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「あっ! 雅さん!」
店に足を踏み入れたその瞬間に、嬉しそうな声で手を振ってくる春。
そんな春の様子に雅は内心で身悶えしながらもマスクの下で笑い、カウンターへと近寄った。
「今日は遅かったですね。もしかしてまた徹夜したんですか?」
「……」
「無理しちゃ駄目ですよ」
「……あぁ」
雅の目元しか見えない顔色をそれでも察知し、カウンター越しに注意する春のぷるぷるとした唇は尖っている。
それがヒヨコのように愛らしく、親しげに雅を呼ぶようになって小言まで言ってくるようになった春との今の関係を、雅は未だどこか夢のように感じながらも、はにかんだ。
──互いに名乗り合い、良介に白い目で見られた、あの日。
その日に他の客が来るまで三人で話し(といっても基本は春が喋り、それに良介が続いて、雅はほぼ相槌を打つだけだったが)、それからぐっと距離が近くなった二人は、一ヶ月が過ぎようとしている今、もう友人のように臆することなく話せるようにまでなっていた。
雅が春について新たに知った事は、沢山あって。
年は雅より三つ下の二十一歳だという事。そしてやはり近くの芸術大学に通っており、専攻は現代舞踊だという事。
それを知ったのは、雅がいつも通りカフェでコーヒーを飲んでいれば他の客に声を掛けられ、『ケイさんですよね!? ファンなんです!! 握手してください!!』だなんて二人組の男の子に言われてしまった事が、発端である。
それに少しだけ気恥ずかしそうにしながらも雅が握手をし軽く談笑したあと、また春を盗み見しようとすれば、手が空いていたのか近寄ってきた春が、『あの、盗み聞きするつもりじゃなかったんですけど、ケイさんって……、』と聞いてきたのだ。
なので言うつもりはなかったが自身がラッパーとして活動している事を伝えれば、それに驚きながらも、聞きたい! だなんて言ってくれた春。
その可愛さにやられた雅が死にかけていれば、『実は俺、ダンサー志望なんです。近くの芸術大学に通ってて、専攻は現代舞踊なんで雅さんとはちょっとジャンルが違うのかもですけど、でも同じ音楽関係ってなんだか嬉しいです』だなんて追い討ちをかけるように、それはそれは可愛らしくふふっと微笑んでそう言った春に、雅はノックアウトされ三途の川を見た気さえした。(だが、口からはしっかり『ダンスしてるところを見たい』だなんて邪な本音が漏れていた)
そうして、卒業後はどこかのダンススクールに所属し、ダンサーや講師として働きたいと思っている事。そして今現在は佐奈悠希という小さい頃からの幼馴染みとルームシェアしている事。
それから、ずっと仲が良すぎてやきもきしていた良介とは本当にただの友人で、むしろ春の紹介で良介は悠希と付き合っている事。
そんな知りたくても知れなかった春の事をひとつひとつ教えてもらう度に雅はますます魅了され、朗らかで優しく、愛らしくて綺麗で男前さも持ち合わせている春はもはや神が作り出したこの世の最高傑作ではないかとすら、最近は思うようになっている。
そして雅もまた自身の事をポツポツと話すようになり、高校を卒業したあと大学へは行かずに独学で音楽の道に進み、何とか今現在ラッパーとして食べていけるようになった事、この近くに住んでいて、暇な時は動物の癒し系動画しか見ていない事。
そんな生い立ちやくだらない事などをかいつまんで話せば、春は瞳をキラキラとさせながらいつも楽しそうに話を聞いてくれた。
──そうやって、着実に仲を深めてきたものの、しかし、連絡先などの交換はまだしておらず。
他の客が居ない時に話をしたり、客の流れが落ち着いた時に春が雅の席へと来てくれて少しの会話をするくらいで。
もちろん以前に比べれば飛躍的に距離が縮まり会話が出来るようになった事自体が奇跡に近いが、しかし人間は欲深い生き物でしかなく。話せるようになった途端、それだけでは物足りない。だなんて沸き上がる欲に、雅はここ最近どうしたらもっと距離を縮められるだろうか。なんて事ばかりを考えていた。
「雅さん?」
雅が思考の渦に飲まれていれば、カウンターの前に立ったまま注文もしない雅を不思議に思ったのか、春が小首を傾げ名を呼ぶ。
それにハッとした雅は、慌てて顔を上げた。
「っあ、ごめん……」
「いえ、でも大丈夫ですか? なんだかボーッとしてるように見えましたけど……」
「悪い、考え事してた」
「どんな事ですか?」
「えっ、あ、いや……、」
「お仕事の事ですか?」
「そ、そう。来月にまぁまぁデカい箱でライブやる予定だから……」
お前ともっと仲良くなるにはどうしたら良いか考えてた。
だなんて口が裂けても言えるわけがなく、当たり障りのない、だが嘘ではない言葉を吐く雅。
しかしそんな雅の心情などもちろん知らぬ春はパァッと表情を輝かせ、カウンターに手をついて身を乗り出してきた。
「えっ! ほんとですか!? 見に行きたいです!!」
「っ、」
「来月のいつですか!? チケットってまだ売ってますか!?」
「え、えっと、」
「あ、ごめんなさい、急に。……やっぱりもうチケット完売しちゃってます、よね……」
「い、いや、大丈夫、ある、から、」
「ほんとですか!? わぁ~奇跡だ! あの、もし三枚あるなら、三枚買いたいです! 悠希と良介も誘って見に行きたいので!」
そう言ってはずずいっと詰め寄り、キラキラとした瞳で見つめてくる春はあまりにも美しくて。
春の事を天使か妖精なのではないかと疑い始めている雅はやはりその愛らしさと綺麗さに圧倒されつつも、わ、分かった。と呟いた。
「今は持ってないから、明後日、渡す」
「やった! ふふっ、楽しみです! ありがとうございます!」
ありがとうございます! と声を跳ねさせる春の様子に、近くに座っていた客がチラリと振り返って見ている。
それに春も気付いたのか慌ててパクンと口を閉じ、それから照れ臭そうにはにかんだ。
「あはっ、煩くてすみません。興奮しちゃいました。アイスコーヒーで良いですよね?」
「……う、ん……」
「席に持っていきますね」
「……いや、わざわざ持ってきてもらわなくても良い。ここで待つよ」
「えっ、でも……、」
「良いから」
ほんのりと頬を染めて恥ずかしそうに笑う春の可愛さにクラクラと眩暈がするなか、なんとかお金を払った雅が席に持っていくという春に首を振り、会計の場所からずれてはぼんやりと春を見つめる。
そんな雅に春は少しだけ申し訳なさそうな表情をしたが、「……じゃあすぐに、でも丁寧に作りますね!」だなんて力こぶを見せつけるポーズをして、お茶目に笑った。
それから他に並んでいる客も居らず、すぐに雅のアイスコーヒーを作り始めた春。
その、集中しているせいかくちばしのように尖る唇や、いつもは目尻が下がってとろんと愛らしく見える瞳を伏せながら真剣な眼差しでコーヒーを作っている横顔、そしてさらりと揺れる蜂蜜色の髪の毛が光を反射し輝いている様をぼうっと見続けた雅は、やはり天使か妖精でないとおかしい。だなんて絵画で描かれる天使のような春のあり得ないほどの美しさを、そう結論付けた。
「お待たせしました」
「……あっ、ありが、えっ、」
ただぼうっと春に見惚れていた雅がハッとし、慌ててトレイを受け取ろうとしたが、しかしそこには注文していないマフィンも一緒に置かれていて。
それに、えっ。だなんて呟き顔を上げた雅に春は恥ずかしげに頬を染めつつ、口元を両手で隠しては他の客に聞かれぬよう、こっそりと囁いた。
「俺のおごりです。うちのマフィン、美味しいんですよ。顔色悪いし、少しでも何か食べて欲しいんで」
「っ、」
「……もしかして、甘いもの嫌いでしたか?」
「え、あっ、いやっ、嫌いじゃない!」
「あはっ。良かった。じゃあ、ぜひ食べてくださいね」
少しだけ声を張り上げた雅に小さく驚いたあと、瞳を蕩けさせるように笑う春は、やはり言葉に出来ぬほど可憐で愛らしくて。
そんな春の仕草と言葉に、ドクドクと鳴り響く心臓が口から飛び出てきそうな衝動が沸き起こり、雅が思わずングゥッと喉を鳴らす。
ぶわりと沸騰する恋心が身体中でとぐろを巻き、叫んで胸元を搔き毟りたくなるのを何とか必死に堪えた雅は、ハッとマスクの中で荒く息を吐いた。
「……あり、がと」
「はい。ふふっ」
「……めちゃくちゃ、うれしい……」
「……なら、俺も嬉しいです」
雅が絞り出したようにお礼を言い、だが思わずぽつりと溢した本音。
それに春は一度目を見開いたあと、へにゃりと眉を下げて笑うだけで。
そんなやはり死ぬほど可愛らしい春に、……やばい。どうしようもなく好きだ。と雅が頭のなかで叫んでいれば、バックヤードからタイミング良く出てきた良介は一度ぎょっと目を見開き、キョロキョロと交互に二人の顔を見た。
良介の目に映る、甘酸っぱい空気を出しながらカウンターを挟んでもじもじとし合う二人の姿。
そのどこからどう見ても明らかに何かが二人の間に起こっていると見て分かる様子に、……またやってんのこの人達。ていうか今日は他にお客様居るんですけど。だなんて遠い目をし出した良介を、それでもやはり二人は気付くことなどなく。
もうお互いしか見えていないよう、雅はポリポリと首の後ろを掻き、春は気恥ずかしそうにはにかむだけだった。
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