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数か月前から現在(キス不足)

好きかどうか、以外

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 瀬能くんと待ち合わせたのは、瀬能くん家の近所の公園だった。
 キスをするだけならば、とふたりして浅はかな考えで公園を選んだものの、思いがけずに人気が多く、気軽にキスをする雰囲気ではない。

 しかもわたしたちはそれぞれ違う学校の制服を着ているため、見る人が見れば、目を引く組み合わせだった。
 どうしよう、と思いながら、人気のない方向へ連れ立って歩いていく。

 ふたりきりになる場所を探しているカップルのようでもあるけれど、実際には自分たちの切実な事情によりわたしたちは、ふたりきりになれる場所を探していた。木々の影になる場所で、顔を見合わせる。
 ちょうど近くに誰もいない。

「一瞬だから」と瀬能くんに言われて、わたしはうなずいた。
 肩に手を添えられて、顔が近づいてくる。何かのフレグランスの匂いがしたときには、自分の唇に、瀬能くんの唇が当たった。
「オシマイ」と照れたようにして瀬能くんは身体をはなす。わたしは周囲を見渡して、石仏や黒い蝶の存在を確認した。
「え?」
 少しだけ、薄くなっている。瀬能くんも同じように目を丸くしていた。
「薄くなるパターンってあるんだ」
 同時に同じことを思ったのか、もう一瞬いい?といいもう一度軽いキスをしてくる。ぴちっと皮膚がぶつかる感覚だけがあった。もう一度、周りを見渡すけれど、さっきと薄さの違いはない。わたしたちの間には、ほのかな落胆があった。
「ありがとう、野宮さん」
「ありがとう、瀬能くん」
 礼儀正しくお礼を言い合い、わたしたちの共犯行為は終わる。
そして、瀬能くんとわたしがキスすると、お互いの幻想が薄くなる、という成果は得た。
「薄くなるんだね」
「だね」
 というお互いの感想には、お互いの存在は代用でしかないというさみしさも含まれていたように思う。
 わたしは石関くんじゃなければいけないし、瀬能くんは誰か他の人じゃなければいけない。

「前の彼女のときには蝶は消えたんだよね?」
 と聞いてみる。
「俺の場合にはずっと効果が続くわけじゃないみたいなんだ。野宮さんとリョータは特別かもね」と瀬能くんは言う。

 石関くんじゃなければいけないわたしと、ひとりの相手では効果が持続しない瀬能くんでは、どちらが大変なのだろう?
 わたしたちは、また何かあれば協力しよう、と言い合いながら別れた。


 石仏が少しだけ消えたことにより、わたしには少しだけ集中力が戻ってくる。
完全に消えたときよりは不安定なものだけれど、僅かに眠気がない時間には、必要なことをすませることができた。 
 そんなある日の放課後に、旅行サークルのメンバーに集合がかかる。

 まったくサークル活動をしていなかったけれど、一部のメンバーはこの夏に旅行を計画しているようだった。また、来年の卒業旅行に関しての意見交換会もあり、楽しみがあることを意識する。

 今まで眠気の靄でおおわれていた生活に張りができる気がした。石関くんはヨーロッパで欧州サッカーを観たいと言っていて、それにはルアンも賛同する。もっともルアンは旅行自体に参加する気はないようだったけれど。長い休みには帰国するんだ、とあっさりと言う。

 わたしは特に希望もなかったので、日本語以外の言語の場所ならどこでもOKとアンケートを出しておいた。現3年生が今年予定している卒業旅行の案も参考に、参加希望の2年生を中心にプランを練るようだ。
 今年の卒業旅行にも、2年生も参加可能らしいので、話をしっかり聞いて日程を確認しておいた。
「東南アジア偏食旅」というテーマらしい。
 ミャンマーにも立ち寄るらしいので、興味が湧いていた。
貯蓄と相談して参加しよう、と思っていたら「ミャンマーだし、参加する?」と石関くんに聞かれる。うん、お金が間に合えば行きたいな。と答えておいた。
「オレも行けたら行こうかな」という。
「そうだね、行けたらいいよね」と当たり障りのない会話をして、その日の集まりは終わった。

 途中まで一緒に帰ろう、と石関くんに声をかけられて連れ立って部屋を出ていく。口笛を吹いてみせるルアンも、サークルの女の子と一緒にいた。
 ルアンはもっぱらメウ・アムールを探し中なのだろう。
「今日はバイト?」と聞かれて、バイトが休みだと告げると、うちの店に来る?と言われた。
 行っても大丈夫なの?と聞けば、バーになる前の時間帯ならOKだよ。という。
 わたしの意図する「行っても大丈夫」とは違う意味でとらえられたらしい。

 石関くんのゾーンにわたしが行っても、石関くんは気まずくないのだろうか、という意味だったのだけれど。わたしは石関くんの案内で、彼のバイト先に行くことにした。知り合いのお店ということもあり、入るや否や、気軽な挨拶が飛び交う。
「リョータ、今日は休みじゃなかったっけ?」
「あ、噂の彼女?」
「リョーヘイには紹介した?」と店長や店員からの視線が集まる。
 カウンター内にいたのは男性だけだったけれど、女性店員も2、3人ほどいた。どうやら併設の雑貨屋さんの店員も兼任しているらしい。
ただ、そこに川瀬さんの姿はない。

 視線を浴びる中、こんにちは、と挨拶をして、石関くんに案内されるままに席に座った。どことなく落ち着かない気分になるのは、ここが石関くんの別の姿を感じさせる場所だからだろうか。
「ゆっくりしていってね」
 と店長さんがサービスのドリンクを持ってきてくれる。店長さんは、石関くんの2番目のお兄さんの友達なのだという。石関くんは対面に座って、店長さんにオレにもサービスして、と声をかけるけれど、バイト代から天引きしとくわ、と言われていた。

「彼女がいるってことは、兄貴たちはみんな知ってる」
「そうなんだ、何か言われる?」
「あんまり言われないけど。末っ子感出すのは気をつけろって、3番目の兄貴に言われたかな」
「末っ子感?」
「一応、家だと一番下っ端だから」
「ふぅん」
「野宮は天然培養っぽい」
「ひとりっ子は、そもそも下っ端だし。うちはほとんど放置だしね」
 気心が知れた人に囲まれている場所にいるせいか、石関くんの雰囲気が違う気がした。今はそんなに「頑張って」いないのかな、と思う。
「野宮は大学進学するの?」
「どうだろう。成績も落ちてきちゃってるし、今はそれほど大学に思い入れもないかな」
 ありのままのことを答えると、石関くんはそっか、そうだよな、としんみりという。
「オレは前から言ってる通り、大学進学するつもりだけど。野宮が大学行かないってなれば、生活スタイルはもっと変わることになりそうだよな」
「そうだね。今でも、クラスでしか会う機会ないしね」
 半透明になっている石仏が、テーブルの周りをうろうろとしているのが視界に入る。

「クラスでも話しかけた方がいい?」
「え?」
「ずいぶん前のことだけど、川瀬に嫌なこと言われたらしいじゃん。だから、あんまりクラスで話しかけるのは微妙かなって思ってて」
「嫌なこと、でもないけど。川瀬さんのことを気にしてたの?」
 石関くんはうなずく。
 だからといって、川瀬さんや他の女子とクラスで大胆なスキンシップをする理由はそこにあるだろうか、とも思う。
 といっても、今そこを問い質してもどうにもならない気もした。
「川瀬さんは石関くんと付き合いたいって言ってたよ。そのためには、わたしに別れて欲しかったみたい」
 石関くんは目を見開いた。
「野宮は、なんて言ったの」
「わたしと石関くんとのことと、川瀬さんと石関くんとのことは別、みたいに言ったかな。川瀬さんが石関くんと仲良くすることは、わたしには関係ないって言ったと思う」
「関係ないんだ」
「関係できないっていうのが、正しいのかも。石関くんの気持ちは、わたしには変えられないから」
「野宮はすごく理性的で、理知的で、すごいな。オレは真似できない。野宮が誰かと仲良くしてたら、関係ないなんてって言えない。ムカつくし、嫉妬する」

 いつになく弱気な石関くんの様子が気になった。
 誰かと仲良くしていること。
 この頃の出来事を振り返れば、あれは仲良くしていることになるのかな?
 でも、その点では、石関くんだって一緒のはずだ。
「野宮はなんでオレと付き合ってるの。ルアンとかユースケとか、野宮は誰とでも同じように接しているみたいに見えるけど。執着も束縛もしないっていうし。オレと付き合ってくれてるのはなんで」
「石関くんだって、同じように接してるみたいに見えるよ。それに、石関くんも束縛しないでしょ?」
 石関くんの瞳が不安そうに揺れる。
「束縛したいよ。別の相手とハグとかキスしてれば、相手をぶん殴りたくなるし、野宮にとことん聞きたくなる。なんでキスなんかするんだよって。でも、野宮の言う通り、相手の気持ちは変えられないから、我慢するしかない」
「石関くんはわたし以外と、しないの?」
 わたしの質問に、石関くんは目を見開いた。
 質問を失敗した、と思ったけれど、後の祭りだ。

「そんなこと、聞くなよ」
 懇願するようなか細い声で石関くんは言う。
 したことはあるのかもしれなかったし、したいと思ったことはあったのかもしれない。
 どちらとも石関くんは言わなかった。

 けれど、わたしの質問が、とても石関くんを傷つけたのは間違いなかった。
 わたしはきっとどこか欠落しているに違いない。
 好きな石関くんを傷つけてしまうんだから。
「この先も付き合っていくなら、そんなこと聞かないで欲しい」
「石関くんがわたしと付き合っていきたいのかどうか、分からないから」
「野宮とは付き合っていたいよ。でも、近づくのも怖い。野宮は?」
「わたしも、そうだよ。石関くんじゃなきゃダメだけど、石関くんが一番怖い」
 結局、わたしたちはお互いが怖いんだ。
 なのに、付き合っている。
 どうしてこんな組み合わせで付き合ってしまったのだろう。
「はなれる練習をすればいいのかもしれないよ。石関くんは、わたし以外と。わたしは石関くん以外と付き合う練習をすればいいのかも」
「そんなの」
 もうしてきたよ、と言われた気がした。
「はなれることは、できないのかな」
「好きだよ、野宮。はなれたくは、ない」

 わたしたちはそこで初めて、ドリンクを飲んだ。
 あれ、なんか深刻?サンドイッチでも食べてハッピーに付き合っていきなよ、と店長さんがフルーツサンドとハムサンドの載ったお皿を運んでくる。
 きっとわたしが欲しいのは、石関くんのキスだけなのだ。
 けれど、そう言い切ってしまうことにも、どこか違和感がある気もした。
 石関くんと、本当に別れたときに、わたしはどうなるんだろう?
 いちごのたっぷり入ったフルーツサンドはフレッシュな酸味とクリームの甘みが相まって、本当に美味しかった。

 ほんの数分、あるいは数秒かもしれないけれど、店員の関心もまったくこちらになく、石関くんもどこかぼんやりとしている瞬間があった。
 わたしはテーブル越しにそっと石関くんに顔をよせて、キスをする。ビリビリと身体の芯が痺れて痛い。わたしは瞠目する石関くんから顔をはなした。
「今日は帰るね、ちゃんと考えよう」
 わたしは席を立って、カウンターの中の店長さんに、ごちそうさまでした、声をかけて店を出る。
 窓ごしにも石関くんの視線を感じていたけれど、わたしは振り返ることなく、店を去る。

 石関くんを傷つけたくない。そう思った。
 辛いならそばにいない方がいい。
 石仏は消えた。
 きっと次に石仏が出てきたときには、石関くんはわたしのそばにはいないだろう。

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