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「シテ」「スル」未来

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 彼は少しだけ眠りについた後で復活し、シグナル保険は解約されたらしい。
 私は成から事後報告を聞いた。目覚めた彼からは、メッセージを介して連絡が来る。しばらく検討期間が欲しい、と言って。
 私はてっきり付き合うのをやめるのかどうかの検討だと思っていたけれど、「条件の検討をする」というのだった。
 シグナルの発動はご両親にとっても大きな驚きだったようだ。「あのモンスターが興奮することがあるなんて!」と漏らしていたらしい。

 しばらくの冷却期間をおいたあと、彼から「会おう」と連絡が来た。区立の図書館で落ち合ったときには、奇妙な緊張感が走る。読書スペースにいた彼に、

「あの、久しぶりだね」
 と私は声をかけた。
「久しぶり」と彼も返してくれる。
 フラれるかもしれない、と予感があったけれど、彼が何かを言うまでは、付き合っている前提で接しようと思っていた。
「保険は解約したって聞いたけど。大丈夫?」
 彼は頷く。
「どこも問題ないよ。ただ自分でも、あんな風になることがあるとは思わなかった」と言うのだった。
 あんな風、というのは、どれのことを言っていたんだろう?と思ったけれど、真昼の図書館でする話じゃない気がした。そのくらいの節度はあるつもりだ。
「その、条件の検討っていう話だったけど。その後はどういう感じ?」
 探りを入れてみるつもりだったけれど、予想外に彼はハッキリと言った。

「もし、村瀬さんが「する」側で誰かと関係を持つのは、イヤだって思ったんだ。オレと同じように、誰かとするのはイヤだって。この感情がよく分からない。村瀬さんに対してのマーキングなのか、縄張り意識なのか分からないけれど」
「え?」
「でも、村瀬さんが「して」もらうなら、まだ未知の感情だって思った。オレは村瀬さんを抱いたことがないから、分からない。もし、抱いていたら同じように、村瀬さんが他の人に抱かれるのはイヤだって思うかもしれないけど」
「こ、こんな場所でする話じゃないよね?」
「どんな場所ならいいの?」
 彼は私の手を取って、その指を自分の唇に触れさせた。
「迷っているんだ。凪が消えてしまったから。それでもまだ、オレの場合には欲望が全て揃っているわけじゃないから」
 私は彼の唇を撫でる。
「条件の達成は必要?」
 彼は答えない。


 若槻とはあの後デートした。公園をプラプラするだけのデートだ。
 彼にフラれると思っていて、半ば破れかぶれだった私は、若槻の太ももに自分のそれを触れさせて、セクハラもどきな方法で自分のことを教える。
 若槻は一瞬のけぞって、それから改めて私に確認をしてきた。
 けれど、その後はキラキラした瞳で、「え!?これって、オレはどっち方面ですればいいんですか?村瀬さんならどっちでも」
 と妙な向学心で聞いてきた。その日は、何もなかったけれど、予想外の反応に驚いてしまう。

 若槻がそんな状態となれば、条件を達成するためには、彼の意向と、私の心構え次第ともいえる。

「準備は出来てるけど」
 と私が言うと、彼は私の手を握って来た。
「もう少し、待って」
 と少しだけ濡れた瞳で言う。ドキッとしてしまった。
「待ってどうするの?」
「自分の感情を整理したい」
「少し前まで、未成年だって警戒していたのに。公共の場所で手なんか繋いで平気?」と私は呟く。
「自分が分からないんだ。でも、確かなのは村瀬さんを放したくないと思っているってこと」
 私はやっぱり彼に「して」欲しいと思っている。
 愛される側になりたいと思っているのだけれど、彼の中で何かが変わっているのは間違いなさそうだ。
 それが私にとって嬉しい変化なのかどうかは、分からないけれど。


「今日はこの後、カウンセリングルーム行く?」
 彼はうん、とは言わなかった。おずおずと私の手を握り、
「家はダメかな」と言う。
「家?バイトの作業残ってるの?」彼は首を横に振った。
「勉強しよう。受験にはまだ間に合う。村瀬さん同じ大学に来てほしい」
「急にそんな話、なん」
 私はそう言いかけて、彼の瞳の光りに気づいた。彼は嘘をついている。
 勉強なんて、別にして欲しくないんだ。
 大学にも別に来て欲しくない。
 ただ、きっと――――。
 愛が欲しいんだ。

 ああ、私は愛される側になるチャンスをみすみす逃したのかもしれない。

「いいよ」
 と答えて、彼の後について家に行く。シテくれない私の彼氏は、私の手を引いた。しっかりと指と指が絡まっている。
 私だって放してあげるつもりはないけれど、彼も放してくれないのかもしれない。

 ああ。
 願わくば、未来永劫のうちで、一回くらいは彼がシテくれますように。
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