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第一章 王国、離縁篇
11.堕ちた成れの果ては、何処に
「ルリナっ、ルリナは?!!!」
息を切らしながら医務室の扉を乱雑に開けると王宮専属医師ファルスが座って書類作成を行っていた。
この爺さん医師は先代国王の代からこの王城にて医師をしている、所謂ヌシのような人物だ。
「ほぅ、クリストファー殿下かい」
「ファルス、ルリナが怪我をしてここに運ばれたと聞いたぞ?!彼女の容態は?」
「あぁ、あの令嬢か。切り傷を作っておったわい。
命に別状はないし、出血はしておったが大きな傷ではなかったぞい」
「血が?!治癒魔法は施したのか?!それに今彼女はどこにいるんだ?!」
「治癒魔法など、貴重な魔法を使わずともあの位はそのままでも治るわい。それにこの世界で治癒魔法等の高位な光属性の魔法を使える者は、限りますゆえなあ」
「だがっ!!」
ファルスと自分の温度差が余りにも違いすぎる事にクリストファーは苛立だしさを感じる。
「だから儂のような医者がおるんじゃろうて。魔法に頼らずとも治療はできる、」
ファルスの視線が一瞬鋭くなったのを見てクリストファーは彼に食いつくのを辞めた。
「······ちっ、、それでルリナはいま何処だ、」
「あれは大した怪我でもないのに、ギャーギャー喚くので煩くてのう。老いぼれの耳にはご令嬢の甲高い声は負担が多いのじゃよ。
帰るように急かしたのじゃが、しつこくて、しつこくて。個室の部屋で休みたいと我儘いうので、騎士の休憩部屋を用意させたわい」
確かに騎士の使う休憩部屋には個室でゆっくり休める部屋もあったか、そこならルリナもゆっくり休めるだろう。とクリストファーは胸を撫で下ろす。
「分かった、僕はそちらに向かおう」
「殿下? 個室ゆえ配慮はすべきかと思いますぞい」
「っ、分かっている。だが、忠言は感謝するぞ」
何故、皆、揃いも揃って自分の恋路を邪魔をするのか。発情期の獣じゃあるまいし、僕がそんなに簡単にルリナに手を出すわけはないのに!クリストファーは内心で苛立ちを感じた。
◆
クリストファーはルリナのいる個室の目の前で立ち止まった。深呼吸をして一度心を落ち着かせてからドアを軽く叩いて反応を伺う。
「ルリナ、僕だ。入るよ」
「でっ、でんか?!」
扉を開けると簡易ベッドに横たわったルリナが軽く上半身を上げるのが見えた。
そして直後鼻をかすめる部屋の中の甘ったるい匂いに、クリストファーは目を顰める。
「来てくださったのですね! うれしい······。寂しかったんですっ、、」
クリストファーが匂いの元を辿ろうと部屋の中を見回すと、ルリナはにっこりと微笑んだ。
「あぁ、気付きましたかっ? さすが、殿下ですわ!
白薔薇にしたのです、良い香りでしょう? 今朝摘んだばかりです······殿下のためにっ·····」
ベッドの横の机には、ルリナが摘んだ白薔薇が花瓶に入れられていた。そして彼女は少し目を伏せ、恥ずかしがるような素振りを見せる。
『あぁ、本当に可愛い。照れて赤くなった頬は熟れた果実のようで美味しそうだ····それに少し潤んだ瞳も煽情的で·····』···ん? 僕は疲れているのか? いや、心配しすぎたんだろう。ルリナをみて安心したから────?
「んんっ、そうか、ありがとう。それより、具合は? 怪我をしたと聞いたよ、心配した」
「ふふっ、喜んで貰えたらなら、嬉しいっ。
それに、殿下がわたしを心配してくれるなんて、、夢みたい······」
子供扱いされているようで悔しいが、アレクセイやファルスの忠告もある。
扉は敢えて開けたままにして、クリストファーは部屋の中に足を進めた。
「? 殿下? 扉は、閉めないのですか?」
「いや、未婚のご令嬢である君と、王太子である僕が密室は不味いだろう」
すると突然ルリナは自分自身で身体を強く抱きしめ、小刻みに震えだす。
「······弱くてごめんなさい。······でも、怖いのです······。先程、リリアーナ様に······その······暴力、を振るわれて······。もしいま誰かが入って来たりしたら、わたしっ······」
彼女は両手で顔を覆って俯いている。
確かに、突然斬り付けられるなんて、かなり怖い思いをしたに違いない。
きっとトラウマになっているんだ、とクリストファーは結論付ける。
「そう、か。では扉は閉めようか。その代わり、鍵はかけずにしておこう。これで大丈夫かな?
ルリナ、もう心配しなくて良いんだよ」
「殿下っ、! ありがとう、ございますっ······」
「近くにいっても、良いだろうか?」
「はい······勿論です、」
その瞬間、クリストファーはハッとした。
思考が一瞬途切れていた気がしたからだ。何か深い霧がかかったようにぼんやりとしか思い出せない。
『それに、ちょっと待て。いま、僕が言ったのか?近くにいっても良いか、と?······僕は彼女の近くに行って、、どうしたいっていうん、だ······?』
ベッドの縁に腰かけているルリナをちらりと見ると彼女の頬は赤く染まっていた。照れているのだろうか?と考える内にまた思考が深い霧の中に引きずり込まれていく。そう、濃密な、深い霧の中に。
クリストファーは、その霧を振り払うように意識をしっかり手繰り寄せると、彼女に質問をなげかける。
「怪我は?見せて」
「だ、大丈夫です。ファルス医師は直ぐに治ると。」
ルリナの腕を取って見ると一直線に切り傷があった。ファルスの言う通り傷自体はそんなに深くはなさそうだが、まだ塞がってはないようで血が滲み出ている。
「『あぁ、この傷も、僕が舐めて······』······すまないな、僕があの女を見張らせていればこんなことにはならなかったのに······」
「クリスさま、リリアーナ様はわたしを斬りつけてきたんですっ······。王太子妃にはあるまじきことですよねっ?」
「『一人であんな目にあって怖かっただろうに······』そうだね、処分はしっかり下さなくてはいけないね、」
「クリスさまは······わたしでは······」
「ん?」
消え入るような、か細い声でルリナが何かを呟く。聞きとれず、クリストファーは腰を落として目線を合わせた。その時、彼女の目から一粒の涙が零れ落ちたのを見て、彼は目を見張る。
「わたし、では、、駄目、でしょうかっ」
『あぁ······僕は彼女をここまで追い詰めていたのか。彼女には、僕しか、いないのに。僕が居場所を作って、守って、愛してやらなければいけないのに······』
「わ、分かってはいるんですっ。私はリリアーナ様のように高位な貴族ではない······。でも······考えちゃうんです。クリスさまがリリアーナ様ではなく、私を選んでくれたら······、って」
そこまでルリナが口にした所で、クリストファーは彼女を強く抱きしめた。自分の人生で、こんなに女性に近付いた事は無い。彼女の芳醇な女性の香りが鼻腔を刺激し心臓の鼓動が早くなるのが分かった。
「君、という愛おしい女性をそこまで追い詰めていたなんて······僕は本当に愚かだな」
「くりすさまっ、、ずっと、お慕いしておりました」
その言葉でクリストファーの自制心は儚く散った。
この部屋に入ったときから、いや、彼女の香りを鼻腔に捉えた時からか······。理性を保つことを放棄したクリストファーは、そのまま先程から見え隠れしている深い霧の中にそれを手放した。
一旦手放してしまえば、深く深く堕ちていく。その感覚が心地良い。まるで快感を得られる情報しか脳が拾わないようにしているよう。
初恋の愛おしい女性といるこの密室、甘ったるい薔薇の香り、抱きしめている彼女から香る芳醇な女性の匂い。
どれも純粋なクリストファーが抗うにはあまりにも難しい事だった。
成す術は初めからもう無かったのだ。
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