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4章 近づくもの遠のくもの

●なんかの気配

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 幸太郎がわたしのことを好きなわけないと思う反面、じゃああのキスはどういう意味なんだろう?と思う。
 何の意味もないキス、何となくしたキス、そんな風に考えても、それはわたしの知っている幸太郎のイメージとは結びつかない。
 わたしの知る限りの幸太郎は、ときどきとんでもないことをするけれど、基本的にはとってもいい奴だと思うから。
 じゃあなんで戸田さんとキスなんかするんだろう、という疑問がチクリと棘のように胸を刺す。
 そして、わたしは自分が思っていた以上に、幸太郎のことを知らなかったのかもしれない、と行き着くのだ。


 まほりは部活のメンバーと一緒に帰るというので、わたしは麻美達と昼ごはんを食べて一旦帰り、それから火恩寺に行くことにした。
 ごはんを食べて少し遊んで、別れ際、彼氏出来たらメールしてね、と麻美と沙紀は言い残し、佑香は今度ライブやるから良かったら来てね、とにこにこしながら言って去っていった。
 久しぶりに会って、中学時代の意外な過去を知ることになるとは思わなかったな。
 まさか、幸太郎がモテていたなんて。
 告白なんてされていたなら自慢してきそうなものなのに、幸太郎本人は、何にも言っていなかった。
ひょっとしたら恋愛に興味ないわたしに言っても、意味がないと判断したのかもしれないけれど。
『……告白されたら付き合ってみるくらいのスタンスで居た方が良いんじゃない?』
恋愛を面倒くさいと思う裏側に、もう一つの感情があるのをうすうす気づいている。
恋愛が怖い。
ゆき姉ちゃんのように刃傷沙汰になるとは思えないけれど、もしも恋愛のスイッチが入ってしまったら、どうなるか分からない、そんな不安がある。
 恋はするものじゃなくて落ちるもの、そう聞いたことがあるけれど、恋に落ちたら……わたしはどうなるんだろう?

 
 予定よりも少し早く火恩寺前に着くと、正面入口にリムジンが横付けされていた。
何だろう、と見ているとドアが開かれ、松代君がおりてきた。
「松代く……」
 と声をかけようとしてはたと止まる。
 今、塀の上からとんでもないものが見えた気がしたからだ。

 何だかとてつもなく大きい何かが……。
 けれど、もう一度見上げるとそこには、暮れなずむ空があるだけだった。
「本田。人の名前を呼びかけてやめるな」
 と言って松代君がやって来る。
シンプルなシャツに質の良さそうなパンツという私服姿だった。
「ごめんね、何か変な幻覚が見えたから……」
「幻覚?」
 首を傾げる松代君の後ろには、リムジンのわきにはじいやさんの姿が見えた。
じいやさんはこちらに向かって会釈をしてくれる。
 思わずわたしも頭を下げる。それからじいやさんは車に乗り込むと車を発進させた。
「想像通りというか何と言うか。松代君、じいやさんの送り迎えなんだね」
「何の想像だ」
「坊ちゃまのセオリー?」
 少し茶化すつもりでそう言ったのに、
「世の中には変わったセオリーが存在するのだな」
 と生真面目に返されてしまう。
 うすうす気づいてはいたけれど、松代君はどこか変だ。
 いや、そもそもわたしの周りに変じゃない人がいたかどうかも今や分からないけれど。
 わたしがそんな余計なことを考えていると、松代君が不思議そうな顔をして、こちらを見てくる。
「……い」
 そして何か呟いた。

「何?」
 問い返すと、
「なぜ浴衣じゃない?」
 にわかに勢いづいて松代君はそう言った。
「な、なぜって、言われても……」
 まほりの応援に行く予定があったし、きっとバタバタしているだろうからって、そもそも浴衣を着る予定じゃなかった。
「夏祭りで浴衣こそ、世のセオリーではないのか?」
 炯眼でまさに射抜くようにしてわたしを見る。
「な、何でそんな怖い顔で言うの?」
「浴衣が見たかったからに決まっているだろう!」
 これまた真顔で松代君は言う。
多分、こういうのが彼にとっては普通なんだろうな。言っていることと顔が合っていないっていうのは。
「こんなことなら、じいやに手配させておけばよかった……」
「浴衣くらいで……」
 じいやさんを使わないで、という前に、
「浴衣くらいでだと?君には浴衣のロマンがみじんも分かっていないようだな?」
 鼻息の荒い松代君が言葉をつぐ。
「歩きにくい草履となれない浴衣の着崩れをおそれ、おずおずと歩くファム・ファタール。上目遣いで少し怒りながら、シャツの裾を引っぱるファム・ファタール。そのロマン……君には分かるまい!極めつけは……」
 この人も、相当だな……。
 夏の暑さで脳みそが沸騰したっぽいな。
 ファム・ファタールって何度も言って言いにくくないのかな。松代君って顔はクールなのに中身はちょっと残念だな。
 そんなどうでもいいことを考えながら、熱弁をふるう松代君を眺めていた。
 そうしていたら、ふと、頭に戸田さんのことが浮かんだ。
 戸田さんがドロップスで幸太郎を元に戻したってこと、松代君は知っているのかな。

「そんなことより松代君、戸田さんがコータローを元に戻してくれたの知ってる?」
 話の流れを完全に遮断されたことで、松代君は一瞬、眉根を寄せたけれど、それよりも話の内容のほうが気になったようで、
「ユーリが?」
 と話に乗ってくる。
「その代わりコータローに変な魔法かけたみたいなんだけど。どうしてそんなことするんだろうって思って。松代君何か心当たりない?」
 そう言うと、松代君は逡巡するような顔をする。
「先日ユーリに言われたことが、一番当てはまるような気がするが……」
「何て言われたの?」
 尋ねるや否や、
「自分の胸に手をあてて、聞いてみなさい。この占いオタク!」
 声色を変え、こちらを指差し松代君はそう言った。
「……それ戸田さんのまね?」
「ああ。とても怒っていたな。何故だか分からないが」
「戸田さんは何で怒ってるんだろ……?というか、松代君と戸田さんって、仲いいの?」
「仲がいいのかはよく分からないが、幼なじみだな。幼稚園からの」
「コータローとわたしみたいなものなんだね」
「そういえば、占いの結果でファム・ファタールを捜し始めた辺りから、日に日に機嫌が悪くなっていたな。ユーリはストレスが溜まるとまつげを抜くのだが、抜く量が増えていったように思う。今やほとんど抜いてしまってつけまつげを常用しているらしい」
「まつげを抜くんだ、戸田さん……」
 それを冷静に分析している松代君もどうかと思う。
 ……そういえば、前に戸田さんに聞かれたことがある。占いを気にしすぎる彼氏ってどう思うって。
 あれってひょっとしたら松代君のことかもしれない。
 でも彼氏じゃないよね?
 ただ誤魔化しただけなのかな。
 それとも、戸田さんの好きな人がひょっとしたら松代君だとか……?
 じゃあ何で幸太郎にキスなんかしたんだろう?

「何を百面相している?」
 不意に考え込んでしまったわたしを不審に思ったのか、松代君が怪訝そうにして顔をのぞきこんでくる。
「戸田さんの行動が不可解で、ちょっと気になって」
「不可解?」
「早いね二人とも」
 声がして見ると、穂波君が歩いてくるのが見えた。
 穂波君の姿を見とがめると、松代君が怪訝そうな顔をする。
「数人で行くとは聞いていたが、穂波も入っていたのか。やはり、随分と……雰囲気が変わったな」
 含みのある言い方で松代君は言う。
「イッセイも大分雰囲気が違うと思うけどね。中学生と高校生だと、やっぱり変わるものだと思うよ」
 ちょうどやって来た穂波君はそう返す。
「僕が言いたいのは、そういうことじゃないがな……」
「二人って同じ中学校だったの?」
「うん、まあね。今年同じクラスになるまで、ほとんど会う機会なかったけど」
「ああ、そうだな」
 穂波君は語尾を濁すし、松代君も何だか歯切れが悪い。二人ともこれ以上この話題を続けたくないみたいに見える。
 というか、主に穂波君の方が無言の圧力をかけているように見えるけれど……。
 何だかこの二人に挟まれているのは気まずいな、と思っていると、
「おまたせー、ミサと愉快な仲間達!」
 何だか知らないけれどハイテンションなまほりが来たことで、場の空気が一気に緩んだのだった。
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