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第一章

転生

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「酔ってないわよぉ~」
「お嬢様、お目覚めですか……!?」
「ん?」

 コスプレの様なドレスを着た女性の手があたしのおでこに乗せられた。

「お熱も下がったみたいですね。本当に良かったです……」

 アメリーは涙ぐんでいる。
 アメリーって誰だ? ……元乳母であたし付きの侍女だ。あたしは……聡。……いや、カロリーヌ?

「奥様をお呼びしますね」

 アメリーは部屋を出て行った。

 辺りを見回すと、ピンクの天蓋の付いたベッドに、赤いカーテン、凝った造りのサイドテーブル……
 ここは……カロリーヌの部屋。

「どうなってるの!?」

 あたしは飛び起きた。
 その瞬間、世界がぐわんと揺れて再び身体を後ろに倒す。
 あぁ……めまいがする。

「キャロル! 目が覚めたのね!」

 部屋に飛び込んで来た女性は紫色の瞳に涙を浮かべている。
 ……お母様だ。
 あたしがのっそりと起き上がると、お母様はベッドに腰掛けてあたしの背を支えてくれた。

「気分はどう?」
「頭がくらくらします」
「大変! 先生!」

 お母様の後ろに付いてきたお医者様が前に出た。

「お嬢様、お名前は言えますか?」
「カロリーヌ・ピーコメック……」
「ご年齢は?」
「9歳」
「この方のお名前は?」
「お母様……マルティーヌ・ピーコメック……」
「お父様のお名前は?」
「エミール・ピーコメック」

 そして身体をあちこち触って確認をしている。

「ふむ。聴覚、視覚、記憶に問題はないようです。くらくらするのは高熱によるものでしょう。何しろ3日も昏睡状態だったのですから。しばらく安静にすれば落ち着くと思います」
「そう……良かったわ。キャロル、まだしばらく寝ていましょうね」

 そうして布団を掛けられた。



 また目が覚めてもやはりここはカロリーヌの部屋だった。
 あたしは聡という名前の男で、おかまバーのチーママをしていた。30歳の誕生日をお店でみんなに祝ってもらっていたところまでは覚えている。
 あれは前世の記憶? でもそれなら今、未来にいるはずよね。おかしい。だってここは時代が逆行している。

 この時代で生きている記憶もちゃんとある。カロリーヌはデエスリープ王国ジェイドバイン侯爵家の1人娘で、淡いブラウンの髪にエメラルドグリーンの瞳の女の子。最近、王子と婚約した。宮廷で開かれたお茶会で王子様に一目惚れをして「王子様に会いたい、王子様に会いたい、次はいつ会えるの」と連日、両親に駄々をこねたのだ。お母様に「そんなに王子様が好きなの?」と聞かれて「将来お嫁さんになる!」と即答した程だ。
 それから王子様と婚約できる事になり、幸せの絶頂だった。

 王子様の名前はフィリベール。プラチナブロンドの髪に紫の瞳の男の子。
 ん? フィリベール? 何か他でも聞いた名前ね。あぁ、聡の時にハマっていた恋愛ゲームの王子と同じ名前だわ。あれ? カロリーヌっていう子も出てきたわね。すごい偶然。

 ……おや? 名前も髪の色も瞳の色も全部同じ。住んでいるのは王都ラプソン。しかも攻略対象者の1人、ジスラン・カンパヌラスって……従兄のジスラン兄様じゃない! どうなってるの!?

 部屋のドアがノックされ、アメリーが扉を開けた。
 起き上がって確認すると、ダークグリーンの髪にエメラルドグリーンの瞳の男性が部屋に入って来る。お父様だ。

「キャロル、具合はどうだ?」
「大丈夫です」
「本当に良かった。心配したんだよ」

 お父様は大きな手で頭を撫でてくれた。気持ちいい。
 そんな事より!

「お父様、今の軍事長官は誰ですか?」
「どうしたんだ一体……」
「ご存じですよね!?」
「ああ……シャルトエリューズ伯アムブロスジアだ」

 お父様はかなり困惑しているが、聞いた事には答えてくれた。
 残念ながら、今のあたしにはお父様の困惑に配慮する余裕なんてない。

「ではミスルト学園の学園長のお名前は!?」
「モルダバイユだが……本当に大丈夫か?」
「はい……」
「起きているなら食事を運ばせよう。食べたらまた眠るといい」
「はい……」

 お父様は部屋を出て行った。

 嘘でしょ!? ここってあのゲームの世界なの!?
『キスしてどっきゅん~イケメン貴族学園白書~』略してキスどきゅ。ミスルト学園という貴族の学校を舞台に、イケメンと恋をするという恋愛ゲームだ。

 キスどきゅの攻略キャラクターは4人。
 ・王太子、フィリベール
 ・公爵家の子息、ジスラン・カンパヌラス
 ・軍事長官の子息、アルマン・アムブロスジア
 ・学園長の子息、ロドルフ・モルダバイユ

 カロリーヌって……フィリベールルートの悪役令嬢だわ。
 子供の頃に婚約した王太子フィリベールとヒロインが仲良くなっていくのが気に入らなくて、ヒロインをいじめる役どころ。最終的に刺客を仕向けて主人公を殺そうとするんだけど、フィリベールと主人公がハッピーエンドの場合は、悪事がバレて修道院に幽閉される……
 キスどきゅをプレイしていた時は、処分が修道院って生ぬるくない? って思ってたけど、自分がそうなると思うと絶対嫌だわ。修道院って、粗食・禁酒・禁欲……終身刑みたいなものじゃない。未遂で終身刑って充分キツい。

 でも……主人公を殺そうとしなければいいのよね? 幸いあたしはまだ9歳。婚約こそしてしまったけれど、キスどきゅのヒロインには出会ってすらいない。まだまだ、何とでもなるはず。


 あたしが恋愛ゲームにハマったのは青春時代に碌な恋愛ができなかったから。
 高校時代、あたしには大好きな男子がいた。キスどきゅの世界観は、騎士《ナイト》という名前のその彼を何となく思い出させたのよね。

 自分が同性を好きで、それがおかしい事だと知ったのはまだ幼稚園に通っていた頃だった。だからそれ以降はずっと隠してきたけど、あたしが好きになるのはイケメンで活発な男の子ばかりだったから常に女子達が狙っていて、好きな相手が女の子とカップルになるのを見ているしかなかった。あたしは友達として仲良くなるのが精一杯で、好きな人ができたところで打ち明ける事も叶う事もないまま高校に進学した。

 高校で一目惚れした騎士とはすぐに仲良くなれた。最初はそれで満足していたけど、騎士に好きな子ができてしまった。相手は学年で1番かわいいという呼び声の高い女の子。騎士はいつもその子を目で追っていた。

 そんな時、別の友人が言った「なんかお前カマっぽいよな」という言葉が、ぐさりと胸に突き刺さり、激しく動揺した。今思えば別にいいじゃないって感じだけど、その時は絶対にバレてはいけないという気持ちしかなかったのよね。それからしばらくして、なぜか騎士の好きな子に付き合って欲しいと告白されたのだ。この子と付き合えばカモフラージュになる、何より騎士とこの子が付き合う所を見なくて済む……そんな気持ちでOKしたけど、誰も幸せにならない恋だった。騎士に、その子と付き合う事にしたと伝えた時、彼はショックを受けながらも良かったなって言ってくれて……あたしの好きになった人は友情に厚い良い男だと再確認し、自分に失望した。

 彼女を好きになってあげられない罪悪感、手を繋ぎたいともキスをしたいとも思わない相手と付き合う嫌悪感は日に日に増していった。そして、彼女との約束を断る役を騎士に頼んだ。
 彼女は良い子だったから。好きな相手、しかも彼氏に好きになってもらえない彼女の悲しそうな顔を何度も見て、騎士だったらこの子を幸せにしてあげられたのになんて本末転倒な事を考え、2人をくっ付けたのだ。


 悪役令嬢が何よ。土俵にすら上がれなかったあたしがイケメンと恋愛できるなら全力でやってやるわ! イケメンと朝待ち合わせして一緒に登校したり、学校帰りに寄り道したり、お揃いの物を身に付けたり、図書館で一緒に勉強したり、そういう普通の学生の恋がしてみたい。壁ドンとか顎クイとかだってされたいのよ!
 よし。せっかくだからこの世界で青春を楽しもう。

 そして、もう1つ。志半ばで潰えた自分のゲイバーを持つという夢を叶えたい……

 聡として叶えられなかった夢を、全部実現させてみせるわ!!
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