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3章 混線×混戦

●犬とライオン迷惑千万

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 とまあ、わたしはそれで誤魔化したつもりでいたけれど、
『ガルルルルル!』
「ゴアァグルルルル!」
 支度を整えて玄関先に出ると、犬とライオンもとい、幸太郎と火恩寺君が威嚇しあっていた。
 姿そのものが犬の幸太郎はともかく、まっとうな人間のはずの火恩寺君までも地面に手足をついて吠えている。
『グルルルルル!』
「ガアゥガルルルル!」
 ナニコレ。
「……」
 突っ込みのバリエーションに自信のないわたしは、彼らを放って行くことに決めた。
 睨み合っている二人から大きく大回りして、ポーチに出ようとすると、
『止めてくれよ!』
「止めてください!」
 と逆に突っ込まれてしまった。
「止めて欲しかったんだ……」
 そんな風には微塵も見えなかったけど。
「それじゃ、行きましょうか。送ります」
 火恩寺君は立ち上がり、手足を叩くと、わたしに手を差し出す。
「え、何?」
「うかつでした。そんな重い荷物を姐御に持たせておくなんて。俺が学校までお運びいたします」
「持ってくれるの?でも、中身、シューズとユニホームだけだし平気だよ?」
「姐御には最良のかたちで部活をしてもらいたいんです。昨日の応援は、失敗でしたが……。是非ともそのリベンジを!」
 火恩寺君のあまりに通りのいい声に、自転車に乗っていたおじいちゃんがよろよろとよろけるのが目の端に見えた。
 大丈夫かな、おじいちゃん……。

「うん、じゃあお願いしようかな……」
 これ以上見ず知らずのおじいちゃんをよろけさせるのも悪いし、時間に余裕もないので、わたしは火恩寺君にショルダーバックを手渡した。
「お預かりします」
『俺も持つっつーの!』
 すると、するするとわたし達の間に入ってきて、幸太郎はバックの肩をかける部分をひっしとくわえる。
 自然、火恩寺君と幸太郎がショルダーバックを取り合っているような格好になる。
「何やってるのかな?」
『俺だってミサキのカバンくらい持てる!』
「この犬、放しやがらねぇ……」
 互いに睨みを利かせあいながら、また唸り始める。
 この二人を一緒にしておくと、こんなのがえんえんと続きそうだ。
「破った方から、破格の罰金もらうよ?優しく持ってね?ていうか、いい加減にしろ?」
 若干の怒りを覚えながら、けれどオブラートに包むつもりでそう言うと、水を打ったようにして静まり返った。
「夜叉が見えた」と二人して呟くのが聞こえた。
 失礼な。

 けれど、静かになったのは好都合なので、
「ほら、さっさと行くよー」
 わたしは歩き出した。
「夜叉か阿修羅か……。さすが姐御」
『マジ怖かった……』
 背中のそんな声は無視することにした。


 道々、幸太郎にお母さんからの電話のことを話すと、
『やべー、夏祭りの手伝いのこと、すっかり忘れてたっ!』
 想像通りの反応が返ってきた。
「このタイミングで、犬になっちゃったしね」
『毎日、ベルガモットに食われないようにすることと、サッカーのことで頭いっぱいだったしな』
「食べようとするんだ、ベルガモットって……」
 愛ゆえに食うみたいな?
 考えていて怖くなってきた。
『そろそろ、戻らないとやばいよな、やっぱり』
「だね。合宿も月曜からだし」

 マーカーが消えれば解けるんじゃないか、というまほりの説は、外れたみたいで、毎日ちゃんとお風呂でこすっているのに、わたしの右手の甲のマークは意向に消える様子がない。
 緑色に光こそしないけれど、いまだくっきりとしたマーカーの線で例のマークがかたどられている。キスをすれば戻るっていうのも、松代君に駄目だしされてしまったし、八方ふさがりだ。
『戻るために手段を選んでる場合じゃねーのかな』
 ぽそっと幸太郎は呟く。
「何か方法あるの?」
 わたしが尋ねると、ビクーッと身体を震わせる。
 聞かれているとは思わなかったみたいだ。
『まー、あると言えばあるような、ないような。俺も、良く分からないんだけどな。
「何それ?変なの。でも、そんなの今に始まったことじゃないか」
『あのな、俺も傷つくからな、多少は!』
「……」

 そんな風にわたしと幸太郎が話していると、火恩寺君の視線を感じた。
 わたしと幸太郎とに交互に視線を運ぶ。
「どうかした?火恩寺君」
「いや、姐御がこぉたろぉと親しそうに話をされていたので。少し考えていました」
『こぉたろぉって、その発音どうにかなんねーのかな』
「考えていたって何を?」
 わたしが聞くと、火恩寺君は少し困ったような顔をしてから、ためらいがちに、
「その、姐御はその犬……こぉたろぉと男女の仲なんですか?」
 言った。
「ぶっ!」
『はあっ!?』
 言っている内容にはちっともためらいがない。
「な、ななな、何言ってるの!?どこがどうなったらそういう発想がこんにちはするの!?」
 驚きのあまり鼻息荒くわたしは言う。
「なんつうのか、阿吽の呼吸みたいなものが二人の間にある気がして……」
「そ、それは、幼なじみだし、ね?コータロー?」
 そうわたしは幸太郎に助け舟を求めるけれど、幸太郎は、
『でも、今後ないとは言いきれないけどな……』
 とごにょごにょ何か言っていて役に立たない。
 いや、忘れがちだけれど、そもそも火恩寺君に幸太郎の話している内容は聞こえないんだっけ。
「とにかくね、コータローとはそういう関係じゃないから!」
 わたしがそう言うと、火恩寺君は目を丸くして、それから顔をほころばせる。
「なら良いんです。ねんごろな相手がいないなら、俺は姐御をまっとうな方法で誘うことが出来る」
「え?」
 精悍な顔つきになり、火恩寺君は言い放った。

「姐御。夏祭りで、最後の花嫁になってくれませんか?」
『なっ!それが狙いか……!』
「最後の花嫁って、お祭りの舞い巫女のこと?」
「はい。ねんごろな相手がいると龍が嫉妬すると言われているので、確認したんです」
「そうなの?でもどういうこと?」
「ここで詳しい話をしたいところですが、恐らく時間が……」
「時間?」
 火恩寺君の言葉に腕時計を見ると、部活開始10分前だった。
 着替えの時間を含めたら、もう既に5分切っている。
「ち、遅刻!?」
「せん越ながら、姐御。失礼します」
 火恩寺君は何やら側に寄ってきて、一思いに――――わたしを抱き上げた。
「はいぃぃ!?何で?」
「これでも俺は脚に自信がある方なんで。それに、道を行かなければ遙かに早く着きます」
 と言っている側から、火恩寺君が塀の上に飛び乗ったのが分かった。
 ひゅん、とお腹の辺りが寒くなる独特の感覚があったからだ。
「こ、怖いんですけど……!」
「大丈夫です。ちゃんと俺の肩でも首でも好きなところにつかまっていてください」
『待てっ、俺もつれてけ!』
 幸太郎もものすごい跳躍力で塀の上に跳ね、それから火恩寺君の肩に飛び乗った。
「犬もか、仕方ねぇ……。行きますよ」
 そう声をかけた瞬間には屋根の上にいて、数秒も立たずに次の屋根へと跳躍する。
 ぐわんぐわんと上下する動きに、わめき声を上げながら、遅刻すれすれでわたしは学校に着いたのだった。
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