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彼の視野

彼の脳内会議

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「リョータは本当にそれでいいわけ?」ショーヘイ兄ちゃんが言う。
「まだ、中学生じゃん。そんなとき感じる運命なんて、ホルモンに浮かされたまやかしみたいなもんだって」
 ショータ兄ちゃんもショーヘイ兄ちゃんの発言に賛同よりだ。
「俺なんて毎日運命感じてるけどなぁ」
「リョータは感度が低いから、逆にいいもの掴むって感じじゃないかなあ。酸いも甘いも観測してきた末っ子の特典っていうか」
 リョーヘイ兄ちゃんは比較的、中立の目線がありつつ、俺の味方を味方をしてくれる。

「お前たちは、指向が保守派だからなー。興味の幅が狭くないか?」
「リョータは結構モテるよ。中学入ったときから、オレと同じ学年の女子からは人気だった。E……いや、色々接触関係が苦手なだけで」
「はあ?初耳なんだけど。これだから、末っ子は。上から来られるのに弱いよなぁ」
 ショーヘイ兄ちゃんは、自分からいく派で、主導権をとりたい方だ。
「自分からいかないわけ?逆に好みじゃなくても、来られればOKなわけ?」
 ショータ兄ちゃんは全く興味を持たれていない相手を陥落することが好きな、ハンター気質。

「今回行った結果が、今なんじゃん?」
「じゃあ、初恋みたいなもんなんだ。余計にヤバくね?相手も初恋で奥手だったら、膠着するし、慣れてれば戦況は厳しくなるよなぁ」
「そうそう、なかなか厳しい。フェアプレーにならない」
「にーちゃんたちは、何と闘ってんの?ショーヘイ兄ちゃんは何人も彼女欲しい派じゃん。ショータ兄ちゃんは、特定のステディいらない派じゃん。リョータは一途に本命がいればいい派だってだけなんだよ」
「いやいや、何言ってんだよ。リョーヘイ。一番罪が重いのは、お前だから。来られたら断らない、振りもしないけど、追いもしない。一番最悪だからな。最初から人間に興味ないって言っておけよ。むしろ、顔に貼っておけ」
 リョーヘイ兄ちゃんは、来るもの拒まず去るもの追わずで、恋愛関係では一番クールだ。


 兄たちのやり取りは、ふだん頭の中でキャラクター化され、いつも自分の行動を決める指針となっている。
 兄たちはあくまでも俺のイメージの産物だ。
 現実では、付き合っている子が出来た話をしたとしても、
「もうやった?」
「カワイイ?」
「末っ子感出しすぎに気をつけろよ」
 とそれぞれ一言言ってきたきりで、議論を交わし合ったり、延々と話をしたりはしない。兄たちの関心はオレなんかにない。もっと広い世界に開かれているからだ。

 とはいえ、実際に兄たちの姿を見て、それぞれの性格とそれぞれのアプローチの仕方を見てきたせいもあり、俺自身は危機管理には長けている自信はあった。

 好きな子が出来たときにも、相手を傷つけない、密着しすぎない、ということは決めている。
 距離感を保ちながら、仲のいい女の子を作るのは得意だ。

 けれど、その日に、その子を初めて見たときには、距離感を保とうという発想はなくなっていたのだ。自分の知っている本を読んでいる子というイメージも強かったけれど、周りが浮足立っている中で、自分のペースを保持しているその子は目を引いた。

 3番目の兄の担任をしていたこともあるせいか、俺に対してフランクだった吉崎は、さっさと係決めを終わらせたるために、オレに声をかけてきたのだ。

 野宮遙という生徒にも目をつけて、ふたりでクラス委員をやってくれと言ってきた。そうすれば、さっさと終わらせられるだろ、という理屈だ。俺は担任に言われた通りに、野宮に声をかける。

 普通に声をかけるのではつまらないな、と思って、彼女の読んでいた本のことをまず話題にあげてから、本題に入った。野宮は少し発想が変わっている。野宮は天然培養されているかのようで、3番目の兄、リョーヘイに少し似ているような気がした。
 つまり、来るもの拒まず、去るもの追わずっていうやつだ。そういうタイプの子と仲良くなる機会はあまりなかったので、新鮮で気軽な会話が楽しいと思った。


 野宮とは同じクラス委員で、接触する機会も多かったし、事情はよく分からなかったけれど、ときどき野宮の視線を感じることがあった。

 ただ、周りが勝手にざわめいていたので、どんな子なのかが気になり話をするようになる。
 思えば、クラスメイトがユースケを狙っていたから、当て馬として野宮が俺にあてがわれたっていうのは正しかったんだろう。

 野宮は別に俺に対して特別な感情はなかったのかもしれないけど、単純にラッキーだとは思った。野宮みたいなタイプはそもそもの接点がなければ、まず関係を持たない相手だと思うから。
ユースケが浪速と付き合い始め、まもなく浪速を避けるようになったのも知った。
 理由を聞いてみても「その件だけはノーコメントで」と言われるのだ。なにかしたかされたか、というのは想像できたが、野宮いわくキスをしただけだという。

「キスをしただけ」
 その言葉が野宮から発せられたことに、じりじりとした感情を覚える。

 野宮はしたことがあるんだろうか?
 という素朴な疑問が浮かび、すぐに口にする。

 そして野宮が浪速のいい分をそのまま口にしていただけで、自分の経験に基づいた発言をしているわけではないと知り、安心したが、逆に焦りも覚えるのだった。
 いつか、してしまうんだろうな。と。上のふたりの兄のような、アグレッシブな奴らとしてしまうんだろう。そんなのは惜しい気がした。

「キスしてみたい」
 と言ってみたけれど、もちろんダメ元だ。にもかかわらず、野宮が意外にも曖昧な反応をしたので、本当にキスをした。

 それはキスなんて名前で呼べるものじゃなくて、皮膚と皮膚の接触だったけれど、野宮の呼気が唇に触れたときに、ビリビリっと脊髄に電気が走るのを感じた。

 野宮は目を見開いて驚いている。
 人とここまで近い距離になることなんて、滅多にない。特にほとんど大人同然の身体を手に入れてからは、こんなことはなかったと思う。この距離感がたまらなく愛おしいもののような気がして、もう少し味わってみたい気がした。

 でもそのときに、「なにこれ、怖い」と野宮が言う。
 ハッとしたときには、野宮はすでに踵を返した後だった。なにが起こったのか分からない。ただ、野宮の中で起こっていたことと、俺の中で起こっていたこととは違うということだけはハッキリとしている。
 思えば、いいも悪いも聞かないままに、キスをしてしまっていた。
 なんて野蛮なやつだと、思われただろうか。
 あるいは、本当にしてみたら案外よくなかった、と感じてしまった場合もある。ただの皮膚の接触以上のことはしていないけれど、初めてのキスのイメージが違っていたのかもしれない。
そうなるともう、相性の問題でしかないと、思う。

 だとすれば、俺と野宮とは同じことをしても真逆のことを感じていたことになる。俺はとてもいい、と思っていた。
 もっと触れていたい、と思っていたのだから。



 この状況を、3人の兄による脳内会議にかけてから、改めて考えてみる。

 野宮の気持ちが知りたい。ハッキリとしたことが分からないうちには、どんな判断も時期尚早だ。だって俺は野宮のことが好きだ、と思うから。高校受験を理由にして、野宮に付き合わないかと言ってみる。合理的な理由が野宮の好みだと思ったから。
 野宮の答えは「キスをしないなら付き合おう」だった。

 付き合いは順調だったと思う。
 野宮は絶妙な距離感をとる達人だ。付き合うこともいやじゃなく、俺のことも好きだという。けれど、どこか常に俺から逃れたがっているのが分かる。寧ろ、逆に付き合うことがいやで、俺のことは生理的に無理とまで思っているんじゃないか、と思うときがあった。

 でも、一緒に勉強したり、さりげない会話をしたりしているときの野宮はとても楽しそうで、一緒にいることをいやがっているわけじゃないのかも、とこっちは思ってしまうのだ。ひょっとしたら、恋人っぽい身体の接触がいやなのかもしれない、とは思った。
 兄たちからも聞きおよんでいた情報によれば、スキンシップは女の子によってそれぞれの感覚によって「アリ・ナシ」は詳細に分かれるらしい。
 野宮はスキンシップがいやなほうなのかもしれない、と思った。とはいえ、会っているときに触れないように、とするのは意外に難しい。


 俺自身は、やっていたスポーツの影響か、男だけの兄弟にいて、その中でも一番下にいるせいか、パーソナルスペースが狭くても大丈夫なのだ。
 それに、どうやら、好きなものに接近したいと単純に動いてしまう身体も持ち合わせているようなので、野宮に触れないようにするためには、物理的な距離をとるしかない。さらに野宮は家庭の事情で忙しいこともあったし、結果として距離をとることになった。
 これは自然消滅のパターンだよな、と思う。

 
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