錆びた街の落書き

宮滝吾朗

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第三部 祈り編

第54話 外界からの再介入

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白い筋は、もはや光量の問題ではなかった。
それ自体が質量を持ったかのように、空間を圧迫し始めていた。
心臓層の薄暗い静寂を切り裂くその白光は、無機質で、冷徹で、あまりにも「清潔」だった。鉄と油と、人々の使い古された祈りが沈殿するこの都市の澱みの中で、その光は異物以外の何物でもなかった。

祈り線の隙間を縫うように走っていた細い観測の光が、もはや「隙間」など探してはいない。 何千、何万と張り巡らされた赤い祈り線を強引に押し分け、踏みにじり、その中心部へと土足で踏み込んでくる。場所を譲るのではなく、そこにあるべきものを排除して、自らの領土として塗り替えていく――それは、侵略と呼ぶにはあまりに静かで、だからこそ拒む術のない踏み込み方だった。

心臓層の空気が、低く軋んだ。 それは鼓膜に届く音ではない。細胞のひとつひとつが震え、骨の髄が直接悲鳴を上げるような振動。あるいは、圧倒的な質量を持つ何かが頭上から降りてくるときのような、逃げ場のない圧迫だ。 存在が、別の巨大な存在によって押し潰され、歪められていく感覚。

タケルは思わず息を止めた。 止めたつもりはなかったが、肺が勝手に硬直し、酸素を取り込むことを拒絶していた。この空間に満ちる「外」の気配が、肺胞の奥まで侵食してくることを本能が恐れているのだ。 指先が微かに震える。触れてしまった赤い光の残熱が、今も指の腹にこびりついて離れない。その熱が、外からの冷たい白光にさらされ、じりじりと焼けるような痛みに変わっていく。

「……来た……」

タケルの唇から、掠れた言葉がこぼれ落ちた。 その瞬間、心臓層の全域に張り巡らされた祈り線が一斉にざわめいた。それは都市が自らの意志で上げる共鳴ではなかった。外側から強大な力で叩かれ、無理やり震わされている、拒絶の悲鳴に近い振動だ。

アキトは、その白い筋から片時も視線を逸らさなかった。 逸らせば、相手の「位置」を見失う。重力も距離感も曖昧なこの心臓層において、視線を外すことは即座に主導権の喪失を意味する。彼は歯車が山をなす影に立ち、都市の深部をなぞる白光の軌道を、獲物を狙う獣のような鋭さで見据えていた。

「……観測のフェーズが、切り替わった」

アキトの声は低く、地を這うような重みがあった。

「切り替わった……?どういうことだよ、兄ちゃん」

タケルが息をつまらせながら問い返す。アキトは短く、断片的に答えた。

「……『記録』してた連中が、手を伸ばしてきた」

白い筋が、はっきりと鋭い角度を持った。 それはもはや直進するだけの光ではない。都市が持つ固有の「癖」、祈り線の流れが淀み、守りが薄くなっている箇所を正確に読み取り、そこへ鎌を突き立てるような蛇行を見せる。 都市という巨大なシステムの、最も脆弱な急所を探り当てようとする、知性を持った意志。

アキトの表情が、凍りついたように硬くなる。

「主機(メインエンジン)にする気だ」

その短い断定が、心臓層の空気を凍りつかせた。 刹那、祈り線の流れが急激に組み替わり始めた。 これまで無秩序に、だがそれぞれの「祈り」の形を保って流れていた赤い線が、無理やり一方向へと揃えられていく。川の流れが巨大な水門によって制御されるように、その「向き」が強制的に統一されていくのだ。

誰かの未練、誰かの願い、誰かの後悔――そうした個別の、歪で不格好な記録の集積だったこの場所が、機能的で、効率的で、冷徹な「機械の心臓」へと作り替えられようとしている。

タケルの胸が、万力で締め付けられるように苦しくなった。 指先に残る赤い熱が、激しく脈打つ。

「……勝手に……こんな……」

言葉にならない怒りが、震えとともに喉の奥でせり上がる。 この都市に沈殿していたのは、ただのデータではない。塔に奪われ、街に捨てられ、それでも消しきれずに残った「人々の選択」の残骸だ。 それを、外の連中はただの燃料として、あるいは駆動パーツとして扱おうとしている。

アキトは、目の前に広がる巨大な歯車の山の前に、一歩踏み出した。 それは逃げ場を探す動きではない。侵入してくる白光と、都市の核である赤光との間に立ち塞がる、「遮断」の位置だった。 彼が背負っているのは、単なる弟の命だけではない。この都市が、都市として保ってきた最後の「澱み」そのものを守ろうとしているかのようだった。

「ここは……人の選択が、削れ残った場所だ」

アキトは、足元に転がる錆びた歯車を、憎しみを込めて指し示す。

「それを整えて……最適化してしまったら……」

一拍。 祈り線が白く汚染され、その赤みが薄れていく。都市が、必死の抵抗を試みるように、その末端の配管を軋ませ、蒸気を吹き上げさせる。だが、外からの介入はその抵抗さえも「エネルギー効率のロス」として処理していく。

「……全部、消える。俺たちのいた意味も。リタの残した記憶も」

祈り線が白く濁り、脈動が機械的な一定のリズムへと上書きされていく。 タケルは、強い嫌悪を覚えた。それは死への恐怖などではなく、もっと根源的な、自分の魂の輪郭を削り取られるような生理的な拒否感だった。

「……俺……」

タケルは言葉を探し、自分の胸を強く押さえた。 肺の奥に溜まった冷たい空気を、無理やり言葉にして吐き出す。

「……ただ、見てるだけじゃ……足りないのか……?」

アキトは一瞬だけ、肩越しにタケルを見た。 その瞳には、一抹の迷いも、揺れもなかった。あるのは、すべてを撥ね退けようとする強固な拒絶の意志だけだ。

「見るだけで足りるのは……相手が『外』にいる時だけだ。今はもう、奴らの指先が俺たちの喉元に届いてる」

白い筋が、心臓層の最も深い場所――中心部へと、さらに深く踏み込んだ。 赤い光の核が、まるで獲物が網にかかった時のように、激しく、不規則に明滅する。 白と赤。 その二つの色が接触した瞬間、心臓層全体を、かつてない強烈な閃光が包み込んだ。

金属が溶け、記録が焼ける匂いが、一気に空間へ広がっていく。 外界からの介入は、もはや「再介入」の域を超え、都市そのものの「再定義」へと突入していた。

「……させない。こんなところで、終わりにしてたまるか」

アキトの呟きは、激しさを増す機械音の中に消えていった。 だが、その背中に宿る熱量だけは、侵食してくる白光を押し返すかのように、赤く、暗く、激しく燃え上がっていた。
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