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第一章

刺客

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「マダムからご主人の事を聞きました」

 その日の夕食の際中、お母様にそう報告した。

「……あなたはそうすると思ったわ」

 お母様は苦笑している。
 これは……話していい所と駄目な所を事前にマダムと打ち合わせていたな?

「密偵なんてやめさせてください!」
「必要な事なのよ」

 予想通りの答えが返って来た。

「じゃあせめて、マダムの息子さんに会ってみたいです」

 譲歩して見せたけど、本当の目的はこっちだ。

「どうして?」
「歳も近いみたいですし……お話がしたいだけです。マダムも息子さんが私に会いたがっていると言っていました。駄目ですか?」

 実際は『喜ぶと思う』だから、会いたがっているとまでは言ってなかったけど。

「彼をここへ呼ぶ訳にはいかないわ」

 お、何かいけそうだぞ。もうひと押し!

「大丈夫です。私が行きます。私が神殿に行くのなら問題ないですよね? お父様には内緒にしますから」
「……分かったわ」

 弱みに付け込む様で気分は良くないけど、承諾を得られた。
 あたしはマダムの説得に、息子くんの協力を仰ごうと思うのだ。息子くんだってお母さんが密偵をやっているなんて知ったら嫌だと言うに決まっている。あたしが何も知らない様に、マダムの息子くんも何も教えられていないとしたらバラす様な形になってしまうけれど、致し方ない。


 そうして神殿へ来た。
 マダムは我が家で働いている事がばれてはならない為、あたしと一緒に出掛ける事ができずお留守番だけど、息子のオスカーさんには事前に手紙を送って連絡をしておいてくれたそうだ。
 お母様には「お父様には内緒にしますから」攻撃をもう1撃お見舞いして、1人で来させもらった。

 到着して馬車を降りると、規模は大きくないものの立派な造りの神殿がそびえている。正面に高く太い円柱の柱が並んでいる古い様式のデザインだけど、建物自体は新しそうに見える。

「ユーゴはここで待っててくれる?」
「はい」

 ユーゴを馬車と一緒に待機させ、幅の広い5段程の石階段を上る。
 中央に大きなアーチ型の入口があり、扉の解放されているそこから入るとホールになっていた。正面に大きな両開き扉があり、右側の壁側は奥へと続く廊下の様だ。入口が開いていたという事は、正面の扉の向こうは一般の人が誰でも参拝できる礼拝堂なのだろう。
 人がいないんだけど勝手に入っちゃっていいのかな……。

 躊躇っていると右手の廊下から法衣を纏った青年が現れた。シルバーの髪色がマダムと同じだ。

「カロリーヌお嬢様ですね?」
「はい。オスカーさんですよね」

 彼はカーディナルレッドの瞳を輝かせて満面の笑みをたたえる。

「ああ! やっとお会いできた。ようこそいらっしゃいませ」

 なんだなんだ、大歓迎されてるぞ。思ってたのと違うぞ。それにこの瞳の色……

「初めまして……」

 困惑するあたしに構う事なく、彼は浮き立っている。

「初めましてオスカーと呼んでください。お迎えが遅くなりまして申し訳ありません。こちらへどうぞ」

 オスカーについて廊下を進む。いくつかの扉を通り過ぎ、彼は突き当りの手前の扉を開けた。
 室内は床から天井まで壁一面が本棚になっていて、図書室の様であり、書斎の様でもある。

「お掛けになってください」
「はい。あ、これお菓子です。良かったらどうぞ」

 うちの料理長のヴァレリアンに頼んで焼いてもらったクッキーをオスカーに渡す。

「お気遣いありがとうございます。では失礼して」

 オスカーは包みを開け、クッキーをテーブルに並べた。
 あたしは勧められた椅子に座り、オスカーが自らお茶の準備をする様子を眺める。

 会ってみて、オスカーを我が家に住まわせる事ができなかった理由に合点がいった。マダムの瞳がこの国では割とよくいるグリーンなのに対し、彼の瞳は鮮やかなレッドで、とても目立つのだ。そしてシルバーの髪もまたこの国では珍しい為、イヴェット伯爵夫妻を知る人物が見たらその息子である事が一目瞭然なのだろう。

 お茶を淹れ終えたオスカーが向かいの椅子に座り、にこりと笑う。

「マルティーヌ様には本当にお世話になっております」
「母はこちらへ来た事があるんですか?」
「はい。毎年いらっしゃって、多額の寄付を頂いております」
「そうなんですか……」

 全然知らなかったわ。

「父の件でもお世話になったと聞いております」
「マダムも母に恩があると仰っていましたけど、実際のところ母がイヴェット伯爵の為に何かできた訳ではなかったのでしょう?」
「そうかも知れませんが、実家すら力になってくれず誰も味方がいない状況で、一緒に無実を信じて下さったマルティーヌ様の存在は母にとって非常に大きかったのではないかと思います。それに私達は無一文でしたから、母が侯爵家で雇って頂いて自由に使えるお金が得られるのも有難い事です」

 確かに、神殿にいれば衣食住には困らないけど、あくまで最低限だろうしお小遣いまでは貰えないもんね。
 しかしこの子、まだ14歳なのにしっかりしてるわね。この感じならある程度の事を知っているかも知れない。

「マダムが宮廷でも働いている事はご存じですよね?」

 あたしは探りを入れているのがバレない様、敢えて断定的にそう切り出す。

「はい」

 案の定、オスカーは事も無げに頷いた。

「今日ここに来た目的なのですが……私、マダムに密偵をやめて欲しいんです」
「どうしてですか?」

 オスカーは不思議そうに首を傾ける。
 なんと、彼はマダムが密偵をしている事を知っていただけでなく、やめて欲しいと思っていないらしい。
 いやもう、こちらが聞きたい。何でやめて欲しいと思わないんですか……

「まず、マダムはご自分のせいでうちの母が王太子に婚約破棄されたと思っている様で、罪悪感に苛まれているだけだと思うんです」
「それは違いますよ。母も私もマルティーヌ様にはとても感謝しているんです。ですからお嬢様のお力にもなりたいのです。ご心配には及びません」

 そう言い切るオスカーの笑顔を見て、あたしは確信した。
 この人やっぱり、キスどきゅのフィリベールルートでヒロインを殺そうとした、カロリーヌの刺客だ。フィリベールルートがバッドエンドの場合、ヒロインは何者かに殺害されるのだ。
 ゲームの中ではマスクとフードで顔が隠されていたけど、犯人の切れ長の目と赤い瞳が不気味だったのを覚えている。
 お母様に対して全幅の信頼を置き、あたしを大歓迎しているこの感じ……やり兼ねない。カロリーヌめ、聖職者に人殺しを命じるとは……。

 けど、カロリーヌはどうして親に言いつけるという1番簡単で確実な方法を取らなかったんだろう。政治的な判断で成された婚約なんだから何も殺さなくても、お父様かお母様に言えば、ヒロインの家に圧力をかけるなり退学にさせるなりしてくれただろうに。そもそも1番悪いのは浮気したフィリベールだ。
 ……そうか、カロリーヌは何も知らず、自分の意向でフィリベールと婚約できたと思っていたんだ。だから親に心配をかけたくないとか、がっかりされたくないと考えて自分で何とかしようとしたのかも知れない。

 でも今思うと、ヒロインに対して短絡的に嫌味を言ったり嫌がらせをしていたカロリーヌに、暗殺なんて裏工作ができたのかしら。それに真っ先に疑われたのでは〝暗殺〟の意味がない。しかも、カロリーヌと実行犯の関係性や、その人物の名前は明らかにならなかった。
 そういえば、ゲームのカロリーヌは当初、ヒロインを殺そうとしたのは自分ではないと言ってたっけ。犯人が1度は言うやつだから気にしていなかったけど。
 それに結局、実行犯は捕まらなくて、証拠を突き付けられたカロリーヌが観念して自供し解決したのだ。

 もしかすると……カロリーヌが率先してヒロインを襲わせたのではなく、マダムが息子にヒロインの排除を命じたのかも知れない。
 本来なら家庭教師からの指導は子供が学園に入るまでしか受けないけど、背景や状況が特殊なマダムの場合、そのまま何らかの形でジェイドバイン侯爵家に残る可能性は高い。そしてヒロインにフィリベールを奪われて苦しんでいるカロリーヌを見かねて手を打ったのではないだろうか。
 ゲームがハッピーエンドの場合、暗殺犯は殺害に失敗して逃げ切る。でもそれは、カロリーヌが事件の後でマダムの事情と殺人教唆を知って、マダムとオスカーを庇ったからだと考えると辻褄が合う。首謀者が捕まれば未遂で終わった事件の実行犯の捜索は重要ではなくなるし、上級貴族のカロリーヌなら犯人であっても死罪にはされない。でもオスカーが犯人として捕まれば神殿にはいられなくなるだろうし死罪もあり得る……

 だとしても……カロリーヌのやり方は浅はかだ。守ろうとしたカロリーヌに逆に庇われて修道院送りにしてしまったらマダムの気持ちはどうなるのだ。ただでさえ旦那様を冤罪で亡くした上、お母様に罪悪感を抱いているというのに、そんなやり方じゃ、オスカーの命を救えたとしてもマダムの心は壊れてしまうだろう。

 これは、マダムに手を出させるのは絶対に防がなければ。もう、早急に彼に伝えておこう。

「あの、突然ですが私、王太子殿下とは結婚する気はないので、先に言っておきますね」
「え!? とても仲良くしていらっしゃると聞いていますが……」

 あたしに関する情報は筒抜けらしく、オスカーは驚いている。

「仲は良いんですけど、お互いに恋愛感情はないので、政治的に落ち着いたら婚約を解消するつもりでいるんです。でもマダムにはまだ内緒にしておいてもらいたいんです」
「理由を伺っても……?」
「私が順番を間違えたせいで、マダムに密偵をやめてもらう為に婚約を解消すると思ってしまいそうなんです。本当に違うんです。誤解なんです! マダムは関係ないんです!!」

 あたしの勢いに気圧されてオスカーは身体を引いた。

「わ……分かりました」
「王太子殿下とは、お互いに好きな相手ができて円満に婚約を解消するのが1番だと考えていますので、くれぐれも! それを覚えておいてくださいね」

 だからマダムに何を言われても殺人なんてしないでください!

「……はい」

 オスカーはなぜ自分にそんな力説をするんだといった戸惑いを見せつつ、ゆっくりと頷く。

「それで話を戻しますが、私は王太子妃にならないので密偵は必要ないんです。オスカーからもマダムを説得してくれませんか」
「カロリーヌお嬢様は母から聞いていた通りの方ですね」

 何故だかオスカーは嬉しそうな様子だ。

「一体どんな話を……」
「マルティーヌ様によく似たとても賢い方だと聞いています。それにこんなにも母に親身になってくださって……」
「だって危険じゃないですか。バレたら捕まってしまいますよ」
「それはないと思います」
「どうして言い切れるんですか?」
「変装をした母はまるで別人ですから」

 そうなんだ……

「え、じゃあ説得は……?」
「婚約を解消なさるという事が話せないとなると……難しいですね。母が望んでやっている訳ですし、私が言っても聞かないのではないでしょうか……」

 オスカーは困った顔で微笑む。
 ……刀折れ矢が尽きた。
 内心頭を抱えながら、最後の質問をする。

「あの、父に内緒にしなければならない事情ってご存知ですか?」
「そうなんですか? すみません私には分かりかねます……」

 そこは彼も聞かされていないのか……

「いえ……本日はありがとうございました」
「お力になれず申し訳ありません」

 あたしのがっかりが伝わり心苦しそうにされてしまい、慌てて首を振る。

「いえ、お会いできて良かったです!」
「私もです。お越し頂きありがとうございました。いつでもいらしてください」

 部屋を出ると、外からきゃあきゃあという楽し気な高い声が聞こえてきた。

「子供がいるんですね」
「はい。この奥に孤児院があります。読み書きや計算を教えていて、今日は商人の子供たちも混ざっているので騒がしくてすみません」

 オスカーはそう言いながら廊下の突き当りの扉に目線をやった。

「賑やかで良いですね」
「ご覧になりますか?」
「いえ、今日はもう帰ります」
 
 手土産も持たずただ見に行くのも不粋だろう。

「また今度お邪魔させてもらいますね」
「はい。是非!」

 笑顔のオスカーに外まで付き添われ、馬車で神殿を後にする。

 困った……あたしの為の密偵と言われても、そもそもあたしが頼んだ訳じゃないので、あたしには止める権限がない。
 マダムにこれ以上しつこく密偵をやめてくれって言うと、フィルと婚約解消する時、自分のせいでと思う気持ちに拍車をかけてしまいそうだから、今後は気にしていない体でいるしかない。マダムの心に更なる傷を負わせるのは何としても避けたい。

 まぁでも、あたしにヒロインを殺す気がなくても勝手にそういう状況になってしまうかも知れないと事前に分かったのは良かった。これはヒロインに対する愚痴をマダムに聞かせなければ回避できる。実行犯のオスカーに釘を刺せたから、彼が暗殺をする様な事態にもならないだろう。

 円満に解決する為には、あたしがフィル以外の人を好きになって、その人と上手くいって、幸せであるとアピールすればいい。それはあたしの目標とするところでもあるので問題はない。
 やり方が物騒なのがどうにも頂けないけど、マダムとオスカーの2人に共通しているのは、あたしの幸せを望んでくれているという事なのだから、頑張るしかない。
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