ひなたぼっこ──京都・鴨川デルタ夢譚

宮滝吾朗

文字の大きさ
10 / 77

第10話 海の上の猫舌ハムスター

しおりを挟む
♪Everybody needs a little time away...

カーラジオから、ピーター・セテラの甘い声が流れていた。

車の後部座席をフルフラットにして「巣」を作り、毛布で包んだ舞子を乗せてアパートを出たのは、鴨川デルタもまだ真っ暗な朝の5時だった。
今出川通を西へ抜けて国道に出て、そのまま南へ。
インター特有のきついループを回り、高速道路の本線に合流するころ、後ろで舞子がごろりと転がる気配がした。

「うーん…」

低くうめいたきり、すぐにまた、すうすうと寝息が聞こえはじめる。

フロントガラスの向こう、東の空がうっすらと青くなり始めたのは、天王山トンネルにさしかかったあたりだった。
ふだんならブレーキランプが連なる渋滞の名所も、この時間は夢の中のように静かだ。
トンネルを抜けると、朝の気配をまとい始めた山並みが、闇の向こうにぼんやりと浮かび上がる。

ラジオは相変わらず洋楽のヒットナンバーを次々と流していた。
グロリア・エステファンの軽快なラテン、フィル・コリンズのどこか湿った声。
テンションの違う曲が続けざまにかかるのに、どれも、夜明け前の高速には妙にしっくりきた。

吹田ジャンクションを抜け、中国道へ。
耳を澄ませば、タイヤが路面をなぞる音だけが聞こえる。

「んー…ここ、どこー?」

吹田の分岐を過ぎたあたりで、後ろから寝ぼけた声が飛んできた。
さっきのカーブで転がされたとき、毛布の端を蹴飛ばしたらしい。

「内緒」

そう言うと、「うそーん」と呟いて、また丸くなる気配がした。

♪We are the world, we are the children...

ラジオから流れてきた大合唱をBGMに、中国道を西へと走りつづける。
ブルース・スプリングスティーンのダミ声の向こうで、ケニー・ロギンスやスティーヴ・ペリーが次々に歌い継いでいく。
世界平和。素晴らしい。

やがて山陽自動車道へと乗り継ぎ、姫路を越えるころには、空もすっかり朝になっていた。
真新しい舗装は継ぎ目も少なく、ガードレールも白くてまぶしい。

雑音が増えてきて、ラジオが「ザ…」とノイズを吐くようになった。
「ああ、もう入らへんか」
そうつぶやいて、ダッシュボードのカーステレオを指で押す。
カチリ、と軽い音がして、エアチェックしておいたカセットテープが再生を始めた。

ちょうどTOTOの「Africa」がサビに差しかかるところだった。
このタイミングなら、悪くない。

「んにゃ?ここどこ?」

岡山県に入ったあたりで、後ろの毛布の山がもぞもぞと動き、舞子が顔を出した。

「備前あたり。岡山やで」

「へ?岡山?なんで?病院は?」

「こんな時間に病院開いてへんやろ」

「ん?今何時?」

「6時半くらい」

「え?なんで?そういえば何で私、車乗ってるの?」

寝起きの頭で質問だけはフルスロットルだ。

「とりあえず、そのトートバッグに服入れといたから、着替え」

「はーい」

ぼんやりとした返事のあと、後ろでごそごそと着替えの音がする。
少しして、ドルフィンパンツからデニムの短パンに、さてんのに~ちゃんから、いつの間にか僕から奪い取ったNICOLEのトレーナーに着替えた舞子が、クッションの海をかき分けて助手席に移ってきた。

「え?なにこれ?どこ行くの?」

昨夜からたっぷり寝たおかげか、頬にはうっすら赤みが戻っている。
熱のしんどさより、好奇心が勝っている顔だ。

「うどん」

「うどん?」

「うどん食べに行く。舞子、うどんなら食べられるって言うてたやろ」

「うん…うどんは大好きだし、ジンギスカンは残しちゃったけど、うどんなら食べられると思う」

舞子の目がじわっと輝き始める。

「でも、なんで高速?岡山?なんで?なんで?」

助手席のテンションとは裏腹に、カーステからはジョージ・マイケルが、軽はずみな一言で彼女を傷つけたことを後悔していた。

「どうせなら、本場のうどんを食べさせたいと思ってな」

「えー!本場のうどん!?どこどこ!?どこ行くの!?」

「まだ内緒」

そう言って、僕はさらに西へとハンドルを切った。

◇    ◇    ◇    ◇

新しく開通したばかりの山陽道は、どこか病院の廊下みたいにきれいで人工的だった。
春の日差しが正面から差し込んできて、フロントガラス越しに目を細める。

「さっきのサービスエリアの案内に書いてたけど、この区間、ほんまに先週つながったとこらしいわ」

「へえ…私、開通してすぐの道路走ってるんだ。なんかすごい」

舞子は窓の外を食い入るように眺めている。
まるで、自分がテープカットに立ち会ったみたいなテンションだ。

「このまま早島で降りて、下道で宇野港まで行く。上手くいったら午前中のフェリーに間に合う。朝のうちに香川着けるわ」

「え!?フェリー!?船!?お船乗るの!?」

舞子のテンションがさらに一段上がる。
インフルエンザなんか、もう置き去りにしてきたんじゃないかと思うくらいだ。

「船の上から海見える?うどんはいつ食べるの?香川って言ったよね?香川って四国だよね?海渡るんだよね?」

一度火のついた舞子は、質問の連射が止まらない。
バッグをあさってポテチを取り出し、一口かじって「しょっぱいからやめとく」とまたしまう。
体調が戻りかけている証拠だ。

早島インターで高速を降り、国道を南へ。
朝の光に照らされた町並みが、少しずつ港町の顔に変わっていく。
ハンドルを握りながらちらりと横を見ると、舞子は遠足前の小学生みたいに、足をぷらぷらさせていた。

宇野港の青い看板が見え始めるころには、鼻歌のボリュームもだいぶ上がっていた。

「このペースやったら、間に合うな」

フェリー乗り場の案内を確認しながらつぶやくと、舞子が振り向いた。

「ねえフェリーって、乗るとき“ヨーソロー!”って言うの?あたし言うからね?」

「言わんでええ」

そう言いつつ、心の中ではガッツポーズをしていた。

窓口でチケットを買い、指示されたレーンに車を並べる。
ほどなくして、船底が赤、上が白いフェリーがゆっくりと港に入ってきた。

係員の誘導に従い、口を開けた船腹の中へと車を走らせる。

「うわ…車ごとお船乗れるんだ。すご…」

「乗船時間はだいたい1時間くらいやったと思う」

「へえ…四国って、意外と近いんだね。初めての四国だ…」

輪止めがかけられると、僕たちは車を降りて上の甲板へ向かった。
急な階段を上るとき、舞子の手を取る。
まだ少し熱はあるけれど、今朝抱き上げたときの火照りよりはだいぶましになっていた。

甲板に出ると、3月の海風が顔に当たる。
運転し続けて火照っていた身体には、ちょうどいい冷たさだ。
舞子も「気持ちいい…」と目を細めている。

「え、なにあれ?」

人だかりのできている一角を見て、舞子が指をさした。
屋根のある甲板の一角に、「さぬきうどん」と染め抜かれた白い暖簾が揺れていた。

「うどん屋さん!?“さぬきうどん”って、テレビで聞いたことあるやつだ!お船の上でうどん食べられるの?食べていい?ねえ食べるよね?」

僕が答えるより早く、舞子はうどん屋の方へ小走りに駆けて行った。

列の後ろに並ぶ。
窓口の横には、簡素なメニュー札が下がっている。

かけうどん 250円  
きつねうどん 270円  
天ぷらうどん 350円  

京都の相場からすればかなり安いが、僕の記憶にある讃岐うどんよりは少し高い。
まあ、船の中やし、このくらいはするやろう。
自販機のジュースだって、ちょっと高くなるんやから。

「私、きつねうどん!」

舞子がニコニコしながら見上げてくる。

順番が回ってきて、きつねうどんを注文する。
店員さんはうどん玉をデボ網に入れて湯で温め、丼に入れ、澄んだ出汁を注ぎ、ネギと大きな油揚げをのせてくれた。

丼を受け取り、割り箸を手に甲板へ戻る。
ベンチはほとんど埋まっていたが、舞子ひとりが腰掛けられるスペースだけ空いていた。

舞子をそこに座らせ、僕はその前に立ったまま箸を割る。
あちこちで、同じように立ったままうどんをすすっている人がいる。

「立ったまま食べるって、お行儀悪いね」

舞子が笑う。

「こういうのはな、それがええねん」

僕が自分のうどんを口に運ぶより早く、舞子の第一声が聞こえた。

「…うま!」

出た。お決まりのやつや。

「なにこれ美味しい。いつも家で作るうどんと全然違う。これが“コシ”ってやつ?」

ずずっと麺をすすり、続けて出汁をひと口。

「お出汁もさ、いつものヒガシマルの味じゃなくて…なんか、お魚?の味する」

そこまで分析的だったのは最初の数秒だけで、あとはいつもの「猫舌ハムスターモード」に入ってしまった。

ふーふー、ずるずる、ふーふー、ずるずる、ごくり、ごくり。

熱々を怖がっているくせに、箸を止める気配はまったくない。

◇    ◇    ◇    ◇

「あー、美味しかった…」

「うん、ごちそうさん」

空になった丼を返却口に置き、甲板の手すりにもたれて海を眺める。
舞子はすっかり元気になった顔で、まだ余韻を噛み締めている。

「これがさ、私に食べさせたかった“本場のうどん”?」

大きな目が期待と満足でキラキラしている。

「これも本場のさぬきうどんやけどな。さすがに船の中やし、麺は茹で置きの温め直しやと思う。美味いけど、香川の本気はこんなもんやないで」

「ええ!?今ので十分すぎるくらい美味しかったんだけど、もっとすごいの出てくるの?香川、おそろしいとこだ…」

「まあ、楽しみにしとき」

そう言ってから、ふと思い出した。

「あ、そうそう。この船、今月で廃止になるんやって」

「え?なんで?」

「本州から四国に渡るでっかい橋あるやろ、“瀬戸大橋”。来月開通するから、そしたらフェリーの本数減って、ここの航路は終わりなんやって」

「ええ…どっちも使ったらいいのに。お船楽しいし、うどん美味しいし。もったいないね」

舞子が不服そうに言う。
僕も同じ気持ちだった。
早く着けばそれでいい、って話でもないやろうに。

そうこうしているうちに、水平線の向こうから陸地が近づいてきた。
高松港だ。

「さ、そろそろ車戻ろか」

「うん…。なくなっちゃうんだ、この船」

舞子はまだどこか名残惜しそうだ。
たぶん、僕も同じ顔をしている。

「それはそれとして、着くで、四国」

そう言うと、舞子はようやく小さく笑った。

こうして僕たちは、舞子にとって初めての四国の地に、足を踏み入れようとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

処理中です...