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運命の扉 2
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「扉は道しるべの象徴さ。ひとつをひらけば、また扉があちこちで待っている。そのうちのひとつを選べば、また扉がある。それの繰り返しさ。海の彼方にある常若の国へ逝くまで、あたしたちは扉をひらきつづけなければならない」
コンドリーサは自分と同じ娘の鮮やかな深紅の瞳を覗き込んだ。月の呪文を唱える唇が、静かに言葉を刻む。
「わかるだろう、アイーダ」
……わかるだろう。
アイーダはびくんっと躰を震わせた。両腕をまわし、顔をあげて辺りを見る。居間は閉め切っているはずなのに、なまあたたかな風がかすかに頬を撫でていった。
振り返ってごらん……
その風をたどるように、アイーダはゆっくりと振り返った。玄関先の扉は、厚い大木でつくったアーチ状のものだ。錠をかけていたはずなのに、いつのまにか大きく内側へひらいていた。
そこには、ひとりの若者が立っていた。日の光で染めあげたような髪をひとつに結い、腰には刀剣を下げ、灰色のマントを羽織っている。銀色に輝く細長い刀剣は王に仕える剣士の印、マントの色は「故郷を持たぬ者」、それを右肩で羽織り左肩をむき出しにするのは、妻を亡くした夫であることの証。
光の加減で淡く濃く色の移ろう瞳が、まっすぐにアイーダを見つめている。
ふいにアイーダはなにかを思い出しかけた。まるで突然火が燈って、そこが暗闇であるのがわかったかのように、唇が動いた。
「……失われし宮へ祈りを捧げよ、闇と光を大いなる大地へ還すのだ……そして……」
若者はゆっくりと歩みだす。アイーダも踏み出しかけた。
だが突然、何かを打ち破るような音がして、我に返った。その音がしたほうへ顔を向けると、コンドリーサが両手を持ちあげて、まっすぐに立っていた。
今の音は母親が手を叩いたものだと、やや待ってから気がついたアイーダは、子ウサギのように飛びあがった。
「かあさま! いまそこに人が!……」
再び振り返ったアイーダの目に映ったのは、人ひとりが通れる程度にひらいた扉だけだった。さきほどの若者が立っていた場所には、午後の日差しの柔らかな光が落ちている。
「あそこにいたのに……」
コンドリーサはすべてを承知しているというかのように頷くと、音もなくその場を離れ、扉を強く閉めた。
「アイーダ、お座りよ」
「……かあさま、いま、声がして……」
アイーダは青ざめた顔をして、スカートを強く握りしめながら、立ちすくんでいる。
「あれは、呪われた大地の……」
コンドリーサは娘を優しく抱いた。
「大丈夫だよ、ちょいと悪戯されただけだからね」
「でも……風が……」
「安心おし、コンドリーサの家で勝手な真似などさせないよ」
アイーダを座らせてから、自分も元の席に戻った。
「悪戯好きの妖精たちが、あと少しで月の満ちるお前をからかっていったのさ。もう魔力を使いたがっている利かん気のお前をね」
顔を覗き込んで娘の鼻をポンと叩くと、からからと笑う。
アイーダは朱色の頬をふくらませて、鼻を押さえた。幼い頃よくそうやってからかわれたのだ。
「とにかく、新月の儀式まで待つことだね」
コンドリーサは笑顔のままで、さらりと口にする。
「お前はその翌日、村を去ることになるだろうから」
突然の言葉に、アイーダは一瞬呼吸がとまったような表情をしたが、すぐさま息を吹き返して、ついでに吹きだした。
「なに言ってんのよ。あたしは村を出て行かないわよ。そんなつもり全然ないし」
「いいや、お前は出てゆくよ。これは自分の意思ではどうにもならないんだ。さっき話しただろう」
確信めいた口ぶりで、断言する。
「それが、お前の運命の扉なのさ」
「――信じないわ!そんなの!」
だがアイーダは、納得がいかないとばかりに立ちあがった。
「いきなりそんなこと言われて、はいわかりましたなんて頷くバカがいるわけないでしょう! 言っておくけど、あたしは月の魔女になっても、絶対にこの家から出ないからね!」
母親から利かん気とからかわれた気性そのままに噛みつくと、憤然と席を立つ。
「ちょいとお待ちよ」
「なに!」
アイーダは腰まである黒髪が乱れる勢いで、ぐわっと振り返る。
「また変なこと言うつもり!」
だが母親が示したのは、まだ床に散らばっているかけらの数々だった。
「高かったんだけどねえ」
ため息までつけた呟きに、アイーダは二階へ向かおうとした爪先を一回転させて、足音荒く戻ると、しゃがみこんで再び拾いはじめる。
「すっかり忘れていたわ」
「そうだろうよ」
今度は母親が席を立った。
「さあて、疲れたから、ちょいと休むとするかねえ」
背伸びをしながら、床下から生えている大木の幹に刻みをいれた階段を上がってゆく。
アイーダはその優雅な後ろ背を恨めしげに見送りながら、ひたすら自分が割った壷のかけらを拾った。
コンドリーサは二階にある寝室の扉を閉めると、肩で大きく息をついた。
アーチ状の出窓は朝から開きっぱなしで、気持ちのよい風の訪いを受けている。西風の精たちが周辺の豊かな森の匂いを運び、濃厚な気配が部屋の隅々までいきわたっている。
コンドリーサは窓辺に近づくと、外を眺めた。
月の魔女の村は呪いの森にあって、幸いなる島では東と南の間にある。東の方角には始まりの都が、南の方角には次なる都が、西の方角には終わりの都があるが、その背後には島をまっぷたつにする大山脈があった。
コンドリーサは出窓から見える大山脈のかすかな輪郭と、西の空を覆う薄黒い影を凝視した。
大山脈の向こうは、閉ざされし地である。
あの地に足を踏み入れた人間はひとりも戻らず、精霊たちも恐れて近寄らない。
闇の翼に触れられた大地と、人々は囁きあう。
コンドリーサは窓辺にもたれかかり、その暗い空を眺めながら、さきほどの娘の言葉を反芻した。
(あの子は導かれし者だ)
(呪われた大地が、あの子を呼んでいる)
美しく整った深紅の唇が、臭い匂いを嗅いだように堅く結ばれた。
(あの時、何者かが力を使った)
アイーダへ集中していた間隙をついて、輝かしき神が祝福したこの村で、妖精王が呪ったこの村で――村一番の魔女が住まうこの私の家で、いともたやすくあの子へ誰かが接触した。
コンドリーサは険しい表情のまま、手すりに重心を傾け、眼下を見渡した。一面の緑。緑の牢獄。その中心に、小さな沼がある。昔、輝き人を裏切ってしまった村の男たちが流した後悔の涙だと伝えられる沼が。そこは月の満ちた少女たちが魔女になるための儀式の場だ。
(――これも運命かもしれない)
風が挨拶するように、いちどに吹いていった。腰まである艶やかな黒髪が、気持ちよさげにはねあがる。
アイーダへもまもなく風が吹くのだろう。
コンドリーサは眩しげに青い空を見上げた。
あの子の運命の扉をひらくのは、光なのだから――
赤い月の魔女アイーダの物語りは、月の魔力をおびる新月の儀式からはじまる。
魔女アウレリアから、たったひとつの大きな扉を持つ者と告げられたアイーダは、儀式の終り頃、ひとりの旅人と出会う。
森にかけられた呪いを乗り越えて現れたその旅人は、次の日の朝、村を去った。
新しく誕生した月の魔女とともに――
コンドリーサは自分と同じ娘の鮮やかな深紅の瞳を覗き込んだ。月の呪文を唱える唇が、静かに言葉を刻む。
「わかるだろう、アイーダ」
……わかるだろう。
アイーダはびくんっと躰を震わせた。両腕をまわし、顔をあげて辺りを見る。居間は閉め切っているはずなのに、なまあたたかな風がかすかに頬を撫でていった。
振り返ってごらん……
その風をたどるように、アイーダはゆっくりと振り返った。玄関先の扉は、厚い大木でつくったアーチ状のものだ。錠をかけていたはずなのに、いつのまにか大きく内側へひらいていた。
そこには、ひとりの若者が立っていた。日の光で染めあげたような髪をひとつに結い、腰には刀剣を下げ、灰色のマントを羽織っている。銀色に輝く細長い刀剣は王に仕える剣士の印、マントの色は「故郷を持たぬ者」、それを右肩で羽織り左肩をむき出しにするのは、妻を亡くした夫であることの証。
光の加減で淡く濃く色の移ろう瞳が、まっすぐにアイーダを見つめている。
ふいにアイーダはなにかを思い出しかけた。まるで突然火が燈って、そこが暗闇であるのがわかったかのように、唇が動いた。
「……失われし宮へ祈りを捧げよ、闇と光を大いなる大地へ還すのだ……そして……」
若者はゆっくりと歩みだす。アイーダも踏み出しかけた。
だが突然、何かを打ち破るような音がして、我に返った。その音がしたほうへ顔を向けると、コンドリーサが両手を持ちあげて、まっすぐに立っていた。
今の音は母親が手を叩いたものだと、やや待ってから気がついたアイーダは、子ウサギのように飛びあがった。
「かあさま! いまそこに人が!……」
再び振り返ったアイーダの目に映ったのは、人ひとりが通れる程度にひらいた扉だけだった。さきほどの若者が立っていた場所には、午後の日差しの柔らかな光が落ちている。
「あそこにいたのに……」
コンドリーサはすべてを承知しているというかのように頷くと、音もなくその場を離れ、扉を強く閉めた。
「アイーダ、お座りよ」
「……かあさま、いま、声がして……」
アイーダは青ざめた顔をして、スカートを強く握りしめながら、立ちすくんでいる。
「あれは、呪われた大地の……」
コンドリーサは娘を優しく抱いた。
「大丈夫だよ、ちょいと悪戯されただけだからね」
「でも……風が……」
「安心おし、コンドリーサの家で勝手な真似などさせないよ」
アイーダを座らせてから、自分も元の席に戻った。
「悪戯好きの妖精たちが、あと少しで月の満ちるお前をからかっていったのさ。もう魔力を使いたがっている利かん気のお前をね」
顔を覗き込んで娘の鼻をポンと叩くと、からからと笑う。
アイーダは朱色の頬をふくらませて、鼻を押さえた。幼い頃よくそうやってからかわれたのだ。
「とにかく、新月の儀式まで待つことだね」
コンドリーサは笑顔のままで、さらりと口にする。
「お前はその翌日、村を去ることになるだろうから」
突然の言葉に、アイーダは一瞬呼吸がとまったような表情をしたが、すぐさま息を吹き返して、ついでに吹きだした。
「なに言ってんのよ。あたしは村を出て行かないわよ。そんなつもり全然ないし」
「いいや、お前は出てゆくよ。これは自分の意思ではどうにもならないんだ。さっき話しただろう」
確信めいた口ぶりで、断言する。
「それが、お前の運命の扉なのさ」
「――信じないわ!そんなの!」
だがアイーダは、納得がいかないとばかりに立ちあがった。
「いきなりそんなこと言われて、はいわかりましたなんて頷くバカがいるわけないでしょう! 言っておくけど、あたしは月の魔女になっても、絶対にこの家から出ないからね!」
母親から利かん気とからかわれた気性そのままに噛みつくと、憤然と席を立つ。
「ちょいとお待ちよ」
「なに!」
アイーダは腰まである黒髪が乱れる勢いで、ぐわっと振り返る。
「また変なこと言うつもり!」
だが母親が示したのは、まだ床に散らばっているかけらの数々だった。
「高かったんだけどねえ」
ため息までつけた呟きに、アイーダは二階へ向かおうとした爪先を一回転させて、足音荒く戻ると、しゃがみこんで再び拾いはじめる。
「すっかり忘れていたわ」
「そうだろうよ」
今度は母親が席を立った。
「さあて、疲れたから、ちょいと休むとするかねえ」
背伸びをしながら、床下から生えている大木の幹に刻みをいれた階段を上がってゆく。
アイーダはその優雅な後ろ背を恨めしげに見送りながら、ひたすら自分が割った壷のかけらを拾った。
コンドリーサは二階にある寝室の扉を閉めると、肩で大きく息をついた。
アーチ状の出窓は朝から開きっぱなしで、気持ちのよい風の訪いを受けている。西風の精たちが周辺の豊かな森の匂いを運び、濃厚な気配が部屋の隅々までいきわたっている。
コンドリーサは窓辺に近づくと、外を眺めた。
月の魔女の村は呪いの森にあって、幸いなる島では東と南の間にある。東の方角には始まりの都が、南の方角には次なる都が、西の方角には終わりの都があるが、その背後には島をまっぷたつにする大山脈があった。
コンドリーサは出窓から見える大山脈のかすかな輪郭と、西の空を覆う薄黒い影を凝視した。
大山脈の向こうは、閉ざされし地である。
あの地に足を踏み入れた人間はひとりも戻らず、精霊たちも恐れて近寄らない。
闇の翼に触れられた大地と、人々は囁きあう。
コンドリーサは窓辺にもたれかかり、その暗い空を眺めながら、さきほどの娘の言葉を反芻した。
(あの子は導かれし者だ)
(呪われた大地が、あの子を呼んでいる)
美しく整った深紅の唇が、臭い匂いを嗅いだように堅く結ばれた。
(あの時、何者かが力を使った)
アイーダへ集中していた間隙をついて、輝かしき神が祝福したこの村で、妖精王が呪ったこの村で――村一番の魔女が住まうこの私の家で、いともたやすくあの子へ誰かが接触した。
コンドリーサは険しい表情のまま、手すりに重心を傾け、眼下を見渡した。一面の緑。緑の牢獄。その中心に、小さな沼がある。昔、輝き人を裏切ってしまった村の男たちが流した後悔の涙だと伝えられる沼が。そこは月の満ちた少女たちが魔女になるための儀式の場だ。
(――これも運命かもしれない)
風が挨拶するように、いちどに吹いていった。腰まである艶やかな黒髪が、気持ちよさげにはねあがる。
アイーダへもまもなく風が吹くのだろう。
コンドリーサは眩しげに青い空を見上げた。
あの子の運命の扉をひらくのは、光なのだから――
赤い月の魔女アイーダの物語りは、月の魔力をおびる新月の儀式からはじまる。
魔女アウレリアから、たったひとつの大きな扉を持つ者と告げられたアイーダは、儀式の終り頃、ひとりの旅人と出会う。
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