逃げられない檻のなかで

舞尾

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五月中旬

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 この村に来て早一ヵ月。5月も半ばになった。
 仕事はだいたい覚えた。引き継いだお客さんとの関係も良好だ。だからこそ……やることがない。この村の人々はすでにわが社の保険に加入しており、やることといえば新規の保険の紹介くらいだ。逆にこれで給料をもらう事が申し訳なくなるレベルで仕事がない。

 結果として、俺は駐在所に入り浸るようになった。なんやかんや同年代の正人の側にいる方が気が楽なのだ。正人も何も言わないため、格好のサボり場所と化している。
 一応正人に保険の紹介をするという理由付けはしている。正人はこの歳になっても保険に入っていない。保険を売り込もうとするが、俺はいいと言って拒否をする。我が身など別にどうでもいいとでも言うようなその姿に少し違和感を覚えた。

 俺はスーツの上着を脱ぎ畳の上に寝転がる。この駐在所は駄菓子屋のような作りだ。8畳ほどの土間に一段上がって畳の客間。正人は土間の部分に机を置き、来る村人に対応していた。その後ろ姿を畳の上で寝そべりながら見つめる。

「お前、そんな一生懸命仕事やることなくない?村人の対応つってもほとんど世間話じゃん」

正人は来る人来る人丁寧に対応していた。だから人が段々と集まってきて、いつの間にかおばあちゃん達の女子会が始まったりすることも多々ある。こんなのどかな村だ。もう少し気を抜いてもいいと思う。

「……これが仕事だからな」
「仕事熱心でも飛ばされるとやる気なくなるぞー?」

 今の俺のように。
 皮肉混じりに言ったが、帰ってきた言葉は意外なものだった。

「……もう飛ばされているさ」
「え、」

 正人が言ったことに驚き、それを詳しく聞こうとしたが

「ゴホッ」

 大きな咳のあと正人が机に突っ伏した。その尋常じゃない様子に、俺は急いで正人に駆け寄る。

「正人!?」

 額に手を当てる。自分のおでこで計らなくてもわかるくらい熱かった。
 すごい熱だ…!こんな状態で仕事していたのか!

「お前!自分の体調くらい管理しろ!」
「……わる、い」

 思わず正人に怒鳴ってしまう。ああクソ、病人に怒鳴っても仕方ない。早くベッドに寝かせなければ。

「お前の部屋どこだ!?」
「2階の、右側の部屋……」
「立って歩けるか?」
「……わるい」

 それは無理ってことか。
 正人は荒い息をしている。俺にこんな状態の成人男性をおぶって2階に上がるような体力はない。しゃーない。布団を探してあっちの畳の部屋に敷くか。

「勝手に家入るぞ!文句なら後で言えよ!」

 俺はずかずかと駐在所の中に入る。駐在所にはよく入り浸っていたが、中に入ることは初めてだった。

「まずは布団と。あとはスポドリとか……」

 目的のものを探してふらふら駐在所の中をさ迷っていると台所にたどり着いた。

「うわっ」

 俺は台所を見て絶句した。そこはインスタント食品のゴミだらけだった。カップ麺にインスタント味噌汁に…常備しているものもインスタント食品だった。こいつインスタント食品しか食べてないじゃないか。そりゃ体調崩すわけだ。

「こりゃ飯も準備だな」

 台所のことは一旦置いといて、布団探しを続けることにした。

 布団は一階の居間らしき和室の押し入れに入っていた。それを取り出して土間近くの畳の部屋に敷く。そして正人を布団に寝かせた。服はしょうがない。熱が下がったら着替えてもらうことにしよう。

「わるい、何から何まで……」
「別にいいよ。やることないし」

 せめてベルトを取ってやる。これでキツくないだろう。布団をかけて冷やしたタオルを頭の上に乗せた。

「……帰らないのか?」

 いつまでたっても帰らない俺を不思議に思ったのだろう。正人が目を開けて訪ねた。

「熱出てる時は誰か側にいた方が安心するだろ」

 正人が少しだけ目を見開く。俺は構わず話し続けた。

「なんなら駐在所の事も俺がやるし。まあ、多分誰もこないだろうけど」

 俺は正人の目元を手で覆う。

「だからゆっくり眠れ」
「……ありがとう」

 正人は静かに眠った。


 時刻は午後6時過ぎ。俺は一度会社に戻り退勤処理をしてから、また駐在所へと戻ってきた。
 正人はまだ寝ている。相当キツかったのだろう。起こさないようにゆっくりと側を通りすぎ、台所へと向かった。インスタント食品のゴミを片付け、隠れていた鍋を取り出す。お米は一応備蓄されていたから、ちょっとだけ拝借しお粥を作った。
 俺はクツクツと音を立てているお粥を味見する。うん、程よいとろみがついている。これなら正人も食べられるだろう。
 正人の様子を見に行こうとしたとき、後ろから歩いてくるような音がした。

「……遥」
「正人!起きたのか」

 俺は正人に駆け寄り熱を測る。先ほどより熱くなくて安心した。

「熱はだいぶマシになったみたいだな。でもまだ寝とけよ?ぶり返すかもしれないし」
「これ……」

 正人はキレイに片付いた台所を指差して言う。

「ああ、飯作るついでに片付けたんだ。お前!インスタント食品食いすぎだぞ!だから体調崩すんだ!」
「……悪い」

 しゅんとして正人は謝る。これからはちゃんとした飯を食ってほしい。まずは俺が作ったお粥から始めてもらうことにしよう。

「だから、お粥作った。しっかり食べろよ!」
「ありがとう……今から食べるよ」

 正人はゆっくりと俺にお礼を言う。どうやら食欲はあるようだ。熱も下がったようだし、俺はもう帰っても大丈夫だろう。

「コレ食ったら寝ろよ?俺もう帰るからさ」

 正人の隣を通りすぎようとしたとき、シャツの裾を握られた。驚いて振り返ると、正人はものすごく迷いながら言葉を発した。

「…今日は一緒にいてくれないか」

 俯きながらこっちを伺うように問いかけられる。その目はまるで迷子の子供のようだった。
 こいつも寂しく思う事があるんだな。

「ああ、いいよ」

 俺は安心させるように笑いながら言った。

「じゃー俺の飯も用意しなきゃな。俺はどこで寝ればいい?」
「…俺の隣が空いているぞ」
「マジかよ朝まで看病コースは勘弁だわ~」

 ふざけて言う俺を見て、正人は少し嬉しそうに笑った。良かった、大分体調は戻ってきてるようだ。
 俺はその夜、初めて駐在所にお泊まりをした。
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