ロミオの恋シリーズ

蒼月さわ

文字の大きさ
上 下
8 / 11

復讐する方法

しおりを挟む
「もう一度言ってみろ!」

 携帯を耳にぴたりと張りつけて、ロミオは牙を剥き出しにして威嚇する狼のように荒ぶる。
 対して、通話相手からは文字通りおろおろした声が、焦ったように流れてくる。

「落ち着いてくれ! ロミオ、俺の話を聞いて……」
「さっきから聞いているだろうが! オレは女神のように心優しい男なんだぞ!」

 言葉とは正反対の怒りに満ち満ちた口調で叫ぶ。

「……だから……」
「だから何だ! ハヤト!」

 通話の相手である隼人の息を呑む気配が携帯からも伝わってくるが、ロミオはガン無視した。
 ちょっと前まで、ロミオは自宅アパートメントのキッチンに立って、料理を作っていた。料理といっても、簡単な手料理である。

「私の息子なら、パスタくらい茹でられないとね」

 と、ヴァレンティーナマンマの教育方針のもと、小さい頃から料理を教えられていたロミオは、一人で生活をするようになっても自炊には全く困らなかった。定番のパスタにラザニア、ミネストローネなど、イタリアの普通の家庭料理はそこそこ作ることができる。味の方も、憧れの友人であるパウロに言わせれば「ヴァレンティーナは、お前のマンマなのを自慢できる」くらいには美味しいらしい。この手料理を味わえるのは、本人と親しい友人たち以外では、今現在付き合っている恋人だけである。
 ロミオは火の加減を調整しながら、パスタを茹でていた。いい感じで茹で上がり、湯を切って皿に盛って、さらに美味しそうな具を混ぜて……という矢先に、携帯が鳴ったのである。
 最初は電話をしてきた相手が隼人であるとわかると、明るい笑顔になった。最近隼人の仕事が忙しく、中々会えない日々が続いていた。以前のロミオなら「ハヤトの人生に俺は存在しないのか」と拗ねたりしていたが、長く付き合っている間に、隼人の仕事の情熱に付き合っていけるようにはなった。それでも会えなかったのは寂しかったので、電話越しでも隼人の声を聞けたのはすごく嬉しかった。

「オレ? 今パスタを茹でていて、これから食べるところさ」
「そうか、悪い時に電話をしてしまったな」

 心の底から申し訳なさそうに隼人が言ったので、ロミオは思わず笑いだしてしまった。

「本当に日本人は謝るのが大好きだよな! オレもそんなハヤトが大好きだけどね!」

 まるで背後から優しく抱きしめられたかのように、口許でクスクスと笑う。

「あとでハヤトにも作るからな、オレのパスタ。食べてくれ」

 ロミオの手料理が美味しいのは、その恩恵を蒙っている恋人が一番よく知っている。

「ありがとう、ロミオ。嬉しいよ」

 通話口からは、心の底から喜んでいるトーンが流れてきた。しかし、その後に続いたのは長い沈黙だった。

「どうした、ハヤト」

 何やら重苦しい空気を感じ取って、ロミオは携帯を持ち直すと、しっかりと耳に押し当てる。

「何かあったのか? 言ってくれ、ハヤト」

 大変ことでも起きたのかと、ロミオは急に心配になった。最近、日本から伝わるニュースは自然災害関連のことが多い。隼人の身内が災害に巻き込まれたのかと発作的に考えた。

「いや、そうじゃないよ。俺の家族は元気だ。安心してくれ」

 その言葉に、ロミオはホッと胸を撫でおろした。だったら隼人が暗くなっている理由は何だろうと、また心配になる。

「ハヤト、何があったんだ? オレにも言えないことなのか? お願いだから、話してくれ。話してくれないと、オレはこのままどうにかなってしまいそうだ」

 ロミオは携帯をぎゅっと握り、情熱的に訴えた。すると、それに心動かされたのか、携帯の向こうから短くも辛そうなため息が洩れてきた。

「……実は、話があるんだ」
「ああ、わかっている。大丈夫だ」

 近くにある椅子に腰をおろして、真剣に聞く態勢になる。

「オレはいつでもハヤトの味方だ。言ってくれ、ハヤト」
「……」

 携帯の受話口で息が止まるような気配が漂ってきたが、一つ咳払いの後で、意を決したように声が聞こえた。

「その……一週間後の話なんだが」
「一週間後?」

 思いも寄らなかった言葉に、ロミオは思わず聞き返す。

「一週間後って、コモ湖へ行くんだろ。そのために、オレもハヤトも休みを取ったんだから」

 二人で短いながらもバカンスを取り、避暑地として有名なコモ湖畔へ遊びに行こうと計画を立てていたのである。

「それが……ちょうど一週間後に、本社から急きょ専務が来ることになって……」

 まるでノイズでも混じっているかのように、言葉が途切れ途切れに聞こえる。
 ロミオは携帯を耳に当てながら、突然頭が痛くなる魔法でも唱えられたかのように目を軽く瞑ると、もう片方の手で額を押さえる。

「……ああ、なんか前にも同じことを聞いたな」

 確かその時は、社長が来るとかどうとか言っていたのを思い出す。

「で、それがどうしたんだ、ハヤト」
「……だから、専務が来るから、その接待を、俺がやることになって、だから……」
「だから、何だ」

 ロミオは額を押さえたまま、冷静に聞き返す。頭の中では、七人の天使が高らかにラッパを吹き始める。

「……だから」

 ハヤトの声が、一瞬停止する。だが再び意を決したように、振り絞った声がロミオの耳に突き刺さった。

「だから、コモ湖には行けなくなったんだ。すまん、ロミオ」

 その瞬間、ロミオの両目が信じられないように大きく見開くと、勢いよく立ち上がった。

「もう一度言ってみろ!」

 ――そして、話は最初に立ち戻る。

「ああ! もういい!」

 イライラした気持ちをぶつけるように吐き捨てると、耳から携帯を離した。

「いいか!」

 携帯を目の前に持ってきて、叫ぶ。 

「ハヤトの話はよくわかった! もうそれ以上オレが聞く必要はないだろ?! あとはそっちで大切な大切な仕事のことを考えるんだな! じゃあな!」
「待て! 俺の話を聞いて……」

 隼人の切迫した声が携帯から流れてきたが、ロミオは通話をぶっちぎると、テーブルに携帯を投げ置いて、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。

「……くそっ……」

 背中を丸めて俯き、顔を両手で覆う。

「オレとの約束の方が先だろうが……ハヤトのバカ野郎……」

 それなりに恋人の仕事について理解はしていたつもりだったが、やはりそれなりなので、怒りと哀しみがとまらない。

「これで何度目だと思っているんだ……」

 しばらく、立ち上がる気力もないというように、がっくりと項垂れる。
 勿論、全部が全部仕事の都合でキャンセルになったわけではないが、イタリア人のロミオからすれば、約束していたバカンスよりも仕事を優先した隼人の気持ちが全く信じられないし、失望感がより大きい。
 ロミオは勝気な性格に似合わないような、重い重いため息をついた。いつぞや、母親に言われた科白が、記憶の箱から蓋を開けて飛び出てくる。

「そんなにハヤトにデートをすっぽかされるんだったら、さっさと別れなさい、ロミオ」

 対して、息子はムキになって言い返した。

「なんで別れなきゃいけないんだ。オレはハヤトが大好きなんだぞ。大好きなのに、別れるなんてバカだろ」
「あら、そう。だったら、ハヤトに仕事のことなんか忘れさせるくらい、セクシーな男になるのね」
「ああ! 絶対になるさ!」

 そんな売り言葉に買い言葉を思い出したロミオは、やおら顔をあげると、テーブルに置いた携帯に目をやった。

「……くっそ……」

 携帯を切る間際に聞こえてきた隼人の切実な声が、耳の中に留まっている。

「俺の話を聞いて……」
「……」

 まるでまだその言葉が聞こえるかのように、ロミオは携帯をじっと凝視する。ゲイポルノ界の人気俳優に相応しい華やかな顔立ちは翳り、どこか泣き出しそうに目元が揺らいでいるが、きつく結ばれた口元は、かすかにゆるんでいる。何かを言いたそうに。

「……くっそう……」

 ロミオは手で顔をぬぐうと、仕方なさそうに立ち上がった。
 携帯の脇には、皿に盛られたパスタがある。ロミオは眉を寄せて、そのパスタを見つめた。瞼には、以前に茹でたパスタを喜んで食べていた恋人の姿が映る。

「ハヤトの大バカ野郎……」

 苦々しく呟くと、身支度を始めた。



 疲れたような足取りで、自宅アパートメントのドアの前まで来ると、隼人は何度目かの深いため息をついた。
 定時で会社はあがり、イタリア本社社長の司藤からは、今日は思いっきりデートできるな! などとからかわれながら、ふらつくように家路についた。昼時にロミオへ電話をかけ、たいそう怒らせてしまったダメージから、全く立ち直れていなかった。

 ――俺はなんて馬鹿なんだ……

 繰り返し、自分を責めていた。

 ――どうして携帯で喋ってしまったんだ……もう少し、言いようがあっただろう……ロミオが怒って当たり前だ……あんなに楽しみにしていたのに……

 胸元を手で押さえながら、表情が苦しそうに歪む。今回の接待の件は、遊佐理専務直々のご指名だった。専務は常日頃から隼人の仕事ぶりを評価していて、目をかけてもらっているのである。なので、自分の都合で辞退するわけにはいかなかった。司藤社長が代わってやると言ってくれたが、隼人は丁寧に断った。やはり自分がやらなければという使命感と責任感が、ロミオとの愉しいバカンスを上回った。

 ――ロミオには本当に悪いことをしたな……

 鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。

 ――もう俺には愛想が尽きたかもしれない……いや、尽きただろうな……

 電話でのロミオのぶちぎれようが凄まじく、その後は何も手がつかなかった。同僚のシルヴィオなどは、隼人の死人のような顔色の悪さに、エクソシストを呼んでこようかと真剣に心配する始末だった。それは丁重にお断りしたが、隼人はもう後悔で目の前が真っ暗だった。

 ――ほんとに俺は馬鹿だ……

 ため息まみれに肩を落として、機械的に鍵を回す。
 鍵は、開いていた。

「えっ……」 

 隼人はぎょっとなる。今朝、出勤する時に鍵はしっかりとかけた。それは覚えている。このアパートメントは治安の良い区域にあるが、もしかして泥棒に入られたのかもしれないと焦った。
 周囲を見回してから、慎重にドアを開ける。すると、室内は明るく、誰かがいる様子だった。
 えっ? と隼人は思わずその場で立ち止まる。誰だろうと不思議がる隼人の鼻に、美味しそうな匂いが漂ってきた。

 ――まさか、いや、でも……

 その美味しそうな匂いには、馴染みがあった。このアパートメントの合鍵を持っている相手は、料理が上手い。あんなに怒っていたのにと、半信半疑で明かりがついているダイニングルームを覗くと、そこにはパスタを茹でているロミオがいた。

「ロ、ロミオ……」

 隼人の声が、ひっくり返る。
 ロミオは肩越しに振り返ると、不機嫌そうに目を細めて、一言言った。

「待ちくたびれた」

 火を止めて、鍋の取っ手を両手で掴み、湯を切る。

「ど、どうして、ここに……」

 隼人は信じられないように言葉をどもらせて、ついでに咳き込んだ。

「決まっているだろ」

 ロミオはテーブルに用意してあったオレンジ色の皿に、茹でたパスタを手際よく盛り付けると、別の鍋で作っていたトマトソースをかける。

「せっかくのバカンスが潰されたからな。楽しみにしていたのに」
「……ロミオ、それは」
「だから」

 急いで口をひらく隼人を黙らせるように、畳みかける。

「復讐しに来たんだ」

 えっ? と隼人は目を白黒させる。

「……復讐?」
「そうさ」

 ロミオはまだ怒りが収まっていないように刺々しかったが、物騒な言葉に焦る隼人をどこか愉快そうに見て、燦然と言い放った。

「オレの作ったパスタを食べてもらおうじゃないか、美味しくな!」 



 それから数十分後、四角いダイニングテーブルを囲って、隼人とロミオはパスタを食べていた。

「美味しいか、ハヤト」

 トマトソースをふんだんにかけてパスタを食べている隼人は、エクソシストに悪魔払いでもされたかのように、晴れやかな笑顔満開で目の前にいるロミオへ思いっきり相槌を打った。

「美味しいよ、ロミオ。俺の舌がどうにかなりそうだ」
「おい、褒め過ぎだろ。大丈夫かよ」

 ロミオもまた、楽しそうにパスタを口にする。
 二人は仲良くパスタを食べながら、和気あいあいとお喋りをしていた。そこまでに至る過程として、隼人の必死の謝罪と弁明が、恋人の怒りを和らげる大きな要因になったのは言うまでもない。加えて、新たに別の日をコモ湖のバカンスに提案したことで、ロミオの態度もかなり落ち着いた。次は絶対に約束を破らないという誓約もしたので、ロミオは笑った。

「パスタを作ってくれてありがとう。俺は本当に嬉しいよ」
「オレもちょうどパスタを食べたかったからな。ついでに、ハヤトにも作ってやろうと思ったんだよ」

 まだへそ曲がりなことを言っているが、隼人はわかっているというように優しい笑顔になる。

「ありがとう、ロミオ」

 隼人の全身からは、嬉しい気持ちがただ漏れしている。

「オレが食べたかっただけだ」

 ロミオはちらりと隼人へ視線を投げる。

「でも、ハヤトと一緒に食べてもいいかなと思い直しただけ」

 ツンデレ全開な言いように、隼人はまるでキスされたように頬がゆるむ。

「そ、そうか……いや、俺もロミオと一緒に食べたかったよ」

 最近会えてなかったからと、寂しそうに呟く。
 ロミオは口に含んだパスタを食べ切ると、またちらりと隼人へ視線を飛ばす。その謎めいたエメラルド色の瞳には、隼人が美味しそうに食べる姿が映っている。
 色っぽい唇が、どこか嬉しそうに艶めいた。 

「どうした?」

 気づいた隼人が、手を止める。
 ロミオはニヤッと笑った。

「オレの復讐が成功した」

 大好きな恋人へ、、甘くウィンクをした。
しおりを挟む

処理中です...