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徒然なるままに

渡辺プロダクション、歴史を感じるなぁ。

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渡辺プロダクション







株式会社渡辺プロダクション(わたなべプロダクション、英文社名:Watanabe Productions Co., Ltd.)は、芸能事務所など12社1財団(自社含む)を統括する持株会社である。しばしばナベプロと呼ばれる。



創業者は渡辺晋。

晋の妻の渡邊美佐は名誉会長兼グループ代表。代表取締役会長は晋・美佐夫妻の長女である吉田美樹(渡辺ミキ、ワタナベエンターテインメント社長)、代表取締役社長は同次女の渡邊万由美(トップコート社長)が務める。


創業者は渡辺晋。晋の妻の渡邊美佐は名誉会長兼グループ代表。代表取締役会長は晋・美佐夫妻の長女である吉田美樹(渡辺ミキ、ワタナベエンターテインメント社長)、代表取締役社長は同次女の渡邊万由美(トップコート社長)が務める。

目次
1 概要
2 所属タレント
3 グループ関連会社
4 批判
4.1 軍司貞則による批判
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
概要[編集]
元々は1950年代当時、まだ差別や偏見の目で見られることもあった芸能人の待遇改善と地位向上を目的として、ジャズミュージシャンであった渡辺晋が、妻の渡辺美佐、松下治夫、河合聡一郎らと共に、芸能事務所の位置付けを変革したことが始まりである。
それまでは、タレントに仕事先を見つけ出演料の一部を受け取ることだけで、個人商店、徒弟制度的な意味合いが強く「一人のマネージャーがデビュー時から引退までタレントと一蓮托生の運命を歩む」というマネージメントのあり方を変更し、一人のタレントに対し数人のマネージャーを付け、何年かで担当を交代させることで、芸能事務所の仕事を組織化し、あらゆる分野に精通した人脈や知識を蓄えた人材の育成を目指した。また『シャボン玉ホリデー』や『ザ・ヒットパレード』、クレージー映画シリーズなどを自社制作し所属タレントを出演させて、番組制作費や興行収入を得る仕組みを導入したほか、傘下に音楽出版会社(渡辺音楽出版)を設立しレコードの原盤権を保有するなど、現代における日本の芸能ビジネスのスタイルを作った。
タレントのあり方についても、従来は俳優、歌手、コメディアンなどが分業し、それぞれの領域を侵さなかった芸能界に対し、『新春かくし芸大会』などでは歌手や俳優に寸劇や余興を行わせ、今日のマルチタレント時代の先駆けとなった。最初期にはミッキー・カーチス、ハナ肇とクレージーキャッツ、浜村淳、ザ・ピーナッツらが所属し、その後は中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、ザ・ドリフターズ、沢田研二、布施明、森進一、小柳ルミ子、天地真理、キャンディーズ等の大スターを多数抱え、番組も多数制作した。いまも国内有数の規模を誇る芸能事務所だが、1960年代半ばから1970年代初頭にかけては「ナベプロなくしては歌番組やバラエティ番組は作れない」と言われるほどの独占状態を呈していた。筒井康隆は当時、短編小説『あらえっさっさ』でその権勢ぶりを狂騒の芸能界とともに風刺しているが、同時期にNHKや創価学会を俎上に乗せた作品よりは若干好意的で、副社長である妻を前面に押し立てて目立たないようにしているが実権を掌握している社長、という描写になっている。
1979年にザ・ドリフターズがマネージャーの井澤健とともにイザワオフィスを設立し独立し、資本関係は存在しないが互いに関連会社として公式サイトなどにも記載している。その他にも一部タレントは、渡辺プロダクションおよびその系列事務所が51%出資することを条件に、傘下の事務所としてグループ内独立を認めている。2000年には機構改革を行い、残っていた芸能マネジメント部門をワタナベエンターテインメントに分社し、渡辺プロダクション自身は持株会社に移行した。そのため現在は子会社のワタナベエンターテインメントが「ナベプロ」と呼ばれることも多くなっている。
グループは現在でも株式を公開していないが、過去には株式公開の話を幾度となく持ちかけられていた。しかしながら渡辺晋の「芸能市場は長期的なスパンが必要であり、株価を気にし、株主に常に配当をしなければという状況下では成立しにくい」との判断のもとで、株式の公開は行なっていない。
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