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4章 近づくもの遠のくもの

●からあげより好きです

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 噴水に着くと、じゃばじゃばと音を立てながら、水遊びをしている幸太郎の姿が見えた。
 ジャージのズボンを膝までめくりあげて、噴出した水の当たらない位置で足をつけてじゃばじゃばしている。
 何やってるの、こいつは……。
 用事って水遊びなわけ?

 わたしがあきれ返っていると、幸太郎はわたしに気がついて、
「お、遅かったじゃん」
 水の中から勢いよく飛びでてくる。
 ざぱあと水しぶきがあがって、わたしの腕にも少しだけ飛んできた。
「もう、水が飛んでる!」
「悪い悪いー」
 楽しいとは思っても、悪いとは思ってなさそうな笑い顔で、幸太郎は言う。
「用事って、わたしに水をかけることなの?」
 少しだけ機嫌を損ねて、わたしは言う。
「ちげーよ、暑かったからつい水浴びしてただけ」
「思考回路やられてるね……」
 普通は暑いからって噴水で水浴びはしないと思う。
「今朝のことの続きを話そうと思ってさ」
 足をぱたぱた振るって水を落とすと、じかに運動靴を履く。
「うわー、靴ぬれるじゃん……」
「気にしない気にしない。それより、本題」
「うん」
「えーと、朝のことで話したかったのはな……」
 視線を上のほうにやる。
 わたしもつられて上を見る。なにもない。強いて言うなら、青い空がある。

「……」
 そしてそのままで10秒ほどそうしているうちに、幸太郎がじょじょに顔をしかめていく。
「……ひょっとして、話す内容忘れてる?」
「い、いや忘れてねーって!順を追って話そうと思ったら、思考がぶっとんだだけで」
「コータロー、そういうの苦手だもんね……」
「哀れみの眼差しを向けるなよ!」
「被害妄想だってば……。それに順を追わなくても別にいいよ。はっきり言って?昼休み終わっちゃうし」
「うーん、はっきりか。分かった」
 幸太郎は一息つくと、
「龍を倒すのだー!」
 とそれはもう大きな声で言った。
 あまりにも大きな声なので耳にぎゃんぎゃん響く。

「声が大きいよ!」
「ミサキもでかいって……!」
 お互い耳を押さえながら叫びあう。何この状況。
「と、とにかく、龍を倒すって何?」
「そのまんまの意味だって。龍を倒せば、ミサキも追い回されなくてすむだろ?」
「でも、倒すのはまずい気がするよ。一応あの龍って、この土地の守り神みたいだし」
 それに、あんな大きな龍を倒すこと自体、想像できない。
「けどさ、何とかしねーと……」
 珍しく幸太郎がいいよどむ。
「何?」
「俺がすごくやだ」
 唇を曲げ、少しすねた顔をして幸太郎は言う。
「何でコータローがやなの?」
 何でだろう。そう聞くだけなのに、少し慎重になっている自分がいる。
 幸太郎もなぜか戸惑った目をしてわたしを見る。
「ミサキ、手」
 そう言って手のひらを上にして左手を出してくる。

「お手!?わたしは犬か!」
 突っ込みざま、その手首に例のマークがないことに気づく。え?どうして。
「いいから」
 強引に手を取られると、そのまま抱きすくめられた。
「え、な、何!?」
 突然のことに心臓がはねあがった。
 何でこんなことされるのかまったくわけが分からない。
「なあ、ミサキ。俺はどーしたらいい?」
 耳元にじかで声が響くので、動揺してしまう。
「な、何が?」
「ミサキが鈍感ですげー困るけど、鈍感なままの方がいい気もする。だから、色んな方向に困ってる」
 少しだけかすれかけた声でそう言われて、どうしていいか分からなくなる。
 こんな幸太郎、わたしは知らない。

「なんか変だよコータロー」
「ははっ、変だよな」
 笑い声が背中に響く。
「うん、変」
「ホントはさ、前にキスしたの忘れてくれって言いに来たんだ」
「え?」
 キスのことは、すっかりなかったことになっていると思っていた。
 だって幸太郎はそのあとも何も変わった様子がなかったから。
「そうそう、今みたいな感じになるのがやだから」
 自嘲気味に幸太郎は言う。
「今みたいな感じ?」
「俺にこんなこと言われてどーしようっていう感じ」
 図星だ。
「野郎どもがわさわさ求愛してきてさ、最後には龍まで出てきて、それだけでも面倒くせーのに、俺まで変なこと言い出したら困るもんな」
「わさわさと求愛っていうのがひじょーに気になるんだけど……」
「話の腰折って誤魔化す気だろ?」
「ちょっとはね、そう思った。だってコータロー、マジのトーンなんだもん」
「マジにもなるっつーの。まさかあそこで犬になるとは思ってねーもん!予定が大幅に狂ったっつーの」
「わたしにキレないでよ」
 というか、抱き合ったままキレないで欲しい。

「キレてねーよ。それにもう良いんだ。悟ったし」
「悟った?」
「龍をぶっ倒してカズシもタツヒコもイッセイも……みんな倒せばはい解決!」
「解決しないよ!どういう思考回路でそうなったわけ?」
「ミサキが困らない方法を考えようと思った」
「困ります!」
「じゃあ、そうだな……俺にとって都合が良い方法を考えようと思った」
「コータローにとって都合が良い?」
 そう聞くと、幸太郎は抱き寄せていた腕をほどいてわたしを解放する。
それからすぅと息を吸い込んで、
「みんなけ散らして、から揚げより大好きなミサキとヒーローライフを送ることだ!」
 幸太郎はそう言った。
「ん?」

 から揚げ?ヒーローライフ? 
 幸太郎としては決定的なことを言ったみたいな雰囲気なのに、突込みどころがありすぎてちょっとよく分からない。
 でも、大好きって?
「大好き……?」
 言葉の意味がちゃんと頭にしみこんでこない。
 ぼんやりして尋ね返すと、たまりかねたようにして、
「そう、大好き」
 幸太郎が念を押してくる。その頬が赤い。
 見ているとわたしのほうも伝染して顔が熱くなってくる。
 顔の熱さに呼応するようにして、心臓の鼓動も早くなってくる。
 麻美たちの言っていた、幸太郎のずーっと好きな人というフレーズとこの前のキスとが結びついて、胸の辺りがそわそわとしてくる。
 わたしの表情が変わるのが分かったのか、

「ミサキ、すげー鈍感なのに、通じたんだな」
 幸太郎は皮肉っぽくそう言う。少しだけムカッとした。だから、
「通じない。全然通じない。だって今まで一度もそんなこと言わなかったじゃない」
 強い調子でそう返す。
「ミサキが恋愛めんどくさいって言うからだろ!」
「今言われる方がもっとめんどくさいよ!」
「だってこれ以上待ってたら、俺不利じゃん!カズシもタツヒコもイッセイもいて、龍まで出てきて!」
「不利も有利もないよ!わたしは恋愛なんてしないもん!」
「そんなのわかんねーじゃん!突然ドキドキしだすかもしんねーだろ」
「しない、絶対しない!だからもうその……さっきのは封印!はい、なかったことに!」
「しねぇよ!俺はミサキが大好きですぅー!」
「あーあーあー聞こえないぃー!」
 何でこんなにムキになって叫びあっているんだろう、とふと我に返った瞬間、

「ん?」
「ミサキ?」
 急に全身が燃えるように熱くなってくる。幸太郎もまた怪訝そうな顔をする。
 ナニコレ熱中症?
 でもその割に頭はすっきりとしているし、身体も熱いだけで具合が悪いわけじゃない。
 そう思ったとき、覚えのある強い光がわたしの手の甲から放出され、わたしと幸太郎の体を包み込んだ。
「え?え!?」
 まさかこれって、また魔法?
「げ……なんでまた魔法が?」
 幸太郎もわたしと同じ考えに及んだらしい。
 まぶしい光に思わず目をつむる。

 しゅぅっと音を立て、熱くなった身体から蒸気が出てくるのが分かった。
 まるで風船から空気が抜けるような音だった。
 音とともに、わたし自身の体から力が抜けていく――――
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