間に合わないよ!」

 そう声を張り上げ、それに弾かれるよう、一斉にバタバタとフロアに向かう一同。
 しかしその中で未だ床に座り込み項垂れたままのカイを見ては、誠也は瞳を揺らめかせた。

「……カイさんも、裕の所行ってきてください。……カイさんの事慕って暴走したあの人達をほんとの意味で止められるのは、カイさんだけだから」

 そう誠也がぽつりと呟き、俯く。

 そんな誠也の姿をカイは唇を噛み締めちらりと見つめたあと、しかし何も言わず、無言で部屋を出て行った。

 その細い背を何とも言いがたい表情で見つめていた誠也の肩を石やんが抱き締め、瑛もまたこのあとどうなるのか分かっているのか慰めるよう誠也の肩を叩き、それでも、行こう。とフロアへ促したのだった。




 
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